呼吸の話(その2)

僕たちは朝起きてから夜寝るまで、必要以上の情報を自ら取り入れ、自分の意識(正確に言うと潜在意識)を汚していると言う。
インターネットは便利だけど、友人や知らない人の沢山のつぶやきを必要以上に気にしたり、世界中のニュースに目を通したり、芸能人の浮気話を読んだりすることが、果たして必要なことなのだろうか?と今は思っている。そんなこともあり、僕自身はSNSから少しずつ遠ざかりつつある。
僕がはじめた呼吸のレッスンは、へその下に意識を下ろして、集中してお腹で吐くことで、自分の中の潜在意識を、もう一度きれいな状態に持ってゆくように働きかけるということ。
「一生懸命やらないでください。頑張らないでください」呼吸の先生はそう言った。
ほとんどの人は、胸で息を吸い込んで、吐くという動作を繰り返していると言う。現代人の呼吸はとても浅いらしい。先生の教える呼吸は、腹の下で吐いてから、自然に任せれば息は入って来るというもの。あくまでも吐くことに重きを置いている。
初めての回は、一生懸命息を吐きすぎてしまい、滑らかで自然な呼吸がなかなか出来ずにいた。先生は、「今までの半分の量を吐くようにしてください」と言った。先生の言われた通りにやると、つっかえずに呼吸をすることが出来た。一回目のレッスンで一番難しかったことは、意識をへその下(所謂、武士が切腹する所)に持ってゆくこと。頭で考えがちな僕は、意識もなかなか下まで持ってゆくことが出来ずにいた。
2回目のレッスンでも、1/2の呼吸を心がけた。意識はへその下に。吐いて。自然に息が入って来るから、それをまた吐く。2回目のレッスンでは不思議なことが起きた。半分寝ているような状態が何度も続いたのだ。それは思いのほか気持ちよく、意識は半分ありながら、頭の中は真っ白な状態というか・・・。
レッスンが終わってからも、不思議な状態は少し続いていた。次回までに、自分でも何回かやってみて、より気持ちのよい呼吸が出来るようになりたい。
つづく
★呼吸の話(その1)http://jingumae.petit.cc/banana/1689275

ガンジーの言葉。

「すべてを運命のせいだと諦めてはいけない。これまでの努力を無駄にしないためにも」 マハトマ・ガンジー
クライアントからの帰り道、タクシーに乗ったら書いてあった言葉。
僕は内心、「もう、なるようになってくれ!」と思っていたのだけど、「ガンジーさんに言われては、諦めるわけにはいかないかな…」と思い、一緒にこの仕事をやっている、既に諦めかけている後輩Iにこの言葉をメールした。
Iからは、数時間後にメッセージが来た。
「ありがとうございます。心折れそうになっていたところ、Tさんからいただいたガンジーの言葉でもうひと頑張りしようという気になりました。少しでもいい結果になることを祈りましょう」
もうひと頑張り、もうひと頑張りと自分に言い聞かせて2年くらいやって来たけど、なかなか思うようにいい展開にならずにいる状況の中で、すべてを他者や運命のせいにすることは簡単なことだ。
僕は、基本的には、目の前の現実は自分が作り出していると考えている。目の前の現実に対して、どう向き合ってゆくかが、少し先の展開を生み出してゆくと。
ガンジーは許してはくれないかもしれないけど、諦めずに頑張ったところで、それでもうまく行かない時もある。でも、最後まで諦めずにやったということで、自分に対する肯定感を持つことができる。
周りを騙すことが出来たとしても、自分の心の奥深くは騙すことは出来ない。自分に対して肯定する気持ちを抱くことが出来れば、やがてまた立ち上がることも出来るだろう。

セックスという贈りもの。

バーで飲んでいると、思いがけず昔話になることがある。
Bridgeで飲んでいて(また!)、昔を思い出して話していたことは、「まだ10代だった頃、やりたい気持ちはあっても、いざ、ホテルに行ってやってみると、なんだかあまりよくなくて、相手が寝ている間に、書き置きを残して帰ってしまうなんてことがしょっちゅうあった・・・」ということ。これには、マスターも激しく同意していた・・・二人とも、なんて嫌なやつなんだろうか?(笑)。
僕は14歳でデビューしたのだけど、10代、20代の頃は特に、相手の匂いや触感や唾液ややり方・・・何かが気になると、なんとも言えない違和感を覚えて、セックス自体をあまり楽しむことが出来なかった。そして、毎回、『変な罪悪感』みたいなものを感じてホテルを後にして、もうその人とは連絡を取らなくなってしまう・・・というようなことを繰り返していた。
「このまま僕は、誰とも気持ちのいいセックスなんて出来ないのではないだろうか・・・?」というのが、僕の若い頃の深刻な悩みだった気がする。
そして、はじめて、「この人とならつきあえそうだな・・・」と感じたのは、キスをした時に、その人の匂いや味が全然何にもしなかった時だ。
それをなんと表現したらいいのか分からないけど、直感的に、「あ、もしかしたらこの人となら、ずっと一緒にいられるかも・・・」と思ったのを覚えている。手を握った時にしっくりくる感じや、身体を抱いた時にしっくりくる感じとでも言うだろうか。
若い頃は、苦手だったセックスが、今では心の底から『生きている!』という実感として感じることがたまにある(かといって、そんなにセックス狂ではありません)。
そしてふと考える。性欲は、いったいいつまであるのだろうか?
自分の身体はいつまでセックスを楽しむことができるのだろうか?
神様は、なんで人間に、こんなに甘美な贈りものを与えたのだろうか?と。

自由。

週末は、月曜朝一の大きなプレゼンのアイデアを考えるために、土日とも仕事をしていた。日曜日、15:30頃にはだいたい方向性が見えたので、台湾から来ているOに会った。
原宿から青山をひとしきり歩き、表参道のル・ブルターニュhttp://s.tabelog.com/tokyo/A1306/A130602/13001968/ へ。シードルと、チョコレートのクレープをいただいた。
Oは32歳。早口の英語で様々な話をしてくる。北京で暮らす決心をしたけど、北京がいかに退屈かとか、つきあって3年になる恋人との間のセックスをどうしたらいいかとか…
その後、話題は同性婚の話になった。台湾ではまだ、同性婚は法律では認められていないため、Oは恋人と、数年後にスペインに家を買う計画をしている。そしてスペインで結婚式をあげるそうだ。
台湾の人やアジアの人たちは、僕たち日本人に比べて、なんて自由なんだろうかと思うことがある。
たいていの日本人は、生涯日本で安穏と暮らすこと以外、あまり考えないのではないだろうか?
一度きりの人生、自分が自由で幸せになるためならば、彼らは居住先にあまり固執しない。世界中が彼らの暮らすことの出来る国であり、どこに住んでも構わないと思っているようだ。
「スペインに家を買ったら、Tも遊びに来てね!」と言いながら、九月には、恋人のいる北京に引っ越すOは、「北京は退屈だから、遊びに来て欲しい。どこでも車で案内するから」と言って笑っていた。
今の僕にとって、自由ほど憧れるものはない。
どこかに、石油王とかいないだろうか…

焼きなす。

秋でなくても、夏のなすは美味しい。
油で炒めても、揚げても、漬け物にしても美味しいけど、中でも僕が好きなのは、焼きなすだ。
水なすなどは、生でパルミジャーノやモッツァレラと食べると美味しいけど、どんななすでも美味しいのは、焼きなすではないだろうか?
固かったなすの実は、焼くことによってまるで別の食べもののような甘みを含んだ翡翠色の食べものに変化する。焼けたなすの匂いもたまらない。焼きなすに日本酒があれば幸せだ。
★焼きなす
1.ヘタを落としたなすを、魚焼きグリルなどで回りが黒くなるまで焼く。
2.焼けたら(決して水につけず)、丁寧に皮を剥き、食べやすい大きさに切る。
3. 10:1:1(出汁300:薄口醤油30:酒かみりん30)を温めて、そこに漬ける。(僕は酒だけど、普通は甘みを好むのでみりん)
4.生姜を擦って天盛りに。

不思議な夜。

台湾から、弟のようなOがやって来た。
大阪から入って、京都や奈良を回って、やっと東京入りしたようだ。なんで、そんなに長い休みを取れるのかと思ったら、どうやら4年勤めていた日本の大手一流企業を、あっさりと退職したという。
Oには、つきあって3年になる台湾人の恋人がいて、彼は昨年から北京勤務になってしまい、Oは、彼の元に行って暮らす道を選んだようだ。
台湾大学を出て、超一流企業に勤めたキャリアを生かして、北京での再就職に向けて動いていると言う。台湾では、何度か転職する人が多く、転職することで自分のキャリアアップをしてゆく人がほとんどだそうだ。それはアメリカに近く、日本のような状況は、寧ろ特殊なのかもしれない。
このOをはじめ、チャイニーズアメリカンのDが、台北から一時帰国していたり、同じくチャイニーズアメリカンのEが、来日していたり、昨夜のBridgeは、まるでアジアのどこかの国にいるように、外国人で溢れかえっていた。
不思議なことは、Oにいつか、僕が台北に行った時にDを紹介しようとずっと思っていたのだけど、いきなり今だ!と思うタイミングが現れたこと。これは、Stanford を出ているDと、台湾大学のOは、賢くしたたかな生き方からして、科学反応するに違いないと思っていたから。
その他にも、仕事で台湾の相談を受けていた友人などもいて、まるで神様が僕の思惑を見通しているかのように人と人が偶然に出会うことによって、紹介することが出来た。
こんな夜が、たまにある。宇宙のマジックが働いているように感じる夜。
遠くから神様が、この世界には、偶然などないのだと言うように、僕にウインクしているような夜。

夏のベランダ。

レモンバーベナの花

今週は、梅雨空のような毎日が続いている。
火曜日に、隣のおばあさんが朝から洗濯をしていたので、つられて僕も洗濯をしたら、ゲリラ豪雨にやられてしまった(きっとおばあさんは、すぐに洗濯物を入れたのだろう)。
夏の僕のベランダは、返り咲きをしているバラが少しと、1年中咲いてくれる真っ赤なゼラニウムがあるだけで、他にほとんど花らしい花はない。どちらかというと、伸びてゆく様々な植物の美しい緑の葉を、眺めているのが好きだ。
対になったトピアリーの月桂樹は、勢いを増し美しいグリーンの新芽を伸ばしている。この時期の月桂樹の深いグリーンを眺めていると、太古の昔からギリシアやイタリアにおいて、勝利の冠にされて来たのは、この再生力や力強い美しい緑の色のためなのかと考えたりする。
ローズマリー、モーツアルトブルーも、暑さのせいか勢いを増している。洗濯をする時に身体に触れると、なんともいえない清々しい匂いが立ち上がる。冬に咲く花は、ローズマリーの種類の中でも最も美しい深い青色をたたえる。
ツルバラたちも、シュートとも呼ばれる長い新芽をぐんぐん延ばしてゆく。そのシュートを水平に固定すると、小さな枝がどんどん上向きに顔を出し伸びてゆく。ここに来年の美しいバラの花々が咲き誇ることを想像させてくれる。
所々に植えた朝顔たちは、毎日驚くほどつるを延ばしてゆく。毎朝起きて、それぞれを僕の狙い通りの方向に行くように、枝に沿わせるのが日課だ。西洋朝顔がほとんどなので、咲き出すのは遅く、夏の終わりを感じ始めた頃だろうか。
夏の時期の、ほぼ毎日の水やりは、園芸家にとっては一番きつい作業かもしれない。それぞれの植物に適度に水をやり、手入れをする頃には汗だくになっている。
先日このブログにもあげた、レモンバーベナの花が咲き始めたので、いけてみた。葉や枝に触れるだけで、なんともいえないレモンの涼やかな香りが広がるこの植物は、絶対に手放したくないと思う。
ここにこの匂いを添付して、みなさんにお届け出来たらと思うのだけど・・・。
こんな小さなベランダでも、毎朝こうして眺めているだけで、どれだけ癒され、生きてゆく力を与えてもらっているだろうか。

ブラジルの水彩画。

明日は大事なプレゼンが控えているので、朝10時から企画を持ち寄り打ち合わせをするはずが、入社以来一緒に働いて来た後輩のIから、プライベートのスマホに夜中にメールが来た。
「体調と精神的にも調子が悪いので、明日の朝の打ち合わせ。行けないかもしれません」
僕は、困ったなぁと思いながらも、それでも、こんなメールを夜中に送ってくるのは、よほどのことなのだろうと思い、「大丈夫だよ。ゆっくり休んでください。朝は僕がまとめておくから、夕方打ち合わせをしよう」と送った。
僕も、今回の案件では、ほとほと疲れていて、その日もほぼ眠れずに考えて朝を迎えた。タクシーで会社に行き、一人でアイデアをまとめていると、Iからメールが入った。
「今朝はありがとうございました。おかげさまで、だいぶんよくなりました。夕方、プレゼンが終わったら、ご連絡します」
心は毎瞬、膨らんだり、しぼんだりを繰り返している。目の前で何か出来事が起こると、それをどう捉えるかによって、自分の心も反応するものだ。高揚して胸がはじけそうな時もあるし、時には傷つくこともある。
Iが、疲れて挫けそうになったように、僕だって挫けそうになることもある。この世界には、完璧な人などいないのだ。
夕方の打ち合わせは、物凄いスピードで片付いて行った。僕も頭が冴えて来たし、Iも冷静になって論理性を取り戻し、新しい提案へとつなげることが出来た。
「こうしなければならない」とか、「こうであらねばならない」などの暗黙の社会人としての掟など関係ないのではないだろうか。他の人と比べる必要もない。我々は生身の人間なのだ。
疲れている日の朝は、大好きな『ブラジルの水彩画 Aquarela do Brasil – João Gilberto, Caetano Veloso e Gilberto Gil http://www.youtube.com/watch?v=-ID-7RyRAHQ』を聴いて出かける。実際の水彩画のことではなく、ブラジルの魅力を唄ったこの曲は様々な人がカバーしているけど、僕はこのバージョンが一番好きだ。
この曲を聴きながら、まだ訪れたことのないブラジルのことを思う。
世界は広い。目の前の問題は、実はそんなに大きなことではないのではないかと思うことが出来たら、その日もなんとかなる。

バーニー みんなが愛した殺人者

思いのほかよく出来ていて、映画としてとても面白かった『バーニー みんなが愛した殺人者』。久しぶりに、シャーリー・マクレーンの姿を観れたのもよかった。
96年にテキサスの田舎町で起こった殺人事件を、実際に本人たちを知る住民へのインタビューを交えて映画化した作品。
葬儀屋に務める39歳の“町一番の人気者バーニー”が、81歳の“町一番の嫌われ婆さん”を殺害した事件の一部始終を描いている。
この、みんなに愛されているバーニー。オペラやミュージカルが好きで、飛行機のファーストクラスで贅沢三昧。裁縫が趣味とくれば、どこからどう見ても、1000%ゲイだ。
みんなに愛されるバーニーが、見事な演技だったので圧倒された。シャーリー・マクレーンは、表情に人間のやさしさみたいなものが滲み出てしまうので、もしかしたら他の女優でもよかったかもしれない。
殺人までしたバーニーを、町中の人が必死で救おうとしていたという現実が凄いし、我々も、いつの間にか救われるのではないかと思い始めてしまう演出が凄い。はじめから終わりまで、目が放せなくて、適度にコミカルで笑えるし、思う存分楽しめるとてもよく出来ている映画だ。
★バーニー みんなが愛した殺人者http://bernie-movie.com/

ライフライン。

スマホがいつのまにか、ライフラインになってしまったようだ。電気、水道、ガス、スマホ・・・それは、生きるためになくてはならないもの。
日曜日にKと一緒に車で、映画「風立ちぬ」を観に行って、一度帰ってからバスで晩ご飯を食べに出かけたのだけど、レストランでKが、「急がせるから、ケイタイを家に忘れたみたい」と言っていた。
家に帰って、ケイタイを置いていた所を見ても見当たらず、なくしてしまったことに気づいた。K曰く、「パンツのポケットが浅いから、どこかで落としてしまったんだと思う」。
家からレストランまでの道程を思い返してみても、道で落としたかバスで落としたか、レストランかになるのだけど、時間が遅いのでバス会社もやっていないし、レストランも閉まってしまった。確認しようにも、明日の朝からしか出来ない。おまけにKは、確認する電話をかけるにも、家の電話は持っていなかった。
ケイタイをなくしてしまったことが分かって、Kは急に元気をなくした。
僕は、「明日出て来るよ。大丈夫。万が一なくしたって、また、新しいの買えばいいじゃん。ケイタイなんて大したものじゃないよ。」と言ったのだけど、そこのところも、Kの考えとは違っていたみたい・・・。
僕も、落とし物や、なくしものはあまりしないと思うのだけど、本当にたまに、驚くような物をあっさりとなくしてしまうことがある。
家の鍵はしょっちゅうどこかに行ってしまうし、ニューヨークの空港でチェックインしようとしたら、パスポートがなかった(なぜか、トランクの中のPLAY BILLの中に挟まっていた)とか。ソウルの空港でチェックインしようとしたら、しばらくパスポートを見ていないことに気づいた(ホテルのセキュリティーボックスに置いたままだった)とか。ニューヨークのBroadway Baresという巨大なパーティーにいざ入ろうとしたら、プレミアムチケットを自分だけ持っていないとに気づいて、みんなと一緒に道に落としたのではないかと真っ暗な中探し回った(結局ポケットに入っていた)こととか・・・。あれ?あんまり、たまにではないみたい・・・笑
Kは、僕と違って、ほとんどなくしものなどしないのだろう。だから、いざ、なくしものをした時に、ほとんど硬直して機能しなくなってしまう。
その日は、もうしょうがないから寝て、月曜の早朝に、僕が自分のアドレスを書き残し、バス停まで送ってもらって別れたのだけど、会社で会議をしていたら、非通知でKから電話が入った。「Tさん!ケイタイがやっぱりバスの中にありました!仕事が終わったら、取りに行って来ます!」
夕方、家に帰ったKからメッセージが届いた。「せっかく楽しい週末だったのに、昨日はごめんなさい」。
遠く離れた僕たちを、スマホがつないでいる。