夜、ふたりで眠る時に。

腕枕は、昔から苦手だった。
している方も、されている方も気をつかうことになるから。
前に10年間つきあった人と寝ていた時は、彼が真ん中で大の字になってすぐに寝てしまい、その寝息を聞きながら、僕が彼の左側でやっと寝るような感じだった。それは、一つのスペースに、ふたりが静かに並んで眠るような感じ。
今つきあっているKは眠る時に、僕に絡みついてくる。それはまるで、会えない時間を取り戻すために、なんとか一つになろうとでもするかのようだ。
僕は右端に仰向けでいて、真ん中にKが僕の方を向いたまま左手を僕に回すか、左手と僕の左手をきちんと重ね合わせて眠る時もある。おまけに左脚がガバッと僕に乗っかってくる。前にここに書いたけど、『肘攻撃』というのもある。
つきあいはじめの頃は、そんな寝方がとても難しく、どうやったら眠ることが出来るのか、毎回試すようなことをしていた。それが、つきあって間もなく2年になろうとする今、もはや寝方のことを気にすることはなくなった。
僕がKの様々な攻撃を、受け入れるようになったのだと思う。それもごく自然に。
自分独自の習慣やスタイルがたとえ確立していたとしても、人は、つきあう相手によって、いかようにも変われるのだろう。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

(iPhone6plusからこのブログに上げられず、家か会社でしか対応出来ないので困っています・・・)
マーベリックの新作が、映画関係者によって批評されるRotten Tomatoesで93点という驚異的な数字を出していると聞き、Kと豊島園のIMAXへ観に行った。
あまりSFものやアメコミを普段は観ないのだけど、この映画は、スタートレックと同じように楽しむことが出来た。
地球から連れ去られた人間のピータークイルが、ひょんなことから刑務所に入れられて、そこでアライグマのロケット、樹木の身体をしたグルート、全身刺青のようなドラックス、緑色の怪しい美女ガモーラと出逢い、銀河系を守るために悪者と闘う。
この映画のどこがそれほどまでに面白いのかというと、なんとも奇妙なキャラクターと、全く展開が予想できない話、そして、我々の世代にはぐっと響く80年代の名曲の数々だろう。
はじめはなんとも奇妙なキャラクターに馴染めずにいたけど、観ているうちにぐっと愛着が湧いて、いびつでへんてこ過ぎるキャラクターたちのことを愛しはじめるに違いない。
友達とでも、恋人とでも思いきり愉しめる映画。
★ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーhttp://studio.marvel-japan.com/blog/movie/category/gog

IL PENTITO

モッツァレラ

ポルペッティーネ

フンギ・スペリオーレ

ローマが懐かしくなったら、時々『イル・ペンティート』に行く。
代々木にあるこの店に僕が行きだしてから16年くらいになるけど、創業17年になるこの店は、ローマピザの名店だ。
店内に入ると、まるでローマのトラットリアに迷い込んだような錯覚に陥るほど、壁紙や額、アーチのかかった天井、トイレの扉やトイレ、窯にいたるまで、何もかもがローマなのである。
コスパの高い素晴らしいワインを飲みながら、柔らかいサンダニエーレのプロシュートをつまむ。チキンのポルペッティーネは、鳥の旨味を閉じ込めた料理で、ホースラディッシュ入り自家製マヨネーズが大人の味だ。
水牛のモッツァレラは、あくまでも新鮮で弾力があり、仄かな旨味を含んでいる。
玉ねぎ入りのピザに驚き、タルトゥッフォのオイルの香り豊かな、フンギ・スペリオーレを一口食べた時に圧倒された。
この店に来ると、「本当に美味しいものとはどういうものか」改めて思い知らされる。
巷では旨味の過剰な料理の溢れる中、この店のように、優れた素材と、窯で焼くという原始的な行為が作る料理の美味しさは、身体の奥の方にしみじみと行き渡る。
★IL PENTITO http://s.tabelog.com/tokyo/A1318/A131810/13000684/?lid=header_restaurant_detail_menu
※注意点として、大将はとても誇り高い人だ。ローマピザに生命を賭けている。予約したのに遅れてきたり、数人がダラダラと来たりするお客さんがいると怒ってしまう。また、従業員(奥さん)に対して時々激昂するが、食事に集中してあまり聞かないようにしていた方がいい。笑

irodoriのステーキ。

irodoriのオススメメニューを、何度かここに書いているけど、僕が今必ず食べるものは、『ステーキ』。
熟成されたももしんやランプに、じっくりと低音で火を入れて行くので、30分くらい時間がかかるから、最初にオーダーするのをオススメする。
付け合わせは他のオーダーによって選べるのだけど、神ニポテトでもいいし、ハーブのサラダでもいい。
表面はこんがりと焼かれていて、中は美しいピンク色のまま、肉汁がしっかり閉じ込められている。
Kが大分から研修で東京に来て、昨夜はじめてのイロドリだったのだけど、このステーキの柔らかさとうまさに顔をほころばせていた。
霜降り和牛に慣れた人には、こんな赤身の肉らしい味わいが新鮮に感じられるだろう。

大阪弁。

SHIFTの松茸ご飯。

夜の新幹線で大阪に来た。
新大阪に着いたのが9時だったので美味しそうな店は諦めて、ホテルにチェックインした後、堂山の『SHIFT』へ。
お通しはチーズを選んで、マスターのひろしさんに、「ごはん食べてないの…」と甘えると、「松茸ご飯食べる?自分のために作ったんだけど…」という言葉が。
喜んでばくばく食べて、「ゲイバーで、松茸ご飯なんてはじめて食べた!」と言ったら、はにかんだようなかわいい顔になった。
その後、『RELAX』でichiくんを、独り占めして騒いでいたのだけど、最近ちょくちょく来る大阪で、なんだか居心地のよさを感じているのは、僕が大阪弁が好きだからかもしれない。
セックスの時に、相手が大阪弁や博多弁だとアガると言う人がいるのもなんとなく頷けてしまう…^^;

ペンキの剥げた後の私。

なんの芝居だかは忘れてしまったけど、二丁目のぺんぺん草のひろしさんがたまに言う台詞で、
「私が欲しいのは、ペンキの剥げた後の私を、やさしく包んでくれる人…」
と言うのがある。(ぺんぺん草は、芝居好きのマスターがやっているせいか、いつもこんな馬鹿げた芝居の台詞のような言葉が飛び交っているイカれた店なのだ)
僕は時々、そんな芝居がかった台詞を思い出すことがある。
あなたにとって、『ペンキの剥げた後の私をやさしく包んでくれる人』はいるだろうか?
自分が調子のいい時は、周りには人が溢れているものだ。でも、もしもボロボロになって、自尊心も打ち砕かれ、すべてを失ってしまった時に、それでもそばにいて守ってくれる人はいるだろうか?
それはきっと、親のような愛だろう。そして人によっては、恋人の愛や、友情かもしれない。
そんな人がいることは、なんてありがたいことだろうか。
そして、誰かのペンキが剥がれた時に、黙ってそばにいることが出来るような人間になりたいと思う。

増える家族。

先日夕方、そろそろご飯を作ろうかと思っていたら、弟のようなFから電話が鳴った。
F「姐さん、今どちらにいらっしゃいますか?
もし二丁目で飲んでいたら、今イロドリのスタッフと二丁目に来てるので、ご一緒にどうかと…」
僕「今、家だけど、それならちょっとそっちに顔出そうか?」
タクシーで二丁目に向かうと、すでにみんなはビアンバー『Gold Finger』に入っていた。ここは月曜日はオナベを中心にミックスの日のようだ。
周りを見回して見ると、誰がトランスジェンダーなのかはまったくわからない感じだ。
その後、7人を引き連れてゲイバーの『Dragon』へ。基本的にゲイバーは、女性の入れる店が少ないのだけど、Dragonは外国人も多くミックスのゲイバーだ。
暗くブルーライトの光る店内で、ゲイバー初体験のスタッフの女の子たちはきゃあきゃあ言ってはしゃいでいた…
イロドリが出来てから、僕にとってまた、新しい家族が増えた。
それは、年下の友達のようでもあるのだけど、時々顔を見に行って、元気にしているかな?と思う弟や妹のようなものだ。
彼らも僕を見ると、「ねえさん!」と声を上げる。(本当は、お兄さんがよかったのだけど、なぜかねえさんと呼ばれている)
疲れて帰って来ても、イロドリを覗くとやさしい笑顔に会える。
それは、馴染みの店というよりも、何か家族的な温かさだ。

見えないところの整頓。

特に何があるわけではないのに、無性に押入れなどの収納の中が気になることはないだろうか?
僕の家にはそんなに収納場所はないのだけど、このところ、寝室の押入れがずっと気になっていたのだけど週末もやれずにいた。
この連休中にやろうと心に決めていたことは、
1.ベランダの掃除
2.押入れの整頓
3.衣替え
今回、収納の戸をすべて取り払って自分が持っているものを表に曝け出して、それらが本当に僕の人生において必要なものなのか、徹底的に吟味して新たにきちんと整頓し直した。(汗だくになりながら、『カミングアウト』とは、こういうことなのね…と考えた)
大きなトランクをまとめて上段に上げることで、小さなカバンやパジャマもきちんと取り出しやすい置き場所が中段に出来たし、リネン類の置き場も確保出来た。(たまに使うものは上段に。日常的に使うものは中段に。)
家はその人の心の状態を現す鏡のようなものだ。
見えないところの整頓が終わってみたら、何やら自分の心がスッキリとして清々しい。
まるで、ご褒美をもらったようなものだ。

TAQ

TAQに誕生日にもらったプレゼント

ここでも何度か取り上げていたのだけど、MoCAで開催されていたTAQの個展が終わった。6週間という長い会期の中、様々な人が観に来てくださり素晴らしい展覧会になった。
TAQは、新宿3丁目にあるTAQ’S KNOT という店のマスターなのだけど、その店には、僕がまだ学生の時から通っている。
通い始めの頃は、カズさんというちょっと変わった感じのTAQのパートナーもいて、どちらかというと僕はカズさんに色々話しかけてもらったりしていたのだけど、カズさんが若くして亡くなり、激動の人生をTAQは通り過ぎて来た。
その後、ゲンちゃんというパートナーが出来て、僕はゲンちゃんとも仲良くなって、当時僕がつきあっていた恋人と4人で、温泉旅行に行ったこともある。
TAQのおばさまであり女優の、故『大塚道子』さんもよくTAQ’S KNOTに訪れていて、時々僕が表までタクシーを停めに行ったりしたものだ。個人タクシーを停めようとすると、「わたくし、個人は嫌いなんですよ。本当に生意気なんですから…」と言っていた(笑)
TAQは、類稀な頭の良さと、驚くほどの好奇心を持って作品を作り続けているアーティストであり、ゲイの世界において、はじめてパートナーシップの素晴らしさをみんなに伝えようとした人ではないだろうか。
TAQ’S KNOTを通して、様々な人たちが巣立って行き活躍の場を広げ、今のゲイ文化を作り出していると言っても過言ではないくらい、多くの人がTAQの店に関わり影響を受けている。
僕は、多摩美術大学の後輩ということもあり、本当によく可愛がってもらった。TAQは、僕にとってお母さんのような人だ。
ゲイが苦労して勝ち取って来た権利を教えてもらったのもTAQだし、ゲイとしていかに楽しく生きてゆくかを考えさせられたのもTAQだし、誰かとつきあってゆくことの価値を教えてもらったのもTAQだ。
個展の会期中は、イロドリでやっていたこともあり、何度も足を運んだのだけど、最終日になって統計を取ったら、500人以上の人が来場して下さったようでTAQも喜んでいたし、僕自身とても嬉しかった。
これから先のTAQの活動は僕にはわからないけど、僕はTAQの意志を少なからず受け継ぎ、次の世代に伝えていけたらいいなあと今は考えている。

バター。

バターは繊細な香りを持つものだ。
バターを買ってきたら、なるべく早めに全体を使いやすい大きさにカットして、他の食品の臭いが移らないように、すぐに使いそうな分だけバターケースに入れると、鮮度を保ちながら無駄なく使うことができる。
余った分は適当な量に分けてラップに包んで、冷凍用のビニールパックに入れて冷凍庫に入れる。
ヨーロッパでは、バターを使う頻度が多いから、バターケースに入れてすぐに使ってしまうので鮮度もいいのだろうけど、和洋中と様々な料理を楽しむ日本では、必需品というよりも調味料の一つではないだろうか。
それでも、美味しいバターは旨味があり、その香りとともに料理を一段グレードアップしてくれるものだ。
僕はもう、20年以上、この木製のバターケースを使っている。
三谷龍ニさんという作家の方の手作りのものだけど、バターの油を適度に染み込ませつつ、いつ手に取っても木の質感が滑らかで温かい。
優れた道具には、使いやすさだけでなく、それ以上の恩恵がある。