生うどん。

イタリアには、300種類を超えるパスタの種類が存在するけど、日本の麺類の多さも、アジアの坩堝を思わせる発達ぶりではないだろうか。
僕が好きな麺類に順番をつけるとするならば、うどん。パスタ。蕎麦。素麺。という順番。ラーメンという選択肢は存在しない…
今日は、酔っ払って帰って来て、伊勢丹に出店していたので買ってあった生の讃岐うどん(八割研磨生うどん)をいただいた。
たっぷりのお湯に入れて、時々かき混ぜながら茹でること12分、しっかりとしていながら、透き通るような麺が出来上がった。
茹でたての麺は、おつゆを少しと薬味だけで、一瞬にして喉を通り抜けて行った。
冷凍でも、味を損なわず、素晴らしい復元力を見せるといううどんでも、やっぱり生のうどんには叶わない。
「日の出製麺所 http://www.hinode.net/」

球根

水が与えられて
光を感じることができたら
球根は芽を出し始める
自分が何ものであるのかも疑わず
少しずつ葉を出し
やがて蕾をのぞかせる
ほのかな温かさの中で
誰かが見ていなくとも花を開く
球根は 知っているのかもしれない
僕の知らないもののことを
[写真 : 三越の屋上のチェルシーガーデンで、売れ残っていたアマリリスの球根を大人買いしました]

愛、アムール

「愛」をテーマに扱った映画は、あまたあるけれど、
ここにまた、新たに「愛」を描いた恐ろしい作品が生まれた。
今日は、友人Mに誘われて、アカデミー作品賞、監督賞、
主演女優賞、脚本賞、外国語映画賞などにノミネートされている
ミヒャエル・ハネケ監督による、「愛、アムール」を試写会で観た。
80歳を超えた音楽家の夫婦が暮らすパリの瀟酒なアパルトマン。
人生の幸福も苦渋もともに味わい、乗り越えて来たふたりは、
老齢にさしかかり、目の前にまた新たな困難が立ちはだかる。
ミヒャエル・ハネケの作品は、
はっきりとした社会性のあるテーマを持ち、
観た後にとても重たい何かを残す。
観た人はそれを容易に流すことができず、
後々まで映画のことを頭の中で思いめぐらす。
感傷をいっさい省いたハネケの演出は、冷徹であるけれど見事だ。
ジョルジュ役のジャン=ルイ・トランティニャンの献身的な愛を、
息を呑みながらひたすら見守ることしか出来なかった。
年老いたアンヌ役のエマニュエル・リヴァの、
こちらをじっと覗き込むような瞳に、何度も目頭が熱くなった。
なぜなら彼らは、
僕の母であり、僕の恋人であり、将来の僕であったからだ。
カンヌ映画祭 パルムドール、ゴールデン・グローブ賞 外国語映画賞
★「愛、アムール http://ai-movie.jp/」3月9日(土)〜全国ロードショー

ブリしゃぶ

今日は、今年最後の会社の新年会でブリしゃぶをいただいた。
薄切りで出された綺麗なブリを、お出汁の入った鍋に、2〜3秒間くらいしゃぶしゃぶして、ポン酢でいただく。
魚介類のしゃぶしゃぶは、金沢で毎年いただくのだけど、東京では始めての経験。今日もきちんとブリが入荷されていた。天候によっては、鯛などの他の魚になることもあるらしい。
ブリは、刺身に限るといつも思っているけど、たまにはしゃぶしゃぶもいいかもしれないと思えるのは、湯通しすることによってぐっとブリ本来の甘さを引き出してくれるから。
刺身の盛り合わせも、ちゃんとしていて美味しいし、牛蒡の天ぷらや、鳥肉の柚子胡椒和え、締めのうどんも美味しかったなぁ。
この店「いっぱし http://s.tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13041208/」は、銀座の外れにありながら、飲み放題で5000円とは、なかなか良心的。会社の飲み会なんかで使える店です。

confit de canard

80℃くらいで、のんびりと…

完成!

鴨の脂に閉じ込めて、冷蔵庫へ。

昨日、鴨が配達されてきたので、酔っぱらって帰って、おもむろに鴨を冷蔵庫から取り出し、塩をふり、擂り下ろしたにんにくをまぶし、タイムをまとわりつけて、冷蔵庫に寝かせておきました。
午後には、塩鴨のようなものが出来上がっていて、鴨の脂を80度に温め、鴨を入れてのんびりと80度から90度を保ちながら煮込むこと90分。鴨のコンフィの出来上がりです。
このコンフィという料理、低温でじっくり火を通すので、仕上げに外の皮をカリッと揚げて、中のお肉はしっとりと柔らかいまま仕上げることが出来るのです。
少し時間がかかるけど、実は作るのは簡単で、鴨の脂に閉じ込めておくだけで、冷蔵庫で1ヵ月は日持ちが効きます。食べたい時には鴨を取り出し、脂で炒めるだけだから、お腹が空いて帰って来ても、すぐに食べることができる。正にフランス料理の知恵ですね。
夕食に1本、鴨の脂で6分くらい炒めて、赤ワインとともにいただきました。付け合わせには、よくジャガイモをフライにして出されることが多いのですが、これも鴨の脂で揚げると美味しいですよー。

Dの旅立ち。

Dは、27歳の中華系アメリカ人。スタンフォードを卒業した後、東京に来て、Rに勤めていたが、辞めて、アメリカで家族の経営する会社をやることに。アメリカに帰る前に、台湾大学に中国語を勉強するために台北へ、二月から半年間行くことに決めた。
今日は、彼の家で、最後のホームパーティーがあり、30人近い人が集まった。
Dとは、バー「Bridge」で隣り合わせたのが始まりだけど、仲良くなってたびたび一緒に食事をしたり、台北に一緒に遊びに行ったこともある。先日も送別をかねて食事をしたのだけど、年齢や国を越えて、心の通じる友達だ。
台北に行き、その後アメリカに帰国してしまうことを考えると、少し寂しい気もするけど、ゲイであるというセクシャリティーをオープンにして生きている彼自身、日本は大好きだけど、アメリカの方が暮らしやすいという決断でもある。
このところ、写真にあげた、オバマ大統領の就任演説が話題になることが何度かあった。年下の日本人の恋人も出来たけど、ゆくゆくはその恋人も、アメリカに行き、グリーンカードを取るのが夢だという。
自分のセクシャリティーに正直に生きて、どうすることが一番ふたりにとって幸せなことなのか、よくよく考えての決断だろう。
若くても、明晰で、勇気に溢れるDの決断を、僕も、応援している。

好きなものを追いかける人。

Tは、仙台出身で、早稲田大学を卒業した後、大手証券会社に入り、三年の後に証券会社を辞めて、スポーツクラブのインストラクターになった。
中学生のようにまっすぐな瞳で、口元にご飯粒でもついているのに、気づかすに大きく笑っているような、どこか純朴な人柄。
証券会社は、給料は良かったけど、ある時、給料をいくらもらってもどこか満たされず、自分はこの世界では一番にはなれないと気づいて、大好きなスポーツの世界に転職をした。
スポーツクラブでは、いつでも変わらぬ元気な笑顔でみんなの人気者だけど、しばらく働いた後、このままここにいるだけでいいのかと思い始めていたようだ。
今日、久しぶりに会ったTは、僕に会うなり、「五月にアメリカに行きます」と宣言した。
一週間お休みをいただいて、フロリダのスポーツ施設や現場を見て、二年後にアメリカにスポーツインストラクター留学したいという計画を話してくれた。
好きなものに向かって、挑戦をしている人は、美しい。やりたいことに対してがむしゃらだったり、無鉄砲な人が、僕は好きだ。
26歳という若さと、彼の情熱があれば、きっと、どんなことだって出来る。そんな彼を見ていて、ちょっと嫉妬してしまった。
いくつになっても、諦めたり、守りに入らずに、自分の好きなものを追いかけ、好奇心旺盛でいたい。
Tの真剣な眼差しを見ながら、そう思った。

ライフ・オブ・パイ

この映画を観た後に、長い小説を堪能したような読後感に包まれて、呆然としてしばらく席を立てなかった。
アン・リーは、イギリスのブッカー賞も受賞している小説「パイの物語」を、3Dという手法を使うことによって、見事な映像作品を作り出した。
このところ、3Dは単なる「技術」という枠を超えて、映画の世界に大きな可能性を拓いて来ている。この映画も、3Dや高度なCG技術があったからこそ、実現出来た作品だ。それ故に、この映画は、DVDなどで観てはいけない。必ず劇場で大画面の3Dで観ないと価値がないだろう。あの体験を、2100円で味わえるのなら、なんて安いことだろうか。
「虎と漂流した227日」という副題にもあるように、少年と虎という不思議な組み合わせが、大海原を漂流する突拍子も無い話は、「少年の成長を描いた物語」であり、「人間と神の物語」でもある。
何よりもこの作品で心地よいのは、主題をハッキリと伝えるのではなく、観る人それぞれにゆだねているところだ。
生きること、宗教、人生、運命、神、動物、野生、神秘、宇宙・・・この映画を体験して、あなたは何を思い、何を考えるだろうか。

Hのお見舞い。

今日は、大学病院に友人Hのお見舞いに行った。
Hは、19回目の入院をしている。
今まで、ほとんど大きな病気にかかったことのない僕でも、Hの2年間にも及ぶ闘病生活は、並大抵のことではないことは分かった。それとともに、病気に負けないHの心の強さを、改めて凄いと思った。
入院していない間は、Hは自宅で療養していた。実家がそばにあるとはいえ、一人で毎日家に閉じこもっていることは、本当につらいとつぶやいた。
人間は、一日に何百万ということを考える生き物だ。それがどこにも向かう相手がいなくて、全て自分の頭の中だけで堂々巡りしている毎日だとしたら、あまりにも重苦しいに違いない。
幸い、病室からは眺めのいい景色が広がっていた。東京の真ん中で、低層の家々が遠くまで抜けて見える病室は、Hの病院生活に安らぎをもたらしているようだった。
僕と、ほぼ同じ年のHは、最近つきあい出した僕とKの話を、興味津々で聞いているように見えた。きっと、僕と同じ、若い子専だからだろう。
何気なく過ごしている毎日は、「健康である」というだけで、本当は奇跡のように有り難いことなのだ。それを決して忘れないようにと、肝に銘じた一日だった。
少しずつよくなって来ているHの病状が、きちんと快復して、若い子と一緒に、僕に向かって微笑む日を願っている。

Bolognese

イタリアには、日本にあるナポリタンなどないのは、みんなが知っているけど、ボロネーゼと呼ばれているソースは、日本で知られているボロネーゼとは、実はちょっと違っている。
ボロネーゼとは、食の都で知られるボローニャの料理。ボローニャは、エミリア=ロマーニャの州都で、ヨーロッパ最古のボローニャ大学がある。
日本のボロネーゼと、本場のボロネーゼとは、どこがどんな風に違っているのかを知るには、ボローニャに行ってボロネーゼを食べるか、そうでなければ、「EMILIA http://www.ciao-emilia.com/」に行くかだろう。
今日は、会社の連中と、今年2回目のエミリアで、幸福な新年会だった。
どうやら、みんなのイタリアンに対する考えが、少し変わったみたい。
うれしいな。