いつも僕を守っていてくれるもの。

25年くらい前の僕がまだ大学生だった頃、毎日のようにクルマに乗っていた。
そして、遠出をした日に、真夜中にひとりで高速を飛ばしながら帰って来る時に、あまりにも眠くて運転をしながら寝てしまったことがある。それも、何度も。
二丁目に週末のたびによく遊びに行っていたのだけど、その頃は二丁目の仲通りにクルマを駐車出来るようになっていて、沢山の人がクルマで二丁目に遊びに来ていた。
朝起きた時にハッと我に帰り、「いったい自分はどうやって家まで帰って来たのだろう…」と思ったことが何度もあった。
「どうやって自分が無傷のまま家まで帰って来られたのだろう・・・」と思うと、何者かが僕を守ってくれていたとしか思えないのだ。
僕は無宗教だし、神様も霊も見たことがない。それでも、46年間こうして無事に生きてこられたのは、何者かが僕をいつも守っていてくれたからだと思える。
そして、何か先行きが不安に思えても、その存在を思い出すことが出来たら、きっとなんとかなると思えるのだ。

OUT IN JAPAN #002

先日東京で撮影がおこなわれた、OUT IN JAPAN #002のホームページが公開された。
この企画をして、みんなで制作していて、いちばんよかったと思えることは、自分とはまた違ったゲイの人たちや、様々なセクシュアリティの人たちに出会えること。
ひとくくりにセクシュアルマイノリティといっても、虹色のグラデーションのごとく多様であることを目の辺りにすることができる。
そこには想像もできなかった苦悩や、痛みを感じるほどの大手術をした人、カミングアウトで家族と今もうまくいっていない人など、それぞれの境遇を知ることが出来る。
そして様々な人とお話をするうちに、たとえセクシュアリティは全然違ったとしても、何とも言えない不思議な仲間意識が芽生えているのを感じることが出来ることだ。
ぜひホームページを覗いていただきたいのだが、目をつぶっている写真はクリックすることにより、目が開いた写真に変わる。
そして、その人の名前、年齢、職業、セクシュアリティ、カミングアウトに関するその人のメッセージが出てくる仕組みになっている。
公開になった F t M の友人のページをここに添付させていただく。http://outinjapan.com/yasuki-nakamura/
僕はこれを読みながらランチを食べていたのだけど、
彼のお父さん、お母さんのことを思って、胸が熱くなった。
★OUT IN JAPANhttp://outinjapan.com

ワシントンD.C.からの友人。

Ryanに会ったのは、3年前、ニューヨークに行くついでにワシントンD.C.に立ち寄った際に、友人にワシントンD.C.在住の友人ゲイを紹介してもらい、町を案内してもらったのだった。ワシントンD.C.は、思っていた以上に居心地のいい町で、レストランやバーが充実していて楽しい町だった。
Ryanは40歳くらいの韓国系アメリカ人。恋人のTonnyは50代半ばの白人で、もう15年くらいつきあっているのだろうか。
ふたりは、Ryanの仕事の都合により、ワシントンD.C.からニューヨークに拠点を一時移したのだけど、ニューヨークだと結局Tonnyの仕事が見つからず、よくよく話し合った末にふたりはやはりワシントンD.C.に戻り、週に3回Ryanがニューヨークに出てくるということで落ち着いたようだ。
彼らに限らずゲイのカップルは、将来を考えた時に、常にお互いの仕事をどうやって折り合いをつけてゆくか、どこで暮らしてゆくか、どちらが仕事の場所を変更出来るか、あるいは、どちらがキャリアを犠牲に出来るか・・・といった問題が立ち上がり、それぞれに解決策を探していくように思う。
Facebookでは、毎日のようにふたりのやり取りが見て取れる。たとえばこんな感じ。
「honey、それは素敵なものを見つけたね!」
「my honey、日本の滞在を楽しんでね!」などなど・・・
ゲイのアメリカ人カップルって、恋人のことを”honey”とか、”my honey”とか書くんですね。知らなかった・・・超恥ずかしい・・・!
僕に会うということを知ったTonnyからすかさずメッセージが入る。
「日本に滞在中は、くれぐれもRyanのことをよろしく」
「帰ってくるhoneyに会いたいよ」
Tonnyを見ていると、何があってもRyanの一番の見方であり、保護者であり、盾であるように思える。
愛のある人は、無敵なのだ。

ヴィンセントが教えてくれたこと

ここ数年、高齢者が主人公になっている映画が増えて来ているように思う。
思いつく限りでも、両手でも足りないくらいあるのだから、やはり映画は、高齢化の社会をいち早く映し出していると言えよう。
映画に詳しい友人Mが、ずっと僕に観に行った方がいいと勧めてくれていた映画『ヴィンセントが教えてくれたこと』は、ところどころ笑えて、ちょっと胸が痛くて、見たあとに幸福な気持ちになれる作品だった。
ビル・マーレイ演じる爺さんは、バーで飲んだくれて人に突っかかるは、ものを盗むは、年増の売春婦と楽しむは、競馬ばかりしている、一言で言うと、ろくでもない爺さんだ。
そんなろくでなし爺さんの隣に、太った母親と、神経質そうな少年が引っ越して来る…。
映画は、ろくでなし爺さんと気弱な少年の交流によって人生の様々なテーマを描こうとしている。
僕がこの映画がいいなあと思うところは、このろくでなし爺さんや、盛りを過ぎたおばさん売春婦や、太ったお母さんや、気弱な少年の誰もが、それぞれに弱みがあったり悩みを抱えながらもなんとか人生を生きているところだ。
誰一人完璧な人間などいなくて、それぞれにいびつで、傷ついていたり問題を抱えながら生きている彼らを見ていると、なんとも愛おしくなる。
一番驚いたのは、この東欧訛りの盛りを過ぎたおばさん売春婦を、ナオミ・ワッツが演じているところ(キャストを読まなかったら、最後までわからなかったかもしれない)。相変わらずナオミ・ワッツは、素晴らしい演技だった。
観終わったあとに、清々しい気持ちになれる佳作。
★ヴィンセントが教えてくれたことhttp://vincent.jp/info/?page_id=8

わたしに会うまでの1600キロ

久しぶりにとても素晴らしい作品を見た。
『わたしに会うまでの1600キロ』は、リース・ウィザースプーンがアカデミー主演女優賞にノミネートされ、僕の大好きな女優、ローラ・ダーンが母親としてアカデミー助演女優賞にノミネートされた作品。ニューヨークタイムズのNo.1ベストセラーの映画化である。
アメリカ西海岸を縦断する1600キロにも及ぶパシフィック・クレスト・トレイルを、ひとりの女性が歩いて渡っていくという話。
最初のシーンで、いったいなんでこの女はこんな荒れ果てた道を歩き出したのだろう…と思う。
この映画が凄いのは、人物や出来事を言葉によって説明しないところだろう。
映画が進むうちに、少しずつパズルが解けていき、観ている僕たちも、いつの間にか彼女とともに厳しい山道を歩くことになる。全ては監督の計算と力量のなせる技だ。
この映画を観ながら、何度もさめざめと泣いた。
人生とは、なんと苛酷で、不平等なのだろうか。
長い旅路を彼女とともに歩き、映画を観終わったあとに喉がカラカラに渇いていた。
今でも心に残るのは、母親のローラ・ダーンの笑顔だ。
母親としての強さと愛情を、いつまでも思い返さずにはいられない。
★http://www.foxmovies-jp.com/1600kilo/sp/index.html

引っ越し問題。

なかなか決まらなかったマンションの建て替えが決まって、半年後には今の家を立ち退かなければいけないと、不動産屋さんから連絡が入った。
いつかはこの日が来るとは思っていたのだけど、いざ決まると物凄いショックで目の前が暗くなった。
それは、今住んでいるところが、僕にとっては最高の場所に思えるから。今の家以上の素晴らしい住環境は、なかなか他に見つけられそうにないと思えるからだ。
いっそのこと、文京区の茗荷谷なんかに引っ越すのはどうだろう…などと想像しても、どうにもそれが現実的になるとも思えない。
数日の間、困ったなあと思っていたのだけど、もう決まってしまったことだしと、思いきって不動産の物件をネットで覗いてみることにした。
見る物件、見る物件、なかなか住みたいと思うものがないのだけど、意外と家を探すのは面白いかもしれないと思いはじめた。
半年の間に、素敵な家が見つかるかどうかは、今の僕にはわからない。でも、もしもどこか他の町に引っ越すことになったら…
代々木上原日記…(なんだかセレブ…)
代々木公園日記…(公園の話ばかりのよう)
千駄ヶ谷日記…(友人のスタイリスト高橋ヤッコさんがつけていたっけ)
内藤町日記…(ちょっと和物のお化けとか出てきそう)
新宿御苑日記…(二丁目のママみたい)
もしも、もしも外苑前から他の町に引っ越しすることになったら…
このブログも引っ越しと同時に終わりにしようと思っている。(他の町に住みながら、外苑前日記というのも変なので)
どうか、素敵な物件が、外苑前に見つかりますように…。

小松弥助

昨夜、金沢在住の友人からLINEが入った。
「 御存知かもしれませぬが
小松弥助さん
御店を閉められるみたいです。」
金沢にある『小松弥助』は、僕が日本の中でも最も好きなお寿司屋さんの一つ。毎年欠かさず11月の香箱蟹の解禁を待って、金沢に旅行するのは、この『小松弥助』に食べに行くのが一つの目的だった。
大将は昨年83歳とおっしゃっていたので、今年は84歳になられているかもしれない。
毎年1月をお休みして健康診断を行い、また一年お寿司を握れるか、お医者さんと相談しているとおっしゃっていた。
「ご予約してくださるお客さんに、ご迷惑はかけられませんから」
そんな大将が、この11月いっぱいでお店を閉めると決めたのには、きっと大将なりの理由があるに違いない。
『小松弥助』は、寿司業界には知れ渡った名店でありながら、店内に入るとわかるのだが、有名店にありがちな怖い雰囲気は微塵も感じられない。
そこにあるのは、ハンサムな大将の溢れる笑顔だ。
大将は、ひとりひとりのお客さんに挨拶をして、美味しいお寿司を最高のタイミングで手渡そうとする。
ここのお寿司が素晴らしいところは、イカの丁寧な切り方や、それとは反対の、ネギトロの豪快な切り方などに現れていると思う。
素晴らしい素材を、そらに美味しくするために、丁寧で計算された下ごしらえがされているのだ。
あのお寿司が、もう食べられなくなってしまうのかと思うと、急に夜中に大将の握るお寿司が食べたくなってしまった。
我々人間は、残念ながら永遠に生き続けることはできないのだ。
レストランであれ、コンサートであれ、行きたいところや催しものがあったら、行ける時に、ちょっと無理をしてでも行っておいた方がいい。
そこで味わった体験は、そのあとも折に触れ、人生を豊かに感じさせてくれるに違いない。

忘れられない誕生日。

9月21日は、母の誕生日。
そして、亡くなった昔の恋人Nの誕生日でもある。
昔、はじめてNの誕生日を聞いた時に、耳を疑った。「本当に9月21日?」
僕の親族は、同じ誕生日の人がお嫁に来たり、家族と同じ名前の人と結婚したりする不思議な家で、Nが母と同じ誕生日だと知った時に、この人は僕の恋人になるに違いないと思ったものだ。
母が一時期入院をした時に、Nは手づくりのお弁当を持って、僕の母のお見舞いに来てくれたことがあった。
母は、とてもNのことが気に入って、その後もことあるごとに、「Nさんは元気かしら?」と僕に聞いていたものだ。
昨日は母の誕生日を祝い食事をしながら、どうしても51歳で亡くなってしまったNのことばかり頭の中でぐるぐると考えていた。
Nは僕と別れたあと、いったいどんな毎日を送っていたのだろう…
自分の死が近づいた時に、どんな気持ちで過ごしていたのだろう…
Nの人生は、幸福だっただろうか…
もう二度と見ることの出来ない、太陽のような微笑みと、触れることの出来ないNの大きな身体に包まれた時の安心感を思い出す。
今でもNが、僕のすぐそばにいるように。

手をつなぐ。

Kと一緒にドライブをしていると、運転はKがしてくれるので、僕は助手席に座って景色を眺めていたり、時々鼻歌を歌っていたりする。
クルマに乗っている間はほとんどずっと、僕は右手をKの左脚の上に乗せている。
Kは、僕の手を感じると、右手でハンドルを握りながら左手を僕の右手に重ねてくる。そして、僕の右手の指を丁寧に触る。わかってるよ…とでも言うように。
手を触られていると、言葉ではなくても、Kの思いが伝わる気がする。まるでKが横で、さもないことを僕に話しかけているように。
クルマに乗って、ふたりで手をつないでいると、時々Kが運転の途中に僕の横顔をちらっと見ることがある。
それは、自分の恋人がどうしてるのかな?とふと確かめるようであり、Kに運転させておいて僕だけスヤスヤ寝ていないかどうかチェックするように。
うとうとしていた僕は、Kに悟られないように、慌ててKの手をぎゅっとつかむ。
Kはほんの少し笑って、また手を握り返してくる。

天草のあたたかさ。

初日に行った『奴寿司http://s.tabelog.com/kumamoto/A4305/A430501/43001204/』の大将は、カウンターに座った4歳くらいの女の子を、自分の孫のようにやさしく相手をしながらお寿司を握ってあげていた。
高倉健も贔屓にしていたという、『明月http://s.tabelog.com/kumamoto/A4305/A430501/43005546/』という天草ちゃんぽんのお店に到着するものの、結局この日はお店が開かないと知る。
「先ほど13時から開くとお電話では聞いたのですが…」と、出前中のお店のおじいさんに言うと、「今日は出前だけでいっぱいいっぱいなもんで、お店は出来ないんですよ」とのこと。
そんな返事でも、そのおじいさんがとても誠実に答えてくれたので、また今度来たいなあと思えたのだった。
近場に天草ちゃんぽんのお店はないものかと探し、天草ちゃんぽん札所参という『かどや食堂http://tabelog.com/kumamoto/A4305/A430501/43009385/
』に向かった。
食堂に入ると、おじいさんとおばあさんが座っていて、他におばあさんがふたり、定食を食べているところだった。このおじいさんとおばあさんはお店の人で、駐車場を探す僕を見るなり、ニコニコニコニコしている。
ちゃんぽんを頼むと、しばらくしたのち野菜たっぷりの天草ちゃんぽんが出て来た。このちゃんぽんが思いのほか美味しくて、帰りにまたキッチンを覗いて「ご馳走様!」と声をかけると、またしてもおじいさんとおばあさんはニコニコして外に出て来るのだ。
この店はきっと、過疎化が進んだ天草の町で暮らす老人たちが食事をしに来ては、おしゃべりをしてゆく店なのだろう。
夜に行った『福伸はなれ利久http://s.tabelog.com/kumamoto/A4305/A430501/43008236/』は、有名な『福伸』の支店で、手軽な値段で天草の海の幸と天草大王などの鳥も食べることが出来る。
お料理を運んでくれる若い女の子がとても感じがよくて、「頭が本当に小さくて、まるでモデルさんみたいだね」と褒めると、顔を真っ赤にしてはにかんだ。
天草の最終日の朝に、朝ごはんを持ってきた宿のおばさんは、お料理を運びながら、「今日でおかえりですねえ…寂しいですねえ…」と、ポツリと言った。
このおばさんとも、挨拶とちょっとした会話をしただけなのだけど、そんな言葉お世辞なのかもしれないけど、なんだかちょっとうれしくなった。
旅には、名所を回ったり、美味しいものを食べたり、はじめての経験をしたり、様々な楽しみがある。
今、東京に帰ってきて天草のことを懐かしく思うのは、天草で出会った人たちのこと。
今でも彼らの笑顔を思い出すだけで、温かくなる。