LGBTを越えて。

前から「会いましょう」と言われていた年配のYさんと旦那さんのEさん、そして、年上女性のMiさん、会社の後輩でありゲイのMaと食事をした。
YさんやEさんご夫婦、そしてお姉さんのようなMiさんのように、僕やMaなどLGBTの周りには、僕たちのことを受け入れてくれて、セクシャリティーに関わりなく親しい友人であり続けてくれる人たちがいる。
食事をしながら思っていたことだけど、彼らの前では、普通に恋人の話も出来るし、ゲイの友人の間で話すようなことも笑いながら話すことが出来る。
一昔前は、ゲイの僕たちは、どうしてもゲイの友人の間でしか心を開くことが出来なかったように思う。男に出会った話も、喧嘩している話も、別れ話も、とてもではないけど他のセクシャリティの人に話したところで理解してもらえないと考えていたように思う。
それが今、僕たちの周りでは、こんな風にLGBTを越えてセクシャリティに関わりなく、ストレートの人たちも普通に友人としてそばにいるように変わってきたようだ。
セクシャリティは、その人の根幹に関わる切っても切り離せないものだけど、セクシャリティを含めた、その人の全体像が、人間関係ではたいせつになってくるのではないだろうか。
美味しいものをみんなで食べながら、話や笑い声は尽きることなく、いつまでもお酒を片手に話していたいような楽しい夜だった。

小春日和。

晩秋の、ぽかぽかとした春のような陽気の日を『小春日和』と言う。なんて美しい日本語だろうか。今日はもしかしたら暖かすぎるくらいの天気で、六本木から赤坂まで普段ならタクシーに乗る距離を散歩がてら歩きながら行った。
途中、大阪にお母さんに会うために帰省している友人のMのことを思い出し、ラインでメッセージを送ると、お母さんが公園でひなたぼっこしている写真が送られて来た。お母さんは車椅子に座り、それでも気持ち良さそうに笑っていた。
Mのお母さんは88歳。ついこないだまでとても元気で、年に数回は東京に遊びに来ていた。その時にはいつも一緒に食事をして、お酒も飲んで、楽しい時間を笑いながら過ごしたものだった。お母さんにとってみたら僕は、息子の友達というよりも、東京の友達のような感覚だったのかもしれない。
お母さんは80歳を過ぎてから、家のそばで転倒して背中や腕を骨折して、少しずつ身体が弱り始め、なかなか外出も簡単に出来なくなってしまい、その後、東京に来ることはめっきりなくなってしまった。
食べることや、お酒を飲みながら色々な話をすること、そして、旅行が大好きなお母さんと、今年の春、台湾に一緒に旅行に行こうと計画を進めていたのだけど、それは叶わず、今回の台湾旅行の際に、再びその計画が持ち上がったのだけど、足腰の衰えと下の世話もあり、外出の許可は得られず旅行は結局実現出来なかった。
Mは東京でお店をやっているため、なかなか大阪にお母さんに会いに行くことは出来ないのだけど、今回、大阪に会いに行くことが出来て本当によかったと思う。
親が老いてゆく姿を見るのは、きっといろいろなことを考えさせられるし、人によって様々な試練になるに違いない。Mの前にある問題は、やがてくる僕の母親の問題でもあり、ゆくゆくはM自身や僕自身の老後の問題でもあるのだ。
老後と言われる年になった時に、子どものいない僕たちは、いったいどんな風に老いを受け入れ、毎日を生きてゆくのだろうか。
その時そばに、愛し合う人がいてくれるのだろうか?
自分を支えてくれる人は、いてくれるのだろうか?
そんなことをいろいろと考えながらも、今はこの、美しい小春日和を存分に味わいたいと思った。
どこか旅行に連れて行くことが叶わなかったにせよ、今、Mが、お母さんと一緒に公園で過ごしていることを考えて、胸の中まで温かく感じられた。

カブとカニ玉煮。

昼間は26度くらいあった台北から月曜夜に東京に帰国して、東京は晩秋に入ったのだなぁと肌寒く感じた。
週末を台湾で過ごしたので、家での最初の食事は和食が食べたくて、油を使わずさっぱりしていてじんわり温かい『カブとカニ玉煮』を作った。
なぜだか分からないけど、『鴨とネギ』のように、素材同士の組み合わせがピッタリ合う食べ合わせがあると思う。
僕が思う、『カブとカニと玉子』も、完璧に思える調和。
★カブとカニ玉煮。
1.カブ1株は、厚めに皮を剥き、食べやすい大きさに切る。カブの葉一株分を、細かく切っておく。カニの缶詰を開けておく。
2.鍋に出汁600ml、塩小さじ1、薄口醤油小さじ1、みりん小さじ2を入れて、温める。
3.カブを入れて再び熱くなったら、10分から12分加熱する。
4.カブに火が通ったら、カニを入れて、全体を軽く混ぜ合わせる。
5.切ったカブの葉を入れ、すぐに片栗粉小さじ2を同量の水で溶いたものを回し入れ、軽く混ぜる。
6.卵2個を箸で溶き、箸を伝わせ流し入れ、玉子にふんわり火が通ったら完成。

リンパマッサージ。

台北に行くと必ず行くのが、リンパマッサージ。『活泉』という店は、日本のスポーツ選手もお忍びで訪れる店。
僕はそこのオーナーと奥さんに仲良くしてもらっていて、専属で奥さんにマッサージをやってもらっている。
その奥さんは、マッサージ全般に研究熱心でいてその世界では著名な人、台湾中でマッサージを教えたりしている人。
顔から始まり、首、胸、腕、腹、腰、足…表面1時間、うつ伏せになってまた1時間。とても丁寧にアロマオイルを使ってリンパに刺激を与えてくれる。
はじめはとても痛く感じたのだけど、今は慣れたのか、シコリが減ったのか、所々違和感はあるものの、むしろ気持ちよさを感じる時もある。
リンパマッサージの後は、白湯を飲んで、その後ゆっくりしていると、何度かトイレに行きたくなる。身体の中が刺激を受けて、動いているような気がするから不思議だ。
そんなに簡単に、溜まった老廃物は体外には出ないと思うのだけど、排出物が多いような気がして、身体も軽く感じられる。
フライトまで時間があったので、最後にリンパマッサージをしてもらい、軽い足取りで松山空港に向かった。
★活泉 http://www.lifeenergy.tw/JP/Company.html

台湾日記その5。

火鍋

火鍋

屋台

最後の夜は、火鍋に。『大和殿』は、101近くの火鍋の店。台湾の火鍋は、大抵セルフサービスで食べ放題の店が多く、自分の好きな具材を選び、ソースも作ることが多いのだけど、ここはすべて運んでくれて食べ方まで最初に教えてくれる。
その後、gold fishでしこたま飲んで騒いだ後、人生ではじめての屋台に行った。
真夜中の屋台は、ふらりと人が来ては、好きな食材を選び、サクッと食べていくような人が多いけど、我々は、コンビニでビールを買って、白粥を頼み、様々な食材を乗せながら食事は進み、結局長居をしてしまった。
台湾の屋台の食事は、毎日食べても飽きないような、シンプルな調理の物が並んでいる。そして、いわゆる台湾料理というものは、実はこんな屋台の店で食べる料理だったりする。台湾料理の有名店『欣葉』や『青葉』などは、こんな日常の料理を突き詰めた料理なのだ屋台のおばちゃんたちの温かさも、台湾の魅力の一つに違いない。
今回の旅行は、沢山の日本人の友人たちが来ていたのだけど、その中でも何度も一緒に旅行に行っているBridgeのマスターとパートナーのKazさん、いつもの金閣銀閣S太郎にK太郎、Mさんという旅慣れた友人たちと一緒だった。
彼らと一緒に旅行をすると、いつもベッタリ一緒というのではなくて、お互いに好き勝手に行動をして、夕方に会って、その日の出来事を聞きながら大笑いして酒を飲むような食事になる。
そして、こんな風に大好きな友達と一緒に囲む食事は、人生の中でも、かけがえのない時間だと思える。
楽しい時間をありがとう。
また一緒にこんな風に、楽しい旅行が出来ますように。
★大和殿 http://s.navi.com/taipei/special/5000817

台湾日記その4。

酔鶏

空芯菜

揚げ豆腐

台湾には、ごく親しい台湾人の友達が何人かいて、彼らに会おうと予定を調整するのだけど、みんなと会うことはなかなか出来ない。そしてそれ以外にも、中国の広州の友達やソウルの友達が今回は台北に集まって来ていた。
昼はソウルから来た韓国人の友達Jと、永康街の『高記』でゆっくりと食事をした。
ここは、上海料理を台湾で発展させたような料理で、日本人の口に合うと思う。大好きな『酔鶏』を頼み、焼き小籠包を頬張る。
Jは、ソウルで会った若者。デパートに務めていて、クラブ好き。最近年上の人とつきあい始めたようで安心した。食事の後、マンゴーカキ氷を喜んで食べていた。
その後、広州から来たKとホテルのそばでお茶をした。Kは大の日本好き、日本語を独学で勉強しているお医者さん。会うたびに日本語の語彙が増えている努力家だ。早く東京に遊びに来たいと言っていた。
この頃テレビや新聞のニュースを見ていると、中国も韓国も、なぜそれほどまでに日本を嫌い、憎むのだろうか、と思うことがよくある。
でも、実際にその国の人と話すと、マスコミが騒ぎ立てているほどの反日感情はないことが多い。
もちろん、国同士の問題と、友達同志の問題は別なのだけど、実際に日本に来ている彼らは、日本に対してとても好意を持ってくれているのがわかる。
こうして、たまたま台北という場所で他の国の友人に会えるのも、パレードが他の様々なイベントも巻き込み、成功しているからだろう。
ニュースやパソコンの中ではわからないことが、海外に来てみるとたくさんあるといつも思う。
★高記 http://i.4travel.jp/shisetsu/10003914?dmos=os

台湾日記その3。

総人口260万人の都市で、アジア最大とも言われる6万人規模のパレードが行われた。
虹色の旗はどこまでも続き、パレードは台北の町を埋め尽くすかのように連なり、沿道に人は溢れ、温かい声援は鳴り止むことがなかった。
朝から集まり、フロートの車の飾り付けをして、風船を膨らませ、準備をしながら人がどんどん集まってきた。
僕が作ったTシャツは様々な人の手に渡り、通行人もそれに加わり、あっと言う間に品切れになってしまった。
みんなと声を張り上げ、Come to Tokyo! を叫びながら、町の人々の声援を浴びて、無数のカメラに捉えられた。
『セクシャルマイノリティ』という言葉が嫌いな僕は、車の上からどこまでも続く仲間たちを見ながら、「これだけいたら、もう、マイノリティなどという言葉では片付けられないよなぁ」と感じていた。
様々なパレードに参加してきたけれど、こんなパレードは、生まれて始めてだった。
カラダ中に、アドレナリンが溢れ、言葉に出来ない幸福感に包まれて、仲間たちとそれを確かに共有している感覚に浸った。
台湾ではゆっくりと、だけど確実に、ゲイやLGBTは、社会に存在感を持ち始めている。
こんなパレードがいつか、東京でも実現出来ますように…。

台湾日記その2。

友人たちが続々と台北に到着。
昼も夜も、多勢で円卓を囲む食事は、
この上なく幸せな時間だ。
飲んだ後に、自然に手をつなぎながら、
寄り添うように帰る友人を見ながら、
いつの日か、こんなことが普通に
どこででも出来る世の中になりますようにと願った。

台湾日記その1。

『担仔麺』

午前中は仕事をして、昼の便で台北へ。台風のせいか着陸時に酷く揺れた。台北のフライトはいつもなのだけど、今回もうっかりパスポートを忘れそうになり、夜中に思い出してカバンのそばに置いておいた。笑
台湾には、例えば、台北に降りた時に、もし、荷物が何も出て来なくて、財布も何もかもなくなったとしても、台北ならば、なんとかやっていけるだろうと思える、不思議な温かさがある。
それは、ソウルやバンコクや北京など、他の街には感じられない、台湾ならではのおおらかさから来るものだと思う。
タクシーでホテルに帰って、財布からお金を払い、部屋にたどり着き、部屋の鍵を財布から取り出そうと思ったら、財布ごと無いことに気づき、フロントに行き、「鍵を財布ごとタクシーに忘れたので部屋に入れません」と言いに行ったことがある。
フロントは、「どのような財布ですか?」と聞くので、「黒くて皮でこういう形で…」と特徴を述べると、「この財布ですね?」と言って不思議なことに僕の財布を取り出した。
タクシーの運転手さんか、次に乗ったお客さんが、財布に気づいて、わざわざホテルに届けてくれたようだ。中身はそのままそっくり入っていた。
こういうことって、昔の日本では当たり前のことだったけど、今の日本なら、わからないなあと残念ながら思ってしまう。
よく行くマッサージ屋のおばさんも、僕が手土産なんかを持ってよく行くからか、施術もとても丁寧だし、日頃の不摂生な生活を怒られたり、帰り際に色々持たせてくれたりする。
この国に来るたびに、そんな温かい人に出会い、知らぬ間に第二の故郷のようになってしまった。
台北に着いて、友人たちと台湾ビールで乾杯して、しこたま飲んだ後に、台南名物『担仔麺』を食べながら、ゆるゆるとカラダもこころもほどけていった。
これから数日間、台湾日記は続きます。

Nにメールを。

後輩のNは、コピーライター。海外に留学していたので英語は話せるし、大学院まで行ったせいか、物腰も落ち着いている。離島で育ったせいか、どこか純朴で、一緒にいるとホッとするような人だ。
東日本大震災の後、東京で小さな子どもたちのいる家族と暮らす事に疑問を感じ、家族を自分の生まれ故郷である長崎の五島列島に移住させた。
その後、2年間くらい、自分は東京に独り残り、時々五島列島に飛行機で家族に会いに飛ぶような生活をしていたのだけど、昨年の秋に、会社の九州支社に募集枠が出たため、期限付きで福岡に自ら転勤して行った。福岡からならば、いざという時でも五島列島はすぐ近くにあると思えるに違いない。
その時に送別を兼ねて忘年会をしたのだけど、ふいに1年経って、「そういえば、Nは元気にしているかな?」と思い、様子をうかがいがてら、忘年会に来ないかというメールを書いた。すると、Nからは、うれしい返信が来た。
>Tさん、Kさん、Sさんとの忘年会ならば、出張関係なく行きます。
マイルがたまっているので気にせず行けます。みなさんの予定に合わせて、行きますので。
今はメールのやりとりで、なんだか全てが事足りてしまうような毎日を過ごしているけど、実際に人に会って顔を見ながら、ひとときをともに過ごすことは、なんと豊かな時間の過ごし方だろう。
Nとのやりとりのおかげで、メールに出て来たKさんは、間もなく役職定年を迎えることを知った。日頃、忙しい忙しいと自分のことばかりで、SNSなどで様子をわかっているつもりで連絡を取る事をおろそかにしていたけど、本当の意味で、人にきちんと向かい合っていなかったなあと改めて思い至った。
人は、iPhoneやPCの中にはいない。そう思った一日だった。