アーティチョーク

アーティチョークが道の駅に売っていたので買ってきた。

イタリアではよくアーティチョークを食べるけど、僕自身はアーティチョークを料理したことはなかった。

茹でたり、蒸したり、オーブンで焼いたり様々な調理の仕方があるみたいだけど、僕は蒸してみた。

蕾の頭を切り落とし、水を張ったボウルにレモンを絞ってアーティチョークを入れて漬ける。レモンを入れるのは、アーティチョークの黒い灰汁が出るため。

本当は萼についている先端の尖った部分を切ったり、あらかじめ外側の萼は取り除くなど色々あるみたいだけど、小さなアーティチョークだったのでそのままでやってみた。

大きな蒸し鍋に水を入れ沸かし、アーティチョークを逆さまに入れて蒸すこと30分。

夕食に出して、一つ一つ萼を剥がしながら萼の根元をオリーブオイルと塩で味わう。

最後に中心部分を、ヒゲ根のような部分を取って食べるのだけど、食べられる部分なんてほんの少し。

でも、アーティチョークはそら豆のような牛蒡のような甘味があり旨味を十分に感じられた。

こうやって調理したことのない野菜に挑戦するのも楽しいもの。冷蔵庫にはビーツも買って来てあるので、今度はビーツもはじめて自分で調理してみようと思う。

コップに入った半分のお水。

コップに半分入った水を、「もうお水がない」と思うか、「まだこんなにお水がある」と思うか。

よく言われることだけど、この選択によって自分の周りに引きつけられてくるものが違ってくる。

「もうお水がない」と思ってしまうと、その不安や焦りが次の不安を呼んでしまう。

いつでも、「まだこんなにお水がある」と思えたらいいのに…と思う。

目の前の事象はいいも悪いもないのだけど、自分の捉え方によって、よくもなるし、悪くもなるのだ。

海のいない日曜日。

海を預かりトレーニングに出したので、木曜日までは海のいない暮らしになった。

久しぶりに海のいない日曜日、僕たちは、「海は今頃どうしてるかね?」と何度も顔を見合わせた。

部屋のドアを開けて置いても大丈夫だし、ティッシュを机に置いても盗まれることもない。遊んで遊んでとじゃれつかれることもないし、料理の邪魔をされることもない。

海がいないと家が驚くほど静かでまるで別の空間のよう。海がいる時は、思えばいつも海に気をつかいながら過ごしていたことがわかる。

夕方になると、海の臭いさえ懐かしくなり、早く帰ってこないかな・・・と思う。

時々トレーナーさんから届く海の動画が、今は僕とKの楽しみになっている。

陸茶坊

函南の大場に『陸茶坊』というレストランがあり、その前を通りかかるたびにいつか行ってみようと話していたのだけど、今日は海をトリミングに出したので行ってみることにした。

店内は、老舗感があり、昔からこの土地で愛されて来た雰囲気。

お料理は、クラシックな中華料理で、どこの町にも一軒ありそうな、家族や親戚が集まった時に食べに行くような安心できる味。

なかなか海がいると外食もままならないのだけど、こうして静岡県に移り住み、町のレストランをたまに訪れることが、何よりの楽しみになっている。

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落し物の財布。

海の散歩の終盤に家への道を歩いていたら、海が黒いものを咥えそうになったので「NO」と言って止めた。

そのまま通り過ぎようかと思ったけど、振り返って見るとそれは黒い皮の小さな小銭入れだった。

一瞬どうしようか迷い、拾い上げて中身を確認した。千円札が1枚と小銭が入っているけど、持ち主の手がかりは見つからなかった。

道の真ん中だったので、しょうがなく一旦家に持ち帰る。近くの交番を調べてみたけど、来宮駅の前の熱海警察に行くのが一番近いことがわかった。

今日はもう遅いので、明日Kが帰って来たら届けることにしよう。持ち主は、警察に届け出るだろうか?

こんなときに、地元の掲示板のようなものがあると便利なのだけど、このあたりは半分人が住んでいないような場所なので、そんなものは存在しない。

早く持ち主が見つかるといいな。

斜向かいに救急車。

夕方に救急車のサイレンがだんだん近づいて着て、家のそばで止まった。今僕の暮らしている熱海の山の中は、圧倒的に高齢者が多く、こうやって救急車が急病人を運ぶのもそれほど珍しくない。

僕は何かあったのかな?と思い、すぐに下に降りて行くと、斜向かいの家に救急隊が入って行くのが見えた。

しばらくするとお隣のおじいさんも慌てて出て来て、その隣のおばあさんも出て来て心配そうに見守っていた。

運ばれたのは斜向かいのおじいさんで、おじいさんと言っても70歳手前くらいだろうか。とても穏やかで優しく、いつも僕たちを気にかけてくれていた人だ。

おばあさんも出て来て少し慌てているようで、自分の車で行くか、救急車に一緒に乗って行くか、迷っていた。

おばあさんは僕たちに、「ご迷惑おかけします」と言って、救急車に乗り込んだ。

どうやらおじいさんはこのところ体調が悪く、しばらく寝込んでいたらしい。どうりで会わなかったわけだ。

少し近所の人たちと立ち話をして、家に戻ったのだけど、これ、東京だったらこんな風に隣近所と会話はしないだろうな・・・と思ったのだ。

東京のマンションでは、基本的に他の家に干渉しないのが暗黙のルールになっているので、救急車が来ても、物珍しさに見にくるくらいだろう。

ここで暮らす人たちは、道を歩いていても目が合うと必ず挨拶をする。たとえ知らない人であっても。それが配達の人や、通りがかりの人であってもみんな気持ちよく挨拶を交わす。

そして、ご近所でもよく会話をする。それはさもない日常のことから、どんな花が咲いたとか、天気の話とか。

若い頃はこんな挨拶が面倒でしょうがなかったのだっけど、今の僕はこうして挨拶をすることがとても気持ちのいいことだと思えるようになった。

そして、適度に周りを思いやり、今日のような緊急時には自分にできることはないかとそれぞれが思っている。

今だって、日本の田舎町はどこでもそうなのだろうけど、こうした目に見えない周囲への気配りや思いやりは、これからの高齢化社会の中で必ず役にたつと思うのだ。

犬連れだから良いこと。

海を散歩していると、道ゆく人に声をかけられる。

「あらーぬいぐるみみたいねえ」「着ぐるみみたい!」「かわいい!」「暑そうねえ」

いつも決まった時間に散歩するので、いつも外で庭いじりしているおじいさんやおばあさんは、海が来るのを待っているような感じの人さえいる。

犬好きな人も、あまり犬に関心がない人も、どういうわけか海を見ると何か声をかけたくなるようだ。動物の持つ力って不思議だ。

それは多分、スタンダードプードルのようなちょっと変わった大型犬があまり周りにいないせいかもしれない。

海が一緒にいるおかげで、近所の人はとても気さくに話しかけてくれる。

海を通してこの町に少しずつ馴染んできていると言っても過言ではないのかもしれない。

だって、52歳のおじさんが1人で道を歩いていたら、ちょっと怖いというか、誰も何も声なんかかけないと思うのだ。

そういえば中には、「本当に足が長いねえ・・・」と言った後、僕に向かって「あ、あなたじゃないから」と言って笑ったおじさんもいた。

僕もつられて笑ってしまったけど、初対面でもこんな感じに自由に話ができるのも、海のおかげ。

世界に嫌われる男 ピーター・タッチェル

新宿2丁目のBridgeのマスターMが勧めてくれたドキュメンタリー映画「世界に嫌われる男 ピーター・タッチェル」は、こんな人いたんだ・・・と思うような、命がけの活動をし続けているアクティビストだった。

オーストラリアの労働者階級に生まれたピーターは、やがて自分のセクシュアリティに目覚め、渡英する。

ほどなく同性愛者の人権問題で立ち上がり、キリスト教に真っ向から反旗を翻したり、やがてウガンダの人権侵害に抗議、ロシアのW杯に赴きLGBT差別を国としてあげるロシアに対して平等と公平を求めて闘い続けるようなアクティビストになってゆく。

映像の中では様々な場面でピーターが暴力を振るわれる映像が出てくるのだけど、実際にこれらの暴力によりピーターは後遺症を患ってしまう。そしてそんなになってまで、貫こうとする正義感と勇気に圧倒された。

我々を助けるために、日本にも来てくれないかな・・・。

⭐️https://www.netflix.com/jp/title/81422831

フジヤマキッチン

山中湖に行ったついでに、ランチをしたレストラン「フジヤマキッチン」は、犬も入ることができて気持ちのいいレストランだった。

テラス席のみワンちゃんが入ることができるのだけど、ドッグフレンドリーなレストランは僕たち犬と同伴のファミリーにとってはとてもありがたい。


ササミをご飯の上にかけたワンちゃん用のランチもあり、海も美味しそうに食べていた。

ワンちゃん用ランチ

山中顔は別荘地のせいか、この時期でも結構人が来ていたのだけど、新鮮な湖畔の空気を吸うと、海とはまた違った気持ち良さがあるのだと思う。

山梨県までこんなにすぐ来られるなら、長野県もそう遠くはないな。

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