今年二度目の、石垣島へ。

テビチ

ミミジャー

メンガテーのおでん

台風17号がやっと去ったと思いきや、台風18号が沖縄を目がけて北上する中、午後の便で石垣島へ。
羽田空港から2時間30分、飛行機の左下に宮古島が見えて来て透き通る海が覗く。やがて石垣島が見えてくると、真っ青な海が広がり、胸が高鳴る。
これは、イタリアに降りる時に眼下に真っ青な海が見えた時に感じる高揚感に似ている。
飛行機を降りると、石垣島らしいじんわりする太陽と心地よい湿度を感じる。
「ああ、また石垣島にやってこれたんだ…」
夜は、前回行って美味しかった店の支店
『まるさ美崎店』へ。
島らっきょうの天ぷらに舌鼓をうち、豆腐ようを摘みながら請福の泡盛を傾ける。沖縄に来たと感じる瞬間だ。
テビチは甘く深い味わいがしてトゥルントゥルンのコラーゲン。ミミジャー(フエフキダイ)の煮魚(マース煮)は、沖縄の塩で味付けされていて飽きることなくとても美味しかった。
そのまますぐそばにあるゲイバー『アナザーシー』へ向かうと、前回入れてあったボトルがほぼ満タンのまま出て来た。
請福の泡盛をしこたま飲んで笑った後は、小腹が空いたので、
『メンガテー』へ。
ここは、前回も石垣島の人に紹介されて立ち寄った八重山そばで有名なお店。前回お腹いっぱいで食べられなかったおでんを頼むと、このお店の真髄がよくわかった。
ここのおでんは、汁が甘くなく、濃くなく、スッキリとした鰹出汁が効いている。大根はしっかりと煮込まれていて柔らかく、豚肉にも味がしっかりと沁みている。お酒を飲んだ後にぴったりの味わいだったのだ。
★まるさ 美崎店
0980-82-0864
沖縄県石垣市美崎町3 東バス2F
https://tabelog.com/okinawa/A4705/A470501/47007413/
★メンガテー
0980-82-8065
沖縄県石垣市美崎町10-19
https://tabelog.com/okinawa/A4705/A470501/47003879/

まんが日本昔ばなし

晩ご飯の後に、Kがテレビをつける。
テレビといっても、家にテレビは置いていないので、パソコンを使ってNETFLIXなどで映画を観たり、過去の番組を見たりするのだ。
Kがこの頃好きなのは『まんが日本昔ばなし』。
子どもの頃、土曜日の夜には欠かさず見ていた番組の主題歌は懐かしく、歌詞の中にふんだんに昔話の主人公たちが散りばめられていたことに今頃になって気づかされた。
先日、『姥捨山(うばすてやま)』をふたりで見たのだけど、見ているうちに山に捨てられるお婆さんがかわいそうでホロリと泣いてしまった。
話自体は本当に良く出来ていて、改めて見ると、こんなに恐ろしい話だったのか…と驚いたのだ。
それから時間が出来ると、僕たちはふたりで『まんが日本昔ばなし』を見るようになった。
とても不思議なことは、知っている物語であったとしても、改めて見て興味深く楽しめることだ。
巧妙に作られた物話を見ながら、日本の昔話はいったい誰がどんな風に作り、これまで伝えられて来たのだろうかと考える。

會水庵

いわしと釜揚げしらすの親子丼

穴子玉子ふはふは丼

前にもここに書いたのだけど、赤坂で一番好きなランチは、『會水庵』。
髪の毛を切るのが赤坂なのだけど、毎回なるべくお昼頃を狙っては、『會水庵』でランチを食べたくなるくらい、心の奥深くに訴える美味しさなのだ。
お店は、『割烹料理店』なのだけど、敷居は高くはなく小さな和食屋さんといった感じ。カウンターがメインで奥にお座敷がある。
大将は、60くらいだろうか?
お客さんが注文をしてから、穴子なんかを黙々と焼き始める。女将さんは下町のおばちゃん風な気さくな人で、寮のおばちゃん的なやさしさで溢れている。
一番の人気は、焼き穴子玉子ふはふは丼。そして、焼きいわしと釜揚げしらすの親子丼。
大抵Kは穴子丼にして、僕がいわしを食べるのだけど、一口食べると、「ああ…こんな料理が一番美味しい…」しみじみと思えるから不思議だ。
雑誌に載ったのか、テレビに出たのか、ほとんどいつもお店の前に人が並んでいる状態なのだけど、並んでいても回転は早いので、赤坂に昼時に行ってみた時は、『會水庵』に寄ってみて欲しい。
あなたもきっと、胸の奥の方で、「ああ、美味しい…」と、しみじみと思うはずだ。
★會水庵
03-3505-2369
東京都港区赤坂6-4-15 シティマンション赤坂 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1308/A130801/13002183/

この国で、LGBT差別をなくすために。

後輩であり、妹のような存在のGが前から僕に、「LGBT差別にNO!」という法案を作りたいと相談を持ちかけて来ていた。
そこで、はじめに話が出た頃に形にしたビジュアルは、レッドカードを持っているようなものだった。ちょっとこわい(笑)
やがて、今回の国会に合わせて『change.org』の署名キャンペーンをGが立ち上げることになった。
そこで、僕の家の周りに住む、愛する神宮前二丁目のファミリーに二日前に急に声をかけて、週末に新宿御苑に集まってもらい、撮影を行ったのだ。
ゲイ・レズビアン・トランスジェンダー・バイセクシュアル、ストレートの友人やストレートの夫婦など、様々なセクシュアリティの人が入り混じって、仲良く楽しそうにしている風景。
これは、僕にとってのいつもの風景だ。
僕に出来ることは、『NO!』のエネルギーを抑えて、何かポジティブなものにすることだった。
LGBTを取り巻く環境は、保険会社や航空会社をはじめ、様々な民間企業でも少しずつ変わって来てはいるのだけど、国が変わっていかなければ、会社や学校の水面下で日常的に起こっているいじめや差別をなくすことは出来ないのだと思う。
「署名をすることで、どこかに名前が公表されて、自分がゲイだって他の人にバレるのではないか」
そんな質問ももらったし、実際に差別やいじめに遭ってきたセクシュアルマイノリティの人たちにとって、こういう案件に署名すること自体が、とてもハードルが高いことなのだと思う。
署名は、国会に提出される。(他にお名前を公表されることはない)
※少し長い文章ですが、お読みいただき、賛同いただけたらうれしいです。
『世界に誇れる日本へ!LGBTへの差別をなくして、「ありのままの自分」で生きやすい社会を実現する、法律をつくってほしい!』https://www.change.org/p/%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%82%92-%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99-%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E8%AA%87%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%B8-lgbt%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%82%92%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%A6-%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%88%86-%E3%81%A7%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%84%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%92%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E3%81%99%E3%82%8B-%E6%B3%95%E5%BE%8B%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84

金木犀。

朝、窓を開けると、ふわ〜〜っと甘い香りに包まれた。
それは、隣の家の金木犀だった。
ほんの数日前には、まだ蕾のような粒が枝に着いていただけで、Kとふたり、「まだだね…」と話していたのだった。
金木犀は、中国から渡って来た植物だけど、この9月の終わりに町を歩いていると、至るところでその芳しい香りがどこからともなくやって来て、どこに金木犀があるのかついつい探してしまう。
トイレの芳香剤と似ているとバカにする人がいるけど、自然の金木犀をぜひ一度嗅いでみて欲しい。
いくら嗅いでも飽きることはなく、深呼吸したくなるような豊かな香りも、2週間後にはもう嗅ぐこともできないだろうから。
日頃は目にとまることもないのに、一年に一度だけ、全身を使ってあたり一面に甘い香りを振りまいて、数週間と経たぬうちに忘れ去られてしまう金木犀を、なんとも愛おしいと思う。

アンナ風ラザーニャ

アンナ風ラザーニャ

ここにも何度か取り上げているお店なのだけど、僕の愛する神宮前2丁目に、『EMILIA(エミリア)』というイタリアンがある。
エミリアは、イタリアのエミリアロマーニャ州でイタリア料理を学んだご夫婦がはじめたお店の一つで、今では都内に3店舗を展開している。
特筆すべきはパスタで、ランチであってもすべてのパスタは手作りなのだ。どのパスタもソースとの絡みがが絶妙なのだけど、その中で僕の好きなパスタの一つが、『アンナ風ラザーニャ』。
ご夫婦がイタリアでの修業時代、日曜日になるとお店にいるアンナというおばあさんが、いつも決まってラザーニャを作ってくれたそうだ。
そのラザーニャはふんわりとして柔らかく何とも言えない美味しさで、いつも日曜日にラザーニャを食べるのが楽しみだったそうだ。
ご夫婦は2009年にエミリアを作った時に、このアンナに敬意を表して『アンナ風ラザーニャ』をメニューに加えたのだ。
7年前くらい前、僕がエミリアに行ってはじめてラザーニャを食べた時に、「こんなに美味しいラザーニャは食べたことないや」と思ったのだ。生地がほんわりと柔らかく、ミートソーズもヘビーでなく、食べ終わった時にもっと食べたいと思うようなラザーニャだった。
久しぶりにランチに訪れて、美味しいラザーニャに舌鼓を打った。
★EMILIAhttp://www.ciao-emilia.com

ハドソン川の奇跡

アーロン・エッカート♡

監督として、いくつもの心に残る名作を生み出し続けているクリント・イーストウッドのことを、僕は心から尊敬している。それに、大好きなトム・ハンクスが出るなんて聞いたら、何があっても観に行きたいと思い、Kを引き連れて鼻息荒く初日に劇場に向かった。
2009年1月15日、ニューヨークの上空で飛び立ったばかりの航空機が、アクシデントにより突然全エンジンが停止、155名の乗客を乗せたまま急遽ハドソン川に不時着した奇跡のような出来事の裏側を、新しい視点で描いた作品。
この映画の凄いところは、事故発生から、ハドソン川への着陸を決断するまでのわずか208秒を実に巧妙に描いている脚本だろう。そして、何度もなぞるように事故を体験させながら、ぐんぐん映像に引き込まれてゆく見事な演出。
「自分の認識している事実は、実際に起こっていた事実と同じなのだろうか?」
「208秒の間に自分が判断し選択したことは、果たして最上の選択だったのだろうか?」
人間とAIの戦いを描いた秀作。
余談だが、僕は助手のパイロット役のアーロン・エッカートという人がタイプだった。あまり白人に興味を示すことはないのだけど、なんともセクシーに感じてしまった。笑
★ハドソン川の奇跡http://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/

Kが気づかせてくれること。

二丁目で飲んだ帰り道、Kがぽつりとつぶやいた。
K「ただしくん、Yくんのこと、そんな風に言わないで」
僕「え?俺が何かYのこと言ったっけ?」
K「うん。Yは話がつまらないからな・・・って言ってた」
僕「うん、話し続かないしつまんないんだよね・・・」
K「でもね、僕だって話すの得意じゃないから、ただしくんの友達と会っている時にあんまりしゃべれなくて、みんな僕のことを同じように思ってると思うの・・・」
僕「え?そんなこと考えたことなかった」
そんなことを言われて考えてみたら、僕の周りは、比較的話すことが好きな人が多いのかもしれない。
会社の僕の周りの人たちは、自己主張の塊のような人たちばかりだし、友人にはアクティビストも何人もいて、そう言った人たちはいつでも自己表現に長けているのだ。そばにいるだけでも常に自分の思っていることを表現し続けているような感じ。
そういう人たちはKに会っても、矢継ぎ早にKにいろいろ話しかけるので、ただでさえ人見知りのKは、いつも恥ずかしそうに笑ってごまかしてしまうような感じだったのかもしれない。
Kはどちらかというと、自分の好き嫌いを人前で話すことを好まないようなのだ。飲み屋さんなんかでも、僕がぎゃあぎゃあ話すのを横で聞いていて、横で笑っている感じなのだ。
僕「あんな言い方をして悪かったね。人それぞれなんだから、あんな言い方はもうしないようにするよ」
K「うん」
僕のようにハッキリとものを言うことをしないKは、僕のようにうっかりと言葉で人を傷つけてしまうこともないのだと思う。
そういうKの生き方が僕は好きだ。

母との食事。

母の誕生日の翌日、久しぶりに母とお義父さんと食事をした。
中華料理のコースを食べていたのだけど、僕たちが話に夢中になっている間に、最後のメインの肉が運ばれ、ご飯が出た。
メインの肉を食べながら、母が、「あら…ご飯が私には多いわね…」と言った。実際にご飯は、軽く一膳分くらいだったのだけど、コース料理で品数も多く、最後のご飯は僕でさえそれほど食べられないくらいに感じていた。
母は、3割くらいのご飯しか食べることが出来ず、ほとんどご飯が余ってしまい、つぶやいた。
母「ご飯が捨てられてしまうから、私が持って帰るわ」
すかさずお義父さんが言った。
義父「ご飯は余ったら残せばいいよ。そんなの頼むのみっともないよ」
母は、お義父さんのそんな言葉には耳も貸さず、店員さんを呼んだ。
母「このご飯、ビニールの袋か何かに入れてくださいませんか?捨てられてしまうのはもったいないので。
ここに残ってる漬物も一緒でいいのでお願いします」
お義父さんは、「あんた、そんなこと頼んでみっともない」と言ったのだけど、僕は改めて、
「これが僕の母なんだ…」と思ったのだ。
食事の時に、お米を一粒も残さず食べることを教えてくれたのは、母だ。今になると、そんなことは当たり前のことだけど、厳しかった母の躾をありがたいと思う。
母は、小さなビニール袋に入った残り物のご飯を受け取りながら、満足そうに帰って行った。

Nの誕生日。

9月21日は、母の誕生日であり、昔、10年間つきあったNの誕生日でもある。(Nは、2年半前に病気で亡くなった)
この日になると僕は、母に電話をかけながら、同じようにNのことを思い出す。
Nの白い肌と、柔らかい髪、大きな背中と、太い脚。抱きしめられるたびに感じた安心感と、僕を見つめながら泣いていた真っ直ぐな瞳。
子どものように純粋でやさしいこころと、太陽のような笑顔を。
出来るならばもう一度、Nの顔に触れたいと思う。
「ずっと一緒だよ」と、Nの目を見ながら言い聞かせて、うれしそうな笑顔を見たいと思う。
ふたりで体験した思い出は、いつまでも変わることはなく、年を経ても尚、輝いたままそこにある。
ずっと変わることなく、僕を励まし続けてくれている。
N、お誕生日おめでとう。