春の競演。

黄色いクロッカスぎ咲きはじめた。

水仙が伸びはじめた。

バラの枝の誘引。

日記を読み返すと、昨年は3月12日にバラの枝の誘引をやっていたようだ。
毎年遅くても2月にやろうと思いながら、寒さのため外で園芸作業をする気にならず、いつも暖かくなってきてから慌ててやる羽目になる。
今年は春の芽出しが早いみたいで、バラの芽もすっかり動き出したので、慌てて会社に行く前にバラの枝の誘引をした。
本来ならば、芽がまだ動き出す前にやるのが望ましい。葉が出はじめた頃のバラはその葉も取れやすく、それは蕾を落としているのと同じことになるから。
我が家のベランダにも、春が一気に来たようで、球根を植えたいつもの大鉢も、水仙やクロッカスが芽を伸ばしはじめた。
毎日慌ただしい仕事に追われていても、ふと気がつくと季節は確実に春になっていたのだ。
今年の我が家のベランダの花々たちは、いったいどんな春の競演を繰り広げてくれるだろうか。

仕事の条件。

1月からKは、新しい病院で働きはじめた。
2ヶ月働いている様子を見て感じることは、前のクリニックの時のように土曜日の休みがなくなり、週休1日になってしまったこと。それから、それ以外の休暇が夏休みどころか全然取れないということ。毎日の仕事も残業が多く、決まった時間には上がれない。
ちょっと疲れ気味のKを見ていて僕も心配になり、「新しく働きはじめたばかりだけど、このままここで働いていても条件は変わらないだろうから、思い切ってまた新しい病院を探してみたらいいんじゃない?」と言ってみた。
今の病院で働くメリットが、自分の将来のために勉強になるとか、特別給料がいいなど何かあればいいのだけど、そんなことも何もないのに、過酷な状況で働き続ける理由などないではないか。
若い頃、僕も毎日夜中まで働いていたし、休みもあまり取れずに働いたこともあった。それはそれで僕たちの職場では当たり前だったし、それゆえに達成できたことや成し得たことも沢山あると思う。でも今は、時間こそがいちばんたいせつなものだと身にしみてわかっている。
僕とKが、ふたりで一緒に過ごせる時間がいちばんたいせつなのだ。
病院勤務の実態は、実はかなりブラックであるのは当たり前のようだけど、自分の希望を優先して、新しい仕事を探した方がいいのではないかと、ふたりでゆっくり話合っているところ。

『同性婚』と『同性愛に対する差別や偏見』

今回の同性婚に関する訴訟のあとで、偶然なのか、何人かの方から同じようなことを言われた。
「全国一斉同性婚訴訟のニュースが流れた時に、偶然母と見ていたのだけど、母は否定的な意見を言っていた」
「同性婚のニュースが流れた時に、母が、気持ち悪いわね・・・」って言ってた。
こういったことを自分の肉親から聞くと、どんなに悲しい気持ちがするだろうか。
僕は今回の同性婚訴訟に関して、当事者も含めた周りの人々のコメントで、ちょっと気になっていることがあった。それは、『同性婚』と、『同性愛に対する差別や偏見』が、ごちゃ混ぜになって語られていたこと。本来ならば、『同性婚』と『同性愛に対する差別や偏見』は、別の話なのだけど、この二つは密接に繋がっているのも確かなこと。
テレビでたびたび問題になり、ネット上でも炎上するLGBTに関する問題発言のほとんどは、実は単なる『無知』から来ているのだと僕は思っている。『無知であるがゆえの発言』は、時として人を深く傷つけることがある。
僕は今回、どういうわけだか原告という立場になったのだけど、今後『同性婚』とは別に、『LGBTに対する正確な知識』を啓発していくことがたいせつだと思っている。
『LGBTに関する正確な知識』があってはじめて、『同性婚』に関する話し合いは出来るようになると思うのだ。
ディズニー・チャンネルの人気ドラマ『アンディ・マック』で、同チャンネル史上初めて同性愛者であることをカミングアウトしたサイラスを演じるジョシュア・ラッシュに以下のコメントが寄せられた。
「このドラマには、素晴らしいメッセージがたくさん含まれているだけに本当に残念。でも、同性愛の描写は若い視聴者にとって悪影響だと思う。ディズニーは誤った選択をしたね」
このようなコメントに対して、ジョシュア・ラッシュはこんなコメントを残している。
 「君がそのように感じていることを残念に思うよ。では、ここからが本題だ。君がどう思おうと、同性に好意を抱く子供は存在し続ける。だからこそ、僕らはすべての子供たちを平等に愛し、支えていく必要があるんだ。もし誰かが自分は同性愛者であると気づいた時、自分と同じような人がほかにもいると知って欲しい。そうすれば孤独を感じることもない」
https://front-row.jp/_ct/17251973
コメントを寄せたファンは、軽い気持ちだったのかもしれない。でも、その知識不足の軽い気持ちで放った言葉によって、どれだけ多くの若者が傷つくだろうか。
性的指向や性自認に関することで、差別やいじめを受けることは不当なことだ。
それらはその人一人ひとりの個性のひとつであり、自らの力や他者の行為では変えることの出来ない属性であるのだから。

ふぐ。

アカデミー賞の発表の前に、映画『未来のミライ』を観に行ったら、亡くなった父のことを思い出して涙がにじんだ。
そして、急に父の大好きだったフグを食べたくなり、そのまま高島屋でフグを買い求めた。
北九州で生まれ、山口県で育った父にとって、フグは忘れられない味だったようで、僕の家は裕福な家ではなかったのだけど、父と暮らした小さな頃冬の間は、食卓にフグが何度も何度も上がったものだ。
大分と比べて東京で売られているフグの高さに驚いたKは、「そんなに買わなくていいよ・・・」と僕を止めるのだけど、どうしてもテッサも食べたいし、皮も食べたいし・・・唐揚げは諦めるけど鍋も食べたいし、やっぱり雑炊も・・・となってしまったけど、今年の冬の最後の贅沢ということで、たまにはいいかなと。
結局日曜日には食べられずに月曜日にずれ込んだのだけど、「おいしいね」「おいしいね」と言って、ふたりでフグを食べたのだ。
大分でフグを食べる時は、Kはお相撲さんのようにテッサを箸でザーーーーッと拾っては、一口で食べていたりしたのだけど、東京のフグの高さを自分の目で見たあとは、ちゃんと1枚ずつ噛みしめるように食べていたのがおかしかった。
「フグは、骨が硬いから、飲み込む前にきちんともう一度骨がないか確認しなさい」
小さな頃によく父が言っていた言葉を思い出して、「このフグを父にも食べさせてあげたかったなあ・・・」と、しみじみと思ったのだ。

サタデーナイト・チャーチ

映画『サタデーナイトチャーチ』は、勝手にトランスジェンダーの映画だと思っていたのだけど、見たところちょっとハッキリしないのだけど、女装に惹かれるゲイか、トランスジェンダーに目覚め始めた男の子が成長してゆく話だった。
ニューヨークのブロンクスの黒人家庭で暮らすユリシーズは、父親の死後、母親と小さな弟と三人で暮らしていかなければならなくなり、おばさんが家で夕食を作ったりして世話を見てくれることになる。
おばさんは非常に敬虔なクリスチャンであり超保守的な人。そんな中で、ユリシーズが今までうちに秘めてきた本当のセクシュアリティが目覚めはじめる・・・。
ニューヨークで実際に存在しているサタデーチャーチ(LGBTQ支援プログラム)にボランティアで参加していた人がはじめて監督として映画を作ったそうだ。サタデーチャーチとは、家を追われたり、家にいられなくなったLGBTの若者たちが集まれる場所で、そこに行けば孤立せず、お金はなくとも食物を得ることができて、楽しいイベントも開催されるような場所。
親に受け入れられず家に住むことのできなくなった社会的弱者でもあるLGBT若者の貧困問題と、セクシュアリティの揺らぎを、とても丁寧に描いた作品。突然歌い出したりするミュージカルシーンは僕的にはあまり必要なかったような気もするのだけど、みなさんはどう思うだろうか?
⭐️サタデーナイトチャーチhttp://saturday-church.com

アリータ:バトルエンジェル

映画『アリータ バトル・エンジェル』は、日本のSFコミック『銃夢』を、『アバター』のジェームズ・キャメロンが脚本化、監督は、『シン・シティ』のロバート・ロドリゲス。
結論から言うと、映画通にはあまり好まれない映画だと思うのだけど、一般の観客のハートをつかむ映画だと思う。『ボヘミアン・ラプソディ』はこういったタイプの映画だった。3D IMAXで映画を観ながら、なんだかゲームの世界に入り込んでしまったかのような錯覚に陥っていた。それも、随分リアリティのある未来的な世界へ。
面白かったのは、異常に脇役が豪華だということ。今をときめくマハーシャラ・アリ、名優クリストフ・ヴァルツ、年老いて尚美しいジェニファー・コネリー・・・ちょっと驚きの布陣ではないか。
僕がこの映画で一番評価をしたいと思ったことは、このアリータのキャラクターの美しさと表情の繊細さ。3Dの迫力あるアクション映像に加え、サイボーグと人間の織りなす親子や恋愛物語は、エモーショナルでところどころ涙を誘う。
その引きづり込まれるような大きな瞳にまっすぐに見つめられると、たとえサイボーグとはわかっていても心を掴まれるに違いない。3Dで作られたこういう作品を見ていると、アバターからまたどんどん映像が進化してきているのを感じることができる。
でも、結局一番重要なところは、原作の核の部分なんだろうな。
⭐️アリータ:バトルエンジェルhttp://www.foxmovies-jp.com/alitabattleangel/index.html

馳走こんどう

子持ちイイダコとうに

琵琶湖のもろこ

越前蟹と海老芋のグラタン

四谷三丁目は、実は食の激戦区で、ミシュランの星付きの店もいくつも混在している。
そんな中で、僕がずっと贔屓にしていた『和食こんどう』に、先日行ったら、顔見知りの大将はいなくて、全く別の人がシェフをしていた。
なんでも、前にいた大将がご病気をされて半年くらい入院した時に、一緒に働いていた方にお店をやっていただいていたのだけど、帰ってきたらその人にお客さんも付いていたので、そこの店はそのままかれに任せて新店舗を立ち上げたのだそうだ。
和食こんどうは、もう別の重たい味になってしまったので、僕はがっかりして帰ったのだけど、それならば新店舗に行ってみようと思いたち、外国からの友人とお邪魔した。
『馳走こんどう』は、値段がグレードアップしたけど、やっぱり前と変わらず美味しかった。
そりゃあ、京都の和食店のようにはいかないけれども、これだけ食べられたら東京ならば合格点だと思う。
早春だからか、東北の食材が多く、それぞれのお料理にこんどうさん独自の新しい料理にする工夫が凝らされていた。
和食なのにアンチョビをつけて刺身を食べたり、牡蠣にトリュフオイルを振りかけていたり、自分がおいしいと思ったものを和洋問わず組み合わせてみる姿勢が面白い。
最後のひつまぶしわ食べる頃には、一緒に来ていた外国人の友人は、「今度家族を連れて来たい」と、とても喜んでくれていた。
⭐️馳走こんどうhttps://www.gnavi.co.jp/dressing/article/22099/

博多風鶏の水炊き

白濁したスープ

博多では白菜ではなくキャベツ

セリや水菜など適当に

博多風の水炊きが食べたくて、久しぶりに家では水炊きを作った。
いつもは、鶏肉のモモのぶつ切りをそのまま煮込んで食べていたのだけど、今回は食べるお肉とスープ用のものと、分けてみることにした。
というのは、スープを取ろうと思うと、ある程度の長時間骨つき肉を煮込む必要があるし、でも鶏肉も長時間煮込んでしまうと、お肉自体が硬くパサパサになってしまう。
お店ではスープと食べるお肉とを別々にしているに違いないと思い、鶏ガラと手羽先に付いている羽根のような部分がとても安く売っていることを知り、その部分を買ってきたのだ。
名古屋コーチンの鶏ガラは300円。手羽先の羽根の部分も沢山あって200円くらい。
これを一旦沸騰したお湯で湯通しをした後、ざっと洗い、6リットルくらいの水に入れて、長ネギの青い部分2本分くらいと生姜を適当にスライスして入れて、今度は沸騰したらずっと強火で煮出し、途中あまりにも水の減りが早ければその都度水を足し、2時間経ったスープを見ると、きちんと白濁してくれていた。
そのスープで、鶏の骨つきぶつ切り1キロを食べる直前に20分くらい煮込んで、ポン酢でいただくと、まるで博多の店で食べているような水炊きが出来上がった。
Kも、「美味しい」と言ってぱくぱく食べてくれた。
ちょっと時間がかかるけど、今度からこれだな。

ヒヤシンス

11月から12月にかけて、水耕栽培を仕込んでいたヒヤシンスが、家中で盛りを迎えている。
水を入れた容器の中で、球根の下の部分だけ浸かるようにして、それを5個ずつダンボール箱に入れて寒さに3週間くらい当てて起き、今度は家に取り込むと、春が来たかと一斉に芽を伸ばす。
今の時期、ぼくの家では買ってきた切り花は必要なく、家のあちらこちらに置かれたヒヤシンスが濃密な香りとともに美しい姿をたたえている。
時々思いついた時に水を替えてあげるだけで、こんなにも長く楽しませてくれるヒヤシンスの球根、毎年のことだけど綺麗に咲いてくれる姿を見ているだけで宇宙の不思議を感じるのだ。

健康診断。

健康診断が苦手で、忙しかったこともあり12月の誕生月には行けず、延ばし延ばしにした挙句ようやく2月の終わりに受診する覚悟を決めた。
何が嫌なのかというと、「もしかしたらこの検診でどこか身体の悪いところが見つかるのではないか…」という漠然とした不安があるからだろう。
新宿2丁目のマスターで、20代の頃からもう20年近く健康診断に行ってないという人がいる。本人曰く、「絶対に何か見つかりそうだからもう行かないことにした」のだそうだ。
そのマスターほどではないにしろ、得体の知らない不安は僕にもわかる。だって、20代から40代にかけて、恐らく普通の人の3倍くらいはお酒を飲んでいただろうから。
この歳になると、『健康である』というだけでなによりも幸せなことなのだと身にしみるものだし、愛する家族を持った今は、自分ひとりの身体ではないのだと自分に言い聞かせ、必ず年に一度は健康診断で胃カメラを飲むようにしている。
胃カメラを飲むのが得意な人がいるけど、ぼくは断然苦手な方で、『この世の中にこんなに辛いことがあろうか…」と思う。
特に、胃カメラがはじめの方に喉元を通る時が一番辛くて、何度も「おえーっ」と吐き気が襲い、身体中が強張ってしまう。
「きっと、新宿二丁目のコレステロールのママは『ノド輪締め』の要領で、胃カメラなんてお手の物なんだろうな…」
そんなことを考えながら、今年の健康診断もウミガメのように泣きながら無事に終わりました。