HOUSE WARMING PARTY

シンガポールに住む友人ゲイカップルから、ハウスウオーミングパーティーの案内が届いた。
マレーシアのペナンに新しい家を作った彼らは、世界中から友人たちを招いてハウスウォーミングパーティーをすることにしたのだ。
9月の連休にKも休めるか気がかりだったが、結局行けることになり、人生初のペナンへの旅行が決まった。
今から彼らへのお祝いの品物を考えはじめているところ。

旅の支度。

旅行は、予定が決まった時からはじまる。
いくつものサイトを覗きながらチケットの手配をして、ホテルを決める。
ニューヨークでは場所を優先して、サンフランシスコでは、敢えて日本のガイドブックにはのらないようなちょっと変わったホテルにした。
レストランは、ずーっと前から行きたかった、バークレーにある超有名レストラン『chez paniesse』を予約して、あとは、いくつか新しい店を予約した。
そんなこんな手配を進めていると、偶然同じ時期にニューヨークへ行く友人たちがいることがわかった。
ミュージカルはありがたいことに、シアタークイーンである『Bridge』のMが予約をしてくれている。
『回転木馬』と芝居の『真夜中のパーティ』それに付け加えて『マイフェアレディ』がギリギリにチケットの空きが見つかったとMに教えられ慌てて手配した。
そして、ずっと長いことゆっくりと会うことをしていなかったアメリカ人カップルと連絡が取れて、彼らの家に行くことになった。ニューヨーク郊外にある家までは電車で2時間半、そしてそこから車で1時間半かかるらしい。
旅は偶然が重なり、それに流され、立ち上がってくる出来事を柔軟に受け入れることで、もっと豊かになる。

仕事で疲れた夜に。

久しぶりに忙しかったからかとても疲れた夜に、家に帰り呟いた。
僕「今日は久しぶりに疲れたよ…」
K「疲れたの?大丈夫?」
僕「なかなか面倒くさい仕事なんだよね…」
K「そうなの?何かあったの?」
僕「いや…ちょっと面倒なだけ…」
K「ただしくん、福岡いく?」
僕「え?福岡?
7月に行くチケットは取ったよ」
K「違う。もう仕事やめて、福岡いく?」
僕「それもいいかもね…」
そんな風に言いながら僕は、年をとってKとふたりで福岡で暮らすことを夢想してみる。
仕事の特性上、Kには詳しい話をすることはない。してもきっとよくわからないだろうし、あまりしないようにしている。
でも、時々こんな風に、疲れたと弱音をはいてしまうことがある。
16歳も年下の恋人に。
たわいもないやり取りをしているうちに、仕事のことなんて、別に大したことではないと思えてくる。
仕事で疲れて家に帰って来て、Kの顔を見るとホッとする。
家族がいるって、ありがたい。

切った紫陽花の水あげ。

土曜日に遊びに来た友人が、紫陽花を持って来てくれた。
そのまま花瓶に入れて食事をしていたのだけど、翌朝起きたら紫陽花はぐったりと萎れかけていた。
生け花をやっていた人は知っていると思うけど、紫陽花は、とても水あげの悪い植物なのだ。庭で咲いた綺麗な紫陽花も、切って花瓶に生けた途端にどんどん元気をなくしてゆくもの。
僕が生け花をやっていた頃に当たり前のようにやっていたことは、水あげの悪い植物は、茎を煮てみること。
小鍋に水を入れ沸騰したら、紫陽花の葉や花に熱が当たらないように新聞紙や布などで巻いてから、茎をお湯に浸けて煮るのだ。
1分くらい煮たら引き上げて、そのまま水の入った花瓶に生ける。
しばらくすると水を吸い上げて勢いを取り戻した紫陽花にびっくりするだろう。

女の子の友人が遊びに来た。

夏野菜の揚げ浸し

鯛の昆布締め マグロの胡麻醤油

プチトマトとキヌサヤとパクチーサラダ

土曜日は、女の子の友人(30代半ば)と、妹のようなM t F(33歳)が家にごはんを食べにきた。
ここのところ公私ともに慌ただしかったので大して準備が出来ず、土曜日の朝に買い物に行き、和食がいいとのことで、普段自分が作り慣れているものを作った。K はこの日13時までは仕事だったので、帰ってくるなり慌てて掃除をしてくれた。
30代の彼女たちの話の中心はやっぱり恋人で、僕たちの出会いからつきあい、そして大分からKがやってきたことなんかを話しながら羨ましがっていた。
驚いたことに、ふたりともインターネットでの出会い系サイトをやっていて、その中で何人かの男とデートを重ねていたのだ。僕とKとはネットで出会ったのだけど、今やネット上の出会いはごく当たり前のことのようだ。
話を聞いているとそんな中には、やっぱりエッチだけの目的の男がいたりして、どこの世界でも同じなんだなあと笑ってしまった。
彼女たちと話していて、一番ダメなタイプの男の話になり、それは、自分の都合ばかりで相手のことを考えたり思いやることの出来ない男だった。
友人を家に招くのは、実は掃除や食事の準備が大変で、そんなに気乗りすることではないのだけど、楽しそうに酔っ払って帰ってゆく彼女たちを見送りながら、たまに友人たちを呼んで食事をするのもいいものだなあ・・・と改めて思ったのだった。
⭐︎5月26日(土)の献立
プチトマト・キヌサヤ・パクチーサラダ
夏野菜の揚げ浸し
ワカメのお浸し
長芋の柚子胡椒和え
人参たらこ和え
椎茸の甘エビ揚げ
豆腐
ウニ
このわた
イカの塩麹焼き
鯛の昆布締め
マグロの山葵醬油
鴨ロース
じゃこご飯
大根の味噌汁
生ライチ

大地のうどん 高田馬場店

ごぼう天おろしぶっかけうどん

具沢山うどん

博多駅前のビルの地下に入っている『大地のうどん』は、博多駅では僕たちが一番好きなうどん屋さんで、時間のない時などによく利用している。
その『大地のうどん』が、東京の高田馬場にもお店を出しているというので、鼻息荒く乗り込んだ。
店は駅から早稲田方向とは反対側に8分くらい歩いたところにあり、普段高田馬場などに来ないので、なんでこんな場所に作ったのだろう?と思ってしまった。
メニューはほぼ博多と一緒。ぶっかけにするか、つけ麺にするか、釜揚げにするか、温かいうどんにするか。僕は具沢山うどんを頼み、うどんが茹で上がるのを待つと、10分くらいでうどんが運ばれて来た。
うどんは、福岡のうどんとは違っていて、透明感があり、細め、コシがある。それでもここのうどんがおいしいと思うのは、天ぷらがきちんとボリュームがあることと、出汁が福岡のうどん屋特有の甘味が少ない出汁だからだろう。
「おいしいなあ」と思うものの、「高田馬場ではなかなか来ないなあ・・・」とも思いながら、またこっちに来ることがあれば立ち寄りたいと思った。
⭐️大地のうどん 東京馬場店
03-3369-7190
東京都新宿区高田馬場3-22-14 アビテヒデミ 101
https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13193668/

Nさんのこと。

Nさんに会ったのは、1ヶ月前くらい。2丁目の『ぺんぺん草』で飲んでいた時に横に座ったのだ。http://jingumae.petit.cc/banana/2791252
Nさんは、69歳。
ミュージカルとオペラに詳しくて、今までに沢山の作品を観ている。
そのNさんに同じくミュージカルやオペラに詳しいMを紹介したくて、早い時間に『bridge』にふたりで顔を出した。
NさんとマスターのMは、以前にどこかで顔を合わせていたようで、すぐに打ち解けてミュージカルの話で一気に盛り上がっていった。
Nさんと一緒に話をしていて驚かされることは、Nさんが本当に色々なことを知っているということ。
例えば、僕が今度ペナンに行くというと、ペナンには何度も行っていて…から始まって、マレーシアの鉄道や町づくりの話になっていったり、シンガポールの経済の話にいったり、知識と経験が豊富なため、話を聞いていてもとても面白いのだ。
昔、僕は、60歳くらいの人なんて老人で、おじいちゃんおばあちゃん扱いをしてどこか終わった人のように感じていたのだ。
でも今、自分が年をとってきてよくわかることは、60歳や70歳の人なんて、まだまだ元気で尚且つ人生の知見が広く、人間的にも魅力的な人が多いということ。
そして新宿2丁目という町は、49歳と69歳がこんな風に出会い、連れ立って飲みに来て、ミュージカル談義をしているような町でもあるのだ。
Nさんとの会話はとても楽しく、またニューヨークから帰ったら一緒にミュージカルの話をしに2丁目に来ることに決まった。

I の半生。

時々一緒に仕事をしていた同期のIが会社を辞めたのは、もう10年近く前だろうか?
現役東大卒で、仕事もできてやさしくて、品格のあるIのことを、折に触れ僕は思い出していたのだ。
その後、どうしているのかと気になって、時々ネットで検索していたのだけど見つからず、先日Iの実家のある福岡のワードを入れてみると、手がかりが見つかり、そこからIのアドレスにメールを送り、返信をもらった。
GW明けに会おうと言っていたその水曜日がやって来た。Iの選んだ銀座のカフェで、ランチの後に僕たちは待ち合わせた。
少し太ったように見えるけどあまり変わらない姿を見つけてホッとして、そのあと矢継ぎ早にIのその後の人生を聞き出した。
会社を辞めたのは、Iが不倫をしてしまい、それが明るみに出てしまったことで移動になり、そこでも酷い扱いを受けて仕事を変わり、九州に移ったようだった。
当時から性欲旺盛だったIのことなので、そんなことには驚かなかった。(そもそも、誰が誰と不倫をしようが、本来他者の介入する話ではないと思うので)
その後転職先の会社でクライアントと大きな問題が持ち上がり、裁判沙汰手前にまでなって会社を辞めさせられていたのだった。
知らなかったことなのだけど、一人息子はその後発達障害であることがわかり、奥さんはノイローゼになり鬱病と診断され、結局離婚したのだった。
途中までは順風満帆に見えたIの半生、なんてドラマティックなのだろうかと思う。
「よく生きていたね。そして、こんなに元気になれたね」
そんな風に言う僕に、Iは笑って答えた。
「よく、政治家の秘書とかで自殺してしまったり、殺されたりする人いるでしょう?
僕はちょうどあんな感じだったから、生きていられるだけでもありがたいと思わないとね」
僕はIが、辛酸を舐めていた時、誰も味方のいないように感じたであろう時に、できればIの話を聞いてあげられるような友人でありたかったと思う。
沢山苦労を経験して、Iはそれでも新しい人生を自由に楽しんでいるように見えた。

アッパーウエストの家。

今回、6月にニューヨークとサンフランシスコに行くことになったのだけど、ニューヨークには若い頃とてもよく行っていたので、友人たちも未だにほんの少し住んでいる。
そのうちのひとりのAさん(生きていたらおよそ73歳くらい)は、8年前にニューヨークに行った時に、久しぶりにAさんの家に10日間くらい泊めていただいたことがある。
若いうちにニューヨークに住んで、Bさんというアメリカ人と付き合いはじめてずっとニューヨーク暮らしだったAさんは、飼っていた愛犬に先立たれたのち、年上だったBさんが先に逝ってしまったのだった。
その後Aさんは力をなくし、お酒浸りになってしまったのだった。
僕が行ったのは、Aさんがアル中になってどうしようもない状態になってしまっている時で、ニューヨーク滞在中は、毎朝和食のご飯を作っては、家を掃除していた。
Aさんは、夜に僕が帰ってきてから、その日あった出来事を聞いて、自分の昔話を僕にするのが好きだった。
お話は、もう亡くなってしまったBのことや、愛娘のように可愛がっていた柴犬のMのこと。
時々酔っ払いすぎていたAさんは、友人に対する恨み辛みも口にすることもあったけど、そんな時は僕は聞き流すようにしていた。
Aさんは、僕に「好きなものをなんでも持って行きなさい」と家の中の自分の宝物を渡そうとしたのだけど、僕はなにも手にせず帰ってきた。
僕がまだ大学生だった頃、AさんとBさんの家に泊めてもらって、夜遊びをしてAさんの家に帰ると、いつも決まって完璧な和食を作って僕の帰りを待っていてくれたことを思い出す。
何も言わず、僕の滞在中はなんの不安も抱かないように、僕に気を遣ってくれたAさんとBさんを思い出す。
今はもう会えなくなってしまったけれども、僕にとってニューヨークといえば、思い出すのはAさんとBさんのアッパーウエストの家だ。

レインボーパンツ。

先日の東京レインボープライドでは、年甲斐もなくいつものド派手なラガパンを履いたことはここに書いた。
先日、もっとレインボーなパンツはないものかとネットで探していたら、なんと6色レインボーの海パンを見つけた!
サイズはアメリカサイズのMしかなかったのだけど、「まあ、大きかったらKに履かせればいいや」と呟きながら買おうとしたら、すかさずKが言うのだ。
「Kちゃん、そんなパンツ絶対履かない」
ウエストサイズを見ると、僕でもいけそうな気がして、ポチッと。
そうして家に届いたレインボーパンツは、サイズ的にはぴったりで、色鮮やかでいい感じ。
そこでふと、冷静になって思ったのだ。
もうすぐ50歳。
「レインボーの海パンを、いったいどこで履こうというのか?」
「ミコノスとかギリシャの島か、スペインの島にでも行けばいいかも…」
そう気を取り直して、買い物を自己肯定したのだった。