そばで寄り添い、支えてくれるもの。

そろそろやめよう…と思っているFacebookを、このところ、珍しく毎日覗いている。
それは、今年の初めにいくつかの癌が見つかった友人(お守りを送ったことをこのブログに書いた友人)Hが、手術に向かう日々をほぼ毎日アップしているからだ。
Hのために何もできない自分は、Hの様子を見続けながら、手術が成功してほしい、なんとかよくなってほしい、という気持ちでいる。
そしていつの日からか、彼のFacebookの様子を、僕はKにもコピペして送るようになった。時々、Kに送るのを忘れていると、KからLINEが入ることがある。
「Hさん、どうしてるかな?何か書いてなかった?」
KはHには会ったこともないのに、彼のFacebookを読み込んでいるので、今では僕よりもHの状態に精通している。
手術前は様々な友人がHをお見舞いに訪れていて、僕もHが友人たちに恵まれていて本当によかったなあと思っていたのだけど、先日、手術が終わった直後に、Hが身体の傷を写した写真は痛々しかった。(自分が手術をした直後で大変な時に、Facebookによくあげることが出来るなあ…と思ったのだ)
でも、今まで明るく強がっていたHは、手術後に恋人のTkに会って、何か大きな温かいものに包まれて安心しているように見えた。
「Tkは一番。」
その安心感は、そんな言葉に集約されていたのだ。
愛とは、なんと強く、揺るぎのないものであろうか。

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