“Keep Portland Weird”

ドアを開けて右にキッチン左に洗い場

先頭に自転車が着いている

謎のおじさん

そんな言葉があるくらい、ポートランドを表す時に使われる言葉は、”weird”。
奇妙な、風変わりな、気味の悪い…という意味だけど、この言葉が個性的なこの町を物語っているようだ。
町を歩いていて、かなりの確率で男性も女性もタトゥーを入れているのに驚かされるし、なぜか長い髭を蓄えている男が多いのに不思議な気がしていた。
先日行ったレストラン『DOC』は、入り口からドアを開けて入ると、ドアの右側にキッチンかあり、左側に洗い場があって、その先に席が続いていた。それは確かにオープンキッチンなのだけど、料理をする姿も勿論、スタッフがワインを飲んでしゃべっていたり、皿を洗っている姿まで客席から丸見えで面白かった。
バスを待っていたら、白髪の革ジャンを着たおじいさんが、杖を振り回しながら、車椅子でヨーデルを歌いながら凄い速さで駆け抜けて行って驚いた。
しばらく呆気に取られて見ていたら、交差点の信号を渡り終えて、坂道でスピードが落ちてしまい、そこへ通りがかりのおばさんが、当たり前のようにその暴走おじいさんの車椅子の後ろを持って、道の上に上げてあげたり…。
バスに乗ったら、車椅子や歩行器の人たちが物凄く多くて、毎回停車するたびに、バス前方の運転手側のドアから道まで車椅子用に板が自動て降りるのだけど、あるおじいさんは歩行器を持っているのに、板が下されたことが不服のようで(自分は老いぼれではないと言いたい)、板がなくても歩いて上がれると運転手に文句を言っていた。
それでも、驚くことに運転手さんはとても親切で、おじいさんときちんと話をしたり、車椅子のおばあさんがバスが来たのに乗らないと、いちいち外に出て行っておばあさんに、「このバスには乗らなくていいの?」と聞いているのだから驚いてしまう。
待たされている乗客は、あらあら…と言った感じで眺めているし、バスの先頭には自転車が着いて走っていたりするし、なんだか人にやさしいんだかなんなんだかわからない感じなのだ。
30分に1本しか来ないようなバスを気長に待っているうちに、東京にいたら、5分電車が来ないだけでイライラしている自分を思い出して、不思議な気持ちになった。
無駄なく、便利であるために、合理性ばかり優先している東京にはない、人の温かみや人の個性が感じられるこの町を思う時に、”Weird”という言葉の奥深さを感じることができる。

ポートランドへ。

朝7時の便で、ポートランドへ。
町を歩くと、懐かしい匂いがした。
それは、大学一年生の時に、ロスのパサデナにある『Art Center College of Design』という大学に、夏の間行っていた時に嗅いだ匂い。西海岸特有の夏の渇いた風の匂い。
町は、今まで知っているアメリカの町のどことも似ていない…緑が溢れて、どこかヨーロッパの町にいるような不思議な感じ。
人々は気張っていなくて、どこか緩く抜けているような感じ。刺青をしている人と、やたらと髭を生やしている人が多い。それと、ヒッピーというか、乞食なような人もちらほら見かける。
アメリカの、経済優先なあり方や、インターネットの進化やSNSにより急速に変わってゆく人間関係や環境に対して、どこか距離を置くローカル力を最大の魅力とするこの町は、アメリカで最も進んだ町だと言われたり、アメリカ人が最も住みたい町にあげるような町だ。
この町を代表する『Powel’s books』は、世界最大規模の新しい本と古本を扱う店で、この時代においても、本の魅力に惹きつけられている人々が店中に溢れている。
また、有名レストランは、出来る限りポートランドの周りのオレゴン州や西海岸の産物を使って、ここにしかない料理やワインを提供しようとしている。
繰り返され拡大されてゆく消費社会、インターネットの普及やSNSの発達では得られないものが、この町の暮らしの中に息づいているようだ。

TORONTO PRIDE

トロントに来たのは、パレードを見るためだった。
昨年ワールドプライドの開催地となったトロントのパレードは、軽く100万人を超える人が押し寄せたと言う。
生憎、小雨が降りしきるパレードとなったのだけど、僕は浴衣を着て、レインボーの襷をかけて、日本の親善大使のようにパレードを沿道で見守った。
今回実は、パレードのために東京でボードを作って持ってきていた。妹のGが考えてくれたこのボードを、ニューヨークのパレードでは友人であるふたりのビアンカップルが掲げて、ベルリンのパレードでは、弟のFが掲げたのだ。
『PRIDE FROM JAPAN』
『WE ARE TOMODACHI』
このボードを掲げたお陰で、パレード自体から沢山のカナダ人が僕たちに歩み寄り、ハイタッチをしたり、ウインクしたり、ハグをしようとしたり、ありがとうと言われたり、なぜかお辞儀をされたりした。(中には、両手を前で合わせてタイのお辞儀のような人も)
先頭のKINKY BOOTSのフロートの後ろに、シンディ・ローパーが乗っているのに僕たちが気づいて、でっかい声で「シンディー!」って叫んだら、ボードを見た途端とても嬉しそうに笑って僕たちに何度も何度も大きく手を振っていた。(日本贔屓の彼女らしい愛に溢れた対応だった)
小雨に濡れながらも、彼らからの笑顔で逆に僕たちが勇気づけられて、心の底から、パレードに来てよかったと思った。
今でも彼らの声を思い出す。
おじいさんも、おばあさんも、子どもも、マッチョもビアンも、本当に様々な人種、セクシュアリティが入り乱れて、口々に叫んでいたのだ。
『HAPPY PRIDE!』

トロントニアン

ニューヨークでの2泊が過ぎて、早朝の便でトロントへ。
先にトロントに入っていた友人たちと合流して、セントローレンスマーケットを散策してから、カナダ人の友人のホームパーティーへ。
ゲイの友人二人でシェアしているマンションは、とても広く眺めもよく、彼らが手の込んだ食事も全部用意してくれていた。
ニューヨークの人のことを、ニューヨーカーと言うように、トロント人のことを英語では、トロントニアンと言う(ちなみに、東京人は、トウキョウイット)。
ニューヨークからトロントに入ると、驚かされるのは人が全然違うことだ。ニューヨーカーは、速歩きで人を押しのけて歩いていくようなところがある。「excuse ME!」と言った感じに(MEが重要な感じ)
それに比べてトロントニアンは、町をとてもゆっくり歩いていて、なんというか、おっとりしていて余裕がある感じなのだ。
トロントニアンの友人たちも、カナダ人の例にもれずとても親切で、誰とでも分け隔てなく話をする。自家製のサングリアを飲みながら、ベランダで焼いてくれたバーベキューでお肉を食べて、彼らの生活や生き方の話を沢山聞いた。
ホームパーティーに僕たちを招いてもてなしてくれたのは、彼ら自身が何かにつけホームパーティーをやるということと、普通にお店で食事するよりも、ローカルな本当のトロントニアンを知って欲しいからだと言う。
旅行会社の社長をはじめ、建築家や教師など様々な職種の彼らと、はじめて会った人であってもぐっと距離が縮まり話が進むのは、僕たちがゲイだからだろう。
カナダ人は、概ね日本人に対してとても友好的で、時間があれば日本に観光に行きたい。お花見がしたいなどと口々に言っていた。
トロントニアンが東京に遊びに来た時に、僕たちはいったいどんなおもてなしを彼らにしてあげることが出来るだろうか。

Bette Midler 3

僕が、生きている間に絶対に見たいと思っていたものの一つが、『ベット・ミドラーのコンサート』だ。それが、今回のニューヨークでMのおかげで急に実現したのだ。M、ありがとう!
マディソンスクエアで行われたコンサートは、3万人以上の人が詰めかけていた。でも、駅を降りて列に並ぶとなんだか普通のコンサートとは様子が違っている…
なんというか…みんないわゆる『おばちゃん』ばかりなのだ。それも、ベット・ミドラーそのものみたいな典型的なアメリカ人のおばちゃんがゴロゴロいる。
そして男性は、まず間違いなくゲイだ。(奥さんにしようがなく連れてこられた旦那さんがほんの少しいるくらいだろうか)
今年70歳になるというベット・ミドラーのコンサートは、一言で言うと、『完璧』だった。
下ネタも沢山交えながらのトークで笑わせられ、情感たっぷりで深みのある歌声で心を鷲掴みにされた。
加齢とともに少し高音域が出なくなったのは感じられるが、そんなことはもはやどうでもよくて、完璧なプロフェッショナルなステージだったのだ。
この日、アメリカでは全州において『同性婚』が認められるという歴史的な判決がくだされた。いつもゲイの味方だったベット・ミドラーは、このニュースにも触れ、みんなから大喝采を浴びていたし、僕たちの前には、二人の大げさな格好をしたドラァグクィーンが喜びをあらわに絶叫していた。
最後に、彼女の曲の中でも最も好きな曲が連続で演奏された。その曲は、自分の人生で出会い、ともに生き、今はもう居なくなってしまった人たちに捧げられていた。
彼女の語りと歌声を聴きながら、抑えることの出来ない涙がとめどなく流れた。
それは、悲しみではなく、途方もない喪失感だった。
そして、そんなことを全部知っているかのように、ベット・ミドラーはそっと触れ、僕を温かく包みこんだのだった。

王様と私

渡辺謙がトニー賞にノミネートされたという『王様と私』を観るのが、今回のニューヨークの一つの楽しみだった。
『王様と私』自体は、5年くらい前にロンドンで観ているのだけど、ミュージカルというのは演出家や役者、美術や衣装が違うと、全く別のものになるのだと今回改めて思い知らされた。
リンカーンセンターにある劇場は、舞台に向けて傾斜がついていて、とても一体感のある素晴らしい劇場だ。この劇場で、古くは『カルーセル』、『南太平洋』『WAR HORSE』を観ているのだけど、今回はその『南太平洋』の時と同じ演出家だという。
『王様と私』自体は、WEST MEETS EASTが主軸になっており、そこに、奴隷制度や女性の人権など、しっかりとしたテーマがからんでくる。
はじめ、王様としての渡辺謙が少し威厳がないように思えたのだけど、それはもしかしたら、今回の『王様と私』の演出家の狙いかもしれない。
威厳のあるユルブリンナーで有名な映画の王様とは違って、人懐こくユーモアの感じられる王様に演出されている。
そして後半に行くに従って、王様のキャラクターがぐっと立ち上がってきて、その孤独と温かさを感じられるようになってゆく。
トニー賞を受賞した、ケリー・オハラは堂々とした演技と歌で観客を魅了していたし、第一夫人は見事な歌唱力で助演女優賞を受賞した。
どんなにブルーレイや4Kなどの映像が進化したとしても、決して作ることの出来ないものが、生の芝居にはある。
人間が、ギリシャやローマの時代から何千年も、同じように芝居を観てきたことは、なんでなのだろうと思わずにはいられなかった。
俳優たちの見事な演技に引き込まれ、素晴らしい美術と衣装に魅了され、美しい音楽とともに涙した至福の時間を味わうことができた。
最前席を用意してくれたMに、この場を借りて、心から、ありがとう。

旅のはじまり。

今回、デルタ航空にしたのは、ポートランドと成田の直行便が飛んでいたから。夕方のニューヨーク行きの便に乗り込むと、アメリカの航空会社はつくづく第3世界の航空会社のように思える。登場人物は…
A. イブサンローラン
僕の右隣は、ジャケットにメガネをかけたイブサンローランのような白人が座っている。
濡れたおしぼりが配られたら、自分の手を拭いて、顔を拭いて、そのあとシートのテーブルを拭いて、モニターも何もかも拭いていた。食事は別にベジタリアンのようなものが運ばれてきた。
★『神経質なオカマ』だと思っていた。

とてもお行儀の良い人なのだとわかった。トイレに立つ時も、スマイルを欠かさないし、通路ですれ違っても「私は貴方のことをわかってるわ」的な頷くようなスマイル。
B. ピアニスト
通路を挟んで左の日本人の40代くらいの女性は、乗ってきてからスマホで会話をしていて、搭乗口が閉まってもずっと話をしていた。隣の外人と英語で話しているのを聞くと、ピアニストだということがわかった。
★「電話ばかりかけて迷惑な女だなあ…」と思っていた。

飛行機の中で眠らずにずっと語学の勉強をしていた姿を見て思い直した。『周りを気にしない熱血ピアニスト』なのだ。きっと。
C. フラワーチルドレン
左斜め前は、30代はじめの浅黒い背の高いブラジル人のような男と、白人のぽっちゃりした女、3歳くらいの子どもがいる。30分おきくらいに女がシートの肘掛けに立ち上がり荷物を取り出し、床に子どもと寝転がっている。
★煩い家族だと思ってた。

世界には、規則に縛られない人たちがいるのだ。そもそも、僕が彼らをジャッジする必要などないのだ。(飛行機の中では安全性が気になるけど)、彼らは深く愛し合っている家族なのだろう。椅子の上よりも床に寝るのが好きなのだ。
日本で暮らしていると、人に迷惑をかけないことが暗黙のうちに常に求められるし、それによって無意識に他人を推し量ろうとしていた自分がいる。
人はみんな違うのだ。
目の前に立ち現れる事象には、恐らく、それ自体に意味などないのだろう。
そこにあるのは、それをどう捉えるかがあるだけだ。
そんなこんなで、ニューヨークに着きました!

FRAGONARD

南仏のコートダジュールの断崖に、エズという美しい村がある。
地中海独特のハーブが生い茂り、美しい花々が咲き乱れるエズの村には、『FRAGONARD』という香水ブランドがある。そこを訪れた後に、パリのフラゴナールでこの旅行用の袋を買い求めた。
旅行は、パッキングする頃からはじまるものだ。
中に入っているものが一目でわかる刺繍のイラストは、旅の毎日を楽しませてくれる。
ハンズや無印良品に行ったらきっと、ナイロンで出来たピクトグラムのお洒落なバッグがあるのだろう。
けれども、かれこれ15年くらい使っているこんなハンドメイドのものが、僕はたまらなく好きだ。

眠りと呼吸。

質の良い睡眠は、何よりもの栄養ではないだろうか。
若い頃は、睡眠のことなど気にすることもなかったのに、年を重ねてくると、寝つきが悪かったり、眠りが浅かったり、途中で目が覚めたり、睡眠で悩まされることが日常になってしまう。
先日もここに書いた僕の行きつけの『テコセンター』のマッサージの先生に、「昨日はなかなか眠れなかったのだけど、どうやったら簡単に眠りにつけるのかな?」と聞いてみた。
「眠れない原因は、ただ一つなんです。
それは、呼吸が浅く、早くなっているからです」
以前、『呼吸法』を習っていた時も、同じことを言われていたはずなのに、すっかりそんなことは忘れて、浅くせわしない呼吸になっていたのかもしれない…。
そこで、自律神経に働きかける鍼を打ってもらうことにした。自律神経の鍼は、たとえば、海外遠征する前に、プロのバドミントン選手なんかが必ず打っていくそうだ。
腰の辺りから、背骨に沿ってずーっと頭まで、40本から50本の鍼を打たれているうちに、深い深い井戸に堕ちてゆくように眠りについた。

神宮前二丁目。

神宮前二丁目新聞というフリーペーパーが、ポット出版から発行されていて、僕の愛する神宮前二丁目のいたるところで配布されているのだけど、実は、その新聞のちょっとしたお手伝いをしていて、irodoriで打ち合わせと撮影をした。
僕は、この町の高校に通い、WATARIUMでアルバイトをしたり、就職してからは原宿に住み、外苑前近くにすみかを移し、間を開けることなく神宮前界隈を30年以上散策してきた。
神宮前二丁目新聞は、この町のお店や暮らしている人々も紹介しながら、新しい情報も盛り込んであり、この神宮前二丁目に暮らしたり、働いたりしている人たちの役に立つようにと作られている。
この、原宿とも青山ともかぶっている神宮前エリアは、デザイン、インテリア、ファッションの中心地でありながら、若い夫婦や子どもたち、そして高齢者もともに暮らしている、日本の未来を先行しているような町なのではないかと思っているのだ。
50年以上の老舗があったり、新しいお店もレストランもカフェも、ちょっと見ない間にめまぐるしくオープンする町でありながら、神輿を担ぐお祭りや、老人たちが憩う場所があったり、そこに若い世代や子どもたち、そしてLGBTも自然に絡んでゆくような町になったらいいなあと、スタッフでさまざまなアイデアを放出する夜でした。
★神宮前二丁目新聞http://jin2news.net/?page_id=69