フィレンツェの香り。

妹のような後輩のGが、フィレンツェ出張から帰国して、お土産をくれた。
カラフルな色合いのショートパスタと、ペペロンチーノやアラビアータ用に辛い調味料の配合したものと、イタリアの国旗をハーブなどで模した3色の塩。
お土産をテーブルに広げたら、小さな包みからイタリアの香りが部屋中に漂って来て、胸がざわざわとした。
フィレンツェは5回以上は訪れていて、新年を迎えたこともある思い出深い町。ミケランジェロ広場から臨む町の夕暮れ時は、溜め息が出るほど美しい・・・。映画『眺めのいい部屋』は、フィレンツェの美しさを存分に納めた映画だけど、実際にフィレンツェに行くと、映画が美化されたものではないことがわかる。
ウフィッツィ美術館に行くと、ルネッサンスという文明開化もこの町なくしては起こりえなかっただろうと納得することが出来る。ローマのように大きくはなく、街全体が歩ける規模で時間によって見せる景色が違うので、散歩をしていても飽きることがない。
フィレンツェの人たちは、トスカーナ人であること、もっと言うとその昔エトルリアという古い文明が栄えたことを誇りに思っている。シエナとは何度も政権争いをしたこともあり、ライバル意識が強かったりする。
町中にあるFRESCOBALDIという貴族の経営するトラットリアで、彼らの作ったワインを傾けながら、素材そのものが美味しいトスカーナ料理を食べることを夢想してみる・・・。
今年こそ、我が故郷に帰らなければ・・・。

経年愛化。

長く人とつきあっていくと、自分も年をとるし、相手も年をとっていく。
僕が29歳でつきあい出した人は、僕の6歳年上で当時35歳。
その後10年間つきあったので僕が39歳で彼が45歳の時までつきあったことになる。今、僕は、別れた頃の彼の年45歳になっている。
日々ともに生きているとなかなか気がつかないことだけど、ふとした時に、相手が年をとったことを感じる瞬間が何度もあった。
年齢はハッキリと身体や機能に表れる。肌や、髪の毛や、筋肉や、シミや、視力や、食べる量や、睡眠や、精力…それこそ何もかも。
年をとるのはお互い様だけど、もしかしたら年下が年上に対して感じることの方が多いかもしれない…。
若くて美しい顔や筋肉質な身体は、僕にとってもいつまでも欲望の対象だし、この憧れは自分が80歳になっても変わることは無いと思う。
でも実は、つきあってきたからこそのギフトというか宝物のようなものがある。
相手が年をとっていくことと、一緒につきあってきた山あり谷ありの歳月は重なり、『月日の経ったことを感じる身体的な部分を見ても、それを愛おしく感じることが出来る』ことだ。
昔、僕がつきあった人のことを考えていたら、愛おしさまでもそっくり思い出してしまった。
一緒に生きて、月日を重ねてゆくことって、いいものですね。

違う世界。

昨日ここに上げたグラミー賞のパフォーマンスを、同じようにKにも送っていたのだけど、見るや否や返信が返って来た。
僕「大勢で結婚式あげてるんだよ。すごいよね!」
K「白いおばさん誰?」
僕「マドンナ!!!!!」
K「やっぱり!」
僕「・・・」
今の子はマドンナさえ知らないのか?と愕然とした。(とぼけているKはガガでさえ知っているかどうか怪しいものだけど)
つきあいはじめの頃、僕が家でワインを飲んでいると書くと、「ワインってほとんど飲んだことないです・・・」という返事が来た。大分で育ったKにとってみれば『酒=焼酎』だし、その前にビールを飲むことがあっても、ワインというのは結婚式とかでしか飲んだことはなかったみたい。
「生ハム」、「ブルーチーズ」、「スペイン料理」、「イタリアン」、「フレンチ」、「エスカルゴ」、「フォアグラ」、「スカンピ」、「懐石」、「割烹料理」、「回らない寿司屋」、「3D」、「IMAX」、「友人が家に来るパーティー」、「ゲイの友人たち」・・・なにもかもがKにとってはじめての体験だったのだと思う。
同じように僕にもそんな体験があるのだと思う。(『ラーメン』とか、『焼き肉』とかB級グルメ的な出会いばかりのような気もするのだけど・・・)笑
僕が他にKから学んだことは、『質素なくらしぶり』のようなものかもしれない。
お昼ご飯は、ご飯だけ自分で炊いたものを箱に詰めて、後は仕事場で総菜を買って食べるような生き方は、改めて僕の暮らし方を一から見直すことにもなった。
スーパーでレジ袋をもらうと5円払わなければならず、それがもったいないのでエコバッグが欲しいと言って東京で探したことがある。エコバッグって、探すと意外となくて、あっても2000円とかするとKには高すぎるようで、無印にさえなかった時には諦めて帰って行った・・・。
先日、スーパーの紀ノ国屋に寄った時にエコバッグを見つけた(2000円したのだけど)。地味なグレーのものをお土産に買って行ったら、満面の笑みを浮かべていた・・・
その笑顔は、「これでレジ袋のために5円を払わずにすむ!」という幸福感に満ちていた。

same love

昨夜は、間もなく始まるソチ五輪のソチ市長のコメントをFBで友人から知った。『ソチにゲイはいない。』http://www.asahi.com/articles/ASG1W5FM9G1WUHBI011.html?iref=comtop_6_04
暗澹とした気持ちでいたところ、同じ夜にグラミー賞でこんなパフォーマンスがあったことを知った。http://jezebel.com/grammys-featured-mass-wedding-during-same-love-perfor-1509548304
今も、息を殺して毎日を生きているであろう、ソチ及びロシア中のゲイやビアンの人たちは、グラミー賞のこのパフォーマンスを観ただろうか?
たとえ憎まれたとしても、相手を憎むことではなく、愛を表現することで世界は変わってゆくのかもしれない。
以下は歌詞の内容です。(素晴らしい訳だったので、およげ対訳くん!http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2013/09/same-love-macklemore-ft-mary-lambert.htmlより抜粋させていただきました。ありがとうございます!)
『Same Love (macklemore ft. Mary Lambert)』
小学校3年の時
自分はゲイだって思ってた
だって絵が得意だったし
おじさんだってゲイだったし
部屋もいつも片づけてたから
それで顔中涙でぐちゃぐちゃにして
母親にこういったんだ
そしたらこんな風に言われたよ
「ベン,アンタ幼稚園に上がる前から
女の子が大好きだったじゃないの」って
ほっとしてスキップしたね
確かに言われてみればその通りかも
頭の中にお決まりの
「ゲイの姿」ってのが出来てたんだ
で,算数の計算をやりながら
「そうだよな。俺ってリトル・リーグでいけてるもんな」
なんて考えてたよ
先入観でいっぱいだった
同性を好きになるヤツは
みんな同じような弱っちいキャラだって
そんな風に思ってた
右寄りの保守派のヤツらは
そんなの好きでやってることで
医者とか宗教の力を借りりゃ
治るもんだって思ってて
生まれつきのもんなのに
それを人の力で無理やり変えるような
そんな傲慢なことをやってやがる
ああもう いいか
「勇者の国アメリカ」なんて言っときながら
この期に及んでも
自分が理解できないものが
怖いんだからな
たとえどんな人間でも
神様は分け隔てなく愛してくださる
そう言ってきたずなのに
そんなことは
なぜだかすっかり忘れて
3500年前に誰かが書いた
本の言葉を
都合のいいように言い換えてる
わけわかんねえ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
そんなことは無理なんだよ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
そんなことは無理なんだよ
あの子のことが好き
一緒にいると幸せになる
自分がゲイだったら
ヒップホップ業界は
俺みたいなヤツを憎んでる
そんな風に思ったはずだ
YouTubeのヴィデオには
コメント欄がついてるけど
あれを最近読んだことあるか?
「おい,それってゲイだぞ」ってなコメントが
毎日のようについてんだよ
もっと言葉に気を付けろよ
元々は,抑えつけられるのがイヤだから
この文化を作り上げたのに
自分は相手を受け入れないで
抑えつけてちゃ世話ねえよ
ネットが匿名なのをいいことに
相手を「ホモ野郎」呼ばわりだ
敵意のある最低の言葉なのに
(ヒップホップって)このジャンルじゃ今もお咎めなしだ
「ゲイ」って言葉を
「つまんねえヤツ」って意味で使ってる
こんな風に相手に敵意を抱いてるから
信じる宗教が違うだけで
戦争が起こったりするんだよ
そいつと少しも変わらねえ
ジェンダーを肌の色だと思ってみな
肌の色の色素の違いだ
行進とか座り込みとか
そういう手段を使いながら
みんなで戦ったあの公民権運動と
これは同じ戦いだ
人として与えられた当然の権利で
違いなんかあるわけない!
生きたいように生きればいいし
自分にウソなんかつかなくていい
なのに俺が教会に通ってた頃は
そういう風には教わらなかった
けど誰かを憎めって
教会で教えるんなら
そんな話聞いたって
有難くもなんともないし
お前が洗礼で使ったあの聖水も
汚れてるってことなんだ
おとなしく黙ってる方がいい
権利を横取りされたヤツのために
立ち上がってやるよりはって
他のヤツらは考えてる
俺はゲイじゃないかもしれない
だけどそんなのは関係ねえ
「平等にならなきゃ自由じゃない」ってのは
全くその通りだよ
だから俺が立ち上がるんだ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
今のこの気持ち
あの子のことが好き
一緒にいると幸せになる
押すのは「一旦停止」のボタンじゃないぞ
「再生」のボタンを押して
前へ向かって進むんだ
なのにみんな目を閉じて
本当に大事なことなのに
なかったことにしようとしてるんだぞ
ゲイの叔父さんたちの結婚が
法律でちゃんと認められなきゃ
若いヤツらは今だって
心に傷を抱えて生きている
世の中がひどい扱いをしてくるから
本当の自分を見せるくらいなら
死んだ方がマシなんて考えてる
そりゃあ結婚証明書が出たからって
それだけでなにもかも解決ってわけじゃない
だけどこれからのとっかかりとしては
これ以上のことはないよな?
どんな法律があったって
それだけじゃ世の中は変わらない
そうじゃなくて
世の中は人間が変えてくんだよ
どんな宗教を信じてても関係ない
人間なら元はひとつなんだから
怖れる心を捨ててしまえば
その下には少しも変わらない
誰かのことを大切にする
同じ気持ちが隠れてる
もういい加減声を上げようぜ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
そんなことは無理なんだよ
自分はどうやっても変われない
やってみたって同じこと
たとえ変わりたいと願っても
そんなことは無理なんだよ
今のこの気持ち
あの子のことが好き
一緒にいると幸せになる
人を好きになると
待つことも平気になる
誰かを好きになると
優しくなれる
人を好きになると
待つことも平気になる
誰かを好きになると
優しくなれる
(日曜日に教会に行っても,今はもう泣いたりしない)
人を好きになると
待つことも平気になる
(日曜日に教会に行っても,今はもう泣いたりしない)
誰かを好きになると
優しくなれる

ゼロ・グラビティ

週末に、昨年末から話題の映画『ゼロ・グラビティ』を福岡のIMAXで観たのだけど、とてもよく出来ていたし、2200円であれだけのエンタテインメントが楽しめるならお得だなあと感心した。
今年のアカデミー賞でも、主演のサンドラ・ブロックをはじめ、作品賞などに最多の10部門もノミネートされている本作品は、出演者はサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーのほとんど二人しか出てこない。
今日のニュースでは、NASAがこの映画に対して、ありえないことばかり起きていると怒っているようだが、実際の出来る出来ないの話はともかく、無重力空間での二人の人間の動きと心理だけで、よくぞ映画を一本仕立てたな・・・と驚かざるをえない。撮影やCGの技術力と、強靭な脚本のなせる技だろう。
危機的な状況に何度も襲われながらも、なんとか生き延びようとする人間の姿は、無重力状態にありながらも我々の人生を思わせる。
この冬、絶対に劇場で、できればIMAXで観ておくべき一本だろう。
★ゼロ・グラビティhttp://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/

写真。

Kとつきあいだしてから、何気なくiPhoneで写真を撮っていたら、かなりの枚数になっていることに気づいた。
特にそれを見返す趣味はないのだけど、ふとした時に「あの時、何食べたんだっけ?」みたいに見れるのは、やっぱり便利だと思う。
Kは写真を撮るようなことは全く無くて、どこに行っても僕がiPhoneで撮影するのが決まりごとのようになっていた。いわゆる写真係。
今回、福岡でも、ずっと博多にいたので、ほとんど料理の写真しか撮らなかったのだけど、今日、焼肉を食べている時に、Kが向かいでスマホをこちょこちょいじっていたので、どうしたの?と聞くと、僕の写真を撮っていたのを見せてくれた。
僕が気づいていない時の写真は、変なものばかりで、「捨てて欲しい…」と思ったけど、何気なくそんな写真を撮っていたことに驚いた。
「僕の写真、撮ってたんだ?」と聞く僕に、Kは、
「Tさんの、遺影にするの…」と笑って答えた。

炉ばた 雷橋。

『かなぎ』という魚。うまい〜♪

金太郎いわし。

リードヴォーの塩焼き。

お昼は、Kのために肉を食べに『じゅん とり勝http://www.hakata-jun.com/』へ。2500円のコースは、サラダ、スープ、野菜の鉄板焼き、に加えて、肉を二種類選べる。
二人だったので、鳥肉、豚肉、和牛ロース、ハンバーグという選択をして4種類の肉を味わった。
目の前で鉄板で焼かれる野菜は甘く、肉は、熱々で柔らかい。
肉を思い切り頬張りながら、単純なKはニコニコだった。
夜は、福岡のグルメシーンでは常に話題に登っていた店『炉ばた 雷橋』に行った。
カウンターだけの炉ばた焼きのこの店は、席数も少ないので予約をした方がいい。
小さな七輪で目の前で焼かれる野菜や肉や魚は、『焼く』という原子的な調理法がいかに素材を生かし、美味しく仕上げるのかを改めて教えてくれる。
この店では、色々な食材を少しずつ注文しながら、食べたいものをお腹の具合と相談しながらゆっくり酒を傾けるといい。
この店で必ず注文した方がいいと思うものは、
◎京都のざる豆腐
◎金太郎いわし
◎鳥のセット
◎野菜(その時期の野菜)
◎リードヴォーの塩焼き
◎鳥肝のさっと焼き
沢山食べて飲んで、二人で12000円という驚きの値段もうれしい。
サービスも気持ちよく、また行きたいと思わせてくれる素晴らしいお店だ。
★炉ばた 雷橋橋http://s.tabelog.com/fukuoka/A4001/A400103/40022410/

酒陶 築地。

鯛の昆布締めのウニ巻き

太刀魚と焼きなすを巻いたものと蕪の擦り身

蓮根饅頭と白味噌

何度も何度も来ている福岡で、ちょっと、誰にも教えたくないような、自分だけの隠れ家にしたいような店を見つけました。
『酒陶 築地』は、薬院にあり、一瞬通り過ぎてしまうような、車の通れない小さな路地にある。
日本酒の品揃えが素晴らしく、酒を飲みながら、少しずつ肴をつまみたい…という人ならば、必ず好きになるだろうと思う素晴らしい店。
料理は独創的で、魚を中心に和食では括れない独自のスタイルを持っている。
二次会で利用する人も多いようだけど、食事で行くならば、事前に必ずセットでお願いしておくといい。若い大将と女将さんのご夫婦二人だけなので、混んでいると待つことになるから。
5000円という値段でも、驚きの品数が出て来るので、次から次へと何が出て来るのか愉しみに過ごすことができる。
平貝の茶碗蒸し
鯛の昆布締めのウニ巻き
鯵の巻き寿司
鯖寿司
蓮根饅頭と白味噌
天ぷらと白子の天つゆ
鴨と鳥の昆布締め
鯛の身とエキスの葛粉天ぷら
秋刀魚の炊き込み御飯
驚くほどリーズナブルで、店内も暗く居心地がよい。
福岡は、鮮度のいい魚に、それを活かせる職人さんがいるところが素晴らしい。
東京にあったら、しょっちゅう通いたい店だ。
★酒陶 築地http://s.tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40019154/

ニーナ・シモンに会いに。

このアルバムではないのだけど…

ビフォア三部作のうちで、映画として完成度が高いのは『ミッドナイト』だけど、僕にとって心奪われたエンディングは、『サンセット』かもしれない。
映画の中で、ニーナ・シモンの、『Just In Time』のパリでのライブバージョンがかかるのだけど、素晴らしい曲と歌詞の内容とがあいまって鳥肌が立ち、胸を鷲掴みにされた。
僕が持ってる Just In Time http://m.youtube.com/watch?v=RhqOHFUYtzI は、ニューヨークのVillage Gateでのライブバージョンだけど、間奏のピアノの珠玉の美しさとニーナ・シモンの奔放な歌声が忘れられない。
僕が学生の時、二丁目の『ぺんぺん草』のマスターのひろしさんが旅行に行く時にいつも、ひろしさんの代わりにボランティアで『ぺんぺん草』に入ることがよくあったのだけど、僕以外にはオープン当時からのお客さんの二人以外には入ることが許されなかった。
若い僕がなぜ許されたのかはわからないけれども、ひろしさん曰く、「お前だったら恐いから、誰が来ても大丈夫」ということだった…
その頃、バリ島なんかに1ヶ月近く旅行に行ってしまうひろしさんを懐かしく思うと、いつもお店でニーナ・シモンのアルバムを出しておいた。
他のアルバムはそうでもないのだけど、そのアルバムのニーナ・シモンは、坊主頭で、驚くほどひろしさんにそっくりだったのだ…。
ひろしさんがいないことを知らずに入って来てしまったお客さんにもそのアルバムを見せると、笑って一杯飲んで行ってくれたのを懐かしく思い出す。
そんなことを思い出しながら、久しぶりに『ぺんぺん草』を覗いた。
席に着くなり、「弱いのちょうだい!ニーナ・シモン!」と言ったら、ひろしさんが大笑いした。
「あのアルバム、いったいどこ行ったかしら…」なんて言いながら、昔のくだらない話を沢山した。

Sweet Violet

Sweet Violet(匂いすみれ)を買って来た。
一重から八重、紫から白まで様々な種類のヨーロッパに自生するすみれをSweet Violetと言うが、このありふれた小さな花を特別愛おしく感じられるのは、かすかに甘い香りのためだろう。
人口の香料と違って何度嗅いでも飽きることがない香りは、なぜか遠い昔を思わせる清々しさを持っている。
庭のアプローチに植えておけば少しずつ増えていって、きっと蜜蜂がたくさん寄って来るだろうなあ・・・などと思いながら、その蜂蜜もきっと甘いに違いないだろうと思う。
庭があって、イージーチェアがあって、大きな犬がいて、恋人がいる。ワインを飲みながら夕暮れ時にのんびりと庭で寛いでいる。
そんなことをイメージしながら、いつかそんな毎日が訪れるのを楽しみにしている・・・。