ハンドクリーム。

朝ごはんも昼ごはんも夕ご飯作る僕は、洗い物もその都度するのでお湯を使う。

お湯は手の油分を奪い去ってしまうようで、乾燥している冬場はどうしても手が荒れてカサカサになってしまうものだ。

僕はそんなことはあまり気にせず外で庭の手入れや家事をしていて、ついついハンドクリームもつけるのを忘れてしまう。

夜、Kが先にお風呂に入って、その後僕がお風呂に入って、Kの待つ布団に潜り込む。

するとすかさずKがハンドクリームを自分の手に出し、僕の手を摑んで塗ってくれる。

そんな時に、Kのこんなやさしさが好きなのだと思う。

裂けたパジャマ。

僕たちは、8枚くらいのパジャマを毎日洗濯しながら順番に着ている。

それでもお気に入りのリネンのパジャマは何年も着ているとさすがに弱ってくるようで、僕のベージュのパジャマの背中が少し裂けてしまっていたようだ。

僕はそのパジャマを役目が終えたので捨てようと思っていたところ、昼御飯が終わってKが裁縫道具を取り出して縫い始めた。

途中僕に1回針に糸を通してくれと言うのでて通したけど、しばらく真剣に縫っていたかと思ったら、少ししたら裂けた部分を綺麗に取り繕いパジャマが元に戻った。

僕は、「破れた服はすぐに捨てて買い換えればいいや」という性格なのだけど、僕とは真逆で何事にも慎重で倹約家のKは、こんな風に地道に縫ってくれる。

そんなKの質素な暮らし方が、僕はとても好きだ。

暖房のない暮らし。

熱海の家は、もともと冷暖房の付いていない日本家屋で平屋の一軒家。

部屋が3つあるのだけど、リビングだけは暖房をつけてもらい、他の2部屋は今の所電気の工事が終わっていないため冷暖房がついていない。

日本家屋で暮らしたことのある人ならわかると思うけど、障子や襖という紙と木でできた家の中は、隙間風が通ったりして寒いものだ。

毎日、リビングでKと一緒にヌクヌクと寛いだあとは、風呂に入って寝室に向かう。寝室はこの時期、すでに寒くなっていて、二人で、「寒いねー。寒いねー」と言いながらベッドの中に潜り込む。

でも不思議なことに、ベッドの中はあっという間に温かくなってくる。二人の体温がみるみるうちに羽毛布団の中に溜まり、このまま布団の中から出たくないとさえ思う。布団から出ている顔はひんやりと寒いのに、布団の中は驚くほどあったかい。

でも、もしこれが一人だったら、きっとこんなに早く温まることはないのだと思う。二人の体温は、1人×2ではなくて、1人×4くらいの温かさがあると思うのだ。

そして朝起きた時も、隣にKの温もりを湯たんぽのように感じながら、「なんて幸せなんだろう・・・」と思うのだ。

母の小包。

午後になって母から電話があり、野菜を送ったとのこと。千葉県からの宅配便は、その日のうちの届くので最近は驚いてしまう。

小包の中には、ミョウガとピーマン、ナス、その上には手作りのマスクがいくつも入っていた。

不思議な柄ばかりのマスク

先日、Kを連れて母の家に遊びに行った時に、母からもらった手製のマスクをしていたので、母は嬉しかったのかもしれない。目が老眼でなかなか見えにくいだろうに、ざっくりと縫ってこんなにマスクを作ってくれたのだ。

K「お母さん、こんなにたくさんマスク作ったんだね・・・」

僕「つけきれないくらいあるね」

お金では買えないものを、母はいつも届けてくれる。

愛するものを失った時に。

松本の器屋さん「陶片木」を訪れた際に、またあの猫に会えるかと思っていたのだけど、猫は残念ながら他界していた。

店員さんに猫に会えなくて残念だと伝えると、店の入り口にありし日の猫の写真があるから見て行ってくださいと言われて眺めた後、店を後にした。

ホテルに着いて、購入した器などを開けると、器とともに手紙が添えられていた。

『死はいつか必ず訪れる。
だから、誰かを愛することは、
耐えがたい悲しみを育むことでもある。』

誰か、何かを愛することがなければ、それを失うというとてつもない喪失感を味わわずに済むのだろう。

それはわかっていても、誰かを愛し、それを失った時に途方に暮れるのだ。

昔、犬を飼っていて老衰で亡くした時に、心が砕けてしまうかと思ったのを覚えている。

今回また、僕とKで犬を飼おうと話しているのだけど、その悲しみがいつかやってくることはわかっていながら、それでも犬と一緒に暮らし、愛する日々を選択しようと思っているのだ。

たとえ大切な家族を失ってしまったとしても、彼らを愛した日々は、決して失われるものではないのだから。

母の手術。

母と別の件で電話で話しをしていたら、明日歯茎の手術をするという。

歯茎を切開して、中に注射をするらしい。

僕は心配になり、手術をした日に電話をした。母はもしかしたら話もできないかもと思ったけど、麻酔が切れても痛みはなく、大丈夫だと言っていたのでほっとしたのだった。

でも、年をとった母が手術をするというのは、たとえ歯茎であっても胸の痛むもの。

できるならば自分が代わってあげたいと思う。

そんな風に母は僕と兄のことを、ずーっと見守ってきたに違いないと思うのだ。

コピーライターの誇り。

クライアントでのプレゼンの前日、僕とコピーライターGと営業Yの3人でテレカンをしていたのだけど、そこでコピーライターが訥々と話し出した。

G「あの・・・、Yさんがクライアントとのメールのやりとりで、私の書いたコピーを『たたき台』にして明日みんなで話し合いましょうと書いていたのですけど、これってとても失礼だと思うんです」

G「私のコピーは、たたき台ではないし、たたき台を見せられるクライアントもかわいそう。それを愛知アンする私たちってなんなんですか?あなたは私たちのこの仕事自体を貶めているんですよ」

G「私これでも、もう30年以上コピーライターを続けているんです。コピーには私なりにきちんと向き合い自信を持っています。それをあなたのような人にたたき台呼ばわりされたくないです」

営業はひたすら平謝りで、コピーライターはそれでも怒りを抑えることはな買ったのだけど、僕が間に入って、「もっと僕たちの仕事に敬意を払ってください」と伝えた。

どんなに小さな仕事でも、それに誇りを持てることは素晴らしいことだ。残り少ない仕事人生だけど、僕も一つひとつ丁寧に仕事をしていこうと心新たにしたのだった。

ところてん。


僕がこのところ忙しく、今日は一日中外に出っ放しになり帰りも遅めになりそうだった。

Kは午前中で仕事が終わるようで、晩ごはんの準備をしてくれると言うので、楽しみに帰ってきた。

昨日僕が買って置いた鶏肉を、塩麹につけたものと、鶏モモ肉をグリルで焼いたもの、そしてところてん。

ところてんは、前にKのお母さんが送ってくれた天草を、僕がなかなか作らないこともあり、痺れを切らしたKがお母さんに電話をかけながら作り方を聞いて作ったという。

仕事をして家に帰ってきて、晩ごはんが準備してあるって、なんて幸せなことだろうか?

塩麹に漬けた鶏肉は、若干皮が焦げ付いてしまったけど、そんな何もかもを楽しみながら、Kに用意してもらった晩ごはんを感謝していただいた。

こんな暮らしが、いつまでも続いて欲しいと思ったのだ。

母の小包。


僕が茗荷が好きなことを思ってか、畑で取れた茗荷を、母が先々週たくさん送ってくれた。

そして今週、また母から電話があり茗荷の入った小さな小包が届いた。

茗荷はこの時期、畑の至るところでどんどん成長して来るようで、取っても取っても生えてくるのだそうだ。

茗荷に混じって、ピーマンやきゅうり、母が漬けた綺麗な色の茄子やきゅうりの漬物も混じっていた。

時々、庭のハーブ類がビニール袋に入れて入っていることもある。僕がハーブが好きなのを知っていて、家に飾ると思っているのだ。

宅配便を送る日と、到着した日に母から電話が来る。ちゃんと僕が受け取ったか知って安心したいのだろう。

今は特に時間があるからだろうけれども、母はこうやって、いつも僕のことを気にかけてきたのだと思う。

こうして小さな小包をもらってやり取りできる幸せも、永遠には続かないことを思うと、今のありがたさを噛み締めておかなければと思うのだ。

僕の引越しと母の思い。その2

千葉にいる母にとって、東京で暮らす僕がさらに反対側の静岡県に引っ越すことを聞き、急に寂しさを感じているという話はここに書いた。

その後も母が気にかかり、電話をしてみた。

僕「お母さん、熱海に引っ越す話だけどね…今度引っ越す家は少し広いから、お母さんたちがいつでも泊まっていけるような部屋をちゃんと用意するからね…

いつでも来たい時に来て、いたいだけいればいいからね」

母「私が寂しいなんて言うから、あなたに気を遣わせちゃったわね…大丈夫よ。年をとると寂しくなるのよ。おばあちゃんもよく私に言ってたんだけど、それと同じね。

あなたは私たちのことなんか気にせずに、好きなところに住みなさいね」

中学生の時以来、母は父と別居をして、僕は母と、兄は父と暮らしていた。

それからずっと母は僕とふたりだけの生活を続けて、中学、高校、そして僕が大学を出て就職してもしばらく僕と母はふたりだけで暮らしていたのだ。

その僕が29歳の時に、はじめて年上の恋人が出来て家を出ることになった時にも、母は同じように寂しさを口にした。

母は働きながら僕を育てることで、独り身の寂しさを紛らわし、日々過ごしていたのだろう。そんな僕が急に母のもとを離れることを知り、言いようのない寂しさを感じたのだと思う。

でも今思えば、それが母にとっては転機となり、やがて母は現在の夫と知り合い、再婚することになったのだった。

千葉と静岡でたとえ距離は離れていても、いつも気にかけていれば大丈夫だろう。母が健康な今しか、こんなことは出来ないかもしれないと思えたのだった。