恋するリベラーチェ

カンヌ国際映画祭では、スタンディング・オベーションが鳴り止まなかったという映画、『恋するリベラーチェ』を、一足お先に東京国際映画祭で観賞した。
リベラーチェとは、アメリカで一世風靡した実在の人物であり、50年代から30年間、第一線でピアノを用いたパフォーマンスを繰り広げたエンターテイナー。
映画は、リベラーチェと秘書スコットとの恋愛人生を、マイケル・ダグラスとマット・デイモンという名優二人が、渾身の演技で臨んでいる。
年老いて醜い大金持ちのリベラーチェは、誰かを心の底から愛し、愛されたいと思っている。その愛(それが愛かなんなのか僕にはわからないが)は、見ていてあまりにも滑稽であり、哀しく、痛い。
若く魅力に溢れるスコットは、恵まれない生い立ちを背負い、誰かに愛されることをひたすら求めている。その愛(それが愛かなんなのか僕にはわからないが)は、あまりにせつなく、一方的で、見ていて胸が苦しくなる。
幸せの絶頂期に誓った愛は、時の流れの中でいつしか変貌をとげて、憎しみへと変わる。人類はなぜ同じことを、何千年と繰り返し、傷つけ合うのだろうか?
そして、人はこの世で最後に瞼を閉じる時に、確かに誰かを愛して、確かに誰かに愛されていたのだと感じたいのだろう。
この映画は、久しぶりに『1000%のゲイ映画』であり、ゲイの人生を凝縮したような話だ。滑稽で、哀れで、バカバカしく、派手で、痛く、哀しく、そうでありながら、どこか他人事とは思えない。
きっと僕の中には、リベラーチェもスコットもいるのだろう。
★恋するリベラーチェhttp://liberace.jp/sp/

負荷。

この夏、あまりの暑さに半袖を着る機会が多かったためか、「若い子が出来たからって、こうも変わるものなのかしら!」などと嫌みを言われていたのだけど、実はもう、3年くらいスポーツクラブに通っている。周りのみんなには黙っていたし、ごく近しい人にもまったく気づかれてはいなかったのが笑える。
40歳を過ぎた時に、「これから年を重ねて行く中で、清潔感がある颯爽とした身体でいたい」と思ったのだ。
時々面倒くさくなって、3ヶ月くらいほったらかしにしたこともあるけど、今はほぼ、平日に週に3回というペースで1回1時間未満でワークアウトを日常的にこなしている。
運動をはじめて一番良かったことは、夏場でも階段の上り下りや、歩くことも厭わなくなったこと。基礎体力がついたからか、わしわし歩いても大丈夫だと思える。
そして、食欲が更に増したこと。ご飯がもっと美味しく感じられるし、昔は66キロくらいだった体重が、実は今、周りのみんなが知らないうちに72キロにもなっている!
そのスポーツクラブは、芸能人がたくさんいるところで、芸能人以外でも、ロッカールームで思いがけず、物凄い手の込んだ彫り物を見かけることもある。
僕がいつも感心するのは、キャスターのTさん。癌という大病で、今までに何回も手術をされていながら、70歳になった時にトレーニングをはじめて、それ以来今も週に3回くらいトレーニングに励んでいる姿を見かける。
トレーニングとは、僕なりにひと言で言うと、『自分の身体に負荷をかけること』なのではないかと思う。今までの負荷ではなく、少しだけ今まで以上の負荷を身体にかけることによって、身体の細胞に刺激が入り、加齢によって少しずつ縮小してゆく身体の状態をキープ出来る。もしくは、少し成長することが出来るのだ。
正直、「自分の身体に負荷をかけること』は、とてもきつい。それこそ、『ドM』でないと、こんなことやってられない!と思うこともある。それでも、遠くにTさんが必死になって自分に負荷をかけている姿を見ると、Tさんに比べるとまだまだ僕なんて若いのだから、こんなことくらいで弱音を吐かずに頑張らなくてはと思う。
また、一つの重さを達成出来ると、自分の中に次の目標が生まれるのも楽しいものだ。自分にしかわからないけど、身体も少しずつ変わって来る手応えを感じることが出来るのもうれしい。
今は、週末の台北パレードに向けて、見せるカラダ作りに励んでいるところ。
というのは、冗談です。笑

もうひとりの息子

六本木では東京国際映画祭が始まった。トヨタがスポンサーでなくなったせいか、開催期間も平日から平日になってしまい明らかに変だし、華やかさにかけていると思うのは僕だけだろうか?久しぶりに来日したトム・ハンクスは、このあいにくの天気の中、楽しんでいるだろうか?などと、好きな俳優なだけに余計な心配ばかりしてしまった。
昨年、東京国際映画祭のグランプリと監督賞をW受賞した作品『もうひとりの息子』を、雨の中、わしわしと銀座まで観に行った。
この作品は、今話題の邦画『そして父になる』と同じ、出生時における子どもの取り違いというアクシデントが元になって展開されるのだけど、この『もうひとりの息子』の出生時の取り違いは、イスラエルとパレスチナという敵対する宗教および国同士で起こってしまう話。
ストーリーにはあえて触れないが、僕の個人的な考えでは、このイスラエルとパレスチナの問題は、気の遠くなるような時間をかけて憎しみが積み重なり、今も憎しみはまた新たな憎しみを生み出し、僕たちの生きている時代では、恐らく解決出来ないのだろうと思われる。
偶然、生まれたところが違うというだけで、信じる宗教が違うというだけで、まったく同じ人間が、なぜこの憎しみを背負わされ、憎しみの連鎖の中で生きていかなければならないのだろうか?
そしてこれは、遠く中東の土地で起きている別次元の話では決してなくて、今、我々の周りの国を含めた世界中で起きている問題であることを改めて思い知らされ考えさせられる。
緻密な脚本と母親役のエマニュエル・ドゥヴォスをはじめ俳優陣の素晴らしい演技に、先の分からない展開をただ息を殺して見守るしかなかった。『愛』というものが、これほど強く、いとおしく思える映画に出会えるなんて、とても幸福な週末だった。
今年観た映画の中でも、最上の一本。
★もうひとりの息子http://www.moviola.jp/son/ 

アリス・マンロー Alice Munro

村上春樹が取るのではないかと言われていた今年のノーベル文学賞は、82歳のカナダ人の女性アリス・マンローが獲得した。
ノーベル賞の発表を伝えようと、スウェーデン・アカデミーが電話をいくらかけても誰も電話に出なくて、結局アリス・マンローは娘さんの家に遊びに行っていたというエピソードに笑ってしまった。
新潮クレストブックスは、美しい装丁と、世界中からの素晴らしいセレクトゆえに、新刊が出るのをいつも楽しみにしている。
アリス・マンローは、過去に写真の二冊を読んでいたのだけど、決して壮大なテーマの小説ではない(ノーベル文学賞は、壮大なテーマだったり難しい小説家が多いと思いませんか?)
カナダの田舎町で暮らすアリス・マンローの、中流もしくは下流家庭の日常生活から紡ぎ出される作品は、人間に対する優れた洞察力と細部まで見逃さない緻密な描写で、匂いも、色彩も、生きている人々の皺さえも感じられる不思議なリアリティと、およそ82歳のお婆さんが書いて来たと思えない、恐ろしい強さがある。
決して映画の主人公のような物語ではないけれど、どんな平凡な田舎町に暮らす人にも、それぞれの人生には、語られない物語があるのだと思わせてくれる。

さようならという言葉。

前菜の盛り合わせ

甘鯛のスパゲティ

ボッリート・ミスト

7年間くらい一緒に仕事をしてくれたプロダクションのデザイナーの女の子が退職した。結婚ゆえの退職ではなく、違った仕事に転職したいためだと言う。新しい旅立ちを祝い、仕事場近くのイタリアンで一緒に食事をした。
人との出会いは不思議なもので、この世界で出会ったどんな人とでも、必ず別れる時が来るものだ。
7年間という永い期間、よく僕の、時間的にも拘束の多い仕事を支えてくれたなあという感謝の気持ちと、身近な人が、もう別の所へ行ってしまうというせつない気持ちが入り交じり、なんとも複雑な気持ちだった。
英語の『GOOD BYE』とは違って、日本語の『さようなら』には、様々な説があり、単に『左様ならば』の『ば』が省略された言葉だとする説と、『“さようなら”、と この国の人々が別れに際して口にのぼせる言葉は、もともと『そうならねばならぬのなら』という意味だとそのとき私は教えられた。(須賀敦子『遠い朝の本たち』)』それは、ある種の諦めを含んだ言い回しとする説もある。いずれにしても他の国に類を見ない、極めて日本的な表現であり、その響きとともに美しくもせつない言葉だと思う。
別れ際に彼女に、「どんな道に進もうと、幸せになってくださいね。」と言って別れたのだけど、言葉の後に、「そうならねばならぬのなら」という気持ちが残ったままだった。
★Giglio http://giglio.jp/

我愛台湾。

『TOKYO RAINBOW WEEK』が、来週末に行われる台北LGBTパレードにフロート参加することになり、その打ち合わせを兼ねてメンバーで集まった。
僕は、この団体の正式なメンバーではないのだけど、妹的存在のGに言われてロゴを作ったり、弟的存在のFもいるので、足をちょっとだけ突っ込んでいる感じ。
当日は、メンバー30人くらいがこのTシャツを着て、フロートにバナーを貼り、レインボーの風船をみんなで飾り、プラカードを掲げて台北パレードを歩くことになっている。
打ち合わせはまるで、文化祭の準備をしているような雰囲気の中、僕たちの一番の関心事は、やっぱり自分たちが着るものだったり、演出のことだった。頭にレインボーのアフロヘアをかぶろうとか、レインボーのケツ割れを履こうとか、足にふさふさのレインボーのサポーターのようなものを履こうとか・・・。
今回のTシャツのデザインに込めた僕の思いは、台北(台湾)に対する感謝の気持ちだ。
東日本大震災の時に、台湾からの義援金は200億円を越えて、世界の中でも圧倒的な金額だった。
そしてなによりも驚いたことは、その翌年に台湾人に『昨年で一番うれしかったことはなんですか?』と問いかけた大々的なアンケートの結果が、『東日本大震災への台湾からの義援金が、世界で一番大きかったこと』という結果だったこと。
台湾を訪れると、物価の違いに驚かされるし、収入の額だって日本とは違うことがわかる。そして九州より小さな国土は人口もそれほど多くは無いのだ。そうであるにも関わらず、これだけの義援金を集めて、日本に寄付してくれたという事実を知ると泣きたくなる。
来週末の台北LGBTパレードに向けて、僕の心は一年ぶりの台湾ということもあり、ワクワクしている。
台北の素晴らしいパレードを応援することによって、また、彼らが東京にもどんどん来てくれるような繋がりになることを願いながら。

アマリリス。

いつも立ち寄るお花屋さんFUGAhttp://www.fuga-tokyo.com/jp/index.htmlで、アマリリスを見つけた。白からグリーンに変化をとげる花のグラデーションは、僕の一番好きな色だ。
アマリリスを見ると、冬が来るなあ...と思う。寒さの中で誇らしげに咲く花は、いつまでも見とれてしまう美しさを秘めている。神様が作った、人工的とさえ思える自然美だ。
僕は、夏でもほぼ絶やさず、家に花を飾るようにしている。ほとんどは、ささやかな花ばかりだけれども。
『花より団子』という言葉もあるように、「お花なんて、時間が経てば枯れてしまうのに、なんでそんなものにお金をかけるの?」と思う人がいる。
確かに、涼しい時期でも、だいたい1週間で花は枯れて、ゴミとなって捨てられてしまう。でも、それをしてでも、いずれ枯れてしまう花を身近におきたいと思うのはどうしてなのだろうか?
それは、「世界は、なんて美しいのだろう」と感じることができるから。
何もないところから、美しいものが生まれ、成長する、宇宙のポジティブな力を感じることができるから。

木彫りの馬。

「僕は今まで、誰かを本当に好きになったこと、ないみたいなんです。」
出会った頃に、Kはよくそう言っていた。人を好きになるという感情が、わからないと。
そんなKはこの頃、3週間くらい僕に会わないと、LINEのウサギのコニーが涙を流してクマのブラウンの写真を見ているスタンプを送ってくることがある。それを僕は、『寂しい攻撃』と呼んでいる。
福岡のホテルに着いた時、Kは珍しく紙袋を持っていた。
ふたりで飲んでホテルに帰ってからその紙袋を開けると、中には北欧の木彫りの馬が二つ入っていた。一つは僕に、一つはKに。
木彫りの馬は、北欧の御守りのようなもので、幸運を運んで来てくれる馬だと言う。
この手のぬくもりのある工芸品を、僕が好きだということを、どうしてあの、とぼけたKは分かったのだろうか?どうやってこんな木彫りの馬を見つけたのだろうか?
一年経っても、まだ、わからないことだらけです。

とり田。

味つけ玉子と焼きなす

鶏肉と葱

つみれと野菜

最後の昼餐は、新しく評判の水炊きの店『とり田』へ。
博多の水炊きと言えば、水月、長野、華美鳥、いくつも伝統的な店がある中、『とり田』は、シックな店内で、博多の水炊きの伝統とは少し違った製法の水炊きだった。
鶏ガラではなく、丸鶏をそのまま6時間煮出した白濁したスープは、濃厚で味わいがある。
何より驚いたことは、大分の鶏肉を、鍋用にプリプリの状態で出して来るところ。博多の伝統的な水炊きの店の鶏肉は、スープを取った後のパサパサの鶏肉が出て来ることが多いのだ。
この店オリジナルの塩ベースのポン酢もサッパリとして美味しく、柚子胡椒も強すぎずに鶏肉の旨味を生かしている。つみれも繋ぎが少なく、肉の旨味がギュッと濃縮している。
創業して一年だけど、聞くと、小田原出身の方が作られたようだ。博多の水炊きを、県外の人が冷静に捉えて新しい水炊きの店を作ったという感じ。
新しい店が、続々とオープンする博多。いつも帰る頃には、この町に住んでもいいかな〜と思う不思議な町だ。
次は、いつ頃来られて、何を食べることが出来るだろうか?
★とり田 http://www.toriden.com/

さきと。

ゴマサバ

メンチカツ

蟹味噌豆腐

志賀島の手前に、『海の中道マリンワールド』という水族館がある。童心に帰ってイルカやアシカのショーを見たり、アザラシを見た後、志賀島まで足を伸ばした。志賀島は、能古島と違って、昔からある漁村のような島。次回は車で回ってみたい。
夜は、ずっと予約が取れずにいた有名店『さきと』へ。
カウンター12席だけの店内は、大将と控えめな奥さんらしき人二人で切り盛りしている。
常に予約で満席なので、大将は寡黙に料理を作り、奥さんは客の要望に答えている。
常連のお客さんが、サンダルでスウェットで食べに来ていて、時々大将と楽しそうに話している。
ポテトサラダも、メンチカツも家庭的で懐かしく美味しい。秋刀魚や鯛の刺身も素晴らしく、焼いたのどぐろもとろっとろで美味すぎる。
念願の『ゴマサバ』をいただく。何度食べてもこの『ゴマサバ』の美味しさには唸ってしまう。九州独特の甘みのある醤油と胡麻と済州島の鯖の組み合わせが絶妙だ。
炙り明太子や蟹味噌豆腐を肴に日本酒も、鍋島、黒龍、禅、獺祭…
Kが締めの親子茶漬け(鮭イクラ)を頬張る頃には、シャイなマスターと控えめな奥さんの魅力に魅せられて、本当にいい店だなあとこの店の虜になっていた。
一番驚いたのは、あんなに食べて飲んだのに、二人で1万円だったこと。どういう会計なんだろう…?
また二人に会いに来たいな〜。
★さきと http://s.tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40000008/?lid=header_restaurant_detail_review_list