明治神宮。


時々、明治神宮に行く。

心が疲れている時や、ちょっと不安な時、落ち着きを取り戻したい時などに。

北参道から明治神宮に入り、ゆっくりと歩いていると樹々の匂いに清々しい気持ちになる。

本殿でお参りをして、深呼吸をする。

そしてまた歩きながら、ほんのすこし心が軽くなったように思えるのだ。

これからは明治神宮にもなかなか来られなくなってしまうので、「来宮神社」に行くことにしよう。

神社は僕にとって、昔からホッとする場所なのだ。

自分の案を押し通そうとする人。

僕の仕事は、広告のアイデアを考えて、形にすること。

その中では、アイデアが一番重要であり、誰でもできれば自分のアイデアで押し通したいと思うものだ。

今日の打ち合わせの会議で、僕と一緒に仕事をしている人が、自分のアイデアを押し通すためならば手段を選ばないほど、周りを蹴落としながら主張するほど押しが強かったので、僕は一気に引いてしまった。

打ち合わせのあとで、「ああ、僕ももっと自分の意見を譲らずに押し通せばよかったのかな・・・」と一瞬考えてしまったけど、もしあの場で無理に自分の案を押し付けるようなことをしていたら、きっと今以上に後悔が残っただろう。

僕はもう、そういう場面で自らの考えを押し通すことよりも、一歩引いたり譲ったりする方があとあと心地いいということがわかるようになって来たのかもしれない。

あまりにも強く自分の案を押し通そうとしても、得ることよりも失うことの方が多いのだ。

クルマを買う。

土曜日の午前中は、埼玉県まで中古車を見に行った。

お目当は、スバルのフォレスターかレガシーで、迷ったあげく燃費が悪いということで決断はせずに帰った。

翌日、今度は江東区まで車を見に行って、結局そこでフォルクスワーゲンのpoloを買うことに決めた。

なんせ、中古車を買うということも初めてで、一体どんな手続きがいるのか、ナンバープレートはどうするか、車庫証明や陸運局はどうするか、自動車保険はどうするか、全くわからないことだらけ。

そして引越しが3週間後に迫って来た中で決断に至った。

中古車を見に来る人は、80パーセントくらいはその場で即決で車を買って行くようで、そんな話を聞きながら、みんなすごいなあ・・・と思った。

中古車と行っても僕にとっては高い買い物なので、慎重に慎重に選んでいたのだけど、車には多様な種類があるし、まして中古車となれば、何を優先して何を諦めるかがとても難しく、なかなか踏ん切りをつけられずにいたのだった。

冷蔵庫に続きクルマを決めたことで、僕たちの引越しはまた一歩進み始めた気がする。

母の小包。

午後になって母から電話があり、野菜を送ったとのこと。千葉県からの宅配便は、その日のうちの届くので最近は驚いてしまう。

小包の中には、ミョウガとピーマン、ナス、その上には手作りのマスクがいくつも入っていた。

不思議な柄ばかりのマスク

先日、Kを連れて母の家に遊びに行った時に、母からもらった手製のマスクをしていたので、母は嬉しかったのかもしれない。目が老眼でなかなか見えにくいだろうに、ざっくりと縫ってこんなにマスクを作ってくれたのだ。

K「お母さん、こんなにたくさんマスク作ったんだね・・・」

僕「つけきれないくらいあるね」

お金では買えないものを、母はいつも届けてくれる。

熱海、山の家。

今月末の引越しを前に、契約も含めてもう一度熱海に行くことにした。

熱海では、海の見える家を何軒も見たのだけど、結局住む家は、山のなかの家にした。この家に決めるまで、僕はとても迷ってしまって、途中、Kが「もう引越しやめようよ」という出すくらい、なかなか踏ん切りがつかない状態の時があった。

それは、ずっと海を眺めながら暮らしたいと思っていたのに、「山の物件でいいのだろうか?」と感じていたから。自分の中で山なのか海なのか、行きつ戻りつしながら考えていたのだけど、このままだと引越しもできなくなりそうに思い、思い切って踏み出すことにした。

引越しって、めちゃくちゃお金もかかるし、体力のいることだ。一度盛り上がっていたやる気がしぼんでしまったら、来年の春だってその気持ちが奮い起せるかどうか、わからないではないか。

この茂みの上に家がある。この山の雑草を入る前に清掃してもらうことに。

今回、最後の確認に不動産屋さんと物件を訪れた時に、今まで見ていなかった和室の窓を開けて、左側を覗くと、なんと遠くに海がほんの少し見えたのだ。

僕は地図からすると、もしこの家が高かったら、海が見えるだろうと踏んでいた。でも、あいにく周りは大きなクヌギや紅葉が多い茂る山の中、それに僕たちの住む家は平家なのだ。完全に海のことも忘れていたところ、秋になって木々の葉っぱが落ち始めたからか、遠く海がちょっこりと顔を出した。

それはまるで、これから引っ越してくる僕たちへの、神様の贈り物のように思えたのだった。

WASABI

犬を飼おうとKと決めてから、犬の出ているYoutubeを追いかけて見ている。

その中で、僕たちのお気に入りは、「WASABI」というトイプードル犬の出ているもの。

そのWASABIは実は保護犬なのだけど、とてもやさしい里親家族にもらわれて、一つ一つ経験して少しずつ大きくなっていくYoutubeは、見ているこっちが癒されるのだ。

WASABIは、元々ペットショップに売られていたであろうトイプードルなのだけど、身体が普通のトイプードルに比べて大きいためか売れ残り、4ヶ月で捨てられたのだそうだ。

この話自体、怒りがこみ上げてくるのだけど、この国で犬を捨てる人たちが絶えない状態は、動物の命を守るために、法律で決めなくてはいけない段階にあるのだと思う。

かわいくて癒されると同時に、保護犬のことを改めて考えさせられる素晴らしいYoutube。

⭐️WASABIhttps://www.youtube.com/watch?v=ZRssLgYLcmA&vl=ja

Kの面接。

熱海への移住が決まり、Kは早速仕事探しをはじめていたみたいで、三島にある病院に面接に向かった。

病院側は、通常勤務の社員を求めているようだけど、今までいくつかの病院での勤務を経験したKは、再就職を慎重に選ぶようになったようだ。

夜勤があったり、早朝から夜遅くまでの勤務であったり、休みのないブラック病院を避けるようになっていた。

面接から帰ってきたKにどうだったかと手応えを聞くと、「うん。向こうは通常勤務を求めているみたいだった」「それでどう言ったの?」

「朝は、8時殻みたいだけど、熱海から遠いので9時半からならいけると答えたの。夕方は少し遅くなってもいいと」

「そんなこと言って大丈夫なの?病院ってみんな朝早いじゃん」

「でも、8時に行くには、7時すぎには出なきゃいけないし、それが毎日だときついよ」

「そうだね・・・そしたら国立だし難しいかもね」

そんな話をしていたら、程なく内定の通知が届いた。

「よかったね。ブラック病院じゃなければいいけど」

「嫌ならすぐにやめたらいいよ」

どうやら、自分の好きなように条件を出して、受け入れてもらえそうだ。

僕たちの移住計画も、少しずつ進みはじめている。

失くした財布。

9月19日(土)に、Kが渋谷で財布を失くし、探したけど見つからず警察に届け出たことをここに書いた。

その時に、クレジットカードを止めて、銀行を止めて、その後少しして出てくる気配がないので保険証を再発行して、運転免許証も再発行した。

警察によると今の日本では、失くした財布は60パーセントくらいの確率でしか見つからないようだ。どうやら残りの40パーセントに入ってしまったみたい。

そんな話をしながら、「人の財布を見つけて、お金は抜いて、そのまま財布は捨てちゃったのかな?・・・どういう育ち方してるんだろうね・・・」と僕は時々怒っていたのだ。

そして、そんなことさえ忘れていた今日、17日も経って急にバス会社から電話があり、見つかったのだ。

早稲田のバス停まで取りに行くと、傷一つついていない水色の財布が見つかった。

現金2千円も、カード類も、保険証も免許証も全てそのまま入っていて、バス停によると、「今日見つかりました」とのこと。

僕は勝手に、「あああ、もう今の日本は昔の日本と違って失くした財布は見つからないんだ・・・」と思っていたのだけど、そんなことはなく、まだまだこの国では人の善意は、しっかりと残っているということを教えてもらったのだった。

Kとはじめて、僕の母の家へ。

母と父は僕が高校を出た後に離婚しており、父はずいぶん前に亡くなっていて、母は僕が働き始めてしばらくしてから再婚をした。僕はその後、母の養子になったので、僕は現在の父とは血が繋がっていない。

「同性婚訴訟」に原告として出ることを決めた後に、僕は母にきちんと自分の口からカミングアウトをして、その後、パートナーであるKを母と父に会わせるべく、外食をしたのは、もうかれこれ1年半近く前になる。

それからいつか母のいえにKを連れて行きたいと思っていたのだけど、それがやっと実現したのだ。

Kは僕の母に会いに行くので気をつかっているのか、珍しく襟のついたシャツを着て、朝10時の開店を待って新宿高島屋に行き買い物をして、電車に乗った。

駅には母が車で迎えに来てくれていて、母の家に着くなり次々と料理が運ばれて来た。

母はその元来の単純な性格のためか、Kを疑いもなく僕のパートナーとして受け入れていて、なんの迷いも不安な要素もないのがわかる。

父は、今までLGBTなど聞いたこともなかったような人で、僕がカミングアウトをした時に完全には受け入れていなかった人だ。そして、Kにとても気をつかっているのがわかり、お酒を何度もついで飲ませようとしていた。

帰りがけ、僕が少し心配したのは、僕とKは16歳年の差があるので、そんな男二人と父母が歩いていたら、「周り近所にどう思われるだろうか?」ということだった。

バス停まで二人が見送ってくれたのだけど、僕の心配などよそに、父も母も近所の目を気にする様子もなく、普通に息子カップルを見送る父と母に見えた。

父は、血の繋がらない僕を養子にして、その後急にその息子がゲイだと告げられ、やがて男の恋人を伴って家に現れ、その展開にもしかしたらまだ抵抗があるのかもしれない。

でも、こうして少しずつじっさいにKと会うことで、僕たち家族の距離も少しずつ縮まっていくのがわかる。

大切なことは、こちらの関係性を一気に押し付けることではなく、少しずつ向こうの速度で考えてもらい、時間をかけて変わっていけたらいいなと思えること。

少しずつだけど僕たち家族の関係性も、良くなって来ているのがわかる。

深夜まで続く仕事。

夏から走り続けて北プロジェクトが何度もひっくり返り、その度に企画を考え直してビデオコンテを作る・・・という日々が続いている。

さすがに3回目の作り直しともなると、次はクビかな・・・とも思う。

でもそれは自分たちの力不足ではなく、このコロナ禍における広告コミュニケーションの難しさだ。

リビングで深夜、プロデューサーと電話で確認したり、送られて来たメールをチェックして、GOサインを出したり、気がつくと時計は2時を回っていた。

すると寝室から急にKが起き出して来て、心配そうに僕の頭を撫でる。

「ただしくん、大丈夫?」

「もう終わるから、続けて寝ててね」

僕が忙しいと、家族にもその忙しさ、せわしなさが伝わるものだ。あまりにもこの生活が続くと、家族の身体まで影響を与えてしまうのがわかる。

二人で生きる僕たちは、いつもお互いの心と体の健康を、支え合い共有しあっているのだ。

ありがたいという思いと、守らなければという思いが重なる。