宗田節醤油。


3年前だろうか、Kと二人で高知に遊びに行った時に買ってきた「宗田節醤油入れ」が雑貨屋さんに置いてあったので買ってきた。

これは、あらかじめ瓶の中に「宗田節」が入って売っていて、自分で好きな醤油を入れて土佐醤油を家庭で簡単に楽しむためのもの。

使ったら継ぎ足し継ぎ足し醤油を入れながら、2年間くらいは十分使えるのだ。

湯豆腐や冷奴など、ほんの少しカツオの風味があると、毎日の食卓が豊かになる。

ごまだし


大分県の佐伯特産の、「ごまだし」なるものを買ってきた。

豊後水道鶴見港佐伯「漁村女性グループ」と書いてある。中身は、ごまの香りのするペーストで、アジ、醤油、みりん、ごま、砂糖。それだけ。んあんというか、冷汁にも通じる感じ。

大分では、これで「ごまだしうどん」を作って食べるらしいけど、僕たちはまず冷奴にのせて食べてみた。

アジの出汁が効いていて、淡白な豆腐にも風味が加わって美味しい。

大分出身のKは、地元のくせに知らなかったようだけど、興味津々で食べていた。

「漁村女性グループ」という名前に笑ってしまったのは、大分県の漁村育ちのKのことを、いつも僕が、「漁場の生まれだからな」とKのことをからかっているから。

僕の引っ越しと母の思い。

熱海への引っ越しを考えはじめてから、もう数軒家を内見に行った。

そんな中で、「ここに住むのもいいかもしれない」と思うような物件にも出会った。

東京を離れることが現実味を持ちはじめた今、千葉で暮らす今年80歳になる母に、引っ越しすることを早めに言わなければという思いから、電話をかけると、

「あら、熱海いいわね。あなたが小さい頃夏によく行ったわね…」

軽く了承したような声だったけど、その後1時間もしないうちに電話が鳴った。

「やっぱり、熱海は遠いから…
お母さんなんだか寂しいわ…
お父さんにはまだ言えないわね…
なんというか分からないし…」

電話を切って、僕も母のことを考えた。

「母の身に何かあった時は、どれくらいの時間で駆け付けられるだろうか?」

「父と母のどちらかが病院や介護施設に入ってしまったら、どれくらいの頻度でそこへ行けるだろうか?」

新しい環境に移る時には、良いことも、不安なこともある。頭の中にぐるぐると色々なことが浮かんだ

でも冷静に考えてみると、熱海から東京駅まではおよそ45分だから、時間にすると今住んでいる渋谷区からとそれほど変わらないのだ。

そう思ってもう一度母に電話をかける。

それでも母の声は、やはり少し寂しそうだった。

ペアのグラス。

宮古島で昨年買ったペアのグラスの1つが、僕が高い棚から取ろうとした時にうっかり落としてしまい割れてしまった。

それからもう一つ買い足そうと、宮古島でグラスを手に入れたお店『和毛』のホームページを調べたけれど、オンラインはやっていなくて残念に思っていた。

先日、宮古島に行った際に『和毛』に寄り、割れたグラスを探すも、一つ一つ手作りのため現在は取り扱いがないことがわかった。

「作家さんに問い合わせてご連絡しますね!」と言うことで、後日問い合わせたところ、丁度2つ残っているとのことで、送っていただいた。

届いたグラスは手作りのため、前回買った左のものよりも、若干厚みがあるみたい。

僕は、やってきた2つのグラスを出して使おうと思っていたのだけど、倹約家のKはまた僕が割るかもしれないと思ったのか、1つのグラスを包んだまましまってしまった。

それでも、これでまたふたりでペアで飲めることを喜んだのだ。

⭐️アトリエ和毛https://instagram.com/atelier.nicoge?igshid=1p16ykaroxtc7

疲れたら、うなぎ。

東京は、梅雨入りが早かったのに、雨の日が多く湿度も高く、未だに梅雨が続いている。

リモートワークでほとんど家にいるにもかかわらず、湿気の高い気候のせいか、ちょっと疲れが溜まっている気がして、久しぶりにうなぎを食べた。

いつもは土用の丑の日に食べるのを、今年はコロナのせいで食べずに過ごしていたのだ。

『登亭』は、前にも何度かここに書いているけど、新宿や銀座にあって、比較的手頃な値段でうなぎが食べられる。

実は、うなぎはKの好物で、「昼ごはん何食べようか?」「うなぎにする?」と言うと、急に目の色が輝くようなところがある。

大抵、『竹』を頼んで、僕が半身残してKに食べさせるのだけど、うなぎを食べている時のKは、とても幸せそうだ。

⭐️登亭http://www.noboritei.co.jp/shop/ginza.html

ぶあいそうな手紙

何も前知識もなく観に行った映画「ぶあいそうな手紙」は、ほっこりするようなかわいいブラジルの映画だった。

78歳のエルネストは妻を亡くした後、一人でひっそりと大きな家に暮らしている。年々視力が落ちて来ていて、今ではぼんやりとした輪郭しか見えない毎日。隣家のおじいさんが、毎朝気にかけてくれている。

息子は都市に住んでいて、父親のことを心配しながら、古い家を売っぱらって一緒に住もうとしている。

そんなある日、散歩から帰って来たおじいさんは、たくさんの犬を散歩させていた若い娘に出会う。おじいさんの元には昔の友人から手紙が送られて来ていて、その手紙を若い女の子に読んでもらうことから、人生が思いがけない方向に転がり始める。

カエターノ・ヴェローゾの艶やかな歌声と、美しいブラジルの詩が重なる。目の見えない78歳のおじいさんと23歳の女の子は、年齢の差を超えて、人生を膨らませていく。

ストーリーの行方のわからない展開の、とてもよくできた脚本。

⭐️ぶあいそうな手紙http://www.moviola.jp/buaiso/

BOYS IN THE BAND

新型コロナの影響で、中止になるかと思いきや、公演はどうやら決行するようで、渋谷のシアターコクーンにKと二人で楽しみに「BOYS IN THE BAND」を観に行った。

僕たちはこの邦題「真夜中のパーティー」を、東京の劇団ぺんぺんの芝居で何度か観ているのと、一昨年の夏にニューヨークのブロードウェイで観ている。

芝居自体は言葉の多い会話劇で、その当時のニューヨークやゲイシーンならではの言葉がたくさん散りばめられているが、何度も観ているおかげで登場人物のキャラクターはバッチリ。(この芝居を初めて観る時は、ゲイのキャラクターが何人も出てくるので、台本を手に入れて予習をしていった方が楽しめると思う)

結論から言うと、今回のシアターコクーンでの芝居は、ちょっと残念な結果だった。

唯一よかったかなと思ったのは、アランくらい。これはもしかしたら、大谷亮平が単にタイプなだけかもしれない・・・笑。ハンクとバーナード、ドナルドも悪くなかったけど、他はちょっとがっくり来た。

どの登場人物もとても重要なのだけど、やはり主役はマイケルであり、それを支えるゲイテイスト満載のバーナードそれにオネエキャラのエモリー、そして男っぽさを醸し出すアランが最も重要な役だろう。

この芝居はできるならば、ブロードウェイ公演のように、全てのキャストをゲイで揃えることが望ましいと思う。なぜならば芝居の最も重要な背骨にあたるものが、「ゲイ」であることだからだ。

ゲイってこんな感じだよな・・・オカマってこんな感じ・・・と、演じられるゲイの役は、どうしても最後までしっくりとこないものだ。

それでも、久しぶりに芝居を生で観ることができて、僕たちは2時間をとても満喫したのだった。

⭐️BOYS IN THE BANDhttp://BOYS IN THE BAND

熱海のレストラン「スコット」と「MON」。

熱海は、首都圏からの観光客も多く、別荘地として訪れる人も多いため、美味しいレストランや和食店はたくさんある。

「スコット」は、昭和21年(1946年)開業。熱海に暮らしていた志賀直哉や谷崎潤一郎等の文豪たちに愛されていたレストラン。デミグラスソースが濃厚で美味しかった。接客も素晴らしいしお店のオリジナルのお皿もとても可愛い。昭和の薫り漂うレストラン。

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「MON」は、四季折々の相模湾、駿河湾の新鮮な魚介類を前菜・パスタ・メイン料理に取り入れた「熱海風イタリアン」。海辺の街では、お寿司やお魚の和食もいいけど、こんなイタリア料理が無性に食べたくなる。

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来宮神社と伊豆山神社。

移住先を考えた時に、なぜ熱海にしようと思ったかというと、子どもの頃から夏休みは「伊豆」に遊びにいくというのが、慣例だったから。

伊豆の中でも、「伊東」、「熱海」、「下田」、「真鶴」という町に、特に思い入れがあって、親戚のおばさんやいとこたちと毎年遊びに来るのが楽しみだったし、父は父で、伊豆の岩場の海を好んだので、伊豆に来て海に潜るのを楽しみにしていた。

実は「熱海」は、昔は新婚旅行や観光地のメッカだったのに、80年代後半から90年代には観光客が減り続けて、やがて「熱海=終わった町」のようなイメージに成り下がり、旅館も次々と閉館し、商店街もシャッターを閉じて、住民の高齢化とともに街は死んだようになっていった。

その後、2000年代に入り、Uターンで戻って来た熱海出身の人々や地元の人々の団結によって見事に復興を遂げたのだけど、今や熱海は昭和の面影も色濃く残した魅力的な街に変貌を遂げた。

熱海には、駅から海を見て右側に、平安初期の征夷大将軍坂上田村麻呂公が戦の勝利を神前で祈願したという「来宮神社」があり、樹齢2000年を超える大きな楠が聳えている。

幹の周りが24メートルもある

また、熱海駅から海を見て左側の山の上には、「伊豆山神社」があり、源頼朝が信仰した神社として知られ、源平合戦の折には、頼朝はこの地で挙兵し、勝利を祈願したという伊豆という地名の元になった神社。


どちらも穏やかな空気に包まれていて、山の中のような不思議ないい香りがした。

家探しの旅。

翌朝の多賀の海。


仕事が終わって、暗くなりはじめた頃に熱海に着いた。今回は旅行ではなく、家探しで熱海に来た。

下田線に乗り換え、2駅先のほとんど人も降りない「伊豆多賀」という駅で降りる。鄙びた駅は、駅員さんがいなくて、のんびりと蝉が鳴く山を降りていくと、海が広がっていた。

途中、内見しようとしていた家があり、ちょっと思っていたものと違ったので、内見を取りやめることにして、宿へ向かう。

宿には宿泊客はまだおらず、結局僕たちだけのようだった。

住んでみようかと考えているのは、熱海を中心とした前後の町。海が近くにあって、山もあるような場所。本当はもっと仕事場に近くであればよかったのだけど、希望を満たすものは、千葉や湘南にはなかったのだ。

伊豆多賀の町はとても小さく、コンビニさえも2つくらいしかない。7時半頃に着いた僕たちは、食事をする場所がラーメン屋さんか定食屋さんしかないと知らされ伊豆多賀の現実を思い知らされた。

でも、今までの僕たちの東京での生活が異常だったのだと思う。

引越しが決まったら、きっとこんな驚くことの連続なんだろうな。でもそれもちょっと楽しみに思える。