母の小包。

午後になって母から電話があり、野菜を送ったとのこと。千葉県からの宅配便は、その日のうちの届くので最近は驚いてしまう。

小包の中には、ミョウガとピーマン、ナス、その上には手作りのマスクがいくつも入っていた。

不思議な柄ばかりのマスク

先日、Kを連れて母の家に遊びに行った時に、母からもらった手製のマスクをしていたので、母は嬉しかったのかもしれない。目が老眼でなかなか見えにくいだろうに、ざっくりと縫ってこんなにマスクを作ってくれたのだ。

K「お母さん、こんなにたくさんマスク作ったんだね・・・」

僕「つけきれないくらいあるね」

お金では買えないものを、母はいつも届けてくれる。

愛するものを失った時に。

松本の器屋さん「陶片木」を訪れた際に、またあの猫に会えるかと思っていたのだけど、猫は残念ながら他界していた。

店員さんに猫に会えなくて残念だと伝えると、店の入り口にありし日の猫の写真があるから見て行ってくださいと言われて眺めた後、店を後にした。

ホテルに着いて、購入した器などを開けると、器とともに手紙が添えられていた。

『死はいつか必ず訪れる。
だから、誰かを愛することは、
耐えがたい悲しみを育むことでもある。』

誰か、何かを愛することがなければ、それを失うというとてつもない喪失感を味わわずに済むのだろう。

それはわかっていても、誰かを愛し、それを失った時に途方に暮れるのだ。

昔、犬を飼っていて老衰で亡くした時に、心が砕けてしまうかと思ったのを覚えている。

今回また、僕とKで犬を飼おうと話しているのだけど、その悲しみがいつかやってくることはわかっていながら、それでも犬と一緒に暮らし、愛する日々を選択しようと思っているのだ。

たとえ大切な家族を失ってしまったとしても、彼らを愛した日々は、決して失われるものではないのだから。

母の手術。

母と別の件で電話で話しをしていたら、明日歯茎の手術をするという。

歯茎を切開して、中に注射をするらしい。

僕は心配になり、手術をした日に電話をした。母はもしかしたら話もできないかもと思ったけど、麻酔が切れても痛みはなく、大丈夫だと言っていたのでほっとしたのだった。

でも、年をとった母が手術をするというのは、たとえ歯茎であっても胸の痛むもの。

できるならば自分が代わってあげたいと思う。

そんな風に母は僕と兄のことを、ずーっと見守ってきたに違いないと思うのだ。

コピーライターの誇り。

クライアントでのプレゼンの前日、僕とコピーライターGと営業Yの3人でテレカンをしていたのだけど、そこでコピーライターが訥々と話し出した。

G「あの・・・、Yさんがクライアントとのメールのやりとりで、私の書いたコピーを『たたき台』にして明日みんなで話し合いましょうと書いていたのですけど、これってとても失礼だと思うんです」

G「私のコピーは、たたき台ではないし、たたき台を見せられるクライアントもかわいそう。それを愛知アンする私たちってなんなんですか?あなたは私たちのこの仕事自体を貶めているんですよ」

G「私これでも、もう30年以上コピーライターを続けているんです。コピーには私なりにきちんと向き合い自信を持っています。それをあなたのような人にたたき台呼ばわりされたくないです」

営業はひたすら平謝りで、コピーライターはそれでも怒りを抑えることはな買ったのだけど、僕が間に入って、「もっと僕たちの仕事に敬意を払ってください」と伝えた。

どんなに小さな仕事でも、それに誇りを持てることは素晴らしいことだ。残り少ない仕事人生だけど、僕も一つひとつ丁寧に仕事をしていこうと心新たにしたのだった。

ところてん。


僕がこのところ忙しく、今日は一日中外に出っ放しになり帰りも遅めになりそうだった。

Kは午前中で仕事が終わるようで、晩ごはんの準備をしてくれると言うので、楽しみに帰ってきた。

昨日僕が買って置いた鶏肉を、塩麹につけたものと、鶏モモ肉をグリルで焼いたもの、そしてところてん。

ところてんは、前にKのお母さんが送ってくれた天草を、僕がなかなか作らないこともあり、痺れを切らしたKがお母さんに電話をかけながら作り方を聞いて作ったという。

仕事をして家に帰ってきて、晩ごはんが準備してあるって、なんて幸せなことだろうか?

塩麹に漬けた鶏肉は、若干皮が焦げ付いてしまったけど、そんな何もかもを楽しみながら、Kに用意してもらった晩ごはんを感謝していただいた。

こんな暮らしが、いつまでも続いて欲しいと思ったのだ。

母の小包。


僕が茗荷が好きなことを思ってか、畑で取れた茗荷を、母が先々週たくさん送ってくれた。

そして今週、また母から電話があり茗荷の入った小さな小包が届いた。

茗荷はこの時期、畑の至るところでどんどん成長して来るようで、取っても取っても生えてくるのだそうだ。

茗荷に混じって、ピーマンやきゅうり、母が漬けた綺麗な色の茄子やきゅうりの漬物も混じっていた。

時々、庭のハーブ類がビニール袋に入れて入っていることもある。僕がハーブが好きなのを知っていて、家に飾ると思っているのだ。

宅配便を送る日と、到着した日に母から電話が来る。ちゃんと僕が受け取ったか知って安心したいのだろう。

今は特に時間があるからだろうけれども、母はこうやって、いつも僕のことを気にかけてきたのだと思う。

こうして小さな小包をもらってやり取りできる幸せも、永遠には続かないことを思うと、今のありがたさを噛み締めておかなければと思うのだ。

僕の引越しと母の思い。その2

千葉にいる母にとって、東京で暮らす僕がさらに反対側の静岡県に引っ越すことを聞き、急に寂しさを感じているという話はここに書いた。

その後も母が気にかかり、電話をしてみた。

僕「お母さん、熱海に引っ越す話だけどね…今度引っ越す家は少し広いから、お母さんたちがいつでも泊まっていけるような部屋をちゃんと用意するからね…

いつでも来たい時に来て、いたいだけいればいいからね」

母「私が寂しいなんて言うから、あなたに気を遣わせちゃったわね…大丈夫よ。年をとると寂しくなるのよ。おばあちゃんもよく私に言ってたんだけど、それと同じね。

あなたは私たちのことなんか気にせずに、好きなところに住みなさいね」

中学生の時以来、母は父と別居をして、僕は母と、兄は父と暮らしていた。

それからずっと母は僕とふたりだけの生活を続けて、中学、高校、そして僕が大学を出て就職してもしばらく僕と母はふたりだけで暮らしていたのだ。

その僕が29歳の時に、はじめて年上の恋人が出来て家を出ることになった時にも、母は同じように寂しさを口にした。

母は働きながら僕を育てることで、独り身の寂しさを紛らわし、日々過ごしていたのだろう。そんな僕が急に母のもとを離れることを知り、言いようのない寂しさを感じたのだと思う。

でも今思えば、それが母にとっては転機となり、やがて母は現在の夫と知り合い、再婚することになったのだった。

千葉と静岡でたとえ距離は離れていても、いつも気にかけていれば大丈夫だろう。母が健康な今しか、こんなことは出来ないかもしれないと思えたのだった。

僕の引っ越しと母の思い。

熱海への引っ越しを考えはじめてから、もう数軒家を内見に行った。

そんな中で、「ここに住むのもいいかもしれない」と思うような物件にも出会った。

東京を離れることが現実味を持ちはじめた今、千葉で暮らす今年80歳になる母に、引っ越しすることを早めに言わなければという思いから、電話をかけると、

「あら、熱海いいわね。あなたが小さい頃夏によく行ったわね…」

軽く了承したような声だったけど、その後1時間もしないうちに電話が鳴った。

「やっぱり、熱海は遠いから…
お母さんなんだか寂しいわ…
お父さんにはまだ言えないわね…
なんというか分からないし…」

電話を切って、僕も母のことを考えた。

「母の身に何かあった時は、どれくらいの時間で駆け付けられるだろうか?」

「父と母のどちらかが病院や介護施設に入ってしまったら、どれくらいの頻度でそこへ行けるだろうか?」

新しい環境に移る時には、良いことも、不安なこともある。頭の中にぐるぐると色々なことが浮かんだ

でも冷静に考えてみると、熱海から東京駅まではおよそ45分だから、時間にすると今住んでいる渋谷区からとそれほど変わらないのだ。

そう思ってもう一度母に電話をかける。

それでも母の声は、やはり少し寂しそうだった。

期待。

随分長い間、人生の色々な局面において、期待し続けてきた。

「いい学校に進学できますように」

「いい会社に入れますように」

「あの人が好きだから、向こうも自分を好きになってくれますように」

「いい仕事が回ってきますように」

「受賞できますように」

若い頃はとかく、人や物事に期待をするものだ。
自分の思ったように人生が進むことが、一番の幸福だと思っているから。

でも、51歳の僕は、「期待してもいいけど、そうならなくてもいいかも・・・」くらいには思えるようになってきた。

あまり自分の期待が強く大きすぎると、期待通りにいかなかった場合の落胆や傷も深くなるものだ。

でも、たとえ自分の望むようにいかなかったとしても、人生にはその先がきちんと用意されていることがわかるようになった。

最初に望んでいたものが手に入らなかったとしても、紆余曲折して体験したことは自分には貴重な経験になったり、その果てに手に入れたものが、実はしっくりとくるなんてことがあるのが人生。

そう思えると、期待が裏切られた時も、前を向いて飄々と生きていける。

父のお墓参り。

7月10日は、父の誕生日であり命日。父が他界してから12年が経ったようだ。

早朝から墓参りに行き、花を添え、手を合わせた。

父が亡くなってから慌しさにかまけて、父の遺品を整理することもなく、写真や書類をざっくりと袋に入れたまましまっておいたものを、このところ家にばかりいて時間があるので、先日取り出して見てみた。

父の写真や手帳、手紙、何かの新聞に文章を載せたもの。

それからなぜか、僕が小学生の時の通信簿や小学生の頃に書いた作文や絵などが入っていた。

父は、僕が小学生までは一緒に暮していたのだけど、両親の不仲があり僕は母と一緒に家を離れたのだった。

僕の小学生時代の色々なものを大切にとっておいてくれたのは、父らしいと思う。

小学生の頃の通信簿をKが見つけて、興味深そうに見ていたのだけど、突然大笑いするので何かと聞くと、いくつもの通信簿に、

「私語がとても多いので慎むように。私語が多く賑やかすぎる。授業中も友達との会話が止まらない。」

などと、僕がおしゃべりだったことばかりが書かれていたのだ。

墓前で手を合わせ、父に話しかける。

51歳の頃、父はどんな人生だったのだろうか?

父が死ぬまでに、僕は自分がゲイであることを、直接打ち明けることはできなかったのだけど、今はお墓の前でKのことを話して聞かせる。

父に聞いても、もう父の返事は返ってくることはない。

幽霊でもなんでもいいから、もう一度やさしい父に会いたいと思う。