蕎麦きり みよた

極みカツ丼セット

天丼上セット(小さなそば)

前にもここにあげたことがあるのだけど、表参道の246沿いに、お昼時はずっと行列が連なっている蕎麦屋さんがある。『蕎麦きり みよた』は、カウンターだけの小さな店でありながら、女性にも入りやすい蕎麦屋さんとして成功している。
いつも並んでいるので、しばらく入ることはなかったのだけど、先日オープン時間すぐの頃通りかかったら、珍しくすんなりと入ることが出来た。
カツ丼とせいろの『極みカツ丼セット』は、お蕎麦は透き通り、カツ丼も十分なボリュームで880円。表参道のこの立地で気軽に美味しい蕎麦が食べられてすぐれたコストパフォーマンス。ありがたいです。
★蕎麦きり みよた
03-5411-8741
東京都港区南青山3-12-13
https://tabelog.com/tokyo/A1306/A130602/13180620/

アカデミー賞を見るひととき。

アカデミー賞の発表の日は、毎年2月の最後の日曜日の夕方から夜にかけて。これはアメリカ時間なので、東京では月曜日の朝の9時くらいからレッドカーペットを歩く煌びやかな俳優たちを見ることが出来る。
僕は毎年会社を休んで、友人のMの家にお邪魔して、友人たちと一緒にアカデミー賞の中継を見ながら、ワインやシャンパンを飲み、食べ物をつまむのが恒例だったのだけど、ここ2年くらいはMの都合が悪く、Mのお店である新宿2丁目にある『Bridge』で、映画好きの人が集まって見るようになった。
発表の前までにそれぞれが賞の予想を立てて、昼間は決してニュースを見ずに、Mが録画してくれた字幕入りのアカデミー賞を夜の9時からみんなで見るのだ。
今年のアカデミー賞の感想は、昨年、ノミネートが白人ばかりに偏っていたため批判されていたアカデミー委員会により、今年はたくさんの黒人がノミネートされるなど変化が見られたことと、トランプ政権を受けて、政治的な発言が沢山見られたことだろうか。
作品賞の発表間違いなどのありえないハプニングもあったけど、総じてアカデミー賞の数時間をゆっくりと見られることは、この上のない幸福な時間だった。
これから公開される『ムーンライト』など、期待に胸が膨らむ作品ばかりだ。
録画をして、楽しいひとときを用意してくれたMに感謝している。
ありがとう!

Farmer’s Market

土曜日や日曜日には時々、国連大学の前の広場でやっている『FARMER’S MARKET』にいく。
普段は、青山のピーコックや成城石井、OKストアなんかで買い物をしているのだけど、スーパーで並ぶ野菜と、ファーマーズマーケットで並ぶ野菜とでは、野菜のチカラそのものが違っているように感じるのだ。
出荷するには少し見てくれの悪いリンゴは、とても甘く手頃な値段だし、じゃがいもや玉ねぎもなんだか元気な気がする。大きなブロッコリーを買ったら、普通に売られているものの1.5倍くらい大きくて、家で茹でたらそれでいて筋っぽくなくとても甘かった。
生産者や生産者に近い人と、直接野菜のお話を聞けるのもうれしいところ。
Kもこの「市場感」がお気に入りのようで、ふたりで手いっぱい野菜や果物を買って、豊かな気持ちで表参道を歩いて帰宅した。
★Farmer’s Market @UNU http://farmersmarkets.jp

LA LA LAND

この曲も素晴らしい

僕らの『ライアン・ゴズリング』と、スパイダーマンの『エマ・ストーン』と来れば、見ないわけにはいきませんよね。
オープニングのっけからミュージカル魂を鷲掴みにされて、踊りに心揺さぶられ、ロマンチックな展開に息を呑み、せつなくて涙が溢れた。
ずっと前から心待ちにしていたラ・ラ・ランドは、噂に違わぬ素晴らしい作品だった。
脚本と監督は、ハーバード大学出身のデイミアン・チャゼル32歳。昨年アカデミー賞を賑わせた『セッション』の監督だ。
この作品の驚くところは、脚本も音楽もすべてオリジナルというところ。作曲のジャスティン・ハーウィッツは、これまた葉^バード大学で監督と在学中に知り合っていたというのも驚きだ。
ミュージカルと聞くと、あまりミュージカルのなじみのない人は、「いきなり歌い出したりして意味が分からない・・・とか、わざとらしさが鼻についてなんだかついていけないんだよね・・・」なんて思う人もいるかもしれないけど、この映画に関して言うと、そういったミュージカル臭さは、かなり抑えられているのではないかと思う。
それは監督が、いわゆるミュージカル映画にあるような、本番を何本もテイクを撮って完璧を求めるというよりも、ストーリーの中で俳優の心情に重なるように、あくまでも自然に歌が取り入れられているからだろう。
ミュージカルに必須条件の要素があるとしたら、華やかさ・笑い・悲しみ・せつなさ・ばかばかしさ・・・だろうか。この映画は、そんな要素を見事に兼ね備えていると思う。
素晴らしい音楽にロマンティックな恋愛ストーリーは、はじめてミュージカルを見る人でも虜にするに違いない。
⭐️LALALANDhttp://gaga.ne.jp/lalaland/sp.html

『FOUND MUJI』のお皿。

バスク地方のお皿:カスエラ

REVOLのグラタン皿

青山学院の向かい、表参道寄りの246沿いに、『FOUND MUJI』がある。(※無印良品はもともと、ものをつくるというよりは、「探す、見つけ出す」という姿勢で生活を見つめてきました。永く、すたれることなく活かされてきた日用品を、世界中から探し出し、それを生活や文化、習慣の変化に合わせて少しだけ改良し、適正な価格で再生してきました)
『FOUND MUJI』は、世界中から探し出されたものを扱っているのだけど、それを無印良品の商品として再生したものも置いてある。
僕はこの、世界中から集められたものたちが好きで、表参道に行くたびに、紀伊国屋と一緒に覗くのを楽しみにしている。
先日、バスク地方のボウルを買ってここにもあげたのだけど、素朴でざっくりとしたデザインで使い心地もとてもよかったのだ(やたら重いのも好きなところ)。
そして、その同じバスク地方の別の器(カスエラ)があったので思わず買い求めた。
「この器、欲しいんだけど、置く場所あるかな…?」
買おうかどうしようか迷いながらKに聞くと、「何を入れるの?…でもどうせ買うんでしょ?」という返事が返ってきて笑った。
バスク地方のお皿と一緒に、フランスのREVOLのシンプルなグラタン皿も買い求めた。
「これで海老グラタンを作ったら美味しそうだね…」
そんな風にKをなだめながら。

キッチンの片隅で。

前にもここにあげていたのだけど、首元まで使い切った大根を、グラスに水を入れて浸けて眺めていたら、やがて蕾が見えはじめ、とうとう大根の花が咲いた。
僕は、大根には白い花が咲くものと思っていたのだけど、開いた花は白に紫色がかすかに入り、花としてもとても綺麗だった。(この大根は、もしかしたら辛味大根かもしれない)
素朴な野菜の花の姿に改めて驚かされるのは、植物が本来持っている原始的な美しさがあるからだろう。
小さな大根の切れ端は、キッチンの窓辺で、時々僕たちをほっとさせてくれる。

ふたりでいれば大丈夫。

久しぶりに仕事が重なって、この数週間はかなり慌ただしい毎日を過ごしている。
朝、7時前に起きて朝ご飯をつくり、会社に行って打ち合わせやプレゼンをいくつかこなし、プロダクションに行き会議が続き、深夜に帰宅する・・・。
Kが来てからもうすぐ1年経つのだろうけど、僕がここまで忙しく、慌ただしくしているのを見るのもはじめてのようで、医療業界とは違う広告業界の僕のハチャメチャなスケジュールにちょっと驚き、ところどころで僕の身体を心配してくれる。
僕はそんな忙しい毎日の中で、Kが一緒に暮らしてくれているありがたみをひしひしと感じている。自分が一人暮らしをしていた時の暮らしぶりと比べると、パートナーと暮らすということはこんなにも違うものかと思い知らされるのだ。
毎朝の洗濯をKが率先してやってくれたり、僕がほとんど寝ていない時は、僕に負担をかけないようにとありもののキッシュを朝食にしたり、僕の顔色をじっと見て、心配している様子が伝わってくる。
忙しさもクライマックスの日に、7時頃に2時間くらい空き時間が出来て、僕は慌てて家に帰宅した。途中、Kが晩ご飯の準備をしてくれるというので、昨日のスープを温めること、しゃぶしゃぶにするお湯を沸かしておくこと、壬生菜の煮浸しを盛りつけておくこと、お豆腐をお皿によそっておくことなんかをお願いした。
家に帰ってふたりでご飯を食べながら、家で食べるご飯は、なんでこんなに美味しいのだろう・・・としみじみと思ったのだ。
8時過ぎにまた出かけてゆく僕と一緒に、Kも外へ出て来て、外苑前のシボネに行き、そのまま英会話学校を予約して、その後ゴールドに行くと言って外出した。Kも僕のいない時間を自分なりに有意義に使おうとしているのだろう。
夜中の11時半を回る頃、今日中には帰れないので先に寝ておくようにとLINEを入れて、1時半頃家に着き、2時半過ぎまで残りの仕事をして、シャワーを浴びてこっそりとベッドに忍び込んだ。
Kはいびきをかいていたけど、ほんの少し起きたようで、僕の手をぎゅっと握ってきて、またすぐに眠りに落ちていった。
僕は、「なんて幸福なんだろう・・・」と、感謝の気持ちでいっぱいになったのだ。

甥っ子からの電話。

夕食を用意していたら、甥っ子から電話があった。
甥は兄の次男で、今年大学を受験していた。
甥「にいにい、慶応の法律学科に受かったよ。
本当は、外交官になりたいんだけど、
外交官になるには東京大学じゃないとエリートになれないみたいだから、
他の道を探そうと思ってるんだ・・・」
僕「慶応だろうと外交官にはなれると思うから、今から夢を諦める必要ないよ。そんなことより、本当に自分がなりたい道を探すことがたいせつだからね」
高校を間もなく卒業して、これから大学1年生になる甥っ子の人生は、なんと可能性に満ち溢れていることだろうか。
僕にも確かにあった大学1年になろうとする、夢に胸が膨らんでいた頃を思い出して、なんとも遠くへ来てしまったものだと改めて思ったのだった。

ニューヨークのMからのメール。

日曜日の朝方、ニューヨークに住むの友人Mからメールが入った。
Mはゲイの友人で、僕よりも8歳くらい年上だろうか。昨年の11月に、36年間連れ添ったアメリカ人のパートナーを病気で突然亡くしてしまったのだった。
M「まだまだつらくさみしい日が続いていますが、Lの顔を見ると行きていく勇気が湧いてきます。あまり嘆いてばかりもいられませんものね。」
友人の電話で訃報を聞いた時は、いったい何がおこったのかわからなくて、まだ65歳くらいだったJが亡くなったなんて信じることができなかった。
メールの中にあるLというのは、9歳になる彼らの娘さんで、MとJは、Lの生まれてくる瞬間にも立ち会い、ずっと自分たちの子どもとしてゲイペアレンツで育てて来たのだった。
暫く立ってから友人がニューヨークへ行きMに会い、帰ってからMの様子を聞いていた。
風邪をこじらせていたと思ったら、急に容態が悪化して、敗血症にかかっていることがわかり、あっという間にJは帰らぬ人となってしまったようだった。
Lは一日のうちの学校以外のほとんどの時間をJと過ごしていたこともあり、MはJを喪ってからは、それらをほとんど自分ひとりでやらなければならず、それがどれほど大変なことだったのかを思い知らされたようだった。
Jは、生命保険医もまったく入っていなかったこともあり、ふたりで引き取ったLを、この先大学を卒業させるまでにかかるお金のことも実際問題として大変に違いない。
Mの喪失感は、想像するだけでも地獄のような苦しみに違いない。
あまりにも突然のことで、まさかJが死ぬということも知らずに、死に際に立ち会うことも、愛していると言うこともできなかったのだろうから。
M「人生の伴侶を失うというのは、本当に大変なことですね。今までいろいろつらいことはありましたが、こんあにつらくてさみしいことはないよ。でも、リリーに本当に助けられている。明るい子だし。」
僕「MがJと過ごした日々は、決して失われることはなく、いつまでもMを勇気づけてくれ、時にはやさしく包み込んでくれるのではないかと思います。
M、またニューヨークに遊びにいきますね。   Love, 」
遠く東京から、MがLとふたり、ゆっくりと立ち直ってゆくことを祈るばかりだ。

千駄ヶ谷小学校。

河津桜

僕たちはよく、千駄ヶ谷小学校の横の道を歩いて家に帰る。(本当は手をつないで歩きたいところなのだけど、さすがに僕もそこまでは勇気を出すことはできない)
向かいの紫金飯店を見ながら、「CURRY UP(カレー屋さん)は人が入ってるねー」とか、「有元葉子さんの娘さんがやっているフォーのお店は、甘いんだよな・・・」とか、「パン屋さんはいいね・・・あの昔からあるスパゲッティ屋さんが続いているのが謎・・・」とか話しながら。
千駄ヶ谷小学校は、季節ごとに変わる樹木の姿が美しく、今の季節は、大きなみかんのような柑橘も植わっていて、この時期、黄色い実と深い緑の葉のコントラストが美しい。そして、1ヶ月半くらい早く咲く河津桜が満開を迎えている。
千駄ヶ谷小学校は、創立140周年を迎えたそうだ。
『せかいにはばたく千駄ヶ谷の子』
という旗が上がっていたのだけど、みんなが世界に羽ばたかなくてもいいのではないかと僕は思ってしまうのだ。(世界に羽ばたきたい子は羽ばたけばいい・・・)
『 子どもたちがそれぞれ、自分の幸せを見つけられますように 』
僕だったら、そんな風に書くかな。