君の心に刻んだ名前

台湾のLGBTQ映画で、台湾史上最高の観客動員数を誇ったという映画「君の心に刻んだ名前」を、ネットフリックスで観た。

せつなく、胸が痛くなるような素晴らしい青春映画だったのでここではストーリーに触れないけれども、多感な高校生が自分の同性愛に気づいてゆく中での葛藤や純粋な恋心を見事に表現した作品だった。

この映画を見て、自分の高校の頃のことを懐かしく思い出した。体操部の先輩が好きだったり、サッカー部の先輩が好きだったりしたけど、決して誰にも言うことはできずに自分を押し殺して生きていた高校時代。

もう一度生まれ変わるとしたら、ゲイとしては生まれて来たくないとずっと思っていたけど、不思議なことに今となっては、もう一度ゲイで生まれて来てもいいかもしれないと思っている。

自分のセクシュアリティのことを、人に言えずに苦しんだ青春時代でさえも、今となってみればそれはそれで人とは違った愉しみもあったように思うのだ。もう一度青春時代をゲイとして生きるのも悪くないと思える。この映画を見てそんなことを考えた。

⭐️君の心に刻んだ名前https://www.netflix.com/jp/title/81287844

Kの歓迎会。

Kが新しい病院に就職して、1ヶ月以上が経った。

そんな中で、大人数での会食はできないものの、少人数で食事に行こうということになったようで、珍しく電車で病院に出かけた。

夜ご飯も食べ終えてのんびりと海と過ごしていると、Kが帰って来た。

Kは楽しかったようで、酒の席での話をとつとつ話し始めた。

男性上司と若い20代の男の子なんかと食事に行ったようで、しばらくして、何度かKがLINEをやりとりしているなあと思っていたら、急に話し始めた。

K「上司の人から、Kくんってこっちの世界の人ですか?ってLINEが来たよ」

僕「なんて返したの?あなたもですか?って返した?」

K「うん。でも、その人、結婚してるんだよね・・・」

僕「そうなんだ・・・そうやってこの地方で隠しながら生きていくの大変だったろうね」

K「うん・・・でも、そういう人きっとたくさんいるんだろうね」

僕「その人の写真ないの?狙われてるんじゃない?そのおじさんに?」

K「写真なんてないよ・・・笑」

きっと日本全体で見たら、結婚しているゲイはものすごい数なんだと思う。カミングアウトしているゲイなんか比べ物にならないほど多いのだろう。

人それぞれの生き方があっていい。それぞれの生き方で、幸せに生きて欲しい。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟:本人尋問の機会を奪わないでください。

先日の裁判の期日で、裁判長と言い合いになったことはここに書いた。

通常の裁判であれば行う原告による本人尋問を、裁判長は必要だとは思っていないようで、このままだと本人尋問のないまま、地裁は結審へと向かいそうなのである。

そこで、弁護団と一緒に記者会見を開き、全国から賛同者の署名を集め、裁判長に本人尋問をしてもらえないかという内容の手紙を署名とともに送ることにした。

もしもこのまま本人尋問が行われなければ、僕たち原告の証言や証拠としては、陳述書のみが一人歩きしていくようだ。陳述書は、自分の人生を総括して色々書いたつもりではあるが、そこには書ききれない様々な不平等や困難が僕たちの日常には溢れている。

高等裁判所、最高裁判所に行った時に、きちんと証言や証拠として残せるように、どうか我々に本人尋問の機会を与えて欲しい。

もしも、これらの思いに賛同してくださるならば、下記のサイト「change.org」から賛同願えないでしょうか?

⭕️https://www.change.org/p/東京地方裁判所-裁判長-同性婚訴訟の原告から-本人尋問-の機会を奪わないでください?recruiter=59721583&utm_source=share_petition&utm_medium=twitter&utm_campaign=psf_combo_share_initial&utm_term=psf_combo_share_initial&recruited_by_id=ceb8e470-ba54-0130-0931-00221964dac8

<以下は、僕の記者会見の内容です>
原告のただしです。私は51歳です。現在16歳年下のパートナーかつと一緒に暮らしています。

陳述書では、今までの人生のことを総括して書きましたが、今現在も私たちの生活は続いていて、日々様々な困難に向き合っています。裁判官の方々にはどうか、私たちの口から本人尋問を聞いていただきたいです。

今年になってコロナウイルスの影響で働き方が変わってきたこともあり、私は10月の終わりに、東京の渋谷区から離れて田舎町に引越しました。

新しい家を探す時に、二人で家を買うことも考えましたが、
私とかつは家族と認められていないため共有名義にはできないし、私の名前で家を買ったとしてもかつは相続できません。

家を借りる時には、不動産屋に話すのはどのタイミングがいいのか?大家さんは同性カップルを受け入れてくれるだろうか?審査で男同士の入居が理由で落とされないだろうか?不安はいつもつきまとっていました。
かつが病院勤務で少し離れた町に毎朝車で通勤することになり、自動車を購入しました。私の名義で買った自動車ですが、毎日通勤で一番乗るのはかつです。かつのための保険に入ろうとしましたが、ほとんど全ての保険会社で断られました。家族として認められていないからです。

田舎町に引っ越した翌日に、隣近所に挨拶に行きました。私たちは二人の関係性を隠すつもりはありませんが、はじめての人に自ら二人の関係性を伝えることもしません。

なぜならば、同性同士のカップルは、未だに国によって認められていないため、恐らく家族として受け入れてもらえないだろうし、同性同士が一緒に暮らしているとわかると、影で色々な噂をされるかもしれないことを恐れているからです。

私は51歳なのですが、年齢を重ねていく不安もあります。私の命に関わるもしもの時に、この田舎町の病院でかつは家族として認めてもらえないかもしれない、私のそばにいることができないのではないか?と不安になることがあります。

私たちは、自分が心惹かれる対象が同性であるというだけで、こうして今でも生活のあらゆる場面で、不平等や差別を強いられながら暮らしています。

これは、人権の問題ではないでしょうか?

裁判官は、私たちの意見陳述は夾雑物であり、今回の裁判は法律の話なので本人尋問はあまり重要ではないとお考えのようです。しかし、数ヶ月前に提出した紙の陳述書だけではなく、今現在の暮らしにおいて日々感じている二流市民のような扱いや不平等の話を、是非本人尋問で私たちそれぞれの原告の口から聞いていただきたいのです。

期日(結婚の自由をすべての人に訴訟)。

5月に予定されていた裁判の期日が、コロナの影響で結局12月2日になった。

今回は、裁判長の横(左右)に座っていた若手裁判官がまるっと交代したので、まずは弁護士から原告側の主張や総括をお伝えし、その後、原告3人による意見陳述が行われた。

この意見陳述がどれも感動的で、一人ひとりがそれぞれ傷ついてきたことを思うと涙がじんわりとこみ上げてきた。

そこから裁判は大もめになった。

それは、裁判長が、今回の我々の裁判では原告側の本人尋問は行わないという姿勢を崩さなかったから。裁判長にとって、原告の陳述はそもそも「夾雑物」であり、裁判にはあまり関係ないものと思っているらしいのだ。

弁護士たちは、なんとか本人尋問をおこなってくださいと、入れ替わり立ち替わり裁判長にお願いした。僕もすかさず立ち上がり、どうか我々の本人尋問をおこなってくださいと懇願したのだ。

中川弁護士と裁判長がかなり感情的な言い合いになったけど、結局裁判長は尋問など必要ではないという立場を崩す事はなかった。

我々の意見陳述というのは、裁判では実は証拠にはならないらしい。陳述書は証拠になるのだけど、陳述書に書ききれない様々な不平等や差別、苦しんだことを、本人尋問として発言しなければ、この裁判の証拠として扱われる事はないのだ。

これは、我々だけでなく、日本で暮らすたくさんのセクシュアルマイノリティのための裁判。

何としてでも平等の権利を勝ち取るまで、引き下がるわけにはいかないのだと、今日も気持ちを新たにしたのだった。

暖房のない暮らし。

熱海の家は、もともと冷暖房の付いていない日本家屋で平屋の一軒家。

部屋が3つあるのだけど、リビングだけは暖房をつけてもらい、他の2部屋は今の所電気の工事が終わっていないため冷暖房がついていない。

日本家屋で暮らしたことのある人ならわかると思うけど、障子や襖という紙と木でできた家の中は、隙間風が通ったりして寒いものだ。

毎日、リビングでKと一緒にヌクヌクと寛いだあとは、風呂に入って寝室に向かう。寝室はこの時期、すでに寒くなっていて、二人で、「寒いねー。寒いねー」と言いながらベッドの中に潜り込む。

でも不思議なことに、ベッドの中はあっという間に温かくなってくる。二人の体温がみるみるうちに羽毛布団の中に溜まり、このまま布団の中から出たくないとさえ思う。布団から出ている顔はひんやりと寒いのに、布団の中は驚くほどあったかい。

でも、もしこれが一人だったら、きっとこんなに早く温まることはないのだと思う。二人の体温は、1人×2ではなくて、1人×4くらいの温かさがあると思うのだ。

そして朝起きた時も、隣にKの温もりを湯たんぽのように感じながら、「なんて幸せなんだろう・・・」と思うのだ。

町内会の清掃。

熱海に引っ越してきてから、右隣と右斜め前、そして右隣の隣にも挨拶に行った。彼らはだいたい60代から70代。

左側には山がありその向こうに一軒家があるけど、そこは高齢のおばあさんが痴呆症とのことで何度行っても人のいる気配はないので諦めた。

熱海の町も日本の多くの町が抱える問題と同じで、高齢化が進んでいる。

家の呼び鈴が鳴ったので誰かと思って出ると、お隣のおじさんだった。

「こんにちは。先日お話しした町内会の清掃の件なんですが、年に2回くらいみんなでやってるんですよ。もし可能ならご参加願えないかと思って・・・」

「あ、もちろんいいですよ。またその時期になったら教えていただけますか?」

「よかった!ここはもう僕たちのような老人ばっかりだから、若い人が来てくれてみんな喜んでるんですよ。ほんと良かった」

清掃の件はKが階段の下で道路を掃いている時におじさんに誘われていたようですぐに承知したのだけど、Kが意外とご近所さんと挨拶をしたり立ち話をしているので少し驚いている。

ご近所のおじさんおばさんは、僕とKのことをどう思っているのだろうか?とも思う。清掃をしてお話しする機会があったら、何も包み隠さずに僕たちの関係を言ってしまおうと思っている。

そこまで詮索してくる人がいるかはわからないけど、僕たちはもう、このままで生きて行くのだ。

熱海の住民は、ゲイカップルのことをどう思うのだろうか?

WE ARE THE LOVE

写真家のレスリー・キーさんが、ジョシュアさんと結婚披露宴を開催した。その名も『WE ARE THE LOVE』。「いいふうふの日」にちなんでアメリカンクラブで行われたパーティーには、各界からおよそ170名の方々が参加して、4時間以上にも及ぶ宴になった。このパーティーの様子は生放送で世界に中継されていた。

僕とKもこのパーティーに呼ばれていて、90秒間のスピーチをしたのだけど、緊張のあまり内容が一回頭の中から全部ぶっ飛んでしまい焦ったのだけど、なんとか無事に最後まで終えた。Kに言わせると、内容はあっていたけど、練習していた原稿とは全然違っていたらしい。笑

小室哲哉さんがオープニングとエンディングをピアノで引き、様々なミュージシャンの歌や演奏が華やかに舞台を飾った。中でも面白かったのが、久しぶりにみた「杏里」さん。

杏里が歌うことがわかったKは僕に、「キャッツアイ歌うのかな?」と真顔で聞くのだ。僕は思わず吹き出してしまい、「キャッツアイなんて結婚式で歌わないよ・・・」と言いながら、でも杏里の歌って、「悲しみが止まらない」とか、「オリビアを聴きながら」とか、暗く悲しい歌ばっかりだなあ・・・と思っていたところ、最後になんと「悲しみが止まらない」を歌い始めたのでびっくりした。

LiLiCoさんとジョン・カビラさんの司会も良かったし、平原綾香さんの歌もうまかったし、宮本笑里さんのヴァイオリンも素晴らしかったし、河瀬直美監督のスピーチも良かった。

僕がこのパーティーに出席して思ったことは、結婚したいと思う人が異性であれ同性であれ、自分たちの結婚式を二人で一緒にワクワクしながら計画できる、そんな世の中になって欲しいということ。心に残る素晴らしいパーティーだった。

早見優さんの歌

杏里さんの歌

<以下、僕のスピーチを載せておきますね>

(アートディレクターの)ただしです。そして私のパートナーのKです。レスリーさん、ジョシュアさん、ご結婚おめでとうございます!私がレスリーさんと出会ったのは、5年前に「OUT IN JAPAN」というLGBTQのカミングアウトプロジェクトを一緒に立ち上げた時でした。

レスリーさんと一緒に日本各地を撮影で回りながら、自分に誇りを持ってカメラ前に立つ一人ひとりに、私自身が励まされ勇気をもらいました。

私とKは、「結婚の自由をすべてのひとに」訴訟という、同性同士であっても結婚できる権利を求める裁判の原告でもあります。

この国では、未だに同性同士による結婚が認められていないため、大切なパートナーの命に関わるような時にそばにいることができなかったり、亡くなった時に相続ができなかったり、一緒に子どもを育てていても家族になれなかったりという現状があります。私たちは今の社会の現状を、なんとか変えていきたいと思いながら裁判に臨んでいます。

今回、レスリーさんとジョシュアさんは、こんなに素敵な会場を選んだり、家族や友人、知人を招待したり、歌やダンスをゲストにお願いしたり、きっとワクワクしながら二人で一緒に計画したのだと思います。

私が今思うことは、結婚したいと思う人が異性であろうが同性であろうが、レスリーさんとジョシュアさんのように、二人で一緒にワクワクしながら結婚式やパーティーを計画できる、そんな世の中になってほしいということです。

今日は二人の幸せな笑顔を見ながら、私たちもどんどん後に続いていけたらいいなあと思いました。レスリーさん、ジョシュアさん。これからもっともっとお二人で幸せになってください。

ありがとうございました。

Bridge13周年パーティー

早いもので、新宿2丁目の「Bridge」が、13周年を迎えた。今年はコロナの影響もあり、今週1週間が周年ウイークで、平日もパーティーをやるというので、僕たちは木曜日に出かけた。

久しぶりのBridgeは、懐かしい顔ぶれも集まっていた。

今年に入って、ほとんど顔を出せずにいたけど、これからもずっとずっと僕たちの温かなHOMEであって欲しいと思った。

それにしても熱海に引っ越したら、それこそ2丁目とはお別れだな・・・。まさか14歳から遊んでいた2丁目に、自分が行かなくなる日が来るなんて思いもしなかったな・・・。

自分でも未だに信じられずにいる。

時々、Kを思う時に。

時々、ふとKのことを思う時に、急に泣きたくなることがある。

それは、Kのやさしさや素直な心を思い出すから。

今まで過ごした色々な場面を思い出して、愛おしくなるから。

仕事が忙しく僕が疲れているのを感じると、僕のことを心から心配してくれる。

そんな姿を見ると、こんな人が僕のそばにいてくれるなんて奇跡のようなことだと思うのだ。

今日も急に泣きたくなって、早く帰ってKに会いたいと思った。

レスリーの撮影に。

写真家のレスリー・キーが、「OUT IN JAPAN」のプロジェクトで出会ったジョシュアと恋人になり、その後アメリカで籍を入れて、日本でも渋谷区のパートナーシップ制度に登録をした。

そして、間も無く結婚パーティーを開くことになり、僕とKも招待にあずかり、二人の写真を撮影していただくというありがたい機会に恵まれた。

スタジオに15時に入ったのだけど、その後メイクをして羽織袴に着替えてのインタビューと撮影が終わったのは、18時半だった。

日本で同性婚がなかなか認められないことや、問題などをじっくりと話し合った。

写真はいつかどこかで公開されると思うけど、顔を思いっきりメイクしているので、Kなんてまるで歌舞伎役者のようだし、僕たち二人で頬を寄せ合ったりしているので、見ている方が恥ずかしくなる写真だった。

それでも、レスリーとジョシュアが結婚パーティーをやるということ、そしてそこに参加して一緒にお祝いすることができるということ自体が、僕たち二人にとってもとても嬉しいことに感じられた。