シーカヤック・カフェベルデマーレ・新城海岸

イムギャーマリンガーデン

ペンネ・ラグー

新城海岸

宮古島2日目は、はじめての『シーカヤック』に挑戦。
朝一で『イムギャーマリンガーデン』という並みの穏やかな湾に行き、シーカヤックの基本を教わる。
僕たち2人はコツを掴むのが早いらしく、すぐに海に出て遠くまでシーカヤックを進ませることができた。
シーカヤックは、水の上を楽にスイスイ進むことができるし、思った以上に小回りがきく。カヤックの上からは、透き通る海の中が見える。
お昼は、イタリア人のやっているというイタリアンでピザとパスタを食べる。
ご夫婦なのか、奥さんがイタリア人で旦那さんはマッチョなゲイに見えるけど、ストレートなのだろうか?
セージなどのハーブの効いたラグーソースはとても美味しかった。
午後は、この島で一番のシュノーケリングポイントで知られる『新城海岸』へ。
シャワーもあるしトイレもある。海を管理している若いお兄ちゃんたちは皆ニコニコと親切で気持ちがいい。
美しい遠浅の海にはサンゴ礁が広がり、魚が沢山泳いでいた。
⭐︎イタリア人のカフェ ベルデマーレ
0980-76-2320
沖縄県宮古島市下地上地372-1
https://tabelog.com/okinawa/A4705/A470503/47012467/

宮古島旅行記。(中の島ビーチ)

中の島ビーチ

かめそば

soraniwa

飛行機でうとうとしているうちに、窓の外には真っ青な海が広がっていた。
空港に着くなりそのままレンタカーを借りて『中の島ビーチ』へ。
『中の島ビーチ』は、下地島にある小さな入江のビーチ。サンゴ礁が適度にあり、魚も沢山泳いでいた。
シャワーはないけど、ビーチの門番のような車が止まっていて、酔っ払ったおじいさんが大声で注意事項を叫んでいる。
「リーフの向こうは絶対に行っちゃダメだよ!」
「サンゴの上に立っちゃダメ!」
今日梅雨明けした宮古島の太陽は強烈なので、ビーチの左側にある岩陰にテントを張った。
朝、飛行機に乗れば、お昼には楽園のような美しい海の中にいるのだ。
半年ぶりに帰ってきた沖縄は、やっぱり色鮮やかに輝いていた。
散々泳いだあとはお隣の伊良部島の『かめ』で、『かめそば』をいただき、鰹出汁の美味しさが胸に沁み渡る。
途中、有名なデザインホテル&カフェの『soraniwa』へ。伊良部島の海沿いにあるこのホテルは、海の見えるお洒落なカフェがあるホテル。僕のような広告代理店を辞めた人がオープンさせたらしい。
初日の宮古島の印象は、石垣島と比べて人が少ない…ということ。それと、建物が低いということ。
これからしばらくこの島でお世話になるので、町の中心にある『漲水御嶽』でお参りをする。その場所の神様に、きちんと挨拶をしておくのだ。
⭐︎かめ
0980-78-5477
沖縄県宮古島市伊良部字長浜251
https://tabelog.com/okinawa/A4705/A470503/47013937/

旅の準備。

仕事がバタバタと忙しく、結局旅に出る前日に準備をする。
夏の旅行は荷物が軽いのがうれしいけど、いつも洋服を持ちすぎたり、必要なものを忘れてしまうものだ。
日焼け止めを入れて、サングラスを入れて、忘れそうになっていた船酔いの薬を入れた。
ダイビングスポットに行く時や、離島に行く時に、天気によっては風があり船が揺れることがある。そんな時に、酔い止めは必須だ。
船酔いをしてしまうと、その日どんなに綺麗な場所に行っても、地獄のような時間を過ごすことになってしまうから。
酔い止めは色々ある薬の中から、ダイバーが愛用しているものは、
『エスエス製薬アネロンニスキャップ』
なぜかこの薬が効くと言われている。
はじめての宮古島は、一体どんな旅になるだろうか。

福田繁雄のTシャツ。

渋谷に行くときに、僕たちはよく明治通りを通るバスに乗って行くことが多い。
地下鉄の人混みを避けられるし、通りや原宿の人の群れを眺めながら通ることが楽しいからだ。
先日、神宮前6丁目付近の有名なTシャツ屋さんに、『福田繁雄』の作品のTシャツがかかっているのを見つけて、「あ!あれ欲しい!」と思っていたのだった。
夕方、少し早めに仕事が終わった僕は、『福田繁雄』のTシャツのことを思い出して店を訪れた。
他にもかわいいTシャツが沢山あったのだけど、結局『福田繁雄』の作品のTシャツを、自分の分を2枚掴み、散々迷った挙句、Kにも同じものを2枚買った。
帰ってきたKに見せると、さして喜ぶわけでもなく、
「これ、ゲイってこと?」
などと言って、男と女の脚が交互にデザインされたTシャツを指差した。
「これはね、日本人で、唯一と言っていい世界的に有名なグラフィックデザイナーの福田繁雄ってこという人の作品でね…」
一生懸命説明する僕の話を聞きながら、それでもやっぱりあまり興味なさそうに、すぐに『ちびまる子ちゃん』をつけていた。笑
僕が思うに、日本ではさまざまなデザイナーが活躍してきたけど、未だに福田繁雄が、世界で唯一通用するグラフィックデザイナーだと言って、過言ではないだろう。

年齢のこと。

クライアントのキーマンに、今年50歳になる男性がいる。
いくつもある作業の決定権をその人が持っていて、案の中から選ぶのも基本的にはその人というくらい、力を持っている人。
クリエイティブとクライアントが集まる打ち合わせには、圧倒的に若い人が多いのだけど、その人はいつもみんなの前で、
「俺を年寄りだとバカにしやがって…」
「俺は、この中で一番年上なんだからな!」
と言っては、みんなを笑わせるのだけど…
ちょっと言い出せなくて困っているのは、僕の方が、その人よりも1歳年上であるということ。
多分僕が、ゲイゲイしい格好をしているから、きっと自分よりも若いと思っているのだろうけど、いつか年齢を聞かれるんじゃないかと思って、ヒヤヒヤしているのだ。

母の旅行。

母が父と、新潟に旅行に行ってきたと電話があった。
新潟県出雲崎町は、母の実家があった町で、母は小学校に上がるまで出雲崎で過ごした。
ずいぶん前に、僕も母と2人で旅行をしたのだけど、海辺にある出雲崎の町は、鄙びた漁村で、ポツンポツンと店があるような商店街とは呼べないような一本道がある。
出雲崎で有名な人は、良寛さまで、良寛さまの実家の少し斜め向かいが、母の実家のあった場所だった。
実家のあった場所といっても、今ではただの空き地になってしまっていて、他には元々お墓のあった墓地があるくらい。
79歳になる母は、久しぶりに自分が育った町を見たかったのだろうし、10年以上前に再婚した母は、父にどうしても自分の育った町を見せたかったのだろう。
自分が通った幼稚園や、教会の日曜学校の話をしながら、父と出雲崎の町を歩いた母は、とてもうれしそうだった。
母の話を聞きながら、まだ子どもだった頃の母のことを想像したのだ。

旅の留守中に。

今年は、宮古島に1週間くらい旅行に行くことになり、家のベランダの植物の水やりのことをずっと心配していた。
2年前にバリ島に行った時は、FTM の20代の友人KAに頼んだのだけど、バリ島に電話がかかってきて、冷凍庫が音が鳴っていておかしいと慌てていた。
どうやら冷凍庫を開けてアイスを食べた後、冷凍庫がきちんと閉まっていなかったのだろう。KAは、大雑把な性格なので、その手の失敗は容易に想像できた。
昨年はニューヨーク・サンフランシスコに行った時には、30歳くらいのHにお願いして、2回水をあげに来てもらった。
Hは特に問題もなかったので、今年もHに頼むつもりが、直前になってニューヨークプライドに行くことが決まり、他の人を探さなければいけなくなってしまった。
留守中の家の鍵を預けて、2回も家に来て植物の水をあげてくれる人などなかなかいなくて、忙しすぎたり、悪くて頼めなかったり、家が遠いから悪い気がしたり、適当な人が見つからなかったのだけど、ふと、近所に住むMTFのRが浮かんだ。
僕「ありがとう。Rの家のポストに鍵入れておくから、あとは適当にお水あげといてもらえたら…」
R「ただしさんがいる時に鍵を取りに行って、どうやってお水あげるか教えてください!」
真面目なRはそう言って、夕方家に帰るやいなや僕の家にやってきた。
植物の水のあげ方を話して、植物のある場所を案内する。
R「こんなところにもあるんですね…何杯くらいジョウロであげたらいいんですか?」
僕「鉢の底から水が流れてきたらもういいから」
真面目なRに鍵を渡して、やっと旅の準備が完了した。

アマンダと僕

天才子役の誕生かも

自分のたった1人のたいせつな家族を失った時に、人はいったいどうやって立ち直り、その後の人生を生きていけるのだろう?
映画『アマンダと僕』は、今年観た映画の中で最も心揺さぶられ、涙した美しく力強い作品だった。
24歳のダヴィッドは、物心つかない時に母親に去られ、父親も亡くなり、少し年上の姉の近くで暮らしている。
姉には7歳になる女の子アマンダがいて、旦那はアマンダを産んでからすぐに出て行ってしまっていて母娘二人暮らしをしている。
ダヴィッドは、アマンダの小学校の迎えにいくこともしょっちゅう。
そんな3人に、なんの前触れもなくある日、痛ましい事件が降りかかる。
この映画は、『喪失』から『再生』へと向かう人々の繊細で今にも切れてしまいそうな人生を描いた傑作だ。
「ただしくん、周りを見ても、ただしくんみたいにあんなに泣いている人、いなかったよ・・・」
映画を見ながら、さまざまな場面で涙を流し続ける僕のことを、Kはずっと心配していたみたい。笑
ダヴィッドもアマンダもほかの役者たちが皆素晴らしい。
⭐️アマンダと僕http://www.bitters.co.jp/amanda/

パピヨン

この映画を観て、すっかり主演の「チャーリー・ハナム」の虜になってしまった❤️
映画『パピヨン』は、1973年にスティーヴ・マックイーンとダスティン・ホフマンが主演した映画のリバイバル。今作は、マッチョでハンサムなチャーリーハナムと、ボヘミアン・ラプソディのラミ・マレック。
原作は、アンリ・シャリエールという作家なのだけど、これが実際に自分が13年間かけて生死の間を幾度も彷徨いながら脱獄した実話を基にしている。
時代は、ムーランルージュが全盛の頃の1930年代のパリ。その当時、フランスで終身刑になったものは、フランス領ギアナの島に流され、決してフランスに戻ってくることはなかった。
パピヨンは、ひょんなことで罠にはめられ、流刑地へ送られてしまうが、そこからの不屈の脱出劇がこの英がの見どころ。
喧嘩や暴力シーンも結構あるし、所々で血が流れるので、しょっちゅう悲鳴をあげそうになりながら観たのだけど、最後までぐいぐいと見せられ楽しむことができた。
映画としては、脱獄映画も監獄ものも素晴らしい映画があるので、敢えてそんな名作と比べると映画としての評価は悪くなるかもしれない。でもこれが、実際の本当に起こった話だというのが、本当に驚きに思える、人生の奇跡のような挽回劇。
⭐️パピヨンhttp://www.transformer.co.jp/m/Papillon/

見送る時、見送られる時。

僕たちは毎朝、僕が朝ごはんを作り、Kが洗濯をして、Kが先に8時前に家を出るので、先に出かけてゆくKのことを窓から手を振りながら見送る。
毎日夜には帰ってくるのになぜ見送る必要があるのかというと、それは、今日一日何事もなく帰って来られるようにとの思いからだ。
もしかしたら、どちらかが事故に遭うかもしれないし、体調を崩したり、地震が起こることもあるかもしれないからだ。
ほとんどいつも僕が見送る方なのだけど、今日は珍しく僕が1時間早く起きて先に家を出た。
道を歩きながらマンションを振り返ると、Kが手を振っていた。
その目を見た時に、僕たちがまだ遠距離恋愛をしていて、僕が毎月か月に2回、大分や福岡にKに会いに行っていた頃のことを思い出した。
せっかくのふたりの楽しい時間が過ぎて、Kと別れなくてはいけない時に、Kはいつも目の奥で泣いているようなとても寂しそうな表情をするのだった。
その瞳を見るたびに僕は、Kと同じようにせつなくなったものだ。
今日気づいたのは、見送られるよりも、見送る方が、気が楽だということ。見送る時は、ただ元気よく手を振っていればいいのだ。
そんなことを考えながら、早くKの待つ家に帰りたいなあ…と思いながら、駅への道を歩いたのだった。