幸せな日。(渋谷区同性パートナーシップに関する条例決議)

早朝の風景

報道陣

記者会見

議会の傍聴者は58人と限られていたため、並ばないと傍聴できないとのことで、朝7:45に渋谷区議会に。無事に8番をゲットして会社へ。午後は半休にして13:00に再び渋谷区議会へ。
自分が映画の中に入ってしまったかのような重重しい空気の中、議会ははじまった。すぐに討論になり、自民党の反対意見、民主党の賛成意見、無所属の反対意見、長谷部さんの賛成意見、そして岡田麻理さんの賛成意見が続いた。
自民党や無所属の反対意見は、「国の法律よりも先に区で決めるべきではない」「憲法に抵触する」「女性の権利獲得の方が先」などの意見であったため、根本的な反対意見ではないのだとわかった。
ストレートである長谷部さんの話は、学生の時にロスに行ってゲイにナンパされて驚いた話からはじまり、シスコでスーツを着た男と逞しい男がが手を組んで普通に歩いている光景を見たこと。
そして日本に帰って来ても、博報堂で仕事に関わるスタッフにもゲイが結構いることがわかった…と言う風に、ストレートの人の視点で、次第にセクシュアルマイノリティの存在を知る所からはじめられた。
やがてボランティア活動で僕の弟のようなFに出会い、トランスジェンダーで生きて来た彼の半生の想像もつかなかったつらさや、親にさえ言うことも出来ず、友人にも誰にも言うことの出来なかった彼の苦しみを知るうちに、自分たちと何も変わらない彼が、なんでこんな目に遭わなければならないのだろう?自分にできることはないだろうか?と思い至ったとお話されていた。
僕たちは傍聴席で、仲のよいアクティビストの友人たち5人(レインボーファミリー)で一緒に話を聞いていたのだけど、みんな同じように涙を流しているのがわかった。
僕たちが泣いていたのは、自分の今までのつらく苦しかった体験を重ね合わせていただけでなく、世界中のさまざまなセクシュアルマイノリティの苦しみを想像したからだ。
親を愛するが故に、自分のセクシュアリティを言えずに生きている仲間たちを思い、涙をこらえることができなかったのだ。
賛成多数で決議がされて、みんなで外へ出ると、今までに見たこともない夥しい数の報道陣が詰めかけていた。
僕が用意した『THANK YOU, SHIBUYA!』 『祝 同性パートナーシップ条例!』の幕をみんなで持ちながら、たくさんの報道陣の質問に答えた。
夜は20時から『irodori』の2階にある『カラフルステーション』に、たくさんの人が祝杯をあげにかけつけてくれた。そこへ、渋谷区長をはじめ、長谷部さん、岡田さんも加わった。
「こんなことが本当に起こるなんて信じられない・・・こんな幸せな日はないなあ・・・」
そんなことを言いながら、何度も何度も大好きな仲間たちと乾杯をした。

新しい世界へ。

会社で、50歳以上の方々に早期退職を募ったら、今までにない優遇された条件のせいか、あっという間にかなりの数が集まったようだ。
この年度末に、お世話になった先輩方が挨拶に来られ、またぽつりぽつりと退職の挨拶がメールで届き、それぞれのお人柄がでているなあと思って読み返していた。
自分の出身大学で広告の講義を受け持つことになった人。
自ら大学院に通って、もう一度新しい勉強をはじめる人。
今までの広告作りを、フリーになってはじめようとする人。
そして、こんなことをはじめる人もいる。
(広告の仕事とは別に新しいサービスを作り始めています。「カクトコ」(kakutoko.com)といいまして、「400字以上」というしばりのある不便な投稿サイトです。「誰もが何かを書くことで自分の足跡をちょっとでも残していけるように」との思いから始めてみました。長い文章をきちんと書くということは時間と手間のかかる作業ですので、流行のサイトのようにすぐにユーザーが増えるとは思えず、この先どうやって育てていったらいいものか思案に暮れています)
退職するタイミングは、人それぞれなのだと思うけど、僕自身、会社人生は残りがはっきりと見渡せるような年齢になって来た。
自分がこの会社を退く時に、新しい世界に向かって、ワクワクするような気持ちでいることができたらいいなあと思ったのでした。

TAさんとごはん。

イロドリのトイレ

TAさんと、昔からの友人KIが知り合いだったことがわかり、三人でイロドリで晩ごはんを食べた。
TAさんは、40代後半で恋人のS君は大学三年生。僕とK以上に年の離れたカップルだ。二人は公の場で華やかに結婚式を挙げて、その様子はビデオで撮影されてSNSにも流れた。TAさんは、日本でこそ法律的には結婚は認められていないものの、Facebookでも既婚と書いている。
二人は、先日のOUT IN JAPANの撮影にも来てくれて、仲睦まじい関係を見せつけてくれたし、出来上がった写真もカッコよかった。
今、S君は就職を控えていてなかなか大変な時期のようで、週の半分くらいは、TAさんは別の家に帰っていて、同居と別居半分半分の生活をしているらしい。
「あいつは夜型になっているし、俺がいると、テレビを見るのも、先に寝るのも気をつかうから、だったら半分くらいは別々に生活した方がふたりにとってはいいかなと思って…」
そんな話を聞きながら、長く続けてゆくためには、お互いの努力と思いやりが不可欠なのだなあと改めて感じた。
イロドリの窓際で食事をしていたら、妹のGがトイレットペーパーを沢山買って通りかかったので、そのまま席に呼んで楽しい宴がはじまった。
こんな風に、通りがかりの友達がふらりと入って来て食卓に加わるイロドリは、僕たちのHOMEのようになっているのだ。

X ジェンダー。

X ジェンダーってご存知ですか?
Xジェンダーとは…
出生児に割り当てられた、男性・女性の性別のいずれでもないという性別の立場をとる人。
気づいてみると、僕の周りでは、このXジェンダーの人がゴロゴロいる。
iridoriのIもXだし、OUT IN JAPANで一緒にスタッフをしていたLもXだという。
久しぶりにのんびりと東京で過ごす週末、体幹トレーニングに行ってから、デニムを修理に出して、イロドリへご飯を食べに行った。
そこへ、Lが間も無く入って来てふたりでのんびりランチへ。
Lは、肉体的には男性として生まれたのだけど、Xジェンダーらしい。らしいというのは、もはや僕にも何が何だかわからないからだ…。笑
Lは、パッと見、女性にも見えるような中性的なルックスで、正直、性別を規定することが難しいと思う。
そして、本人自体、どちらという性別にこだわっているところはなく、性別に規定されたくないのだろう。
それでいて、OUT IN JAPAN の撮影で、中村中さんが来て、美しいポートレイトになったのだけど、Lはずっとずっと、中村中さんを神のように崇めていたようで、とても興奮状態になっていたのだ。
中村中さんは、MtFなのだけど…
イロドリのスタッフを含めて、もはや我々の周りは、いったい誰がどんな性別でどんな人が好きなのか、まったくわからなくなっている。
でも、よくよく考えてみると、生まれた時から、男だ女だと勝手に決められて、こうあるべきだと二者択一を迫られて生きてきたこと自体、もしかしたら無理があったのではないかと思い至る。
それぞれが、ありのまま、思うままに生きて、幸せになれる世の中に、少しずつ向かって行ったらいいなあと、Lの笑顔を見ながら考えたのでした。

台湾麺線

青菜炒め

鶏肉を揚げたもの

麺線

K太郎とS太郎が、台湾に行こうと騒いでいて、僕も久しぶりに行きたいと思っていたのだけど、どうにもみんなの予定が合わず、どうしたものかと思っていたら、K太郎が、「じゃあ、台湾料理食べに行こうか?」と言うので、はじめての『台湾麺線』へ。
新橋の外れ、御成門の近くにある『台湾麺線』は、夜市の屋台料理が食べられるお店。
『麺線』というのは、素麺を少し短く切ったような麺で、鰹だしのスープにとろみがついて、モツと一緒に食べる西門町では有名な食べもの。
腸詰め、青菜炒め、揚げワンタン、ピータン豆腐、ルーロー飯…
台湾の庶民的な料理を食べながら、またのんびりと台湾に行って、マッサージしたり、火鍋食べたりしたいな〜と話した。
その後、久しぶりに二丁目に遊びに行き、台湾バー『紅楼』へ。
前は、二丁目でも、新宿通りを渡った場所にあった店が、今は、ルミエールを背にしてまっすぐ入った道の右側、昔の『ZIP』のもっと先にある。台湾人の二人がやっていて、とても感じのいい店だ。
★台湾麺線http://tabelog.com/tokyo/A1314/A131401/13174075/

OUT IN JAPAN 5 (勇気)

OUT IN JAPANに応募してくださった方の中に、20代の男性がいた。
プロフィールを見ると、小さな頃から『吃音症』であったため、周りの人たちにからかわれたりいじめられてきたこと。ある時から開き直って話すようになり、少しずつ変わっていったということ。この『OUTIN JAPAN』に出ることをきっかけに、自分自身もカミングアウトをして、『吃音症』という言語障害のことをもっとみんなに知ってもらいたいということが書かれていた。
撮影当日、彼に会うと、とても感じのよい人だった。そして、明らかに緊張しているのがわかった。
全体の撮影の前に、ミュージカル『RENT』のキャストであるソニンさんと一緒に、急遽一部の出演者が写真を撮ることになったのだけど、撮影をしている間、彼だけどこか別の方を見ているので、僕が途中で、「レンズの方を見てください」と声をかけた。
全体の撮影が終わって、彼に声をかけた。「レンズ見えなかったかな?」
彼「あのー。いつもそうなんですけど、撮影でカメラの前で緊張すると、左目が寄って寄り目になってしまうんです・・・気にすればするほど・・・だからみんなで写真に写る時は、自分だけ他の場所を見ているものばっかりで・・・」
僕「あ、そうだったんだ。ごめん。普通に話していると視線が合っているから、気づかなかった・・・。レンズの先のもっとずっとずっと遠くを見る感じとか試してみようか?」
彼の撮影の順番が回って来て、僕は息を飲んで見守っていた。
その結果、いくつかの写真の中には、緊張して目が寄ってしまったものもあったけど、普通にこちらを見ているやさしい表情の写真が何枚か撮られていた。
撮影が終わって、彼を呼んで、きちんとこちらを見ている写真を見せると、とてもうれしそうに笑った。
彼「絶対に寄り目になると思ってたから、もう、あえて寄り目にして写真に写ればいいかなと思っていたんです」
僕「吃音症のことは、僕も今までの人生でほとんど知らなくて、想像することも出来なかったし、目が寄ってしまう人がいることも知らなかったよ。でも、僕が思うに、うまく話せなかったとしても、目が寄ってしまったとしても、その人の個性の一部のようなもので、人にいいとか悪いとか言われる筋合いのものではないような気がする。これはよくてこれは悪いみたいなものはなくて、みんなそれぞれ違っているということなんだろうね」
今回の『OUT IN JAPAN』がきっかけで、カミングアウトをしたいという人が何人もいらっしゃって僕もとてもうれしかった。そしてなにより、彼のように、僕には想像もできない勇気を持って応募してくれた人に出会い、僕自身が大きな気づきと勇気をもらったのだ。
★『OUT IN JAPAN』のギャラリーWEBサイトは4月末公開。
 それに先駆け、4月21日~28日にGAP原宿店で写真展を開催予定。
 オープニングイベントは4月21日。(僕もそこにいます!)

OUT IN JAPAN 4

あまりにも幸福な2日間の撮影が終わった。
募集の告知から締切の時間がなかったにも関わらず、沢山のご応募をいただき、総勢82名、67カットの撮影が行われた。
2日目の撮影中、70人を終えたあたり時計が真夜中を回った頃、カメラマンのレスリーが撮影を待っている椅子に座った人たちに聞いた。
「あと何人くらいかな?その列まで?その後ろの席は?」
 
すると、参加者の後ろに座っていたGAPのスタイリストの方たちが3人、すべての人の衣装を選び終わって最後列に座っていたのだけど、その中の一人の男性が手で大きく×を作って見せた。
それを見たレスリーはちょっと態度が変わり、その男性を呼んで聞いた。
レスリー「今の×は、どういう意味ですか?」
スタイリストの男性はしどろもどろになり答える。「いや、この列は違うと言うことを伝えたかっただけです・・・」
レスリー「いや、僕はそういう風に見えなかった。なんだか自分はゲイとかではないと言いたい感じに見えました・・・ゲイとあなたと、いったい何か違うの?ゲイはダメなの?何がいけないの?」
スタイリスト「い、いえ・・・そんなこと思ってないです・・・」
スタイリストさんは、本当はそんなに深く考えずに、『自分は違う』というサインを送ったのだろう。
でもレスリーや僕たちスタッフを含めて、このプロジェクトに関わっている人たちはみんな一体となり、参加者一人一人がこの場に来てくださっていることに感動していたし、最大限の敬意をはらっていたのだ。
子どもが生まれたビアンのカップル、国籍の違うゲイのカップル、あまりにも幸福そうなオーラを放つゲイのカップル、ぶっ飛んだファッションのゲイの若者、男にしか見えないFtM、妖艶な花のようなMtF、日本のゲイのムーブメントを築いて来たゲイの大御所たち…
年齢もセクシュアリティもさまざまでありながら、それぞれに自分らしく生きてきた人たち。
短い時間の中で接する彼らから感じられるものは、一人一人が生きてきたストーリーであり、いまこの撮影に臨む勇気だった。
★OUT IN JAPANhttp://gqjapan.jp/fashion/news/20150310/gap-supports-tokyo-rainbow-pride-out-in-japan
http://genxy-net.com/post_theme04/lgbt20150306/

総合治療院。

身体は、日頃の習慣から、楽な姿勢で過ごすことを無意識に選ぶので、デスクに座ってパソコンを見ていることが多い僕は、自然と少し猫背になり、肩甲骨も開き気味の姿勢だ。
根本的に姿勢を変えたいと思いつつ、なかなかどこから手をつけたらいいのかわからなかったのだけど、ジムとは別に体幹をより意識するようにとスポーツ治療院に行き始めた。
そこはある日、irodoriのスタッフにマッサージをすすめられて行った所なのだけど、マッサージをしている間、隣がやけに声のデカイおっさん2人だと思ったら、ベイスターズの選手で、隣ではなく一番奥にいたのだ。(声がデカすぎた)
治療院はスペースがあって簡単な器具があり、プロ野球の選手や大学野球の人たちが治療とパフォーマンス向上のために来ていたのだ。
僕の目標は、股関節を柔軟にすることと、肩甲骨の可動域を上げること。それによって、お腹周りをもう少しすっきりさせたいことと、上半身のパフォーマンスをアップさせること。
1時間、みっちり体幹を鍛える運動をして、日頃やっている腹筋では、効いていない部分を実感した。
例えば、身体を丸めて上半身を持ち上げても、腹筋の上の方しか効いておらず、脂肪のつきやすい下腹部はほとんど動かされていないのだ。
また、反対に脚を上げる腹筋運動においても、脚力の強い僕は、比較的脚の力を使って持ち上げてしまうので、一番効かせたい腹筋には、ほとんど効いていない。そこはやはり、脚の付け根から上げる意識が大切…という具合。
終わってヘトヘトになってロッカーで着替えていた時に、先に着替え終わった野球部君が、「お疲れ様でした!」と僕に言って帰って言った。(野球部の先輩とでも思ったのだろうか?せいぜいヤカンを持つことしか出来ないのだが)
また一つ、密かな楽しみの場が増えました…。
★総合治療院テコセンターhttp://tecocenter.jp/access/

おかえりなさい

数日前に、かつての恋人Nが亡くなったことを知って、途方に暮れた僕は、今の恋人Kに知らせた。
するとKは、すぐにLINEを送ってきた。
K「その人も、きっと幸せだったよ」
僕「Kは僕と2年半一緒にいて幸せだった?」
K「幸せだった…」
K「でも、もっとやさしくしてあげて!」
数日間、悲痛に暮れる僕を、Kはじっと見守っていた。
和歌山にお墓参りに行くと言った時も、「きっと喜ぶよ」と言ってくれた。
本当は、Kも不安だったに違いない。
自分の恋人が、昔の恋人をあまりにも深く愛していたことを知って、驚いたに違いない。
長旅からヘトヘトになって帰った僕に、
いつものようにKからメッセージが届いた。
「おかえりなさい」

友人のお母さんに会いに、神戸へ。2

和歌山に来たので、大阪まで出て一泊して、神戸の施設に入っている友人Mのお母さんに会いに行った。
Mのお母さんは90歳。昔はよく東京に遊びに来ていたのだけど、80代後半くらいから足腰が弱り、今は神戸の施設に入っている。今年の1月に来た時に、「桜の咲く頃遊びに来ますね」と言っていたのだ。
阪急で京都のお弁当を買って、若竹煮と蕗の煮浸しを買って部屋を覗くと、お母さんはベッドに横になってテレビを見ていた。
僕の顔を見るなり、「まあ、わざわざ私なんかのためにこんな遠い所まで来てくださって…」と言って手を合わせて泣き続けた。
昼食の時間になり、応接室でお母さんに買ってきたお弁当を広げた。東京に遊びに来ていた時は、どんな料理も楽しそうによく食べていたのだけど、どうやら俵になった白米を切る手が震えている…
レンコンを口に運んだのだけど、硬くて噛みきれず、思わず一旦外に出した…。
途中から見ていられなくて、出汁巻きを切ったり、かぼちゃを切ったりしながら、僕が箸を使ってお母さんの口の中に運んだ。
お母さんは90歳になって、色々なことが出来なくなって来たという。「老人が食事を食べるのを見ているのは、汚いと思うでしょ?」とか、「本当にごめんなさいね。うまく食べられなくて…」と言って泣いたりする。
僕は、「僕でも誰でもやがて順番に年をとるんですよ。お母さん。ゆっくり召し上がってくださいね」と言って、おかずをお母さんの口に運んだ。「おいしいわ。よく作ってあるのね。」と言って食べているお母さんを見ていて、僕もうれしかった。
よく、「年をとると、どんどん子どもみたいになってゆく」なんて言うことがある。そういう一面もあるけど、僕の接してきたお年寄りは、自分を子ども扱いされるのを好まないし、実は周りに助けられていることが、周りの負担になっていることを繊細に感じ取っていたり、自分が些細なことさえ出来ないことで落ち込んだりする、ひとりの大人として誇りを持っていることが多い。
「また来ますね。お母さん。」と言うと、「ただしさん、抱っこさせてください。」と言うので、何度も何度も小さな身体を抱きしめた。
★友人のお母さんに会いに、神戸へ。1http://jingumae.petit.cc/banana/2349250