春のえぐみ。

独活を酢水に

蕗の板ずり

たらの芽と蕗の薹

午前中、映画『アンナ・カレーニナ』を観て、昼は家に帰り、春野菜の下ごしらえをしながら過ごした。
独活(ウド)は、皮を厚めに剥き、酢水にさらす。生で白和えもいいけど、今日は茹でて、胡麻和えにした。独活は生でかじるとわかるけど、独活自体の甘みが感じられる野菜だ。皮は、キンピラにとよく言うけど、僕はニンニクと鷹の爪で炒めるのが気に入っている。
蕗(ふき)は塩をふり、まな板の上で両手で転がし板ずりをする。少し置いたのち、軽く茹でて、水に取り、皮を剥く。これは、指ではなくて、ペティナイフで先端の皮を掴みながらやると剥きやすい。きゃらぶきのような味は好きではないので、あっさりとした煮浸しに。
蕗の薹(ふきのとう)とたらの芽は、根元を綺麗に切って天ぷらに。天ぷらは、ほとんど家では作らないけど、この時期だけ食べたくなるから不思議だ。これは、片栗粉を混ぜるとうまく揚がる。蕗の薹は、先日、アーリオオーリオにして食べたら、とても美味しかった。
竹の子にしても、蕗にしても、独活にしても、それぞれが独特のエグミを持っているけど、ちょっとした一手間をかけることで、美味しくいただくことが出来る。野菜の下ごしらえは、先人の知恵だ。
それにしても、揃いも揃って、なんでこんなにアクの強い野菜ばかり春にはあるのだろう?
そして、それらを身体が欲しがっているように感じられるのも不思議だ。

ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの

前作の『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』という映画が、本当に素晴らしいドキュメンタリーだったので、今朝は、77歳のドロシーが来日しているというので、10時からの回を観賞した。
ハーブは郵便局員、ドロシーは図書館司書。ふたりはアートに惹かれ、ドロシーの給料で質素な生活をやりくりしながら、ハーブの給料で、現代美術を一つ一つ買い求めはじめる。
作品はすべて、自分たちのアパートの中に所構わず並べ、ベッドの下にも積み重ねられ、集められていった。
それが、今では何千点を越えるコレクションになり、意を決してワシントンのナショナルギャラリーに寄贈することになる。
2000を越える作品は、なかなかすべてを展示することが出来ずにいた。その後、作品は増え続け、やがて4000点にもなってしまった作品を、50作品づつ、アメリカの50の州のそれぞれの美術館に寄贈することになる。映画は、50作品✖50州のドキュメンタリー。
映画の後、監督とドロシーが出て来て、会場では質疑応答が。ドロシーは、本当にかわいくて、「桜の咲く頃に、日本に来れて、本当に幸せでした。日本に来て、一番美味しかったものは、上野の国立美術館の前で、吉野家の牛丼を食べたこと」と嬉しそうに言っていた。
この映画には、『giving back』という言葉が何度も出てくる。
自分が手に入れたものを、社会にもう一度還元するということ。
彼らは狭いアパートで慎ましく暮らしながら、財産をほとんどつぎ込んで集めたアート作品を、すべてナショナルギャラリーに寄贈するのだ。
彼らは子どもがいなくて、ふたりで、共通の趣味であるアートを集めることで、毎日の暮らしを膨らませ、長い年月をかけて愛を育んで来たのだろう。
ハーブとドロシーは、ニコニコと笑いながら教えてくれているのかもしれない。
この地球上では、誰であろうと、どんなものであれ所有することなど出来ないのだ。それならば、分かち合うというのは、どうだろうかと。
機会があれば、ぜひ前作の『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』をご覧になって欲しい。素晴らしいドキュメンタリーです。現在、東京都写真美術館ホールでやっていました。http://syabi.com/contents/exhibition/movie-1879.html
★ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの
http://herbanddorothy.com/jp/

竹の子ごはん。

毎年この時期は、お花見に合わせて、竹の子ごはんを作っている。
僕の自慢の竹の子ごはんは、
薄口醤油で味付けした色の薄い竹の子ご飯で、
実は、油揚げではなく、湯葉を一緒に炊き込んである。
そこに、手のひらで木の芽を叩いて、天盛りに乗せる。
春を凝縮したような一品だ。
口に含むと、やさしさの中にも、
身体が欲しがるような、仄かな竹の子の渋みが広がる。
水曜日に、伊勢丹の京都展で買い求めた、朝採りの竹の子は、
その日のうちに、米ぬかと、鷹の爪で茹で上げ、
そのまま水につけっぱなしにしておく。
木曜日、家に帰ってから、ひとつひとつ皮を剥いて、
米ぬかを丁寧に水で洗い流した。
少し手間がかかるけど、買って来た水煮の竹の子よりも、
断然安く、多くの竹の子を手に入れることが出来る。
(京都産の竹の子の値段を知ったら、きっとみんな驚くと思う)
京都の竹の子の産地では、この茹であげた竹の子を1年分、
ガラスの瓶に詰めて、煮沸消毒をした後、冷暗所で保存するという。
さて、この愛しい竹の子たち。
実は日曜日のお花見のために用意したのだけど、
どうやら日曜日は雨が降るようで、
お花見は残念ながら中止になってしまった。
行き場を失った竹の子たちを、これからどうしようかと思案中。
竹の子専門の割烹料理屋さんが出来るくらいの量なのだ(笑)。
竹の子ごはん。若竹煮。焼き竹の子。竹の子と牛肉の炒め物。
行く春を、思う存分味わい尽くすことができそうです。

身近な人が、親を亡くした時に。

親を亡くすということは、本人でなければ分からないけど、とても大きな喪失感を味わうものだと思う。
周囲の人はほとんど、踏み込まないようにと気を遣い、お決まりの挨拶を述べて、その後は腫れ物に触れるように、少し距離をおくようにする。
僕の父は、五年前に亡くなったのだけど、僕はその告別式の日に、10年間つきあっていたパートナーとも別れた。
忌引を終えて、会社に行くと、会社の上司Oから、手書きの手紙がポツンと机の上に置いてあった。その手紙が、温かく、僕にはとても励ましになった。
僕も、この上司Oのように、親しい人の辛い時に、できればその人に寄り添うことの出来る人間でありたいと思った。
先日、僕の長い間そばにいた別の上司で、僕にとっては兄のような存在Fのお父様がお亡くなりになった。葬儀もすべて終わらせてからの発表で、お金もお花も受けつけないという文面だったのだけど、サダハルアオキのフルーツケーキと、手紙を添えて、今朝、一番で席に行き、お渡しすることが出来た。
Fは、はじめ、久しぶりに会う僕に少し驚いていたけれども、すぐにうれしい返信が帰ってきた。
上司Oからいただいた手紙は、ここでは控えるけれども、自分の書いた手紙をここに。
会社の上司に、こんな文章なんて‼と驚かれるかもしれないけど、僕は、どんな場合であれ、文章は、難しい漢字や言葉で書くよりも、平易な言葉を心がけている。
Fさんへ
お父様が他界されたことを知りました。ご病気だったのか、急なことかわかりませんが、たいへんでしたね。
親を喪うということは、たとえいくつになっても、大きな喪失感だと思います。
僕が父を亡くした時に、同時に長くつきあっていたパートナーも失って、僕にとってはとても苦しい時に、Fさんにいつも見守っていただいていたことを覚えています。
あの頃は、自分の影を失ったようで、毎日が重力を感じないような不思議な気分でした。
Fさんのことだから、きっとお父様との絆も深かったでしょうし、お父様もきっと、やさしい方だったと想像出来ます。
そして、Fさんのことだから、周りには心配をかけないように、今日も平然と仕事をこなしているのだろうと思います。
どうか、時間をかけて、ゆっくりと、やさしいFさんに戻って来てください。
KIのお母様が亡くなった時に、Fさんが、「親を亡くしてからでも、親孝行は出来るから」とおっしゃったと、KIから聞きました。とても、深い言葉だと思いました。
僕は、未だに親不孝者ですが、いつか、なんとか、親孝行が出来れば…と思っています。
Fさんにとっても、僕はいつも不肖者でしたが、いい仕事をすることが、僕に出来るFさんへの唯一の恩返しだと信じて、これからも頑張ります。
T

箸の話。

みやこ箸

我が家の箸たち

昨日行った伊勢丹の『京都歴代のれん市』では、
毎年、『市原平兵衛商店』が出店しているので、いつものぞいている。
僕は、もう15年以上、ここの「みやこ箸」という、箸を使っている。
これは、京都の四条河原町近くにある店で求めたもので、
150年程の歳月を経て、燻された『すす竹』で出来ている。
四角形の形状が実に握りやすく、固く尖った箸先が、
小さな物でも逃さずに拾いあげることが出来る。
中国に行くと、プラスチックの箸が箸立てに突っ込んであって、
どれも先端が太く非常に粗野で使いづらいと思うし、
韓国に行くと、冷たい金属で出来た箸を、口の中に運ぶ時に、
あのヒンヤリした触感がいつも馴染めない。
これは、我々が、小さな時から、
日本独自の繊細な箸の文化で育ったためだと思う。
『お箸の国の人だもの。』
というキャッチフレーズが、昔、味の素の広告で使われていたけど、
この言葉は、ひと言で、この国がそれぞれの季節の旬の食材を取り入れ、
旨味を使った独自の食文化を育んで来た誇りを表現していると思う。
4000円以上するみやこ箸を、最初はとても高いと感じたものだけど、
一度使ってみると、もう他の箸には戻れなくなるから不思議だ。
箸のくせに4000円以上?という考え方もあるかもしれないけど、
箸は、毎日、大切な命を口の中に運んで、味わわせてくれるのだ。
箸が使いやすく、美しいと、食べ方も美しくなるに違いない。
ヨーロッパのシルバーの文化に決して劣ることのない、
美しい日本の文化のひとつであると考えることもできる。
※写真は、家で愛用している『市原平兵衛商店』の美しい箸たち。上から、
揚げもの箸(揚げ物が滑らない)
焼きもの箸(火に強い)
菜箸
菜箸
白竹もりつけ箸
白竹のし箸

京都歴代のれん市

上林春松のほうじ茶

東山亭のちりめん山椒

うね乃のかつお節

早めに仕事が終わったので、伊勢丹新宿店で今日から始まった、「京都歴代のれん市 http://www.isetan.co.jp/icm2/jsp/store/shinjuku/event/1303kyoto/index.jsp」に。
しょっちゅうやっている京都展だけど、京都が恋しくなってきた頃には、つい行きたくなってしまう。今回は、カタログで見た、辻和金網の、銅の籠に惹かれて、実物を見たいと思ったのだ。
実際の籠は綺麗だったけど、思ったよりも小さかったので、食材を見て回った。
京野菜のかね正で、朝採り竹の子を、上林春松でほうじ茶を、うね乃でかつお節を、東山亭でちりめん山椒を。ああ、三嶋亭で牛肉を買いたかったなあ…。
急ぐように帰って来て、まっ先に竹の子を茹で始めた。竹の子は、朝、根元から掘り起こしたら、出来るだけ早く茹でた方がいい。時間が経つごとに、アクが強くなってくるから。
先を斜めに切って、縦に包丁を入れて、たっぷりの水に米ぬかを入れて、鷹の爪を入れてほぼ1時間、この時期ならではのいい匂いが部屋中を満たした。
買って帰って来た戦利品を見ながら、我ながら、本当におばあちゃんみたいなものばかり買って来たものだと・・・。
ほうじ茶を飲み、今度はいつ、京都に行けるかと、カレンダーを眺めながら、食事の支度をした。
明日は、美味しい竹の子が食べられそうです。

隣の老夫婦。

鶏の照り焼き(さっぱり風)

大分のカボス果汁

マンションの隣の老夫婦は、70代くらい。ちょうど僕の親の世代くらいだろうか。僕が引っ越して来た時から、時々、ちょっとしたものを持って来てくださる。それは、お赤飯を炊いた時だったり、果物をいただいた時だったり…。
僕も中元や歳暮にいただいたものを、差し上げていたのだけど、彼らからいただくものも、頻繁ではなくて、こちらがあまり気にならないくらいの頻度。
数日前、会社に行く時に、遠くから自分の部屋の洗濯物を見ようと眺めたら、隣の家のベランダから、垂れ下がるように植物が生い茂っていた。後で家の植物に水をあげる時に、何気なく覗いたら、それは、紫色の豆の花だった。
朝、ピンポンと鳴ったので玄関を開けると、隣のお婆さんが立っていた。「うちのベランダで朝採りしたキヌサヤ。召し上がってみて。朝採りだから」。やけに朝採りを強調するものだから、可愛かった。
今夜は、鶏肉を照り焼きにして、普通は、白髪葱か茗荷などを添えるのだけど、お婆さんにいただいたキヌサヤを千切りにして生で合わせてみた。キヌサヤ自体の甘さがとてもいい感じだった。さすが、朝採り。
照り焼きも、先週末の大分から買って来たカボスの果汁を使ってみた。本物のカボスは、今の時期には無いけど、カボスの果汁も、とても使い勝手がいいことが分かる。なんと言うか、柚子ほど主張しないで、そっと寄り添う感じ。
★鶏の照り焼き(さっぱり風)
1.鶏のもも肉1枚の皮目にフォークで穴をいくつも開けて、お酒大さじ1、薄口醤油大さじ1につける。そのまま10分から20分おく。
2.小さな器に、お酒大さじ1、薄口醤油大さじ1、柑橘系果汁大さじ1、胡麻油小さじ1を用意。
3.フライパンに、胡麻油大さじ1を熱して皮目から焼く。皮に焼き色が着いたら、裏返して焼く。焼き時間はだいたい9分から10分くらい。
4.鶏肉を切って器によそい、2をかけて、葱や茗荷やピーマンなどの千切りを添える。
※普通、照り焼きは、濃口醤油にみりんを使うのだけど、甘い料理ではなくて、さっぱりと食べたい時は、こんな照り焼きにすることが多い。

Kの暮らし。

Kの暮らしは、僕からは考えられないくらい、質素な暮らしだ。
「じゃあ、パスタを茹でようか・・・大きい鍋出して!」
「あ、大きい鍋はありません」
「この出汁を、ボウルに入れてざるで漉したいんだけど・・・」
「ボウルはさっきの一つしかありません」
「じゃあ、このうどんをどんぶりに装って・・・」
「あ、どんぶりとかありません」
たとえばボウルの代わりは、大きめの鍋を使ったり、
パスタを茹でる鍋は、一番大きなフライパンを使ったり、
なんとか知恵を働かせると、他のもので代用をきかせることができて、
最後は料理も無事に終わり、パスタを食べようと食卓に着くと、
「あ、フォークひとつしかないや」
「じゃあ、箸でいいよ」といった具合に。
洋服は人並みに量がある気がするけど、
バスタオルはなくて、少し大きめのタオルが数枚と
普通の大きさのタオルがあるだけ。
(僕の家には、バスタオルが恐らく12枚はあると思う・・・)
なんでも余分なものはほとんどなくて、
数少ないものを使用して、無駄の無い暮らしをしているのが分かる。
よくいえば、無印良品のような暮らし・・・。
もう、その時点で、僕とは真逆な気がする。僕はMUJIの物自体、
今まで画鋲と歯磨きセットをやむを得ず買ったことがあるくらいだから。
Kは、勤務先から歩いて3分くらいのところに住み、
仕事場から歩いて帰宅することが出来る。
交通機関に頼らなくていいということも、東京で暮らす我々とは違っている。
東京で暮らす僕たちの生活は、いかに物に囲まれて、
余分なものを買い込み、無駄なゴミを出しながら暮らしているのかと、
ちょっと自分の暮らしを省みた。
何をしても、東京ではお金がかかるし、
またそれが当たり前のようになっていて、疑わない自分がいる。
無印良品のような暮らしは、今更僕には不可能だと思うけど、
今は、Kのような質素な暮らしに変な刺激を受けて、
無駄な物の多すぎる自分の暮らしを、少しずつ見直しているところ。
誰かとつきあってゆくことで、こんな僕でさえ少しずつ変わってゆくんだな。

両子寺、そして、臼杵へ。

有名な両子寺の仁王像

にしきやのフグ

熱々の白子

朝から、国東半島の両子寺へ。
両子寺は、1300年経つというお寺。山の中腹にあり、寺全体が山の新鮮な空気に包まれている。モミジが至る所にあって、芽出しや紅葉の時期は、さぞかし美しいに違いない。富貴寺といい、この両子寺といい、この国東半島には、古くて美しい佇まいの寺が幾つもある。
夜は、臼杵まで遠出をして、フグの老舗『にしきや』へ。臼杵には、20軒以上フグのお店があるらしいけど、フグだけで勝負しているのは、この『にしきや』だけ。
刺身は、大分独特の○○に和えて食べる。この食べ方が出来るのは、日本の中でも、この大分だけだろう。
フグの唐揚げは、魚の唐揚げの中でも、一番美味しいと思う。
そして、この時期を逃してはなるまいと、白子もお願いしてあった。普通のコースより少し値段が張るが、熱々を頬張ると、中からジュワッと濃厚な白子が口に溶け出す。
鍋で、雑炊でしめて、臼杵だと普通のコースで一万円で食べることが出来る。
大分から臼杵は、45分くらいかかるけど、国宝の石仏もあり、訪れる価値のある古い町だった。

大分へ。

一カ月ぶりに、Kに会いに大分に来た。大分空港は、市内から1時間くらい離れていて、Kはいつも車で迎えに来てくれる。
Kが、職場の女性の先輩に会わせたいと言うので、夜は、三人で食事をすることに。
その先輩は、Kのことが好きだったようだけど、Kは、僕とつきあい出して間も無く、彼女にカミングアウトをした。
その話は聞いていたけど、彼女曰く、その時Kは、とても泣いていたらしい。Kにとっては、初めてのカミングアウトだったのだ。
その先輩は、自分の好きな後輩のKが、一体どんな年上のじしいとつきあっているのか、心配になったのだと思う。僕の写真を見た彼女は、「あれ?おじさんじゃないじゃん!」と言って、会いたいと言ったらしい(おばさんと言われなくて、良かった…)。
普段、職場の話など一切しないKの働きぶりを聞けて良かったと思う。彼女は、酔っ払った勢いか、最後の方で、「悔しいけど、Kは、Tさんのこと、本当に好きなんだと思います。Kを、幸せにしてやってください!」と、何度も言って、泣いていた。
僕の周りのゲイの友人には、Kは何人も会っているけど、Kの友人に会うのは初めてだった。僕たちの、東京と九州という遠距離恋愛も、まるで先のことはわからないけど、周りの友人たちを少しずつ巻き込みながら、なんとか続いていけそうだ。
写真は、海鮮居酒屋で食べた、締めの、縞鯵のあらの味噌汁とシラスご飯。こういうものが、大分は本当に美味しい。