OUT IN JAPAN 第3弾ムービー。

始まってから今年で7年目を迎えるプロジェクト「OUT IN JAPAN」のムービーが完成した。

「OUT IN JAPAN」とは、LGBTQカミングアウト・フォト・プロジェクトであり、セクシュアルマイノリティが一人ひとり顔写真とともに実名・年齢・職業そして、カミングアウトにまつわるストーリーをHPに載せている。

このプロジェクトを手がけた時は、僕はまだゲイの世界のことしかほとんど知らなかったのだけど、2000人を超える多様なセクシュアリティの人々に会ってきたことで、自分とは違うセクシュアリティの人たちがこんなにもたくさんいるのだとわかったし、それぞれの悩みや苦労もたくさん知ることができた。

そして、僕にとっては一生涯忘れられない宝物のような経験となった。

ムービーの中には、僕もKもどこかに写っているので、ぜひご覧ください!https://youtu.be/Ga7KjZbDHJI

第3回マリフォー国会。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟、原告や弁護士が国会議員の方々と交流する「マリフォー国会」が開催された。

僕たちは日頃、裁判所でたたかっているのだけど、司法だけでは道は突破できそうにないのも事実なのだ。そこで、立法府に働きかけて、法制化を急ぎ行って欲しいと訴える活動もしている。

今回は第3回のマリフォー国会で、今までは野党の議員さんがほとんどだったのだけど、今回は自民党議員も5名くらいいらっしゃってお話しを聞いてくださった。

札幌の判決が追い風となって、少しずつ世の中の流れも変わって来ていると感じられた。

札幌訴訟判決 その2。

今回の判決が出る数日前に、僕はもう一度札幌における本人尋問後のYou tubeをたどって見た。

札幌はもともと東京と違って、裁判官がとても真摯で聞く耳を持っているとのことだったから、本人尋問ではどうだったのかと。

すると、裁判長が原告に尋ねたそうだ。

「性的指向というものは、本当に自分では変えられないんですか?」

僕は、この質問が裁判所の本人尋問で起きたことで、とてもいい証拠になったと思っている。敢えてそれを尋ねてくれた裁判長にも、はじめからその狙いがあったのかもしれないとさえ思うのだ。

これは、僕も一番はじめの意見陳述から主張してきたことだ。

「性的指向は自分の意思でも、他人の力によってでも変えることはできない。その性的指向が理由で平等の権利や社会保障が与えられないことは、明らかな不平等である」

札幌の裁判官は、一人一人の原告の話にきちんと耳を傾けてくれていたのだ。

東京の裁判官もどうか、僕たち原告の話に耳を傾けてほしい。そしてご自分の良心に従って判決を出してほしいのだ。

札幌訴訟判決 その1。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟、札幌の判決が昼頃に出た。

判決は、CALL4の中のその他を押して下の方にある【札幌】で判決全文と判決要旨を読むことができる。https://www.call4.jp/search.php?type=material&run=true&items_id_PAL[]=match+comp&items_id=I0000031

この裁判は、北海道・東京・名古屋・関西・九州と全国で2019年2月14日に始まった訴訟。僕とKはこの裁判の東京原告であり、札幌が一番最初に判決が出たということだ。

結果は、憲法14条一項「法の下の平等」において、憲法違反であるという判決が下された。ここで要旨を抜粋すると、

「明治民法以来、婚姻という制度が維持されてきたこと、いまだ多くのカップルが婚姻していることなどの各事情に照らすと、婚姻することにより、婚姻によって生じる法的効果を享受することは、重要な法的利益であると解することができる。

そして、異性愛者と同性愛者の差異は、性的指向が異なるのみであって、かつ、性的指向は、人の意思によって選択、変更できないことに照らせば、異性愛者と同性愛者との間で、婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の価値に差異があるとする理由はなく、そのような法的利益は、異性愛者であっても、同性愛者であっても、等しく享有し得るものと解するのが相当である」

裁判長は、14条に違反しているという判決を述べるときに、涙ながらに判決を読まれたそうだ。それをニュースで聞いて、僕はKと泣いた。

この判決は裁判長にとっても、ものすごい勇気のいることだったに違いない。だって圧倒的な力を持つ国に反旗を翻したのだから。

MR. GAY JAPANと法務省に。

昨年から「MR.GAYJAPAN」が同性婚への賛同を呼びかけていたところ、27000を超える賛同が集まったので、その署名を国に提出するとともに法務省の方と質疑応答ができるというので、同性婚訴訟の原告として一緒に参議院議員会館へ打ち合わせに行った。

尾辻かな子議員も同席してくださり、法務省の副参事の方とお話しした。

MR.GAY JAPANは、いくつもあらかじめ質問を用意していて、それぞれファイナリストの方が読み上げたのだけど、法務省の答えはほぼ同じで、「この国の家族のあり方の根幹に関わることなので、慎重に検討していきたい」の一点張りだった。

そこで僕からは質問ではなく、伝えたいことをお話しさせてもらった。

「家族のあり方の根幹に関わるとおっしゃいますが、これは、人の生命の根幹に関わる問題なのです」

婚姻が認められないために、どういった不都合があるか。年をとっていたり病気を抱えて不安に生きているセクシュアルマイノリティがどれだけたくさんいるか。いかに我々が二流市民のように扱われているか。悩み苦しんでいる若者がいかにたくさんいるか。1日でも早く平等の権利を実現してほしいと、そんな話をさせていただいた。(ハフポストとBUZZFEEDで記事になっています)

裁判でも戦い、政治家にも進んで会いに行き、法務省の人にもこうしてお話しすることができた。どんな手段を使っても、何があっても負けるわけにはいかないのだ。

移住先での、カミングアウトのタイミング。

テレビやネットなどで移住先でのご近所付き合いに悩まされたとか、村八分に遭ったとか、人付き合いが面倒でまた都会に戻ったなどという話も見ることがあるけど、熱海に移住して来てから、ご近所づきあいに悩まされることもなく田舎暮らしの割には平穏な日々が続いている。

僕の家には向かいと左隣がなく、右隣りの70代夫婦、右斜め前方の60代夫婦がいるけど、とてもいい人たちで特にこちらのKとの関係性を聞いてくることもない。

先日お会いしてお茶の友達になった70代のおばあさんには、お電話をもらった時にすぐにKと僕はゲイであることを告げた。おばあさんは、何にも怯むこともなく快く受け入れてくれた。

海のドッグトレーナーの女性は30代。彼女には家に来てすぐにKのことを「僕のパートナーです」と紹介したのだけど、彼女もすんなりと受け入れてくれたというか、何も不思議がる様子はなかった。

もちろん、おばあさんやドッグトレーナーがゲイの夫夫であることを理解まではしてくれていないかもしれない。でも、ゲイが身近にいることのきっかけになり、彼女たちなりのペースで知識も身につけて行ければいいように思う。

熱海の雑貨屋さんでも、Kと僕はゲイの夫夫だと思われていて、店員さんは何も変わらずすんなりと僕たちを受け入れてくれている。たとえお客さんがゲイだからと言って、そんなことは当たり前で自分たちの体制に何も影響はないのだ。

こうして僕は、タイミングがあれば初対面であってもできる限り会ってすぐにゲイであることを告げるようになって来ている。その時の彼らの表情は気になるものの、それも面白いと思えるようになった。

そして、それを知った上で付き合っていける人との交流を、僕は心から楽しいと思えるのだ。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟第6回期日。

コロナの影響で延期されていた裁判が東京地裁で行われた。

前回、裁判官と僕達原告や弁護団が言い合いになり、揉めに揉めたことはここに書いた。

本人尋問を必要としない裁判官に対して、尋問をして欲しいと我々が食い下がったのだ。

今回の裁判では、予め国側から書面が届いていて、その中に、尋問がある場合、反対尋問をする可能性は排除しないと書かれていたこともあり、本人尋問をやる可能性が出て来たのでこちらとしてはここで尋問に対して小競り合いをせずに行くことにしていた。

今回の一番の目玉は、永野弁護士による代理人意見陳述だった。この意見陳述を聞きながら、涙が流れた。ぜひ全文をお読みいただきたい。(以下、全文)

さる2021年1月18日、原告の佐藤郁夫さんが逝去されました。
佐藤さんは、同月4日に脳出血で倒れて入院されていましたが、回復かなわず、同じく原告であるパートナーのよしさんと妹さんらが見守る中、息を引き取られました。享年61歳でした。

佐藤さんは1959年生まれです。佐藤さんが自らの性的指向が同性愛であると気づいた1970年代は、同性愛は全くもって異常、変態とされていた時代です。
テレビでは同性愛者をホモ、オカマと笑っていました。
学校の教師も同性愛を嘲笑していました。
広辞苑には同性愛は異常性欲と書いてありました(甲A25の1)。
精神医学の教科書には同性愛は病気であると書いてありました(甲A338)。
そんな時代の中で、佐藤さんは、自分がゲイであることは誰にも言えないと思うようになったといいます。

しかし、そんな時代の中にあっても、佐藤さんはわずかな情報を頼りに、他の同性愛者との出会いを求め、行動しました。交際相手も見つけました。一人の同性愛者としての人生を歩み始めたのです。
ただ、佐藤さんは自分がゲイであるということを隠しているのを苦しいと感じていました。本来の自分ではない生き方をするのは窮屈だ、そう感じた佐藤さんは、30代の頃、会社の朝礼で自分がゲイであることを思い切って話します。そして、その後の佐藤さんは、ゲイであることをオープンにして生きていくようになっていきました。

同性愛者が差別や偏見に抗して、自らの性的指向を明らかにすること。このカミングアウトという実践は、1970年代後半頃から始まった日本の同性愛者権利擁護運動の中で語られるようになっていたものです。しかし、当時の佐藤さんは、運動との接点があったわけではありません。佐藤さんのカミングアウトは、佐藤さんが自ら考え、選択した行動です。なぜ佐藤さんがカミングアウトという選択をしたのか、その理由について佐藤さん自らのお話しをうかがうことは最早できません。ただ、手がかりはあります。

カミングアウトしたいと考えるセクシュアルマイノリティを撮影し、そのポートレートをウエブサイト上に掲載する「OUT IN JAPAN」というプロジェクトで、佐藤さんはこう語っています。

セクシュアリティに関係なく、生きていることが尊い。
カミングアウトすることが素敵なのではなく、
自分らしく生きることが素敵なのだと思う。
もしも身近な人が理解してくれなくても、
必ず理解してくれる人は見つかるから。
自分らしく生きて欲しい。

佐藤さんは自分らしく生きていきたいと考え、実践してこられました。そして、自らがゲイであるということは、自分らしい人生を生きていく上でその根幹に位置している、そうお考えであったのでしょう。
自らの性のあり方が尊重されることは、人格的生存に不可欠の利益です。佐藤さんは、法律を学ばなくとも、そんな憲法の理念を自らつかみ取って生きてこられたのだ、そう思います。

佐藤さんは、第1回口頭弁論期日において意見陳述を行いましたが、この裁判に原告として参加した理由についてこう述べています。

「同性同士の婚姻が認められることは、私が若いころに持っていた、自分自身に対する否定的な気持ちを、これからの世代の人たちが感じなくてもよい社会にすることなのです。」

また、佐藤さんは、佐藤さんとよしさんが地元の区役所に婚姻届を提出したときに、区役所職員が、婚姻届は不受理になると思うが、結婚記念カードを発行することができるという言葉をかけてくれたというエピソードに触れて、こう述べています。

「まるで結婚が認められたような気持ちになり、とても幸せを感じました」
「いつか本当に婚姻届が受理されたら、きっと感動して泣いてしまうだろうと思います」

冒頭で述べたとおり、かつて同性愛は、異常、変態とされ、同性愛者はその存在を否定されてきました。そして、若い頃の佐藤さんがそうであったように、同性愛者自身が社会が付与する負のレッテルを内面化し、自分の性のあり方に否定的な感情を抱いてきました。
そんな同性愛者にとって必要なのは、社会からの肯定であり、承認です。佐藤さんが結婚記念カードにすら幸せを感じたのは、ささやかとはいえ、社会からの祝福と承認の契機がそこにあるからでしょう。そして、社会的承認の象徴とも言えるのが同性同士の婚姻の法制化です。佐藤さんが、同性婚の法制化は「私が若いころに持っていた、自分自身に対する否定的な気持ちを、これからの世代の人たちが感じなくてもよい社会にする」ことにつながるとおっしゃっているのは、そのような趣旨であると考えます。

もちろん何らの法的効果もない結婚記念カードだけでは問題は解決しません。
現に、今回の佐藤さんの入院先で、よしさんが勇気を持ってパートナーであると告げたにもかかわらず、医師は「親族でなければダメだ」と目の前にいるよしさんへの病状の説明を拒否し、別室から佐藤さんの妹に電話をかけました。佐藤さんの入院先はHIV診療の拠点病院であり、多数のゲイ当事者を受けいれている病院です。その病院ですら、愛するパートナーの病状の説明を受けることもできない、こんな理不尽なことがくり返されているのです。もはや医師の善意に頼ることはできません。法制度が必要なのです。

敗戦後の現行民法の起草の議論において、同性パートナーの法的保護は議論の俎上にも登りませんでした。それは、異性愛を「自然」「正常」とし、同性愛を「不自然」「異常」とする異性愛規範が社会を支配しており、民法の起草者たちが同性愛について誤った認識を持っていたからです。
しかし、そもそも憲法13条は「すべて国民は個人として尊重される」と定めており、国家に対し、それぞれの個人のそれぞれのあり方や生き方をそれ自体価値のあるものとして尊重することを求めています。その中には、それぞれの個人の多様な性のあり方や、それに基づく生き方の尊重も含まれます。そして、それぞれの個人の性のあり方に基づく人生の重要な選択に、性愛に基づく人格的結合関係を形成し、婚姻するという選択があります。そうであるからこそ、異性間であれ同性間であれ、憲法24条1項はすべての個人に婚姻をする権利を保障しているのです。異性愛規範に囚われていた現行民法の起草者たちは、このことに気づくことはできませんでした。
今日においては、異性愛であれ、同性愛を含むそれ以外の性愛であれ、それぞれの個人に多様な性のあり方があるという認識が社会的に獲得され、異性愛規範はその正当性を失っています。このような社会的認識は、自然に獲得されたわけではありません。佐藤さんをはじめとする多くの無名の同性愛者たち、そして、この日本の社会に憲法の理念を実現しようとする心ある人たちの地道な取組によって獲得されたものです。

佐藤さんは、この裁判の審理において、法廷でこう述べられました。

「私はHIV以外にも病気を抱えており、寿命はあと10年あるかどうかだろうと覚悟しています。 死ぬまでの間に、パートナーと法律的にきちんと結婚し、本当の意味での夫夫(ふうふ)になれれば、これに過ぎる喜びはありません。天国に逝くのは私の方が先だろうと思っていますが、最期の時は、お互いに夫夫となったパートナーの手を握って、『ありがとう。幸せだった。』と感謝をして天国に向かいたいのです。」

残念ながら、佐藤さんのこの願いは叶いませんでした。愛する人と結婚したい、そんな当たり前の願いが、実現できなかったのです。憲法はそれを許すのでしょうか。佐藤さんはそう問うています。
私たちは、本件審理に関わるすべての関係者が、この佐藤さんの無念の思いと問いかけを一時も忘れることなく、個人の尊重を謳う憲法の理念に深く思いを致し、自らの良心に従って、本事件に向き合っていくことを切に願うものです。

郁さんとよしさんのこと。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟の裁判で一緒に戦って来た郁さんがご逝去されたことは、先日ここにも書いた。

今日は、「プレイス東京」主催で「佐藤郁夫さんを偲ぶ会」がオンラインで開かれて、僕とKも視聴した。

僕は、郁さんとは個人的に深い知り合いだったわけではないので、映像に出演してコメントをすることは差し控えさせていただいた。僕よりも郁さんの身近な人が一人でも多く少しでも長く話すべきだと思ったのだ。そういうわけで、コメントのみお送りした。

今回の件で一番気になっていたことは、郁さんの病状の病院からの報告は、すべて郁さんの妹さんに行っていたということ。最後に緊急時に呼ばれた時も、妹さんの計らいでよしさんは病院に入り面会することができたように伺った。

電車の中でパートナーのよしさんと一緒にいるときに郁さんの具合が悪くなり、駅を降りて郁さんは救急車で運ばれた。よしさんは郁さんと一緒にいたにもかかわらず、病院側は血縁者に限って連絡のパイプを繋いだのだろう。

男同士いくら長く一緒に暮らしているパートナーだからといって、国にとっては家族とみなされていない限り、病院側も法律上の家族に連絡を取らざるを得なかったのだと思う。

それを思うと、なんともやるせない気持ちでいっぱいになる。

こんなことをすべて、僕たちの力で変えていかなければと思ったのだ。

千葉の母の家へ。

10月に会って以来しばらく会えずにいた母に会いに、Kと海と車に乗って千葉に向かった。

母は今年80歳になるのでコロナのことを考えて会わないようにしていたのだけど、母が海を見たいと言うのと海の社会化も重要と考えて千葉行きを決断した。

静岡県の熱海から、東京を飛び越えて千葉県千葉市まで行くには4時間くらいかかるかと思っていたら、なんと2時間40分で到着できた。

海は、母にはすぐに懐いたようで、髪の毛を噛もうとしたり、じゃれかかって行っていたが、父には吠えてばかりいて時々唸り声をあげたりしていた。

父(僕の実の父ではない)は、犬好きと言っていたのだけど実は潔癖症のようで、犬に舐められたりするのが苦手ですぐに手を洗うようなタイプ。犬に触りたそうだったのでおやつをあげてほしいとお願いしたのだけど、手渡しであげるのを嫌がり、投げてあげたりからかったりしていたことがどうやら海には好きになれなかったのだろう。

母は僕とKのためにたくさん食事をこしらえてくれていた。Kはニコニコしながら食べていたが、母もKのことを名前で呼びながらどんどん料理を進めていた。最初はゲイのことを受け入れられなかったであろう父も、だんだんKに慣れてきたようで普通に会話していた。

僕と僕の恋人のKと父母と一緒に食事をしているなんて、数年前であれば考えもしなかった光景だ。

先日他界された郁さんたちのことで改めて思ったのだけど、僕にもしものことが起こった時に、僕の父母とKが面識がなかったら、いくらKがパートナーだと言っても受け入れることも信じることも難しいと思うのだ。

パートナーと揃って、実家の父母と食事をしているだけなのに、こんなことができるまで本当に時間がかかってしまった。

これもみんな、勇気を出してカミングアウトをしたからこそ見える景色なのだろう。

郁さんの逝去。

「結婚の自由をすべての人に」訴訟で、一緒に原告として戦っている郁(佐藤郁夫)さんが逝去された。

1月5日に脳出血で倒れ、搬送されて入院されていたのだけど、昨日亡くなったことを同じ原告からのLINEで知らされた。

あまりにも急なことで、僕自身受け入れることができず放心状態になってしまったのだけど、パートナーの「よしさん」のことを思うと言葉もなくやりきれない。

僕は時々よしさんにLINEを打っては、その後の経過を訪ねていたのだけど、特に病院からは連絡はなかったようで、Kと二人案じていたのだ。

「病院では、ちゃんと家族として扱われているのだろうか?」
「意識が戻ったら、よしさんは面会できるのだろうか?」
「コロナの影響でなかなか会えないかもしれない」

そんな思いも虚しく、突然逝去の知らせが来たのだ。

郁さんは生前、裁判所の意見陳述において、こう述べられていた。

「「私はHIV以外にも病気を抱えており、寿命はあと10年あるかどうかだろうと覚悟しています。 死ぬまでの間に、パートナーと法律的にきちんと結婚し、本当の意味での夫夫(ふうふ)になれれば、これに過ぎる喜びはありません。天国に逝くのは私の方が先だろうと思っていますが、最期の時は、お互いに夫夫となったパートナーの手を握って、『ありがとう。幸せだった。』と感謝をして天国に向かいたいのです。」

郁さんは最後に、よしさんの手を握っていられたのだろうか?

僕とKはいつまでも郁さんとよしさんのことを話し続けた。