サム・スミスのスピーチ(OSCAR 2016)

毎年、月曜日の朝から友人Mの家で、映画好きな友人たちと一緒に見る恒例のアカデミー賞だが、今年は諸々の事情があり、二丁目のBridgeで夜の9時から集まってお客さん共々見ることになった。
誰がオスカーを受賞するのか、日本ではまだ公開されていない映画がノミネートされる中、それぞれが予想をして、一番多く当たった人には賞品がもらえるという企画に。
今年のアカデミー賞は、黒人のノミネートが一人もいなかったことで、随分前からスパイク・リーやウイル・スミス夫妻などが続々とボイコットを表明していて、いったいどうなってしまうのだろうと固唾をのんで見守った。
司会者だけでなくプレゼンターまでも、オープニングからクロージングに至るまで、ずっとこの話題に触れ続け、見ている方はさすがに「いい加減にして賞を楽しんだらいいのに・・・」という気持ちだったにがいない。
それでも、これを機に、アカデミー会員のあり方を抜本的に変えて行くことが決まったそうなので、歴史的な節目になったように思う。
全体的に、スピーチも短く、派手さにかけた今年のアカデミー賞だったけど、パフォーマンスに関しては、(レディ・ガガが話題になっているようだけれども)ディヴ・グロールが追悼のシーンでビートルズの『Blackbird』を演奏。本当に素晴らしかった。
そして話題になっているのが、『サム・スミス』の歌曲賞でのスピーチ。
「イアン・マッケランがゲイを公言してオスカーを獲った人はいないと言っていたのをどこかで読んだことがある。だから僕は、ゲイを公言して初めてオスカーを受賞したことになる。もしそうなら、またはそうではなかったとしても、この賞は世界中のLGBTコミュニティに捧げたいと思う」
スピーチとしては、とてもいいことを言ってくれた!と僕も喜んだのだけど、『ゲイを公言してオスカーを穫った人はいない』というイアン・マッケランの発言がそもそも『ゲイの俳優』という意味だったということ。過去にはエルトン・ジョンおばさんが同じく歌曲賞、ダスティン・ランス・ブラックが『ミルク』で脚本賞などを穫っていて、これに気づいた人々が一斉に突っ込んで血祭りにあげたのだ(この手の話題に対するくらいつきや炎上具合は日本もどこも変わらない。苦笑)。
でも、このスピーチに対するダスティン・ランス・ブラックの突っ込みが激しい・・・
Dustin Lance Black ‏@DLanceBlack 2月29日
Hey @SamSmithWorld, if you have no idea who I am, it may be time to stop texting my fiancé. Here’s a start: https://www.youtube.com/watch?v=vfPXcCroPJc …
短いツイートの中には自分のフィアンセ(水泳のオリンピック選手)にサムスミスがちょっかいメールを送っていることなどの私的な怒りも織り交ぜてあり、改めて、ゲイって怒らせると恐いなあ・・・と思ったのです。
Dustin Lance Black ‏@DLanceBlack 2月29日
THE POINT: knowing our LGBTQ history is important. We stand on the shoulders of countless brave men and women who paved the way for us.
ダスティン・ランス・ブラックは、脚本家でありそもそもLGBT活動家の肩書きも持つ人。彼の残した功績は大きいし、ミルクで脚本賞を受賞した時のスピーチは、この先も永遠に歴史に残るスピーチとなることだろう。
だからダスティン姐さん、サム・スミスのちょっとした不勉強さなんて、大目に見てあげて!
★ダスティン・ランス・ブラックのスピーチ
ダスティン・ランス・ブラック: ミルク脚本賞

包丁を研ぐ日。

研ぎ終わった包丁

砥石

時々ふと、「明日は包丁を研ごう…」と思って、砥石をキッチンに出しておくことがある。
朝起きて、軽く朝ごはんを食べながら、砥石を水に浸ける。洗い物をしたら、砥石を置いて、ゆっくりと包丁を研ぎはじめる。
〈包丁の研ぎ方〉
予め水に濡らして置いた砥石は縦に置く。包丁は、刃を手前に向けて上から見た時に斜め45度くらいに持つ。
歯に、力が満遍なく入るように指を丁寧に添える。砥石と包丁の当たる角度は、十円玉2枚入るように15度くらいの角度をキープする。
押し出す時には力を入れて、力を抜いて引き戻す。そしてそれをリズミカルに繰り返す。
表を7研いだら、裏を3くらいの気持ちで研ぐこと。そしてこれを、更に細かい砥石でもう一度繰り返し研ぐこと。
最後に新聞紙で磨きをかける。
包丁の研ぎ方は、文字にして書くとなんだかとても難しそうだけど、やってみると意外と出来るものだ。
ちなみに僕は、包丁を研ぐような地味な作業がとても好きで、包丁をひたすらに研いでいる間、気がつくと無心になっていることがある。まるで、瞑想のように。
そして研ぎ終わったあとに切れ味を確かめたくて、俄然お料理を作りたくなるのだ。

トロントパレード。

カナダから、オンタリオ州観光局の人たちが来日するので、夜に会えないかと言うので、新宿二丁目へ。
今年のトロントパレードは、7月4日に行われる予定なのだけど、カナダの若きイケメン首相も参加を予定していると今から話題になっている。http://jp.sputniknews.com/life/20160223/1663210.html
首相としてパレード自体に参加するのははじめてのようだが(昨年のパレードでは、この首相がまだ党首の頃に歩いていたように記憶しているのだけど…)、オンタリオ州知事やトロント市長までも参加するというから、きっと盛り上がるに違いない。
それにしても、保守的なキリスト教の多いイタリアでさえ変わりはじめているこの時代に、日本でもセクシュアルマイノリティに関する問題が表面化し、少しずつ民間企業も変わりはじめてきた。
パナソニック社内で同性パートナーに対して結婚に相当する規定を作るようになることや、ANAやJALなども同性パートナーを家族として認めるようになって来たのだ。
様々な分野で、多くの方々が尽力してくださっているおかげなのだけど、ゆっくりと、しかし確実に時代が目の前で動いていくのを、僕たちはつぶさに見ている。
中には、区議会議員が、『同性愛は、性嗜好』というような、知識のない発言も表沙汰にされていたのだけど、そんな発言が話題になり、何が間違っているのかをニュースで取り上げられるようになったことさえ、この国が大きく変わって来ている証なのだろう。
それにしても僕たちは、なんて幸福な時代に生きているのだろうか。

そばで寄り添い、支えてくれるもの。

そろそろやめよう…と思っているFacebookを、このところ、珍しく毎日覗いている。
それは、今年の初めにいくつかの癌が見つかった友人(お守りを送ったことをこのブログに書いた友人)Hが、手術に向かう日々をほぼ毎日アップしているからだ。
Hのために何もできない自分は、Hの様子を見続けながら、手術が成功してほしい、なんとかよくなってほしい、という気持ちでいる。
そしていつの日からか、彼のFacebookの様子を、僕はKにもコピペして送るようになった。時々、Kに送るのを忘れていると、KからLINEが入ることがある。
「Hさん、どうしてるかな?何か書いてなかった?」
KはHには会ったこともないのに、彼のFacebookを読み込んでいるので、今では僕よりもHの状態に精通している。
手術前は様々な友人がHをお見舞いに訪れていて、僕もHが友人たちに恵まれていて本当によかったなあと思っていたのだけど、先日、手術が終わった直後に、Hが身体の傷を写した写真は痛々しかった。(自分が手術をした直後で大変な時に、Facebookによくあげることが出来るなあ…と思ったのだ)
でも、今まで明るく強がっていたHは、手術後に恋人のTkに会って、何か大きな温かいものに包まれて安心しているように見えた。
「Tkは一番。」
その安心感は、そんな言葉に集約されていたのだ。
愛とは、なんと強く、揺るぎのないものであろうか。

Miele

家に帰ると、Miele からダンボールが届いていた。
先月Mieleの掃除機を買ったことはここに書いたのだけど、その掃除機はちょうどキャンペーンをやっていたのだ。
中を開けると、掃除機用の紙パックが入っていた。なんと、8年分!
Mieleの掃除機はまず故障をしないし、吸引力もまったく変わらずに20年間は軽々と働いてくれると言う。もしかしたら、僕が死ぬまで壊れないのではないか。さすが、ドイツが世界に誇る実直さを体現したブランドだ。
それにしても、8年分の紙パックを顧客に送るなんて、なんて豪快な会社なのだろう。
Miele のことが、ますます好きになってしまった。
次は洗濯乾燥機を前から狙っているのだけど、お値段がちっともかわいくないので、当分は買えそうにない・・・。

ちょっとだけ、ごはん。

家に帰って、切り落としの牛肉と残りものですき焼きを作ったのだけど、作っている途中に炊いた白米がないことに気づいた。
「ちょっとだけ白米が食べたいけど、家に炊いたご飯がない」
そんな時にどうするか。炊飯器だと炊き上がるまでに時間がかかるので諦めてしまうだろう。(そもそも僕は炊飯器の形が好きになれず持っていないのだけど)
お米は1合では多すぎるので、半合だけでいい。そんな時に一番簡単なのは、小さな厚手の鍋でご飯を炊くこと。(たとえばストウブの14センチの鍋)
お米をといで、水に浸し10分待ってから、同量のお水に1割くらい多めのお水を加えて底の全面が当たるように火を入れる。沸騰したら、ごく弱火にして7分くらい。→火を止めて蒸らして7分くらい。→完成!(3合でだいたい10分ずつを目安に、お米の量で加減する)
小さな厚手のお鍋さえあれば、30分くらいあればすぐに美味しい白米が食べられる。

心に残る仕事。

昔、尊敬する上司のコピーライターに聞いたことがある。
「1年のうちでどれくらい満足のいく仕事ができますか?」
その人はちょっと考えて、
「そうですね・・・。
1年間にひとついい仕事ができたらいいですかね・・・」と静かに答えた。
その時に僕は、
「こんなにいい仕事をしている上司でも、1年間のうちで納得のいく仕事は1本しかないのか・・・」と驚いたのを覚えている。
あれから10年くらい経っただろうか・・・。
1年間のうちに、1本もいい仕事ができない情けない年もあった。
今思うと、若い頃はどうしてもこの仕事を通したいという思いがあまりにも強過ぎて、その願いは叶わなかったことの方が多いように思う。
年を重ねてきて変わったことは、最善の努力をしたあとは、力を抜いて、なるようにしかならないと腹をくくってどこか天に任せるような気持ちで待ってみるようになった。そうすると、気づくといつの間にか思っていたことが叶うことがわかったのだ。
今年はおかげさまで、ひとつ、心に残るいい仕事が出来た。
僕たちの仕事なんて、時間が経てば消えてなくなってしまうようなものだけど、限りある人生の中で、自分で満足のいく仕事を、これからもひとつひとつ丁寧に重ねてゆこうと思っている。

キャロル

ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが揃ってアカデミー賞にノミネートされている映画、キャロルを観た。
さすが、ゲイの映画監督。なんという、せつない映画だろう。
時代は50年代、女性の地位が今よりもはるかに低く、まして、女性同士の恋愛など変態のように思われていた時代に、チェコ系移民の血を引く若きテレーズと裕福なマダムであるブロンドのキャロルは出会ってしまう。
お互いが激しく惹かれ合いながらも、胸に秘めた熱い感情を表現できぬままでいるふたりを、僕たちは固唾を飲みながら見守り続けた。
どのシーンを切り取っても美しい映画だ。美術も衣装もメイクもどれも素晴らしく完成されている。見ているうちにせつなくて苦しくなって、結末は一体どこに向かうのかとハラハラしてしまった。
この映画は、人間の情熱や欲望、誰かに恋い焦がれる気持ちを我々に見せてくれる。そしてそれは、異性愛であろうが同性愛であろうが、隠したり抑えたりすることなど出来ない、人間が生まれながらに持っている自然な感情なのだと気づかせてくれる。
⭐️キャロルhttp://carol-movie.com/sp/

THE プチレストランないとう

Aセット

カツカレー

お店にいる時も、ほんわりとした不思議な温かさに包まれて、お店を後にして尚、あの時の幸福感を思い出さずにはいられない店は、京都の洋食店『プチレストランないとう』だろう。
店内は、L字型のカウンター席と、お座敷、そして奥に半個室のような部屋がある。大将は、いかにも美味しいお料理を作りそうな体型と顔立ち。お料理を作る姿は真剣だけど、お客さんのことを一番に考え、細やかな気を配っているのがわかる。
大将と一緒にお料理を作っているかわいい女性がいるのだけど、この女性も、とても穏やかでやさしい笑顔とともにお料理を運んでくれる。主にサービスをする女性店員ふたりも、とてもやさしく、このお店を愛しているのが伝わってくる。
僕がヒレカツカレーのセットと、KがAセットという洋食のフライのセットにヒレカツを頼んだら、大将が気を効かせて、「ふたりでカツを召し上がるんなら、分けられるようにカレーの方はロースにしましょうか?」と聞いてくれて、ロースにしてもらう。カツカレーはロースに限る。ローズの脂身と柔らかさがカレーに絶妙に合うから。カレー自体は、タマネギがしっかりと入った後を引く美味しさだ。
サラダから、前菜があり、メインのお料理があり、ご飯と豚汁、そしてデザートに飲み物がついて2500円くらいというランチのお値段は、京都にしてはもしかしたらちょっと高いのかもしれない。それでも、ここで2500円を払って、あれだけの言葉にできない幸福感を味わうことが出来るのなら、決して高いとは思わない。
お料理を食べ終わって、Kとふたりでお店を後にしながら、またこのお店に帰ってきたいなあとつくづく思える、幸福な料理屋さんだった。
★THEプチレストランないとうhttp://petitrestaurant-naito.com/top.htm

河久

手羽先

鴨ロース

コロッケ

二日目の夜は、もう20年近く通っている木屋町の『河久』へ。
前にもここにあげた『河久』は、京都の割烹料理でありながら、洋食を取り入れたお料理を楽しめる。京都で数日過ごしていると、日本料理にも飽きて来て、無性に洋食が食べたくなるのだ。
『河久』はもともと仕出し屋さんなので、お茶屋さんなどに仕出しを届けたり、冷めても美味しいお料理は、お弁当もとても美味しい。
大将はもう77歳。とてもハンサムな人で、大のビール好き。昔は話しながら大笑いして、ビールをガバガバ飲んでいたのだけど、このごろは飲むビールの量もずいぶん少なくなったかもしれない。奥さんもとてもやさしい方だったのだけど、足を悪くされてからはあまり店に出てこないようになってしまった。今は息子さんが後を継いで、かわいい奥さんが昼間はお店に出て切り盛りしている。
ここで必ず食べるものは、『手羽先』。この手羽先で御殿が建ったと言って、大将は店のことを自ら『手羽先御殿』と言って笑っている。塩味のシンプルな手羽先は、当時、手羽先などスープを取る以外に使われなかった食材を、大将がオリンピックの手伝いで海外に行った時に、インド人の調理を見て思いついたそうだ。
胡麻和えも、鴨ロースも、グジの塩焼きも、何を頼んでも美味しい。
この店で、決まったコースではなく、気ままに食べたい物を思いつくままに頼みながら、お酒を飲んで大将や若大将と世間話をしていると、本当に幸福だなあ・・・としみじみ思う。
いつまで大将のビールを飲む姿が見られるかはわからないのだけど、年老いた大将を見ながら、またここで、一緒に楽しい酒を飲みたいなあ・・・と思ったのだった。
★河久http://www.kawahisa.com