家の売主がやって来た。

今日は曇り空だったので、海を連れて家の周りを散歩して帰ってくると、奥の空き地の木をハサミで切っているおばあさんがいた。

近くに行ってみると、僕たちの家を所有していた売主さんで、明日は旧正月だからイヌマキ(槇)を摘みに来たとのこと。

「沖縄は旧正月なので、毎年お供物をする時に家の木や花を切って供えていたんです。家の庭は入れないから、娘の土地の木ならいいと思って切りに来ました」

手には槇の枝が握られていて、そばにあった月桃の葉の抗菌成分の話をしてくれる。

おばあさんは随分前に旦那さんを亡くしていて、息子さんたちも家庭を築き広い家に一人になり町中に引っ越したそうだ。

「これからもまたイヌマキを切りに、ここに来てもいいでしょうか?」
「もちろんです。中の庭にも入って、枝や花を摘んでください」

おばあさんは、この家を建てた時の設計図を大事に持っていて、僕がこの家を譲り受けた時も、旦那さんとの思い出だからとその設計図を手元に置きたがっていた。

僕はそれならばおばあさんが持っていてもいいと思っていたが、不動産屋さんが頑なにそれらを手放させて僕に譲渡しなければならないと説き伏せたのだった。

おばあさんの人生は、まだ亡くなった旦那さんとともにある。

おばあさんが家を手放した淋しさも感じたけど、それ以上にこの家で暮らした楽しかったであろう日々をおばあさんは送ったのだと思えたのだった。

海の不調。

宮古島に来てから、夜寝ていると急に海が外に向かって吠えたり、玄関前で外に行くと言い出したりしてどうしたのかと思っていた。

昨夜は夜中に目覚めるとウンチの臭いがするので家中を探すと、一番遠い部屋に下痢気味のうんちがしてあった。

海は家の中でうんちはしないので、余程下痢でお腹が痛くて家の中を彷徨ったのだと思う。

海はずっと引越しに巻き込まれて、熱海を出てから東京の宿で2泊して、飛行機というストレスにもさらされ、この家に着いた。

今日からここが海の家だよと言ってもわかるはずもなく、未だにこの家に慣れていないのがわかる。

環境が変わると、順応するまでに少し時間がかかる。

血の混じったうんちが、早くいつもの固形のうんちに変わるように、海を早く安心させてあげられるようにと思う。

雨の散歩とタコライス。

午前中に宅配便で送った6個の荷物が届き鍋ややかんが届いたので、やっと温かいお茶を飲むことができた。

宮古島に着いてからはずっと雨が曇りの天気が続いていて、小雨の中を海を連れて散歩に行く。

家の周りはさとうきび畑ばかりで、いったいどこを歩いているのかわからなくなる。

今のところ他の犬に遭うことはなく、農家の人が時々「大きな犬だねえ…ぬいぐるみみたい」と声をかける。

雨の中散歩に出かけると、海の足がドロドロに濡れてしまう。これは熱海ではなかったことだけど、宮古島では畑の土がところどころ流出しているから。

海は嫌がるかもしれないけど、ワンちゃん用のレインブーツを買わないとな…と思う。今のところは毎回毎回散歩のたびに海の足をお風呂場で洗っている。

お昼はタコライスとタコスを買って、しみじみと美味しさを噛み締めた。沖縄はこういう料理がとても美味しい。

Kと海とで宮古島へ。

朝、10:30には羽田空港に行き、海と僕は出発階の表玄関で降りて荷物をカートに乗せ、Kはレンタカーを返却しに行った。

帰ってきたKとカウンターに向かうと、荷物が多すぎて5700円、海の搭乗に6000円支払って無事にチェックイン。

海は3回目の宮古島で、今回はもう帰ることはないのだけど、飛行機に乗るのはやはり嫌いみたいで相当駄々をこねている。

空港に着いて無事に元気な海が出てきた時はほんとうにうれしかった。引越しにともなうストレスも大きかったので心配していたのだ。僕がレンタカーを取りに行き、空港で待たせていたKと海と荷物をピックアップする。

家に着くと、ガス屋さんが来て、浄化槽工事のおじさんが来て、最後に畳屋さんが来てやっと家らしくなった。

がらんとした家に入り、Kと海と3人で、これで本当に宮古島へ引っ越しだのだと実感した。

ウエディングフォト撮影。

お昼を目安に横浜にある「大倉山記念公園」に向かう。

今日は日比谷花壇主催のウエディングフォトをプロのカメラマンに撮影してもらう日。

兄や友人や会社の先輩後輩の結婚式に出ることはあっても、自分の結婚式など今までに想像することもなかったのだけど、僕とKは、いつかこの国で同性婚が認められたら、結婚式や披露宴をやりたいと思っている。

でもその前に、写真だけ撮影しておいてもいいかなと思い友人の紹介で撮影に参加した。

最後には海も一緒に撮影できて、心に残る記念写真になった。

今までは、撮影をする側だったけど、撮影される側はほんとに苦手。恥ずかしかったけど、楽しい経験だったな。

車を有明埠頭に。

朝は5時起きでゴミを捨てて、自動車の中に荷物を詰め込む。

土鍋番長と言われるくらい沢山ある重たい土鍋やストウブの鍋を自動車に運び、観葉植物も詰め込む。割れそうなものやスペースを取りそうな観葉植物は自動車の運搬で一緒に運ぶ算段。

海のクレートも分解して入れて、布団も空いたスペースにぎゅうぎゅうに詰め込んだら、後は全く見えなくなってしまったけどなんとか小さなpoloの中に収まった。

海は僕が抱き抱えながら7時半に熱海を後にして、羽田空港へ向かう。羽田空港ではレンタカーを借りて今度は2台で有明港を目指す。

有明港で無事にpoloを預け渡し、レンタカーに荷物を詰め替えて代々木公園に向かう。

代々木公園で少し海を遊ばせた後にようやく新宿の宿に入ると、ホッとして全身の力が抜けていった。

荷造りと家の明け渡し。

昨日1/24に荷物が運ばれた後に、宮古島で引越し荷物が届くのは2/2だから、10日間くらいは引越し荷物のない状態で過ごすことになる。

10日間を生活するには、最低限必要なもので暮らすしかないので、最後に衣類や食器、最低限の調理器具などを持ち運ぶものと宅配便で送るものに分けて、結局宅配便で送るダンボール箱は6箱くらいになった。

宅配便は宮古島に飛行機で僕たちが着く28日の翌日朝に届くようにして、後は家を引き渡すために鍵を不動産屋さんに渡す。

僕たちはもう一泊この熱海で泊まり、早朝東京に向けて出発することに。

斜め向かいのおばあさんに海を最後に会わせようと連れていくと、おばあさんは海を撫でながら涙を浮かべていた。

たった一年間の交流だったけど、海はこのおばあさんにもとても可愛がってもらったのだ。

毎日毎日引っ越しをめぐるドタバタで、Kも僕も疲れたのか、夜は死んだように眠りについた。

荷物の引越し。

朝5時に起きた僕たちは、まだ片付けられていなかった場所の荷物のまとめを半狂乱になりながら続けた。

ダンボール箱は当初予定していた50箱を越えて60箱近くになっていた。

10時に引越し屋さんが来る頃にはなんとか片付き、下に止まったトラック2台を家から眺めながら、こんなトラックで家の荷物は全部乗り切るだろうかと不安になる。

すると引越し屋さんが、「上から見るとあのトラック小さく見えますけど、前のトラックが4トンワイドロングで後ろが2トンですから大丈夫です」

「普通の4人家族だと4トントラックで十分に入るので…」

心配していた大型家具も60段近い階段を昇り降りしながら5人で運んでゆく。途中休憩を取りながらも3時前には運び込みは終了した。

何もなくなった部屋を見ながら、いよいよ熱海ともお別れだと思う。

Kと海とで過ごした熱海生活は、僕たちにとって忘れることのできない幸福をもたらしてくれた。

今日はリビングに布団を運んで、3人でくっついて寝ることにしよう。

バラを宮古島へ。

引越しの準備は、ほとんどKがやってくれた。

僕と違ってKは几帳面なので、お皿を一つ一つ包んでダンボールに入れる作業もとても細かく分類してくれる。

僕の役目は、本を選別することと、CDを箱に詰めること。それと、最後に熱海の家から持っていく植物を包んでダンボールに詰めること。

宮古島は熱海よりもずっと温暖な気候なので、バラなどの寒冷地を好む植物がちゃんと育ってくれるかどうかはわからないのだけど、このままここに置いていく気にもなれず、ほとんどすべてのバラを運ぶことにした。

一本一本丁寧に掘り上げてビニール袋に入れて紐で縛る。

宮古島での暮らしに、長年育てたバラが少しでも根付いてくれることを願って。

最後に、ライスボールへ。

熱海を去るにあたり、最後にお世話になった海辺のカフェ「ライスボール」に行くことにした。

ライスボールは海がまだ熱海にやってきて外にも出られないような幼い時に通ったカフェで、この店で人間との関わりや犬との接し方を学んだのだ。

お店にはママとアルバイトのおばちゃんがいて、ふたりとも犬が大好きだからお客さんにも犬連れの人が多く、テラス席だけでなく店内にも犬が入れるのもありがたい。

宮古島に引っ越すことを告げると、おばちゃんは少し涙を浮かべて海をハグしてくれた。

「インスタとかやったら、海ちゃんがどうしてるかわかるから、また教えてくださいね」

海はこの店で色々な人に撫でてもらいながら、愛情をたくさんもらったのだった。