友人の結婚祝い。

シンガポールからまた、友人カップルがやってくる。8月に一緒に旅行をしたLとJの仲良しカップルだ。
実は彼らに、「今度10月に東京に行く時に、日本の陶磁器を買って、カナダに住む友人の結婚祝いとして持っていきたいんだ…探してくれるよね?スーパークイーン?」と言われていた。
僕は、ざっくり日本の陶磁器と言われても難しいなあ…と思いながら、探しておくと答えて、1ヶ月半くらい過ぎただろうか。普通に考えると、三越にでも行って、何か由緒ある焼き物を求めるのだろうけど、それではつまらないと思いながら、ずっと頭の中で考えていた。
早速彼らにいくらくらいの予算か聞いてみた。僕だったら、2〜3万円くらいが妥当かな?と思っていたのだけど、すぐに「USD 2k〜3kくらいかな?」という返事が来た。
「え?22万から33万円???」(世の中にはお金を持っている人がいるものですね…)
『黒田泰三』さんの器は、僕はいくつか持っているのだけど、何もそこに乗っていなくてもあるだけで佇まいがある。実用的に使うというよりも、置いてあるだけで美しさを感じる。
黒田さんの作品は、ニューヨークで個展をやって以来、びっくりするくらい高くなってしまったのだけど、彼らの予算なら黒田さんでも、他の作家の作品でも買えそうだ。
早速ギャラリーに見に行って写真を撮り、彼らに送ると喜んでいた。
「スーパークイーン!
週末には、しゃぶしゃぶを予約しておいておくれ!」
次なるお達しは、しゃぶしゃぶ屋さんの予約だった…。
★黒田泰三さんの器
http://t-gallery.jp/contents/artists/taizo-kuroda-collection

森の贈りもの。

朝、会社に向かう途中、神宮外苑の道ばたでどんぐりを見つけた。
急いでいた歩を緩め、しゃがんでいくつか手に取ってみた。
どんぐりは、小さな頃いじった記憶のまま滑らかだった。
あれほど暑かった夏も、ゆっくりと秋に変わってゆく。
会社に着いて、机の上にどんぐりを広げたら、
神宮の森の香りや温かさまで、
そっくり閉じ込めているように感じられた。

なんにもしない週末。

何も予定のない週末が、僕にとっては一番の贅沢だ。
アイデアを考えなければならない仕事もない。
人と会う約束もない。
何か決まった時間に、どこかへ行かなければならない用事もない…。
晴れた秋空に洗濯をしてシーツを干して、部屋を掃除して、お昼になると家にある食材で何を作って食べようか…と考えるのも至福の時間だ。
白ワインを飲みながら、生ハムをつまみ、先日買ってあった金沢のなめこをニンニクで炒めてトリュフオイルをかけて味わう。
午後はソファで本を読んだり、音楽を聴きながら過ごす。眠くなったら昼寝をして、起きたら、ゆっくりと暗くなっていく美しい夕刻の光を感じながらキャンドルを灯し、赤ワインを開ける。
なにものにも縛られず自由であることの、なんと幸福なことだろうか。

幸せなゲイ。

ぺんぺん草のひろしさんの言う芝居がかったセリフに、
「幸せなゲイを連れてきてくれたら、陽気な死体を見せてあげるわっ」
というような言葉があるのだけど(ちょっと違うかもしれないけどだいたいこんな感じ)、昔からゲイは、『決して幸せになれない人たち』あるいは、『どこか幸せでない人たち』なのだと、2丁目のゲイ自身に思われていたのだろう。
先日Bridgeで飲んでいたら、隣につきあって24年だというカップルが座った。
彼らには時々Bridgeで偶然会うことが今までにもあったのだけど、59歳と58歳のカップルでありながら、いつ見ても熱々で、時々ふたりで顔を見合わせたかと思うとキスをするのだ。それも何度も。
もしかしたらひとりがハワイ出身ということもあるのかもしれないけど、なんとも自然にお互いのことを愛おしく感じているのが伝わってくる。
彼らはその昔、千駄ヶ谷の東京体育館で偶然出逢い(偶然ということにしておこう)、その1週間後にまた同じ場所で出会いキスをして、そのまた1週間後に同じ場所で会った時には、つきあうことにしたそうだ。
ふたりはそんな話を僕たちにしながら、僕とKの顔を見て、「ふたりとも幸せそうな顔をしてる」と言った。
ひとりは高齢のお母様の面倒を見ていて、ふたりで一緒に住むことは叶わないのだけど、ふたりで過ごせる時間は、とてつもなく幸福な時間なのだと言うのだ。
彼らの話を聞きながら、ぺんぺん草に、彼らを連れて行ったら面白いだろうな…と考えていた。ひろしさんに向かって、
「さあ、ひろしさん、陽気な死体を連れて来てちょうだい!」って言うのだ。

美味礼讃会。

白龍

セロリ餃子

韮餃子

滋賀出張の後、代休を取り京都でのんびり過ごし、夕方都内に戻り、会社の仲間内の集まり『美味礼讃会』へ。
『美味礼讃会』は、お金の高い安いに関わらず、美味しいものを定期的に食べ歩く会。今回のテーマは、『餃子』だった。従って、餃子屋さんを二軒はしご…。
最初は神保町の名店『スヰート ポーヅ』へ。ここはいわゆる焼き餃子と水餃子と、お肉や椎茸の具を包んだお饅頭のようなものしかない店。会社帰りのおじさんたちが、ビール飲みながら餃子定食を食べている感じ。
ここの餃子が重たくなく、長く庶民に愛されているのは、きっと具材にニンニクが使われていないからだろう。※夜は20時に閉まっていまうので、行く時はお早めに。
二軒目は飯田橋の新小川町にある、ぎょうざ『PAIRON』。パイロンというのは『白龍』のことで、これはそのままこの店の名物餃子の名前でもある。八角か五香粉の香り豊かな餃子。
ここの餃子は、青龍、黒龍など様々な種類があるのだけど、僕が一番美味しいと感じた餃子は、セロリ餃子。具材の中にセロリが効いていて、一口食べたら思わず「美味しい…」としみじみ唸ってしまった。
黒龍という餃子のみ、ニンニクが入っていてコクがあったのと、他に韮餃子も美味しくて、また訪れたいと思う名店だった。
そして、特筆すべきは、この店の店長さんがなんとも味わいのあるかわいいメガネ男子で、ちょくちょくあまりにも目が合うので、帰りがけに「かわいいですね!」と声をかけたらびっくりして照れていた。
僕ももう、今さら捨てるものもないので、どんどん大胆になっています。
★スヰートポーヅhttp://s.tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000637/
★PAIRONhttp://s.tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13127427/

上賀茂神社。

上賀茂神社

はふうの上ビフカツ

万願寺なんと101円!錦小路で。

下鴨神社と並び、パワースポットとして人気のある上賀茂神社は、1300年以上の歴史を誇る世界文化遺産。
僕は、京都ではいつも、京都ホテルオークラに泊まるのだけど、このホテルが気に入っているのは、やはり最高の立地なのだと思う。
御所のすぐそばにあるということ。銀閣寺や、下鴨神社も上賀茂神社も行きやすく、それでいて大好きな寺町通りや錦小路も歩いて行けるのだ。
京都に来て、神社やお寺を巡り思うことは、1000年前の人もきっと、僕と同じようにどうしようもなく人間らしく生きていたのだろうということ。
恋愛がうまくいかず、紫式部は上賀茂神社に出向き、恋の成就を願ったというように…。
お昼は、久しぶりに『はふう』へ。
この店は15年くらい前に、Danchuで取り上げられて人気を誇った店。柔らかい牛肉を存分に堪能出来る。ドミグラソースが甘くないため、お酒にも合う味に仕上がっている。
京都に来ると、時々無性にここのビフカツサンドが食べたくなって、お土産に持ち帰りホテルで夜に食べることがある。
寺町通りを散歩しながら、金木犀の香る京都の午後を堪能した。
★はふうhttp://s.tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26000943/

河久。

手羽先揚げ

万願寺の炙り

しめの一口おにぎりと赤だし

京都で、15年くらい通っている店の一つに、『河久』がある。
昔つきあっていた人に連れて行ってもらった時に驚いたことは、『何てことのない普通の料理が、なぜこんなに美味しいのか…』ということだった。
京都には、『仕出し屋さん』がいくつもあって、一般的に知られているのは、『菱岩』の美しい和食の仕出しだろうか。
この『河久』も仕出し屋さんなのだけど、河久の料理は、和洋食といった感じ。汲み上げ湯葉もあれば、牛ヒレ肉の照り焼きなんかがあるのだ。
大将は75歳。ハンサムで、お父さんは京都では有名な料理人だった。奥さんは73歳で、繊細なやさしさを持っている人だけど、久しぶりに会ったら、脚を少し悪くしていて心配になった。
今まで食べた手羽先料理の中で、最も美味しい手羽先は、ここ河久の『手羽先揚げ』だろう。じっくりと中まで染み込んだ塩味はさっぱりとしていて、何本でも食べられそうだ。
昔は手羽先など誰も食べない東京オリンピックの時代に、大将が料理人として選手村に行った時に、インド人シェフの調理法からヒントを得たという。
そして、この店の一番のおすすめ商品は、仕出し屋さんならではのお弁当だ。蓋を取ると中にはギッシリと、鴨ロース、牛ヒレ肉の照り焼き、手羽先揚げ、春菊の胡麻和えなんかが詰まっている。この弁当を買って、帰りの新幹線で食べると、隣の人の羨ましそうな視線が気になることがあるくらいだ。
大将や息子さんと久しぶりに飲みながら話が出来て、年をとったなあ…と感じるとともに、それだけ時代が変わったのだと感じた。『食べログ』のようなものに、本当は載せたくないし、わけのわからない一見さんに来られても困ると言う息子さんは頑なだけど、そっと応援したくなる名店。
★河久http://www.kawahisa.com

京都へ。

鴨川

湯葉饅頭

旅館『炭屋』のザクロ

仕事も、何もかもすべてを捨てて、京都に逃れて来た…
というのは冗談で、滋賀県の出張が入り、思いがけず急に京都へ。(ありがたや〜)
少し遅い昼は、15年くらい前から通ってる『露庵 菊乃井』へ。急な京都で、お昼がなかなか予約が取れない時は、大抵『桜田』か、この「露庵 菊乃井』だと空いていたりする。
『菊乃井』の村田吉弘さんは、きちんとした日本料理を海外に広めようという運動をされている日本料理界の先生だ。
久しぶりに訪れて驚いたことは、お客さんの半分が中国語圏の人たちだったこと。その日のメニューがきちんと英語で書かれたメニューがあり、接客も、たどたどしいながら素材や食べ方まで英語で説明していたこと。隣の女性は上海からで、写真を撮りながら食事を楽しんでいた。
僕は、4000円の一番安いランチだったのだけど、少し残念だったのは、ご飯がイマイチ美味しくなかったことだろうか。サツマイモと栗の炊き込みごはんだったのだけど、この組み合わせは女性には受けるかもしれないけど、酒飲みには受けないと思う…。笑
京都は、歩いているだけで心が弾む町だ。町中の小さなカフェや、料理屋さん、雑貨屋さんは、まるでその店が世界の中心のような自信に満ちている。
錦小路を歩くと、京都の不思議な食べ物が目に飛び込んでくる。出汁巻き、鱧、ぐじ、鴨ロース、湯葉、鱈の白子、万願寺とうがらし、じゅんさい、九条ネギ…食いしん坊の京都人が好む食材は、僕の大好物だらけだ。
京都を歩くと元気がもらえる。色々なことを仕事にしながら、みんな生きているんだなあ…としみじみ感じる。
鴨川を眺めながら、いつか、京都に住むのも悪くないなあ…とぼんやりと考えていた。(でた!)

ふたりで暮らすこと。

箱根

僕とKがつきあいはじめてから、間もなく2年が過ぎるのだけど、先日ふとKが、「東京に行こうかな?」とつぶやいたことがあった。
僕は、どうせ冗談だろうと聞き流していた。末っ子のKが東京に来ることは、お母さんたちが寂しがるだろうし、仕事を東京に移すことも簡単ではないように思っていたから。
でも、今回、また同じ話が出た。Kが東京に来るか。僕が大分に行くか…。(大分の場合は、僕は掃除のおばちゃんだ…)
初秋の好天に恵まれた日、箱根に日帰りで行って来た。
前につきあっていた人とは、箱根はたまに車で行ったのだけど、今はロマンスカーで行って、箱根湯本からはバスで移動した。
美しい箱根の山や川を見ながら、こんな田舎で生活するのはどんな毎日なのだろう…と考えていた。
僕が今、仕事に疲弊しているからかもしれないけど、東京ではないどこか田舎の町で暮らすことに魅力を感じてしまう。
田舎で暮らすことに不安はある。僕は東京生まれ東京育ちだし、都会の便利さに慣れ過ぎているから。伊勢丹や映画館がないと気が変になってしまうのではないか…とか。
天山の温泉に久しぶりに行ったら、昔のようにゲイはいなくなっていた。入る時に小さなタオルを買ったのだけど、出る時にKがタオルを持って帰ると言う。
僕は、名前の入ったタオルなんか家に置かない主義なのだけど、Kは大事そうにタオルを持ち帰り、洗濯をして、こっそりと僕の白だけのタオルの中にその温泉タオルを忍ばせて帰ったようだ。
Kがいなくなった家で、文字の入った白い温泉タオルを見たら、なんだかとてもKに会いたくなった。
もしKとふたりで暮らすなんてことになったら、僕の家はこんなタオルであふれかえるのだろう…。

やさしい言葉。

このところ、珍しく仕事で心身ともに疲れきっていた。
Kが帰る最後の日の朝、Kがまた大分に帰ってしまう寂しさを感じながら、僕はなかなかベッドから出られなくて、色々なことをつぶやいていた。
「何もかも捨てて、田舎で暮らしたい…」
「東京の暮らしに疲れた…」
Kは、隣で心配そうに僕を抱きしめていた。そして僕の顔を覗き込みながら、
「大丈夫?ただしくん?」
「疲れちゃったの?」と聞いてくる。
僕が、「この年で会社やめたら、どこにも働き口ないだろうな…」と言うと、Kはすかさず、
「大分に来たらいいよ。僕の家で一緒に暮らせばいいよ。」と言った。
僕が、「この年で自分のやってきたこと以外なんにも出来ないけど、選ばなければ大分でも仕事はあるかな?」と言うとKは、
「ただしくんは、どこかで掃除のおばちゃんやればいいじゃん。そしたら二人で大分で暮らせるよ」
いったいどこから掃除のおばちゃんが出て来たのかはわからないけれども、そんな言葉に朝から涙がじんわりと溢れたのでした。