色違いの靴下。

会社から家に帰って来て靴下を脱いだら、
右と左の靴下の色が違っていた。
同じグレーではあるのだけど、
明るいグレーと暗いグレー。
Kが、いつも洗濯をして乾いたらたたんでくれるのだけど、
たたむ時に間違えたまま、僕の洋服ダンスに戻したのだろう。
靴下をはく時に気づかなかった僕もおかしいけど、
電車の前に座っている人とかは、
もしかしたら見えていたかもしれない。
びっくりしてKを呼んで、それを見せると、
Kは僕の顔を見ながらおおきな声で笑った。
僕もおかしくなって笑った。
もしかして・・・と、Kは洋服ダンスに行って、
もう一足色違いで揃えられていた靴下を持って来た。
そして僕たちは、それを見ながら何度も笑ったのだ。

鳩森神社のイチョウ。

千駄ヶ谷にある鳩森神社(はとのもりじんじゃ)のイチョウの木が、紅葉の真っ盛りを迎えている。
毎朝、会社には国立競技場前駅から通っているので、鳩森神社の前を通るのだけど、次第に黄色く色づいてゆくイチョウの大木を、毎朝なんて美しいのだろうかと感動しながら見上げていた。
時々、おばさんやおばあさんが、通りに面した大きなイチョウの幹に、抱きつくように両手を広げてしがみついている姿を見かけることもあるのだけど、ここのイチョウの木はとても大きくて、そんな風に抱きしめたくなる気持ちもわかるような気がする。
真っ黄色に染まった大木が空へ向かって高々と伸びる姿を見ていると、季節の移り変わりの早さを感じるとともに、今の季節のほんの一瞬のような儚い美しさを、しっかりと心に留めておきたいと思うのだ。

ブルゴーニュで会いましょう

ブルゴーニュの美しいブドウ畑が広がる予告編を観ていたので、楽しみに観に行った映画『ブルゴーニュで会いましょう』は、とにかく、ワインが飲みたくなる美しい映画だった。
主人公のシャルリは、ブルゴーニュ育ちだが、今では著名なワインの評論家となってパリで暮らしている。実家のあるブルゴーニュのワイナリーの経営が破綻して、それを助けるべくブルゴーニュへ戻り、一からワイン作りに取りかかる。
前編を通じて、ほとんどすべてがブルゴーニュでの撮影になっている。フランスを代表する名優たちが、親子の軋轢や、男女の恋愛、兄妹の喧嘩など、人間描写をとても上手に演じている。
その昔、ブルゴーニュには友人のシュバリエ・ド・タストヴァンの授賞式に出席して、1週間弱滞在したことがあるのだが、今の時代でもこれだけアナログにこだわり、風光明媚な場所を維持し続けている文化に感動したものだった。
この映画でのワイン作りも、人の手でなければなし得ない行程で丁寧に作られており、当時見学したワイナリーやブドウ畑を懐かしく思い出しながら観ることが出来た。
★ブルゴーニュで会いましょうhttp://bourgogne-movie.com/index.html

ハンズ・オブ・ラブ

涙が、とめどなく流れて、ほとんど嗚咽のようになって泣きっぱなしだった。
『ハンズ・オブ・ラブ』は、もはや大御所のジュリアン・ムーアと、レズビアンであることをカミングアウトしたエレン・ペイジによるレズビアンの映画。元々は、アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を受賞した映画があり、実話を元に制作された。
刑事のローレルは、ステイシーという若い女性に巡り会う。ふたりは次第に距離を縮め、やがて郊外に家を買い、2人の共通の夢でもあった犬を飼い、幸福な暮らしをはじめるが、ローレルに悪性の腫瘍が見つかる・・・。
ローレルが20年以上も働いて来た末に貰えるはずの遺族年金は、当時のアメリカの制度では、同性のパートナーへ遺すことは認められていなかったのだ。砂時計のように限られた時間がこぼれ落ちてゆく中、平等の権利を得る為にふたりで戦いに挑む。
ジュリアン・ムーアも素晴らしいが、エレン・ペイジがきがな気が強かわいい恋人役を演じている。ビアンやゲイなど関係なく、愛するということを真っ向から捉えた作品に心動かされるに違いない。
★ハンズ・オブ・ラブ 手のひらの勇気http://handsoflove.jp

家族の笑顔。

夜中にトイレに立って、そのついでにお水を飲んでからまたベッドに戻り久しぶりにぐっすり眠った。
ふと目覚めて横を見ると、Kがスマホを見ながらケラケラ笑っていた。
僕「何見てるの?」
K「いとうあさこ」
いとうあさこという人を、僕は昨日知ったのだった。
欅坂46が歌っているテレビを見ていたら、センターの女の人だけやたら顏が大きいというか、ありようがまるで違っていて、僕が、「あれ?なんかこの人だけ時代が違ってる感じだね…」と言ったのだった。
Kはそれを見ながら大笑いしていたのだけど、どうやらその人が、いとうあさこらしい。
K「いとうあさこって、46歳なんだよ…
ただしくんと同じ年代だね…」
そう言って、僕を見ながらKはケラケラ笑っていた。
でも朝、目が覚めた時に、ニコニコと笑っているKの顔を見たら、この笑顔をこれから先も、ずっと絶やさないようにしなければと思ったのだ。
家族が笑顔でいるということが、僕にとってのこの上ない幸福であることがわかった。

この世界の片隅に

映画を観終わった後、思い出して何度も目頭が熱くなった。
今思い出しただけでもしみじみと泣けてくるほど、今年の映画の中で、最も心を鷲掴みにされ激しく揺さぶられた映画に出会った。『この世界の片隅に』は、テアトル新宿の歴代の記録を塗り替えたヒットになっているという。
戦争映画だということは聞いて軽い気持ちで観に行ったら、映画の世界にどっぷりと浸かり、ケラケラと笑い、涙が頬をつたい、胸が締め付けられ、むせび泣いて、観終わった後、しばらく席を立つことが出来なかった。アニメーションだというのに、今でもあの家族がどこかで安穏に生きていたら・・・と願わずにいられなかった。
そして、白昼の東京の町を歩きながら、自分が今までなんという生き方をしてきたのかと、激しく後悔したのだった。
この映画に関して、ここではあまり多くを書くことはしないが、映画館で絶対に観ておくべき素晴らしい作品。
この国で、こんな映画を作ることが出来たスタッフの方々を誇りに思うし、生きているうちにこんな映画に出会うことが出来て、僕はとても幸福だったと思う。
★この世界の片隅にhttp://konosekai.jp

とときち

お刺身盛り合わせ

白子ポン酢

カレイの煮付け

新宿の寄席の末廣亭の並びに、美味しい魚を食べることが出来る居酒屋さん『とときち』がある。
店長は、感じのいい年配の方で、日本酒に詳しく、お酒をお願いするとそのお酒のバックグランドを話してくれる。
席数がそれほどないため、週末はいつも予約でいっぱい。でも、運良く入ることが出来たら、その日のおすすめの美味しい刺身を比較的安価で食べることが出来る。
新宿三丁目の居酒屋の中では、『鼎』と『とときち』が双璧をなしていると思う。
★とときち 新宿三丁目店https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13023849/

エブリバディ・ウォンツ・サム‼︎ 世界は僕らの手の中に

『ビフォア三部作』や、『6才のボクが、大人になるまで』で知られる大好きな監督リチャード・リンクレイターの新作である『エブリバディ・ウォンツ・サム‼︎ 世界は僕らの手の中に』は、期待を上回る輝くような青春映画だった。
野球で大学に推薦入学することになったジェイクという青年の、始業式がはじまるまでの3日間と15時間を丹念に追った映画。期待と不安で大学にやってくる初々しいジェイクが、やがて野球部のハチャメチャな連中の中に溶け込んでゆく青春模様を輝かしく、そしてバカバカしく描いている。
映画の設定が80年代だったこともあり、僕自身の高校時代の頃の空気感や音楽を思い出しながら観ることができた。
誰もがその中にいる時は、本人たちは気づいていないのだ。その頃の数年間が、人生におけるクライマックスの数年間であったということを。
眩しいほどに輝いている青春映画。
⭐️エブリバディ・ウォンツ・サム‼︎ 世界は僕らの手の中に』http://everybodywantssome.jp/sp/index.html

PK

映画『PK』は、日本でも大ヒットした映画『きっとうまくいく』の監督と主人公が再びタッグを組んだインド映画。
PKとは、インドで酔っ払いという意味だそうだけど、この映画の主人公は、ちょっと変わった言動から、PKと呼ばれている。それもそのはず、PKは地球に調査にやってきた宇宙人なのだ。
地球上で生きる上でのあたりまえの常識はまったくもっておらず、純粋な目で人間の社会の嘘や矛盾を白昼の元にさらけ出していく。
映画のテーマになっているのは、神様や宗教のおかしさだ。
世界には様々な宗教があるけど、なぜ自分たちの神様だけが絶対であり、他の神様は認められないのか。なぜ神様にすがる人間に対して神様はお金を所望したり、わざわざ苦しい道のりを歩かせるのか。さまざまな疑問がまっすぐに投げかけられる。
ゲラゲラ笑えて、最後には人間にとって何が一番たいせつなのかに思いを馳せる、興味深い映画。
⭐️PKhttp://pk-movie.jp/sp/

Nの夢。

10年間つきあっていた、僕がかつて一生添い遂げようと心に誓っていたNは、2年前の春に病気で亡くなった。
Nとは当時連絡を取らないようになっていたのと、女性と結婚していたこともあり、僕は1年近く経ったのち、Nが亡くなったことを知ったのだった。あれからNの命日近くには和歌山へ行き、お墓参りをしているのだけど、昨日の夜、Nが亡くなってからはじめてNの夢を見たのだった。
夢の中でNは、僕の横に寝ていて、それはNが亡くなった後10日経った状況だった。そうであるにも関わらず、Nは僕が話しかけると答えてくれて、まだ本当の意味では死んでいないのだと思ったのだった。
Nの奥さんと僕が食事をする約束をして、僕は心の中で、「きっと泣いてしまって話にならないんだろうな・・・」と思っていたところで、真夜中に夢から覚めたのだった。
恐い夢だったわけではないのだけど、僕は震えていて、少し泣いていた。もう随分前に、自分の中では受け入れたと思っていたNの死は、未だに僕の中に消化しきれずに、悲しみとなって眠っているように感じられたのだった。
トイレに立って、水を飲んでも眠ることが出来ず、しばらく布団の中でNのことを考えていた。
僕「Nが逝く時に、そばについていてあげたかった・・・」
そんなことを考えながら、涙が頬をつたった。
すると、いつもは爆睡して僕がトイレに立っても決して起きることのないKが、むくむくと起きて、僕に聞いた。
K「ただしくん、どうしたの?」
僕「Nの夢を見たんだよ。亡くなってからはじめて・・・。そばにいてあげられなかったのがつらくて・・・」
すると、凍えるような僕の手を、Kはしっかりとにぎり、ぎゅっと抱きついて来た。
僕は、Kにしっかりと抱きつかれながら、ぐるぐるとNのことを考えていたのだけど、気がつくとまた深い夢の中に落ちていった。