五十六屋。

カワハギの薄造り

冠地鶏の炙り焼き

豊後牛の肉じゃが

大分駅にほど近い商店街の中に『五十六屋』はある。僕は何度も行っているので、このブログにも2回目の登場になる居酒屋だ。
大分には、残念ながらいい料理人がいないと昨日は書いたのだけど、そう書きたくなるのは、大分には、驚くほどの豊かな食材が溢れているからだ。
この『五十六屋』では、年間を通じて『カワハギ』が食べられる。ふぐのあまり美味しくない季節には、『オコゼ』と並んで『カワハギ』が期待に応えてくれる。
肝を一緒に巻いて食べるカワハギは、日本酒に寄り添ってしみじみと美味しい。
また、この店の看板料理である『冠地鶏』の炙り焼きは、必ず頼んで欲しい一品だ。
宮崎地鶏は全国的に有名だけど、大分のこの『冠地鶏』も、驚くほど肉が締まり弾力があり、ブロイラーに食べ慣れている僕たちには別物に思える味わい深さだ。
食いしん坊のKが、『手羽先が食べたい』と言うので頼んだら、身がプリッと引き締まった素晴らしい手羽先がやって来た。
温泉で有名な湯布院のある豊後牛も有名で、適度にサシの入った豊後牛は、タタキでも肉じゃがでも美味しい。
店内はモダンな作りで、日本酒の品揃えも地元のものを中心に選びやすく、混みすぎていない限りサービスもきちんとしていて気持ちがよい。
手頃な値段で魚も肉も食べることが出来る素晴らしい居酒屋さんだ。
★五十六屋http://s.tabelog.com/oita/A4401/A440101/44006294/

RED WOOD

アボカドバーガー

ダブルチーズバーガー

大分には、ふぐの店以外になかなか美味しい料理屋さんがない。これは、日本の多くの地方都市の特徴といっていいかもしれない。海の幸、山の幸に恵まれていながら、それを活かせる料理人がいないということだろう。
料理人はみんな、福岡や東京や大阪などに出てしまうのだろうか…。
大分市内で、ランチをどこにするか…。フレンチやイタリアンもそんなにいい店がないので、今日は、『RED WOOD』へ。
大分城のそばにある『Red Wood』は、アメリカンテイストな店内。ハンバーガーとホットドッグがメインのようだけど、タコスやエンチラーダスなどもあるから、テックスメックス(アメリカのメキシカン料理)といった感じ。
ナチョスを頼んだら、サルサソースにワカモレもちゃんとついて来て感動した。(大分なのに!)
アボカドバーガーは、奇をてらわないベーシックなハンバーガーで、お肉の美味しさもきちんと感じられる。
ビールを飲みながら、「(大分で)こんなハンバーガーが食べられるなんて…」と言ったら、
「また大分をバカにしてるんでしよ?」
とたしなめられた。
★RED WOODレッドウッドhttp://tabelog.com/oita/A4401/A440101/44003462/

再び、大分へ。

関サバ、関アジ、ヒラメ

夏の九州縦断旅行から、3週間近く経っていて、明日から大分という夜にKにLINEをすると、なんだかとても機嫌が悪い。
最近は僕も仕事が忙しく、大阪出張などが急に入ったりして、うまくKともコミュニケーションが取れていなかったようだ。
大分駅にたどり着くと、散髪したKが車で寄ってきた。顔を見ると、どうやら機嫌は直ったようで一安心して居酒屋へ。
『大漁旗』は、賑やかな都町にある元気な居酒屋さん。関サバ、関アジが手頃な値段で食べることが出来る。
席に着いて、飲みながら、最近どうだったのかそれとなく聞いてみる。仕事のこと。友人のこと。お父さんお母さんのこと…。すると、お父さんお母さんのことでなんだか顔が曇った。
K「もうすぐ30歳になるのに、結婚はまだなのか!って、最近ものすごくうるさくなって来たんです。こないだも電話で恋人はいないのか?いつ頃結婚するのか?と問い詰められて…」
どうやらご機嫌ななめだったのは、両親の結婚プレッシャーだったようだ。
29代前半ならまだしも、30代になってくる息子を持っていれば、結婚して幸せな家庭を築くことこそ、息子の幸せに違いないと親が考えるのは当然だろう。
そういえば、九州縦断旅行の後、Kは急に、「東京に出ていくと言ったら、ただしさんはどうしますか?」と聞いて来たことがある。親からの質問責めを疎ましく感じていたのかもしれない。
今すぐに、ご両親からの結婚プレッシャーをどうこう出来るわけではないけれど、Kま話を聞いてあげたらずっと落ち着いて来たようだ。
日本の地方で、同性愛者として生きてゆくのは、大変なことなのだなあと改めて思った夜でした。
★魚バカ一代 大漁旗大漁旗http://tabelog.com/oita/A4401/A440101/44003735/

やりたいことは、やりたい時に。

57歳くらいの上司が、舌癌になった。
癌は、転移していて、レベル4で余命1年という診断がくだされた。
その後手術は成功して、しばらくした後に上司は復帰したのだけど、積み立てていた財形や保険を解約して、前よりももっと旅行に行くようになった。北海道に行ったり、ハワイに行ったり・・・それに、前から美食家で知られていたのだけど、もっともっと食に対しても貪欲になったようだ。
40歳を過ぎるあたりから、『自分の人生の時間は限られているのだ』と誰しも思うことがあるだろう。でも、それを思ったところで、なかなか生き方は変えられないのではないだろうか。上司には、仕事もあって、若い奥さんもいて、目黒に一軒家も持っていて、順風満帆に見えた人生が、実は終わりがすぐそこに見えたのだろう。そこからの生き方の変わりようは鮮やかだった。
人生には、それにかなった時があるのかもしれない。
僕は、昔は中トロなんかが好きで、霜降りのステーキも好きだったけど、今は、マグロなら赤身。ステーキもランプやイチボなどの赤身が好きになっている。20代30代の頃は、イタリアやスペインに旅行に行き、レンタカーで冒険のような旅行をした。今は、なかなか長期の休みは取ることが出来なくなってしまったし、そういう旅行をしようとは思わなくなってしまったようだ。
やりたいことがあったら、無理をしてでもその時にやっておくべきだろう。
後でやろうなんて思って先延ばしにしていたら、結局時間がなくて出来なかったり、もはやそれを楽しいと感じることができなかったりするのかもしれない。
人生とは、なんて巧妙にできているのだろうか。

万ん卯本店。

さえずり

ロールキャベツ

イワシのつみれ

大阪出張の時は、晩ごはんは北新地で食べることが多い。宿が梅田であるため歩いて行けるからだ。
今回は一人だったので、カウンターで中の人と話しながら食べられる所がいいなあと思い、『万ん卯』にした。
ここは、大阪で有名な割烹料理店『かが万』の系列で『かが万』の隣にあり、ミシュランで一つ星を獲得している店。
白木のカウンターは手触りも素晴らしく、目の前におでんを中心にしたメニューがある。万願寺唐辛子と黒龍をいただく。オススメを尋ねると、クジラだというので、さえずりを頼む。美味しいお出汁に、さえずりが柔らかく弾力があり、絶品だ。
鱧のフライは繊細な鱧の味が残り、すじはあくまでも澄み切った出汁で出され、大根は夏だから焼き目をつけてから出汁を吸わせてある。ひろうすは小さいけど具材の旨味が凝縮されている。
おでんと言っても、どれも一つずつ丁寧に味付けがなされており、一品一品供される。それはあたかも、割烹料理の渾身の一皿一皿のようだ。
イワシのつみれの複雑な味わいに感嘆の声をあげる。大将はにこやかに、「イワシの出汁だけなんですよ」と教えてくれる。きっと野趣のあるゴボウの旨味がとてもよく合っているのだろう。
半熟の卵はお出汁と混じり、温泉卵のような味わいがあり、ロールキャベツはじっくりと煮えていて甘みがなくスッキリとお酒にも合う味になっている…
お店は、同伴出勤のお客さんばかりで(笑)、普通のおでん屋と思うと、その3倍くらいの値段を取られることだろう。
それをしてでも、慈愛深いお出汁の効いたおでんを食べたい時には、行ってみたいお店だ。
★万ん卯本店http://s.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27000035/

ローマ環状線、めぐりゆく人生たち

ベネチア国際映画祭で、ドキュメンタリー映画が金の獅子賞受賞という快挙を成し遂げた。
7つの丘で成り立つ巨大都市ローマを囲むように、環状線は走っている。それは、華やかな都心でもなければのんびりとした郊外でもない、都市の周辺部で暮らすどちらかというと人目につかないような人々の暮らしを、この映画は丁寧に追っている。
椰子の木の中の音を調べて研究をしているお爺さん。
没落貴族になってなお、貴族の称号にしがみつく男。
近代的なマンションに暮らす老紳士と娘。
痴呆症の母の面倒を見ながら、事故現場に駆けつける消防隊員。
ウクライナ人のお嫁さんを持つうなぎ漁師。
車で暮らす、トランスジェンダーの売春婦たち。
カメラは、一人一人の人生にそっと寄り添い、その過酷な人生もやさしさの中にある人生も、つぶさに捉えている。
このドキュメンタリーを見ていると、いつしか自分とは全く違う人の人生を想い、その苦労や不安、毎日の暮らしを想像してしまう。
誰の人生にも驚くようなドラマがあり、それぞれが時には過酷な人生の主人公だということがわかる。
ありふれていて、他の誰かと変わらない人生の人など、きっと誰一人いないのだろう。
やがてこの映画が、ローマ環状線で暮らす限られた人たちだけの人生の話ではなく、自分の人生の話であることに思い至る…。
★ローマ環状線、めぐりゆく人生たちhttp://www.roma-movie.com/sp/

バルフィ! 人生に唄えば!

またまたインド映画!今年だけで僕が観たインド映画は5本…。インド映画といえば、今までは『ムトゥ 踊るマハラジャ』に代表されるような歌って踊って…という映画ばかり目についたけど、このところそうではない普通の(笑)映画ばかりやって来ている。
バルフィは、生まれつき耳が聞こえず話せない青年。でもそんなハンディをものともせず、身振り手振りで思いを伝えることができる。周りは、しょうがないやつだなあ・・・と思いながらも、笑いながら知らないうちに彼を受け入れている。
そんなバルフィが、美人のご令嬢シュルティに恋をする。また、ジルミルというバルフィとは昔から幼なじみの自閉症の女の子も、バルフィの人生に引き込まれ、不思議な恋の三角関係がはじまる。
バルフィを見ていると、チャールズ・チャップリンの映画を思い出す。名も無く貧しく心優しい青年は、言葉を越えて人の心に愛を灯す。この映画は、チャプリンをはじめ、様々な名作のオマージュに溢れているようだ。見ているうちに、不思議なインド映画ならではの展開に引き込まれ、いつしか涙が頬をつたった。
人生で、たいせつなものはなんなのか。バルフィは教えてくれている。
★バルフィ 人生に唄えば!http://barfi-movie.com/sp/index.html

グレート・ビューティー 追憶のローマ

久しぶりに映画に心から陶酔した。ここ何年かの映画の中で、最も好きな映画が、『グレート・ビューティー』だ。
主人公のジェップは、過去に名作を遺した小説家。今は絶筆していて、アーティストなどのインタビューを雑誌に提供して暮らしている。夜毎セレブリティや貴族たちと饗宴を繰り広げながら、65歳の誕生日を迎えた時に気づく。
『もはや、自分の望まない行為に費やす時間などない』
『人生とは何か?』という問いを、一言で答えるのは難しいように、この映画が描こうとすることを一言で表すことはできない。
『人生』『生きること』『真実』『死』『虚構』『普遍』『愛』『不条理』…様々な要素が複雑に絡み、物語の先は全く予想することができない。
主人公は、年をとって思い知る。
自分の人生で手にした確かなものはなんだったのか?本当の愛はあったのか?幸福はあったのか?死はそこにあるのか?
何千年と世界の中心で有り続けた『永遠の都』ローマの、息を飲むほどに美しい映像に、鮮烈な主題が次々に浮かび上がる…。
正直言って、この映画は、あまり多くの人にすすめることは出来ない。フェリーニへのオマージュにも捉えられるし、あまりにも一般的な映画ではないからである。
日本語の『グレート・ビューティー』というタイトルからは想像の出来ない、圧倒的な世界がそこにある。
※絶対に、映画が終わってすぐに席を立ってはいけない。エンドロールにもla grande bellezzaが潜んでいるから。the beautitudes https://m.youtube.com/watch?v=FskOzt6INlQ
★LA GRANDE BELLEZZA グレート・ビューティーhttp://greatbeauty-movie.com/sp/

叶わぬ恋。

「今までに、叶わぬ恋をしたことがありますか?」と聞かれたので、遠い昔の僕の「叶わぬ恋」のことを書こう。
美術大学に通う僕がはじめて人を好きになったのが、5歳年上のMさんだった。大阪出身で一重まぶた、色が白くて、鷲鼻のため鳥のような印象を受ける人。やさしくて、真面目で、控えめな性格を好きになった…。
僕はずっとずっとMさんとできる日を夢見ていたのだけど、その頃Mさんは年上の人とつきあっていた。その人との関係は既に長く続いていたようだ。
恋人がいる人とわかっていながら、自分の情熱を抑えることが出来ず、一緒に飲むこと、食事をすることを望んだ。
酔っ払った帰り道、僕の車で家まで送って帰ることがあった。はじめてMのマンションに上がった時に、胸が高鳴ったのを覚えている。
リビングでTシャツ姿の彼と別れ際に抱き合った時に、Mの汗の臭いを嗅ぎながら、この臭いが好きなんだ…と思ったのを覚えている。
時々ドライブをしながら色々な音楽を聴いた。ある日、羽田空港まで、Mの出張のために彼を送っていった時に、「今つきあっているやつと別れて、Tと一緒になろうと決めたよ」と言ったことがあった。
でも、それが現実になることはなかった。
Mとその人との関係はそのまま続いたし、僕は手に入らない恋愛に、行き場を失っていた。
結局、Mの大阪勤務ということと、僕の就職やなんやかやでMとは疎遠になってしまった。
今までの僕の人生を省みて、あの頃ほど、「手に入らないものが欲しい」と、誰かに恋い焦がれたことはない。
僕が就職してしばらくして別の人と長いつきあいを経験して、その後別れて、ある日地下鉄の乗り換えで歩いている時に、10年ぶりくらいに偶然Mに出会った。
その後、彼の出張ついでに一緒に飲むようになって、今では時々LINEでメールのやり取りをするような「友達」になってしまった。
人とつきあう難しさや、それこそエッチのことまで話すことが出来るような古くから知っているような「友達」になったのだ。
今になって思うと…「叶わぬ恋」は、その時はつらく苦しいけど、人生の醍醐味のようにも思える。
「恋に落ちる」と言うように、人が誰かに恋する時は、予期せず突然やって来る。まるで落とし穴に落ちるように…。そしてそれは、何者にも抗えない力だ。
僕に言えることがあるとすると、「叶わぬ恋」をしている人は、今のそのどうしようもない「叶わぬ恋」を、そのまま諦めることなく思いっきり生きて欲しいということくらいだ。
いつか、時間が経って来し方を振り返った時に、あの「叶わぬ恋」をしていた時は、自分にとってなんて輝いていた時だったのだろうと思える日が来るに違いない。
「叶わぬ恋」。ああ、なんと甘美な言葉だろうか…。

年の差カップル。

二丁目で飲んでいたら、隣りに年の差が離れたカップルが座った。
つきあい出して間も無く1年だというふたりは、仲睦まじく、しょっちゅう手を握り合っている。
年配の方はコムデギャルソンのハート型のイラストのTシャツを着ていて、54歳。下の子は韓国人で38歳。その差は僕とKとの差と同じく16歳だ。
二泊三日でずっと一緒に夏休みを過ごして、海に行ったり美術館に行ったり、手料理を食べたり、どんなに楽しかったかが自ずと伝わってくる。
そして、年配の人が言う。「この子、いつも別れる時、泣くんですよ。寂しいって言って…」若い子は、恥ずかしそうに言わないでくれと年配をたたく。
そんなおのろけを聞きながら、僕は笑ってばかりいた。ふたりは同じコムデギャルソンのTシャツも持っていて、若い子はお揃いは嫌がるけど、年配の方は一緒のものを着たいと言う。
年配「昔は私がヤキモチを妬いてばかりいたのに、今はこの子が私にヤキモチを妬くんですよ。携帯の中まで見せろと言うんですよ…」
年配「私が死んだら、私の遺産は全部この子に遺すつもりなんです…」
そんな話をするから、また若い子は年配をたたく。
このカップルだって、もしかしたら一年後、いや、三ヶ月後だってどうなっているのかはわからない。
僕たちは生きていて、毎日心も変わってゆくからだ。
それでも僕は、なんだかふたりを見ているだけで無性にうれしかった。
今、ふたりは愛し合っているというだけで、他には何も必要ないように思えたのだ。