the surprise

クリスマスの時期になると、会社のデスクの上に飾っておく絵本がある。
『the surprise』というタイトルの絵本は、10年以上前に僕がニューヨークから持ち帰ったと思われる絵本。
絵本なのだけど中に文字はなく、世界中の誰もが読める(見られる)絵本。読み終わった時の読後感が温かく、周りの後輩をつかまえては見せびらかせていた。
実は最近、作家であるシルビアさんと連絡が取れて、skypeでお話することができた。
シルビアさんは思っていた通りの柔らかく温かな印象の人で、そんな彼女だからこそ、この絵本のような温もりが滲み出てくるのだろうと思えた。
人生では、不思議なことが起こる。
もしも自分が望めば、会いたいと思っていたオランダ人の絵本作家でさえも、こうして会うことができるのだ。

トモちゃんとマサさん

先日ここにご紹介した、タックス・ノットのタックさんとそのパートナーによる芝居『トモちゃんとマサさん』が、ハフポストに記事になって出た。
この記事を読むと、70歳を越えたゲイの生きざまがありありと感じ取れると思う。
年をとっていく上での漠然とした不安はあるのは仕方のないことだろうけど、こうした先輩たちの生き方を知ると、年をとること自体を受け入れていく下地ができるかもしれない。
Youtubeで公開されている芝居を、ぜひご覧ください。
⭐︎「死を思いながら、マイムマイムを踊ろう」70歳のゲイが提案する老後の生き方https://www.huffingtonpost.jp/soushi-matsuoka/gay-old-age_a_23657245/

新宿ダイアログ

ダイアログ2階からの眺め

先週末にオープンした『新宿ダイアログ』の夜の店長は、『瞬ちゃん』といって、トランスジェンダーの女の子で背がとても高い。
瞬ちゃんに出会ったのは、東京レインボープライドがまだ2年目になる頃、東京レインボーウイークといういわゆるレインボーウイーク週間が出来た時のこと。僕たちは、カミングアウト写真を撮ることを決めて、SNSなどで友人たちに声をかけて集まって来た人の中に瞬ちゃんがいたのだった。
その当時の瞬ちゃんは物凄く圧が強く、いきなりメールが来たりしてちょっと焦ったのを覚えている。
みんなで、「どういう店にしようか?」なんて話していた時に、瞬ちゃんがいきなり、「わたしは、笑わせるお店はどこにもあると思うので、泣けるお店を作りたいと思って…」と言ったのだった。
それを聞いて、お店でお客さんが泣いているところを想像して僕はちょっと笑ってしまったのだけど、きっとそれだけ「真剣に心の奥底を話せる場所を作りたい」と思っていたのかもしれない。
2日目にワインが開けられなくて手こずっていたところ、たまたま来ていたお客さんにワインを開けてもらったという話を聞いて、笑ってしまった。
3日目の夜に、まだ決まっていないおつまみをどうしようかと、他店の友人シェフを呼んでカウンターの中で相談していたところ、瞬ちゃんはカウンターの外でお客さんとおしゃべりしながら、僕たちが出すおつまみをお客さんと一緒になって楽しそうにバリバリ食べていて、そのほんわかとした雰囲気にほのぼのとした。
そんな瞬ちゃんがいる『新宿ダイアログ』、これからどんなお店になってゆくのか、楽しみにしている。
⭐️新宿ダイアログhttps://m.facebook.com/shinjukudialogue/

劇団ぺんぺん さよなら公演『花吹雪狸御殿満月鏡山旧錦絵』

『劇団ぺんぺん』の芝居を観るのも、今年が最後。せっかくだからしっかりと堪能しておきたいと、金曜日と日曜日の千秋楽を観に行った。
『花吹雪狸御殿満月鏡山旧錦絵』は、今までにも劇団ぺんぺんの芝居で何度か上演されている演目。
意地悪なお局の岩藤と、お金持ちの娘である尾上、そして武家の出で賢い女中のお初の3人による古典的な和物のシナリオは、時を経ても色褪せない魅力に溢れている。
それにしても、公演を30年間続けたということは、確かに奇跡のような劇団だと思う。
なぜならば彼らはプロではないから。新宿二丁目のゲイバー『ぺんぺん草』の素人のお客さんたちが集まって、他に仕事を持ちながら毎週練習を重ねて一年に一度年末に芝居を披露していたのだ。
芝居に出演しない僕たちにとっても年末のとっておきの楽しみの1つだったし、毎年ぺんぺんの芝居を観ないと年を越せないような気持ちでいたのだ。
劇団ぺんぺんに関わったみなさまへ。
30年間、ここでは書ききれないほどの楽しい出来事が沢山ありました。本当にありがとうございました!

イワタニのたこ焼き器。

カセットコンロの上に置く

いとも簡単にたこ焼きが!

1800円くらい

東京生まれ東京育ちなのに、たこ焼きが好きだ。
それも、大阪で食べるあっつくて中がほわほわのたこ焼きが・・・。ついでに言えば、明石焼も好きだ。大阪に行ったら、たこ焼きと明石焼を必ず食べて帰るようにしている。
関西の人の家では、普通にたこ焼き器が1台あって、しょっちゅう家族でたこ焼きを作って食べているなどと聞いたことがあるけど、東京の家でたこ焼き器を持っている家なんて、僕の周りでは聞いたことがなかった。
先日、カセットコンロのイワタニの焼肉器を買って家で焼肉を食べたところ、煙もほとんど出ずに焦げ付かずにとても美味しく焼肉が出来たので、それに味を占めて、今度はイワタニのたこ焼き器を買って作ってみた。
たこ焼き粉は、既に配合済みのものを買って来て、たこは明石のたこを。
Kが仕事から帰って来て、張り切ってたこ焼き粉を水をかき混ぜて、たこをぶつ切りにして、たこ焼きの準備を整えているうちに、僕は大阪に敬意を表して『肉吸い』や、『出汁巻き卵』なんかを作って、あとは胡瓜の浅漬けや明太子や冷や奴を並べて・・・。
Kとふたり、食卓でたこ焼きを作りはじめると、思いのほか簡単にたこ焼きが出来ることがわかり、アツアツを頬張ってみる・・・
「おいしい!!!!!」
「うまいね!!!」
なんでもっと早く『たこ焼き器』を買わなかったんだろう・・・と後悔するくらい、お店で食べるような美味しいたこ焼きに感動したのだった。超おすすめです!
⭐️たこ焼き器https://www.amazon.co.jp/Iwatani-イワタニ-CB-P-TAF-カセットフー用たこ焼プレート-【品番】GKS7301/dp/B0098HKKL0/ref=pd_lpo_vtph_79_tr_t_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=G1H4PXJ2992XN14HJRRE
(僕の買ったのは、イワタニのカセットコンロの上にぴったりはまるたこ焼き器だけど、コンロが一体になったたこ焼き器も評判がいい)

Aの遺灰。

ニューヨーク旅行から帰国したKIから連絡があり、ぺんぺん草に飲みに出るというのでKとふたりぺんぺん草へ。
KIは、僕のお兄さんのような人で、僕がまだ大学生の頃、はじめてイタリアに連れて行ってくれた人。ニューヨークへも一緒に行ったことがある。
一緒にニューヨークへ旅行をした時に泊めてもらったのが、ここに先日書いたアッパーウエストにあるAさんの家http://jingumae.petit.cc/banana/2798583。
晩年アル中だったAさんは最後には日本に帰国して、故郷である福島で亡くなった。
僕たちは風の便りでAさんが亡くなったことを知ったのだけど、Aさんと生前に仲の良かった別の友人Tさんは、わざわざ福島の実家に出向いたようで、そこでなんと、Aさんの遺灰を沢山貰って来ていたのだった。
今回ニューヨークへ旅行に行ったKIは、なんとその遺灰をポケットに入れて飛行機に持ち込んだのだった。
KIは、身体検査で異物があるのが見つかり、「その粉は?」と聞かれて「クッキーを砕いたものだ」と答えたという。
KIは、それまでしてAさんの遺灰をニューヨークへ持って行ったのは、Aさんの遺灰をニューヨークの町中にばら撒くためだったのだ。
そんな話を聞きながら、『ぺんぺん草』のマスターHは、「そんなものどこへでも捨てればいいのに!」と叫んだ。
KIはとても楽しそうに僕に写真を見せてくれた。
写真を見ると、Aの家の近くのダコタハウスの前やストロベリーフィールズなんかで遺灰を撒いているところ、柴犬のミミとAがよく散歩していたハドソン川まで行って遺灰を撒いているのがわかった。
そんな写真を見ながら僕は、Aがきっとそれを見ながら喜んでいるだろうなあと思ったのだった。

5番目6番目のバラが咲きはじめました。フランボワーズ・パニーユとアイスバーグ

フランボワーズ・パニーユ

アイスバーグ

家のほとんどのバラはオールドローズなのだけど、中には新しいバラもある。ピンクの絞りのような『フランボワーズ・パニーユ』は、2010年にチェコスロバキアで作られた新しいバラで、しっかりとした枝に数本の蕾がつく。花びらは、ピンク色の濃淡のストライプを持ち、まるで作り物かと思うような華やかなバラ。微香だかいい香りがする。返り咲き。
白いバラは『アイスバーグ』と言う名前で、1958年にドイツで作られた比較的新しいバラ。なぜか、オールドローズの愛好家にも好まれ、世界バラ会議では殿堂入りを果たしている。半八重で柔らかい枝にうつむくように咲く様は可憐だ。微かだが香りがあり、丈夫で四季咲きで12月になっても咲き続けている。はじめてバラを育てる人にはうってつけの品種。
この時期、家の中は、ベランダで咲き続けているバラがところどころに生けてあり、自分で育てた花に囲まれる幸せでいっぱいになる。

Kのハッピーバースデー。

12月22日が僕の誕生日で、24.25日とクリスマスがあり、27日はKの誕生日。
僕たちはつきあいだしてから、大抵一緒に誕生日をお祝いしているので、今年も27日になる頃にはケーキを2回くらい食べていたので、誕生日にはケーキはいらないと言われていた。
27日の午後に、晩ごはん何にしようか?とKに聞くと、「アスパラとベーコンのクリームパスタ」という返事が返ってきた。このところ仕事でバタバタとしている僕を、簡単なメニューで気遣ったのだろう。
帰りがけ、近所のケーキ屋さんを覗くと、小さなロールケーキがまだ売れ残って並んでいた。甘い物好きのKの顔を思い浮かべたら、きっとケーキがあったら喜ぶだろうな…と思い、買って帰ることに。33歳を祝うために、ロウソクも3本。
イタリアンを手早く料理しているとすぐに帰ってきたKは、喜んでアヒージョやロメインレタスのサラダ、アスパラとベーコンのパスタを食べてくれた。
洗い物をした後に部屋の電気を消して、小さなロールケーキに3本のロウソクを刺して灯をともした。
僕の下手くそなハッピーバースデーの歌を聞きながら、うれしそうにKはロウソクの火を消した。

うどん丸香

久しぶりに神保町に行く用事があり、用事の前にKと待ち合わせて『丸香』に向かった。
『丸香』は、僕が食べた中で、東京で一番美味しいうどん屋さん。お昼時には長蛇の列が出来るのだけど、うどんなので回転も早く少し待っていたら順番が回って来るし、夜ならば比較的簡単に入ることが出来る。
うどん自体はきちんとコシのある讃岐うどん。しっかりと長さがあるので、うどんを勢いよくすするのが好きな人はそれを思いっきり楽しめるに違いない。
僕はこの店ではいつもかけうどんを頼み、野菜の天ぷらと海老の天ぷらをいただく。お出汁はいりこが入っているのか、鰹出汁とは違った美味しさで、適度に甘みを感じる温かい出汁がなんとも美味しいのだ。
讃岐うどん好きであれば、釜あげうどんとか釜玉うどんとかがいいかもしれない。(いつも思うけど、釜あげとか釜玉とか言うと、他人とは思えない親密さを感じてしまう)
野菜の天ぷらと海老の天ぷらを見てKが驚いた。ここはどれも量がきちんと多く、天ぷらもカリッと揚がっていて美味しいのだ。これはきっと、神保町という町が学生街だからなのだろう。
美味しいうどんをいただきながら、神保町に来たら、やっぱりまた必ずここに来たいと思ったのだった。
⭐️うどん 丸香
東京都千代田区神田小川町3-16-1 ニュー駿河台ビル 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000629/

バリ島旅行記vol.12(バリの洗礼。その3)

海に捧げられるお供物

〈バリの洗礼。その3〉
ビーチで『世界一の時間http://jingumae.petit.cc/banana/2732824』を過ごした後、僕たちはヴィラに帰って来た。タクシーのせいで昼ごはんが遅くなったので、予約していた素敵なお店での夕飯もキャンセルしていた。
晩ごはんまで時間があるので、Kがお土産を買いたそうだったので、9時まで開いていそうなスミニャックの町までタクシーで出かけることに。この日は祭日のためブルーバードは満車。ホテルで呼んだタクシーはブルーバードではなく、案の定ホテルを曲がったところで僕たちに聞いて来た。
運転手「スミニャックまで200(1800円)だよ」
僕「100ならいいよ。でも、それ以上ならここで降りるぜ」
運転手「わかった。100(900円)だな」
Kは僕の横で、僕の手をギュッと握っていた。つきあいはじめて気がついたことだけど、Kは喧嘩や言い争いが嫌いなようだ。(もちろん、僕だって誰とも言い争いになんかなりたくはない)
お店に着いて、僕がタクシーの運転手に100を渡し、「ありがとう」と言うと、運転手も「ありがとう」と言った。
僕「彼らは、毎回値段交渉するのが日常なんだよ。悪気なんてサラサラないし、僕たちの国とは、ただ、違うだけなんだよね。面倒臭いけど」
K「うん。でも、いちいちたいへんだね」
お店では素晴らしいお土産が買えた(今度アップしますね)。そしてまたタクシーを捕まえて、この町で一番人気のインドネシア創作料理の店を目指すことに。タクシーを捕まえるとなるとまたKが緊張しているのがわかった。
行きたい方向のタクシーは来なかったので、今度は果敢に反対方向のタクシーに手を挙げると、若いタクシーの運転手と目が合って、クラクションを鳴らして止まってくれた。僕たちは車を止めて、反対車線に渡って行ってドアを開けた。
車に乗ると、運良くブルーバードタクシーだった。運転手さんは目がキラキラしていて、僕たちに日本人ですか?と訪ねて来た。そうだと答えると嬉しそうに片言の日本語を話し、そして英語で色々話し始めた。
運転手さんはどうやら、北海道の学校にアニメを勉強するために留学していたらしい。そして、雪を見てどんなに感動したか、僕たちに熱く話しかけるのだった。
僕は、先ほど会った運転手とのやりとりをざっと話した。300を200に交渉して乗った挙句、今度は目的地の手前で降ろして400と言って来たこと。レストランの前では、人がいるから問題になると考えたであろうことなど。
運転手さんはびっくりして、と言うよりも驚いて、「ブルーバードタクシーでは考えられない値段だ。彼はクレイジーに違いない」と言った。
その後も、ブルーバードはインドネシア全土にあり、圧倒的に一番で、一人ひとりきちんと教育されていることなんかを話してくれた。Kは彼の話を聞きながらうれしそうに僕の手を握っていた。
バリ島から帰って来て今思うことは、どんな国にだって、いい人と悪い人がいるということ。今回のバリ島のでの出来事は、インドネシアと日本とのあらゆる違いを考えさせてくれるいいきっかけになったとも思っている。
色々な経験をしてひとつ言えることは、それでも僕たちは、バリ島に恋をしてしまったということだ。
〈おしまい〉