「オオゴマダラ」という名前のこの蝶々は、日本に棲む蝶々としては最大級の蝶の1種らしい。
羽を広げると13cmくらいあって、蛹は金色なのだそう。(蛹はまだ見たことはない)
白地に黒いまだら模様の美しい羽をゆっくりと羽ばたかせて飛ぶ姿はとても優雅で、蝶々の中の女王様のよう。
宮古島の至るところで見ることができて、ふとこの蝶が飛んでくると神様の使いなんじゃないかと思ってしまう。
それくらい場の空気が一変するような美しさを持っている蝶だ。
外苑前→熱海→宮古島 年の差ゲイカップルの宮古島生活。
「オオゴマダラ」という名前のこの蝶々は、日本に棲む蝶々としては最大級の蝶の1種らしい。
羽を広げると13cmくらいあって、蛹は金色なのだそう。(蛹はまだ見たことはない)
白地に黒いまだら模様の美しい羽をゆっくりと羽ばたかせて飛ぶ姿はとても優雅で、蝶々の中の女王様のよう。
宮古島の至るところで見ることができて、ふとこの蝶が飛んでくると神様の使いなんじゃないかと思ってしまう。
それくらい場の空気が一変するような美しさを持っている蝶だ。
朝起きて、なかなかベッドから出られなかった。
ひどい頭痛がしてめまいがする。それに気温はそれほどでもないのに寒気がする。
Kは心配して海の散歩に行ってくれた。
このところ、急な東京遠征もあったりして疲労が溜まっていたのかも知れない。
それなのに毎日お酒を飲んでいたのも胃腸にこたえたのだろう。
「これから数日お酒を抜きます」
Kに宣言されてしまった。
月桃という植物をご存知だろうか?
僕はバラを育てているので、昔から無農薬栽培に月桃の植物から作られるニーム液という存在を知っていた。
宮古島に来たらこの月桃が町や道や庭や原っぱのに至る所に生えているのがわかる。
この月桃、葉っぱはお茶にもなるし、茎は香料にもなる。殺菌作用があるためレストランなどでも敷物としてその葉を使用することも多い。
この月桃、花が丸くてピンク色でとてもかわいいのだ。
このコロンコロンとした愛らしい花から、月桃という名前はつけられたのだろう。
僕たちの宿は、奥に母屋があるたった2室の宿。
今までは1室をワンちゃんも泊まれるようにしようと思っていたのだけど、ここ2回お客様がワンちゃんを連れて来られた時に考えが変わったのだ。
ワンちゃん連れが泊まる場合は、隣の部屋も使用できないと。
犬は人間とは違う生き物なので言葉は通じないし、静かにしていてねと言っても静かにしてくれない時もある。それに、なれない場所で夜通しなき続けるなんてことも考えられるのだ。
そう考えた時に、隣の部屋に別の客様が泊まっていたら、きっと夜中も眠れないに違いないと思ったのだ。
Kとふたりで色々話し合った結果、部屋「海」「空」両室貸切プランを作ることにした。それに準じてワンちゃん連れのご宿泊もそこに組み入れることにした。
両室貸切ということは、2部屋2バスルームがあって全体で91平米のスペースになる。友人カップルでもいいし、2世帯家族でもいいし、友達同士でも最大8人まで宿泊可能。
OTAにはまだ楽天トラベルにしかプランを作れていないけど、GW明けに順々にHPなども改変できたらと思っている。
ぜひ、大人数で遊びにいらしてください!
神宮球場の前にある高校に通い、僕の中では高校時代が人生の黄金期のように楽しかった時代だった。
その後、八王子にある多摩美術大学に通ったわけだけど、その後に会社に就職したのち、29歳で年上の男性と付き合いはじめて一人暮らしをすることにした。
どこに住もうか迷うこともなく神宮前界隈に決めたのは、やはり自分が大好きな町だったから。そのまま青山原宿界隈に住み続けて25年くらい住んだだろうか。
僕はずっと何の迷いもなくこのまま生涯神宮前界隈に家を持ち暮らすのだと思っていた。
それが、新型コロナの流行で熱海に移り住み、1年したら今度は沖縄県宮古島で暮らすようになった。
人生、つくづくわからないものだと思う。
思い描いていた計画ではなく、いつもいつも行き当たりばったりでその時その時の風に吹かれるまま舵を切ってきたように思う。
今回、久しぶりに東京の慣れ親しんだ神宮前で数日間過ごしたのだけど、町は今でも僕にやさしく、本当にこの町が好きなのだと改めて思った。
それでも、数日を終えて宮古島に帰ってくると、遠くに海を眺めながら、「なんて美しい島に住んでいるんだろう・・・」と思ったのだ。
僕の人生は、宮古島にある。
TRPの後に、表参道のX8Galleryにおいて、OUT IN JAPANの撮影会が行われた。
僕が東京に来た主な理由の一つがこの撮影会があったからで、久しぶりにレスリー・キーやスタッフの仲間たちに会えて楽しい時間を過ごすことができた。
撮影会にいらっしゃったのは20人余りで、一般公募したわけではなくこの時期にタイミングを合わせて来日してくださったアメリカ人のスポンサーであるエヴァンさん夫夫やアメリカの国会議員、日本の外資系企業の当事者などが参加した。
レスリーは今後、OUT IN JAPANをニューヨークに持っていって展覧会を行いたいと考えている。
同性婚も認められていない日本のセクシュアルマイノリティのカミングアウトプロジェクトが、これから先どこで更に人々に知られていくことになるのか、僕たちも楽しみにしているところ。
表参道でランチをした後、ふと表参道にある会社の社長Yさんのことを思い出して、急ではあるけど覗いてみることにした。
その会社は北欧の環境に良い洗剤や染み抜きなどの商品を中心に雑貨なども輸入販売している会社。神宮前5丁目までのんびりと歩いて行ったところ、お店は水曜日しか営業していないようで今日はお休みだった。
諦めて踵を返した途端、目の前にYさんが歩いてきた。
「あらあ・・・本当にお久しぶり・・・上に上がってお茶でも飲んで行ってちょうだい」
Yさんは70代の女性で、2019年に建築家である旦那さんを病気で亡くしていた。
僕は葬儀の日前後にずっと沖縄に行っていて葬儀に伺えなかったことを謝った。Yさんはそんなこと気にしなくていいとおっしゃった。
それから1時間半の間、お互いに話したかったことが山のように溢れてきてとても楽しい時間を過ごすことができた。
「あなたが会社をおやめになるなんて考えもしなかったわ」
「僕も全く考えませんでした・・・」
「人生には思いもつかないことがあるのよね・・・こんなもんだろうって思ってたらまだまだ”まさか”という坂まであるのよね・・・」
それはご病気で亡くなられた旦那さんのことを重ねてお話しされているように思えた。
久しぶりにお会いできて、今回の東京行きはYsannni会うためのものでもあったように思えたのだった。
代々木公園に着くと、僕がデザインした東京レインボープライドのロゴが沢山掲げられていた。
今まで以上に沢山の人に溢れいったい何万人の人がいるのだろう?と思わせる。
公園のいたるところで手をつなぐカップルがいる。
男同士、女同士、そういった男女という括りでは言い表せないさまざまな人々。
パレードの後に遅い昼ごはんを食べようと明治神宮前駅に向かう。
駅が近づいて来ると手をつないでいたカップルも手を放しはじめる。
せめて今日くらいはつないだ手をそのままでいさせてあげたい。
いつかこんなこと誰もなんとも思わずに、好きな人が好きな人と手をつないで歩ける世の中がやってくる。
その日が一日でも早くなりますように。
今日だけ何も特に用事を入れていなかったので、東京に来たついでに千葉の母の家を訪れた。
母は駅からまで車で迎えに来てくれて、家に着くとお父さんが出てきた。
母はいつものように唐揚げやグラタンを作って待っていてくれた。
父も母も宮古島での生活が気になるのか質問ばかりしてくる。
「お客さんは入っているの?誰も泊まりに来ていないんじゃないの?」
僕は僕で母や父の身体のことが心配で色々聞いてみる。
85歳の父と81歳の母は僕が思っている以上に体力も落ちてきているのがわかる。
こうして久しぶりに母に会うと、年をとって小さくなってきているのがわかる。
この年になっても親孝行らしいことなんて何もできないまま、いまだに親に心配をかけているのだ。
健康でいつまでも長生きしてほしいと思いながら、大きく手を振って千葉の家を後にした。
急に東京行きが決まり、午後の便で羽田空港に到着した。
夕方からは会議だったので、一旦神宮前のホテルへ。
このホテルは僕の高校の隣にあり、長く暮らしたマンションの隣になる。
今回初めて宿泊したのだけど、野球の声援が聞こえてたまらなく懐かしくなった。
高校の頃いつもこの声援を聞いていたし、ここで暮らすようになってからも夏が近づく頃いつもこの声援を聞いていた。
神宮前を離れてもうかれこれ2年半くらいになるのだろうけど、いつ帰ってきても温かく迎えてくれる。
疲労が溜まっているようだけど、この懐かしい町で泊まることで癒される思いがした。