LGBTA学生シンポジウム。

今の、LGBTの学生は、いったいどんな人たちなんだろう?という、単純な好奇心から、学生のシンポジウムに参加してみた。
僕が学生の頃も、いくつか団体があったけど、どちらかというと、セクシャリティでまとまるのが基本だった。今の学生は、ゲイだけでとか、ビアンだけでといった形に拘らず、様々なセクシャリティの人たちが参加出来るイベントも多いみたいだ。
33歳と35歳のアメリカ大使館に務める二人のアメリカ人ゲイカップルは、ワシントンDCとカンザスでは、同性婚に対する法律が違うので、今は結婚という選択を敢えてしていないと言っていた。
レズビアンのカップルで二人の子どもを育てている人の話も、まるで映画の『キッズ・オールライト』のようで面白かった。
でも、一番印象に残ったのは、17歳のFTMの子。トランスジェンダーであり、発達障害だという。学ランで来ていたのだけど、彼は、リストカットをしたこともあったようだ。
今回のTOKYO RAINBOW WEEKの主宰者でもあるFTMのFが出ているテレビを観て、様々なイベントに参加するようになり、どんどん変わってきている。
このイベントには、ストレートの人も、アセクショナル(無性愛者)の人も参加した。
アセクショナルの人は、今まで自分の中で抱えてた問題も、ゲイや、ビアンの友人のカミングアウトによって自分のセクシャリティの話をしてもいいかもしれないと思う機会があるという。
今回のTOKYO RAINBOW WEEKでは、セクシャルマイノリティの様々なイベントが、この時期に集まり、ネットでは体験出来ない、リアルに見たり聞いたり会ったりすることで、様々な場所で色々な花を咲かせているみたいだ。
※写真は、僕が作ったステッカー。それぞれ違う色でも、ギュッとみんなが繋がっている。

F T M? M T F?

人生で初めて、レズビアンバーに行った。
正確に言うと、ビアンがやっているミックスバーかもしれない。
妹的存在のG(また!)が行く用事があり、
それについて行っただけなのだけど、
お客さんの多様性に驚かされた。
F T M のゲイ(female to maleのゲイ)と、
M T F のレズビアン(male to femaleのレズビアン)
という人に初めて会って話した。
性と一言で言っても、実は多様であることをご存知だろうか?
1.カラダ(生物学的性)
2.ココロ(自分が認識する性)
3.好き(好きになる性)
これらのかけ算だから12通りのセクシャリティがある。(それに加えて、アセクシャルという性を認識しない無性愛者という人もいる)
ビアンだと思って話していた彼女は、
トランスセクシャルに近くて、
自分の胸に小さい時から違和感を感じていると言う。
手術をすることを何度も考えたけど、
天秤にかけると手術をして胸を無くすことよりも、
このままの身体で生きることを選ぶと話していた。
自分と違うセクシャリティを想像することはなかなか難しいけど、
実際に会って話してみたら、似ている所や違う所も含めて、
とても興味深い夜だった。

朝食、昼食、そして夕食

スペインには、巡礼の道の最後に、サンティアゴ・デ・コンポステーラという町がある。僕もいつか行ってみたいと思っている、ポルトガルの北に位置する聖ヤコブの町。その町で繰り広げられる、たった一日の話なのだけど、小さな町の様々な場所で、色々な人たちが食事をするシーンが紡ぎ出す群像劇。
何も知らずに、スペイン料理を見れるのだと思って観に行ったのだけど、最初は、ドキュメンタリーのように何気ない風景が、朝食があり、昼食があり、夕食へと展開して行くうちに、次第に、それぞれの人生のある重要なポイントのように見えて来て、それらがやがて重なり合い、交響曲のように響き始める。
監督が追求したのは、それぞれのシーンのリアリティなのだろう。一番驚いたのは、ゲイのカップルの話。弟がゲイなのだけど、ストレートのお兄さんに、カミングアウトしていないまま、お兄さんを新居の夕食に招くのだけど、もう、僕はドキドキしっぱなしだった。脚本がとてもよく出来ているし、役者の演技も素晴らしい。僕は思わずこの短い話の中で、涙が出てしまった。
表向きは円満に見える家庭、若い女と熟年男性のカップル、ゲイのカップル、老夫婦、繁盛しているレストランの姉妹、彼女のために毎食一生懸命食事を用意する男、朝から飲んでばかりいる男友達、町でギターを弾いて暮らしている男、ジプシーのような男・・・それぞれの人生が、食事をするという行為によって解放され、また次に繋がってゆく。
久しぶりに、よく出来た群像劇を観ることが出来た。それにしても、スペイン料理のなんと魅惑的なことか!来年辺り、久しぶりにヨーロッパに行けたらいいなあ。。。
★朝食、昼食、そして夕食 http://www.action-inc.co.jp/comidas/

イタリア映画祭2日目

天国は満席

それは息子だった

司令官とコウノトリ

美しい晴天の一日、朝からイタリア映画祭に行き、缶詰めで3本の映画を鑑賞した。笑
『天国は満席』★★★
いい年をした男三人が、それぞれお金に困り果て、やむなく共同生活をするというコメディ。ドタバタの日々が、イタリアらしいユーモアで溢れている。声を出して笑える映画。
『それは息子だった』★★★★
実際にシチリアで起きた悲劇を描いている。カメラワークが驚くほど巧みだ。ある家族に起こった事件が、どんどん予想の出来ない展開を見せ、やがて恐ろしい結末に。本来なら重過ぎる話が、監督の演出で素晴らしい作品に仕上がっている。おすすめの映画。
『司令官とコウノトリ』★
イタリアが陥っている経済危機に加えて、人間のモラルの低下などを扱った作品。水道管工事のお父さんと小学生の息子と年頃の娘の三人家族の話。
★イタリア映画祭 http://www.asahi.com/italia/2013/

TOKYO RAINBOW WEEK 2013

オランダ大使公邸

大使

over the rainbow

TOKYO RAINBOW WEEKhttp://www.tokyorainbowweek.jpが始まった。
今回、このロゴ、ポスター、チラシ、Tシャツなどをデザインさせてもらった。
TOKYO RAINBOW WEEKは、今年から始めて企画されたのだけど、
スポンサーや協力を様々な団体から得て、朝日新聞や東京新聞に取り上げられていた。
初日は、ここに何度も出て来ている、僕の妹的存在のGが主催する、
good aging yellshttp://www.goodagingyells.netというNPOの、
3周年パーティーがオランダ大使公邸であったので、参加した。
チューリップは散りかけていたけど、様々な花が咲き乱れ、
ゴールデンウイーク特有のさわやかな好天にも恵まれ、
200人以上の人が集まり、思い思いの話をしていた。
意外と、知らない人から様々に声をかけられた。
ネットで見て申し込んだ男性や、2丁目など行ったことのないビアンの子、
普段なかなか出会わないような人に会えて、有意義な時間を過ごせた。
オランダ大使館は、アメリカの次に、日本に大使館を構えた由緒ある建築物で、
庭の大きな樹木に囲まれ、とても気持ちのいい館だった。
大使の話も素晴らしかった、オランダでは、同性婚が認められて、
すでに12年も経つとのこと。今の若い子どもなどでは、
同性婚が認められなかった時代があるなんて本当???
という世代が出て来ているという。
ボリスさんhttps://readyfor.jp/projects/LGBT_Borisという人の話も興味深い。
彼は、LGBTの人権のために、世界中を飛び回って活動をしている。
世界には未だ、同性愛者が死刑になってしまう国が存在しているのだ。
good aging yellsの活動に、懐疑的な人たちが存在することも知っているけど、
どんな形であれ、LGBTなどのセクシャルマイノリティーの存在に、
社会の関心が向かう機会が増えることは、とてもいいことだと僕は思っている。
これからも、妹たちの活動を、微力であるけれども僕なりに、
陰ながら応援させてもらえたらと思っている。
本当に素晴らしいパーティーだった。
ありがとう!
★カラフル ラン東京http://www.tokyorainbowweek.jp/51-event/
5月1日19:30から、原宿、表参道エリアを、為末大さんと一緒に走るイベントがある。
まだ参加受付しているみたいですよー。

心安らげる場所。

外苑の銀杏並木

ジュゼッペ・ピッチョーニ「赤鉛筆、青鉛筆」

少しのんびりとしたい朝には、歩いて5分くらいの銀杏並木に来る。
高校の頃、よく学校をさぼってここに来ると、同じような仲間に会えて、そのまま原宿に遊びに行ったりしていた。
ベンチに座って深呼吸をする。今の時期は、銀杏の新緑が美しい。何があろうとここへ来ると、束の間であれ、人生は美しいと感じることが出来る。
今日から、イタリア映画祭http://www.asahi.com/italia/2013/が始まった。昼から、大好きなジュゼッペ・ピッチョーニ監督の『赤鉛筆、青鉛筆』を観た。★★★
学校で起こる物語を集めた群像劇。人生とは、秩序と無秩序で成り立っていることを、様々な角度で浮かび上がらせていた。
これからのゴールデンウィーク、僕にとっては、イタリア映画祭ウィークであり、Tokyo Rainbow Weekhttp://www.tokyorainbowweek.jp/です。

神様のマジック。

年末に買った球根のアマリリスがようやく咲きはじめた。
いつもは、11月頃に買って、コップの水につけるのだけど、
今回は遅かったので開花もちょっと遅くなった。
水と光だけなのに、どうしてこんな花が咲くのだろうか。
神様のマジックとしか思えない。

世界中のすべての愛し合う人たちに。

飲みに行ったら、5年前に別れたMに遭った。
店に入ってしまったので、すぐに帰るわけにもいかず、
しばらく狭い空間で息を殺していた。
Mとは、10年間ともに生きた。
Mのことを、心の底から愛していたし、愛されていた。
あんな10年間は、もう僕には訪れることはないのかもしれない。
今までの僕の人生で一番つらかった出来事は、
Mが事故に遭い、顔面を損傷した時だ。
朝方、Mがミイラのように顔中に包帯を巻いて警察から帰って来た時は、
嗚咽のように泣く彼を抱きながら、世界が終わってしまったと思った。
大学病院に連れて行き、長い間待たされて、やっと先生に会えたら、
顔以外には、身体が動かないなどの問題はないし、
ベッドも空きが無いので入院はさせられないと言われた。
僕は、「顔がミイラのようになっているのに、
コンビニにも行けないし、今は精神的にも落ち込んでいて、
普通の暮らしはとても出来ないと思うのです。
車椅子に乗ったまま意気消沈している彼を、
なんとか入院させてもらうことは出来ませんか?」と頼み込んだ。
その時、女医さんは、不機嫌そうな顔をして僕に言った。
「貴方は、患者さんと、そもそもどういうご関係なのですか?
親族でもない方に、そんなことを言われても・・・」
結局その病院は諦めて、友人のお医者さんに頼み込んで、
一時的に入院させることは出来たのだけど、あの時に思った。
『自分の一番大切な人が事故に遭っても、
僕には病院で彼のそばに立ち会ったり、治療をどうするかなどと
先生と話すことや決めたりすることも出来ないのだ』
フランスで同性婚と養子を持つことを認める法案が下院で可決された。
根強い反対意見はあるものの、このままいけば世界で14カ国目の
同姓婚を受け入れる国になるという。
保守的な日本は、同性婚を認めるまでに、
恐らくかなり長い時間がかかるだろう。
世界中のすべての愛し合う人たちが、
法の下で、平等の権利を持つことが出来る日を願うばかりだ。

ゲイ映画。

GF*BF

AQFFselectionソ・ジュンムンプログラム

イ=ソンヒイル監督トリロジー

僕の好きなゲイ映画を挙げると、
『トーチソング・トリロジー』
『真夜中のカウボーイ』
どれだけ時代が経っても、色褪せることの無い普遍的なものが、この映画にはあると思う。
ブロークバック・マウンテン、ミルク、シングルマン、モーリスなどがそれに続くかもしれない。
多分、人によってその映画を観るタイミングとか、時期というのもあるのだと思う。
アジアンクィア映画祭というのが、5月の終わりに開催されるようだ(それにしても、なぜ映画祭のタイトルに、クィアをつけているのか、よくわからない)。
こういう映画祭があるからこそ、観ることのできる映画があるというのは有り難いことだと思う。
台湾の映画『GF*BF』は、チケット発売日に前売り券が完売している。そういうこと聞くと、俄然観たくなりますよねー
★第4回アジアンクィア映画祭 http://aqff.jp/2013/index.php
★TOP50 GAY FAVORITE FILMS! http://www.imdb.com/list/kOEqaFu3-vw/
1位は、ブロークバックマウンテン、2位は、ミルクだと言うのが分かる。8位の、『Were the World Mine 』(2008)という映画が、このTOKYO RAINBOW WEEKhttp://www.tokyorainbowweek.jp/で、4/29(月)に、1日限りで上映される。http://www.youtube.com/watch?v=9y1w0rwUHTs&feature=youtu.be
★人生を変えたゲイ映画 http://matome.naver.jp/m/odai/2133279383985828001
ケレルとか、モーリスとか懐かしい…

孤独な天使たち

ベルナルド・ベルトルッチの10年ぶりの監督作というので、
期待と不安を胸に、シネスイッチへ。
14歳の繊細で引きこもりがちな少年が、スキー合宿をさぼって、
異母兄弟であるお姉さんとふたりだけで、
1週間せまい地下室で隠れて過ごすという青春映画。
映画自体、思春期の危うい官能をうまく表現していると思うし、
このお姉さん役の女優が不思議な美しさを秘めている。
10ccの『I’m not in love』で始まり、
デヴィッド・ボウイの曲でクライマックスを迎えるところも、
観ていてなんだか恥ずかしくなるくらい青春ど真ん中な作りだ。
それにしても、やはり気になるのは、
『暗殺の森』や『ラストタンゴインパリ』を撮ったベルトルッチが、
72歳になり、なぜこのような思春期の少年映画を撮ったのだろうか?
彼のインタビューを見ると、病気か事故か分からないけど、
いつの間にか車椅子生活になったことを知った。
<失意のからの新たな出発>ベルナルド・ベルトルッチ
自分が(病気のせいで)動けなくなったとき、映画監督としての日々は終わりを告げたと思った。もう映画を作らないという思いは、ひとつの章が幕を閉じ、別の章が幕を開けたことを意味する。だが私にはそれが何かわからなかった。自分が動き回るのに車椅子が必要だという事実を納得して受け入れるために、私は苦悶した。そして少しずつ自分の状態を受け入れる“方法”を学んでいった。だがその瞬間から、いつもとは違う位置から映画を撮ることは可能ではないかと思い始めた。立っているのではなく座ったままで、この映画を撮影した私は、また自分が走り出したことを、そして早急に次の映画を作るための準備ができていることを感じている。
72歳のベルトルッチが、3Dを試したり、新しいテクノロジーにも挑戦している。
次はどんな映画を我々に見せてくれるのか、楽しみだ。
★孤独な天使たち http://kodoku-tenshi.com/