犬と一緒に暮らしたい。

熱海への引越しを考えた時に、真っ先に浮かんだことは、犬と一緒に暮らすこと。

車で海に行き、犬と一緒に海辺を散歩。時には山に行き、川で遊ぶ。

そんな田舎暮らしを考えた時に、昔から飼いたいと思っていた大型犬のスタンダードプードルにするか、ゴールデンレトリバーにするか、いつまでも迷っていたが、今の所、スタンダードプードルの子どもが家に来る日を楽しみにしている。

Kは自分の家で犬を飼ったことがなかったようで、僕以上に犬を飼うことを楽しみにしているのがわかる。

犬の飼い方やしつけの本を今から読み込んでいて、夜は食事が終わった後に、犬のyoutube を追いかけていて、二人でプードルのyoutubeを見たり、犬のしつけ方のyoutubeを見ている。

そんな姿を見ていると、まるで赤ちゃんを持つことを楽しみにしている母親のようで、とてもかわいい。

栞日 shioribi

松本に、素敵なカフェ兼本屋さんがある。

その名も、「栞日」しおりび。


先日、朝早く起きた松本で、ホテルからてくてく歩いて行くと、「栞日」にはすでにお客さんがいて、思い思いにコーヒーを飲んだり、本を眺めている。

本のセレクトも独特で、僕が持っている類の料理に関する本もあるけど、「こんな本、一体何部くらい作られているんだろう?」と思わずにはいられないような変わった自費出版のような本まで並んでいる。

二階には、たくさんの本があって、本好きは迷わず2階を目指して、気に入った椅子やソファでくつろぎながら本を読んでいる。

こんなお店、東京でもなかなかないなあ・・・と思うのだ。

一冊の本が導く入り口が、このお店中に無数にあって、様々なお客さんが自由に訪れる。

いいなあ。松本。また春になったら遊びに来たいなあ。

⭐️栞日https://sioribi.jp

A Color of His Own

仕事でレイモンド・ブリッグズの海外の絵本を探していたら、その横に見たことのあるカメレオンの表紙の絵本を見つけた。

「A Color of His Own」というその絵本を迷わず手に取りKを呼ぶ。Kは、「あ、うちのメモの絵だ」という。

うちのメモ用紙

二人で確か長野を訪れた時に、善光寺のそばにある雑貨屋さんを訪れて、可愛いメモ用紙だからと買ってきて、リビングで使っていたものだった。

これが絵本だったなんて僕は知らなくて、その偶然が面白くて家に買って帰った。

そしてこの絵本、2分でくらい読める内容なのだけど、これが素晴らしかったのだ。

絵本には、いろいろなタイプの絵本があるけど、この絵本は、「詩」のような絵本だ。

つまり、読んだ後に、「何か美しいものを残す」ような絵本。

ここで内容をお伝えすることは野暮なので、興味のある方は是非、この絵本を手に取ってほしい。

ひとりずもう

Kは、『ちびまる子ちゃん』が好きだ。
Kが先に家に帰っていて、僕が後から家に帰ってくると、いつも『ちびまる子ちゃん』を見ている。
僕もKと一緒に暮らすようになったおかげで『ちびまる子ちゃん』を見るようになり、さくらももこさんの才能を思い知った。
Kの『ちびまる子ちゃん』好きを知っている僕の美容師さんが、K2貸したい本があるとずっと前から言っていて、先日Kが美容院に行った帰りに、その本を借りて帰ってきた。
なんでもその本は、テレビでは永遠に小学三年生だったまるちゃんが、少しずつ大きくなっていく話しなのだそうだ。
それはきっと、せつない話なのだろうと思う。
大人になっていくことって、せつないことだから。
Kは、今まだ見たことのない表情で、ベッドで僕の横で真剣にその本を読んでいる。
僕は、『ちびまる子ちゃん』だけでいいかなと思う。
『ちびまる子ちゃん』は、僕の中では、永遠に小学三年生でいてくれたらいいや。

こころ傷んでたえがたき日に

そこに書かれている物語はどれも、この国の片隅で生きる人々の話。どこにでもいそうな人も出てくるけど、「こんな目に遭っている人もいたのか・・・」と思うような人もいる。
『新聞配達六十年』は、京都の町で、なんと新聞配達を六十年以上続けている男の一日。
『ああ、なんてみじめな』は、妻がほかの男と関係を持ち、出産をし、育てる、生き地獄のような男の話。
『彼と彼女と私』では、思いがけず村上春樹さんが作家になる前の姿が浮かび上がる。
『街のサンドイッチマン』は、横浜の交差点に立ち続けるサンドイッチマンに密着した話。
著者は、日がビルに当たっているところだとか、黒いスーツを着て黒い傘を持っているとか、自分が見ている情景を淡々と描写しながら、同時に出てくる人々を描き出してゆく。文章がクールで、変に感情移入するところがないところがこちらの想像力を膨らませてくれる。
『僕のお守り』という話では、祈るような気持ちで読み、読み終わってから胸がいつまでも熱く感じられた。
ポール・オースターの『ナショナルストーリープロジェクト』を読んだ時のように、自分のさもない人生さえも愛おしく感じられるような珠玉の一冊。
⭐️こころ傷んでたえがたき日に 上原隆 著 幻冬社https://www.gentosha.co.jp/book/b11877.html

食べて、祈って、恋をして

『食べて、祈って、恋をして』というタイトルを読んで思うことは、
「ああ、その映画なら知ってるよ。ジュリア・ロバーツが出てた映画でしょ?」
かもしれない。でも、原作と映画はまったく違うのだ。映画はハッキリ言って失敗作だったのだけど、小説は滅茶苦茶よく出来ている作品なのだ。
僕は、著者のエリザベス・ギルバートの本『巡礼者たち』を随分前に読んでいて好きだったので、『食べて、祈って、恋をして』が2009年に書店に並んだ時に迷わず買って、長編にも関わらずハラハラしながら一気に読んでしまった。
今回バリ島行きが決まった時に、なんだかふと頭の中をこの本がかすめて、家中探し回ってもう捨ててしまったかと諦めかけた矢先、なぜかエッセイの棚に紛れていて狂喜したのだった。(残念ながら、この表紙の本は今では絶版になってしまったようだ)
でも、『一度読んで、もう一度読み返す小説』って、あるだろうか?
僕はよくよく考えてみると、サリンジャーの『フラニーとズーイー』、『キャッチャーインザライ』、そして、アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』くらいだと思う。そしてこの本『食べて、祈って、恋をして』も、珍しくそんな本の中の一冊に仲間入りしたわけだ。
映画をご覧になった方はご存知だとは思うが、『食べて、祈って、恋をして』のタイトルがそのまま、『イタリア、インド、バリ島』のそれぞれ4ヶ月間合計1年間に及ぶ海外滞在記になっているのだけど、このそれぞれの町の細部にまで渡る描写が、まるでその土地を自分が旅行しているかのように感じられるのが何よりの魅力だろう。
その当時何よりも共感できたのは、主人公が30代後半で何不自由のない満ち足りた暮らしを過ごしていたはずが、泥沼離婚になり、すべての財産を失って1年間の海外生活に漕ぎ出すというジェットコースターのような人生に、自分の破天荒になってしまった人生を重ね合わせたからだろうか。
ここでひとつ、イタリアの章の好きな部分を抜粋しておこう。(以下)
『今日わたしたちがフランス語と呼ぶものは、中世パリ語の流れを汲む言語で、もとをたどればポルトガル語はリスボン語、スペイン語はマドリード語だった。資力財力の勝利。最も力を持つ都市が、最終的にその国全体の言語を決定づけた。
ただし、イタリアの場合は事情が違った。
(中略)
十六世紀になると、イタリアの知識人たちが集まって、このままにしておくのはあまりにも不都合だと結論した。イタリア半島には、皆から承認されるようなイタリアの言語が、せめて書き言葉として必要だ。彼らはそう考え、ヨーロッパ歴史上ほかに類を見ない取り組みを開始した。あらゆる地方語の最も美しい部分を選びとり、”イタリア語”という世界に冠たる言語をつくるという取り組みを。』
ね。なんだか、わくわくしませんか?
⭐︎『食べて、祈って、恋をして』 女が直面するあらゆること探求の書
エリザベス・ギルバート著 那波かおり訳
ランダムハウス講談社

I’VE LIVED IN EAST LONDON FOR 86 1/2 YEARS

表紙を見て、「これはロンドンに住む人たちのポートレイトだろう」と思って手に取ったら、この表紙の86歳と半年生きたおじいさんのお話だった。
読んだところ、このおじいさんが何か偉業を成し得た人ではなく、それどころか海外に出たこともなくロンドンの東側に86年間住み続けた独身の老人のようなのだ。
おじいさんは、平易な言葉で僕たちに語りかける。自分の少年時代のこと、家族のこと、誰かと関係性を持つこと、お金、ユーモア、映画・・・
この写真集に惹きつけられるのは、そのどこにでもいそうなひとりのおじいさんの人生が、なんとも味わい深くドラマティックに感じるからだろう。そうして家に持って帰ってきてページをめくりながら、急に気づいたことがある。
このおじいさんは、僕の父にそっくりなのだ。
父に似ているということは、どこかしら僕にも似ているに違いない。
おじいさんの人生を読みながら、父の人生にも思いを馳せたのは、ちょうどお盆の時期に、父が僕に思い出して欲しいと思っているからなのかもしれない。
大丈夫。
あなたのことは、いつも思い出しています。
⭐︎I’VE LIVED IN EAST LONDON FOR 86 1/2 YEARS
hoxton mini press

日付の大きいカレンダー

詩人の岩崎航さんは、少しずつ身体の筋肉が少なく動かなくなってゆく、進行性筋ジストロフィーである。
わずかに動く指先を使って、五行で五行歌を綴っている。
父と母が
受けきった
かなしみ
そのままになんか
しはしない
「人の助けを借りないと、
一日も、一瞬も生きられない人間なんです。」
そんな風に淡々と語る岩崎さんを見ていると、不思議とその歌からは、『難病を患ったかわいそうな人』などという気持ちではなくて、むしろ、先天性の難病を背負いながら、ひたすらに今日を生きる姿に心動かされる。
日付の大きい
カレンダーにする
一日、一日が
よく見えるように
大切にできるように
その歌はきっと、自分に呼びかけているような言葉なのだけど、読んでいるうちに僕自身に向かってくる。
そして、身体のずっと奥深くから、今日を生きてゆく勇気がじんわりと湧き上がってくるのだ。
『詩』とは、何か美しいものを心の中に遺すもの。
そんなことを、岩崎さんの詩集は教えてくれる。
★『岩崎航エッセイ集 日付の大きいカレンダー』http://www.nanarokusha.com/book/2015/11/19/3621.html

本や雑誌、CDの買取。

今回の引っ越しで、本や雑誌、CDを買取に出した。
買取がいいのは、自宅まで来てくれて運んでくれることと、ゴミとして扱われるよりも、もしかしたら誰かの手に渡るかもしれないということ。
重いので、小さめのダンボールに入れてCDは2箱、本は8箱、雑誌は5箱くらいあった。(雑誌は、エルデコやエルアターブル、カーサブルータスなど)
中古のものの買取は、法律上、その人がきちんとその住所に住んでいるのかの確認を取らないといけないようで、僕が引っ越した後に簡易書留で確認を取ろうとしていたのだけど、不在のため取れず延び延びとなり、その後新しい住所の証明書を送り、もう一度簡易書留が来て確認を取られた。(住所が変わる場合は手続きが意外と面倒くさい)
そんなやり取りをして、ほとんど捨てたも同然だと思っていた矢先、買取会社から査定のメールが届いた。
合計 47731円
おおお!
ちょっと予想を超えた金額は、引っ越しで、細々とした出費がかさんでいたので、まるでお年玉のように思えた。
※買取業者は日本中に様々な会社があるのだけど、僕がお願いしたのは、静岡県の駿河屋でした。
★駿河屋http://www.suruga-ya.jp/man/kaitori/kaitoritop.html

最後の昼餐。

料理をしながら読んだりしたので汚れてしまった

建築家である宮脇檀による軽やかなエッセイ。
60歳を迎えた時に、ゴルフ場の会員権がキャンセルになりお金が戻り、それと引き換えに手に入れた青山の広いバルコニー付きのマンションで暮らす日々が綴られている。
宮脇檀のエッセイは、インテリアや旅行や食べることが好きなら間違いなく好きになると思う。
中でもこのエッセイは、自分の家の設計から始まり、バルコニーの植物の選択から配置、週末のたびに繰り広げられる手作りの料理のパーティーと、季節が進むごとに彼と内縁の彼女が人生を謳歌している様子が伝わってくる。
イラストは彼女が描いていて、またそのイラストにさりげなく歌が詠まれているのだ。
僕は昔、この本を読んだ時にとても感動して、当時の恋人のMと何度も一緒にこの本を読んだのを思い出す。
イタリア人のように美しく生きることにこだわり、旅に生き、食を何よりも楽しみに生きた宮脇檀の生き方は、僕たちの心をがっちりとつかんだのだった。
残念ながら、宮脇檀は癌で亡くなってしまったのだけど、彼の遺した素晴らしいエッセイは、いつまでも僕のお気に入りで、晴れた週末なんかに取り出しては、懐かしく読み返している。
時々Mのことを思い出しながら。