洗剤問題。

床用洗剤、バス用洗剤、トイレ用洗剤、キッチン用洗剤、住居用洗剤、家具用洗剤、ガラス用洗剤…そもそも、家の洗剤は、なんで場所によってそれぞれ分かれているのだろう…?
昔、そんなことを思って、なんとかシンプルにならないものかと思っていた。
巷に溢れる洗剤は、どれも変な臭いがするし、身体に悪そうなものばかり入っているように思えた。そうかと言って、エコを前面に打ち出した商品もなんだか中途半端な気がしていた。
8年くらい前に友人が、『重曹』がいいよ。と教えてくれて、何の気なしに使ってみると、キッチン周りの油汚れも、力も要らず綺麗に落ちて驚いたのだった。
その時に思ったのだ。
僕たちは、洗剤メーカーによって騙されていたのだと。
それ以来、キッチンも床も冷蔵庫の中も、あらゆるところを重曹で拭いている。また、重曹と同じように重宝するのが『クエン酸』で、キッチンのステンレスは重曹で汚れを落とした後、クエン酸で拭くとピカピカになるし、トイレにもクエン酸は効果的だ。
それでいて重曹もクエン酸も、手袋をすることもないし、手が荒れることもないのだ。
白い重曹を袋で買って、自分で水と一緒にかき混ぜて溶かして、別の容器に入れて使うこともできるけど(クロワッサンの読者みたい)、ちょっと面倒なので、僕はスプレー式の重曹とクエン酸を買って使っている。

アラフィフ。

51歳のゲイの友達に、「アラフィフでごはんを食べましょう!」と言われ、
「まだ、40代なんですが・・・」と反論するも、
「四捨五入よ!なに言ってんの?」と言われ、しぶしぶアラフィフの会で『irodori』へ。
「もう、セックスとかいいのよ・・・めんどくさいし・・・そんなにできないし・・・あんまりやりたいとも思わなくなったわ・・・ベッドで添い寝してるだけでいいわ・・・でもかわいい子が欲しい・・・」
「そうなのよねえ~」
「今は食事会や飲み会なんかも、連続で予定に入れるより、一日空けてちゃんと休んでからにしたいのよね・・・」
「わかるわかる・・・」
「今はこうして、友達と美味しいもの食べながら飲んでいる時が一番幸せ・・・。週に1回くらい、こうして美味しいものが食べられたらそれでいいわ・・・」
「ほんとに・・・」
アラフィフおばさんたちのトークは、30代や40代とも違う50代の本音トークが飛び交っていた。
昔は、50代になったらどうなってしまうんだろう・・・って思っていた。若い頃は50代なんて聞くと、おじいさんとしか思わなかったのだ・・・(ちなみに、60代はほぼ棺桶のイメージ)
それが、まさか自分が50代に近づくなんて!!!(そうそう、初老というのは、40歳からだそうだ・・・やーめーてーーーー)
ただ、僕の周りのゲイたちを見ていると、50代って言ってもなんだかみんな颯爽としていて、ちょっと余裕もあったりして魅力的に見える人たちばっかりだ。
ジムに行き、時々美味しいレストランで食事をして、海外国内旅行をたびたびして、「今度はミコノスに行ってみたいわ・・・」なんて話をしているのを笑いながら聞いていると、ゲイの50代ってとても楽しそうに思えたのだ。

SIMONE

この夕暮れのビーチに行きたい…

僕が高校生の頃、大学生だった兄は一人暮らしをしていて、休みのたびにスペインやポルトガル、そして南アメリカに旅行に行っていた。
旅行と言っても、2ヶ月くらい行ったきり戻らないので、その期間僕が兄の家に行ってちょっとの間一人暮らしの気ままさを味わったりしていた。
その頃、よくひとりで悦に行って部屋で聴いていたのが、このSIMONE(シモーネ)のアルバム 『VICIOhttp://youtu.be/yvjKX69ByO0』。このアルバムをはじめて聴いたときに驚いた。
「この声、男なの?女なの?」
 
目をつぶって聴いていると、男のようでもあり、女のようでもある不思議な太い声に魅了された。
SIMONEに限らず、僕はたとえば、『カエターノ・ヴェローゾ』も、男性なのか女性なのかわからないような魅惑的な声の持ち主だ。僕はこんな男性とも女性ともわからない不思議な声がもともと好きなのかもしれない。(カエターノのことはまた後日書きますね)
このアルバムの最初の曲『eu sei que vou te amar(あなたを愛してしまう)』は、トムとヴィニシウスによる大好きな曲で、2曲目に繋がる美しい流れを聴いていると、裏ジャケットにあるSIMONEが佇む、まだ行ったことのないブラジルの夕暮れ時のビーチを想像させる。
来年は、アルゼンチンに行くことができそうなので、そのついでに念願のブラジルにも行けたらいいなあ・・・。

OUT IN JAPAN #003 in OSAKA

OUT IN JAPAN の撮影会が、10月の大阪パレード前日に大阪で行われることになった。
大阪での撮影の告知をすべく、堂山のバーを何軒か回り、パンフレットを見せながらお客さんと会話をした。
『OUT IN JAPAN』ってそもそも何なんですか?と聞かれ、何のためにそんなことしてるんですか?というシンプルな問いも。
『OUT IN JAPAN』とは、セクシュアルマイノリティの可視化であり、社会に広く理解を求めていくためのプロジェクト。
ストレートの人たちは、ゲイ(セクシュアルマイノリティ)なんてテレビの中のオネエキャラだけの話であって、自分の周りには全然いないと思っている人たちがほとんどなのではないだろうか。
7.6%(※)という統計でもわかるように、誰の周りにも存在しているのだけど、自分がそうであると言えずにひた隠しにして生きているセクシュアルマイノリティがほとんどなのだ。※http://www.dentsu.co.jp/news/release/2015/0423-004032.html
まずは、世の中にたくさんいるセクシュアルマイノリティに気づいてもらうこと。そして、自分たちの周りにもいるのかもしれないと想像してもらうこと。
そして、そこからゆっくりと差別や偏見が減っていき、セクシュアルマイノリティにとってより暮らしやすい世の中に近づいてゆくのではないかと思うのだ。
大阪で会いましょう!
★OUT IN JAPAN ♯003 in OSAKA
http://facebook.com/outinjapan

祖父と祖母。

母の両親である祖父と祖母は、当時、誰もがそうだったように見合い結婚だった。
祖父は、無口で、顔が険しく、どこか近寄りがたい人だったけど、僕たち孫には、とてもやさしい人だった。
祖母は、のほほんと過ごしてきた人で、怒ったところなど見たこともないような、ほんわりとしたやさしい人だった。
僕が祖父母に会いに行く時は、正月などを除いてそんなに多くはなかったけど、会いにいくといつもふたり一緒にいた。部屋でテレビを見ていたり、炬燵に座っていたり。
80歳を過ぎた頃だろうか、祖父が病院に入院した。
その後、毎日のようにお見舞いに行きたがっていた祖母も、過労のせいか別の病気で同じ病院の別の病棟に入院した。
暫くして、祖母の見舞いにいくと、祖母は、「爺さんに会いたい…」と言って母の前で泣いた。
そして、祖父の病室にいくと、無口でしかめ面しか見たことのない祖父が、「婆さんの顔がみたい…」と言って涙を流した。
祖父が先に逝き、数年ののち、祖母が逝ったのだけど、祖父と祖母のことを思う時、『愛』というものが、この世界にはあるのだと思うことが出来る。
そして、自分もいつか、年をとった時に、祖父や祖母のように、誰かを愛していられたらいいなあと思うのだ。

友人のお母さんに会いに、神戸へ。3

前回3月の終わりにお見舞いに来てから、およそ半年が過ぎていた。
友人のお母さんは90歳。その間に肺炎になり、病院に運ばれ、暫くはどうなるか…という状態が続いたあと、容体は回復に向かい、また施設に戻ることが出来たのだ。
それでも、半年前と違ってしまったのは、もはや寝たきりになってしまったこと。そして、食事は流動食になり、意識もかなりあやふやになってしまったこと。
3月に来た時は、ふたりでお弁当を食べたのに、今はベッドに横になったまんま、天井を見上げている…。今回、僕は、お母さんに会えるのも、これが最後になるかもしれない…という心づもりで来た。この先何が起こっても後悔しないために。
お母さんの手を握ると、「温かいわね…」とすぐに反応する。そして手のひらを触りながら、「柔らかいわね…」と何度も言う。
何かを話そうとするのだけど、何を話しているのかわからずに、僕を施設の堺市に住んでいる人と間違えているのか、他のミュージシャンの友達と間違えているのか、お母さんの記憶は様々な人を結びつけては、離れていくようだった。
昔、僕がまだ子どもだった頃は、祖父や祖母の見舞いに行くのが苦手だった。
病院特有の臭いが嫌いだし、気持ちが滅入るのが嫌だった。そして何よりも、祖父や祖母が老いて衰え、自分の知らないどこかへ向かっていくのを認めるのが怖かったのだ。
今、こうして年老いていく人たちに会いに来て想像することは、長い長い人生を生きてきて、夕陽のようにゆっくりと微笑みながら沈みゆくその人の人生のことだ。
そして、いずれ訪れる自分の年老いてゆく姿だ。
お母さんは、いつものようにほんの少し泣いて、急に僕を思い出したかのように話しかけた。
「あら…少し太ったんじゃないかしら…」
もはや僕のことなど、記憶の中から朧げにも蘇っては来ないであろう表情を見ながら、それでも、今日、お母さんに会いに来ることが出来て、本当によかったと思ったのだ。

かさね。

サンマのお造り

牛すじ

玉子、大根、厚揚げ

仕事を終えて夜に大阪に到着。
大阪に来る時は、たいていその日の気分で食べる店を探す。大阪では、有名な寿司屋さんや創作料理屋さんがあるのに、なぜだかあまり高い食事をしようとは思わない。
秋めいて来たのでおでんが食べたいと思い、『かさね』へ。
北新地にある『かさね』は、8人がけくらいのL字型カウンターと、お座敷が二つある小さな店。30代の若く感じのよい大将が切り盛りしている。
ここの店は、おでんだけではなく、お造りがあったり、てんぷらがあったり、出汁巻きがあったりして、お酒を飲みながらさもない料理を食べ、その後おでんに移行する感じだ。
サンマのお造りも、その場でサクッとさばいてくれるし、明石のタコは驚くほど柔らかい食感だ。これは、新鮮なタコを絶妙な茹で時間で調理した証。
白海老のてんぷらを摘んだら、ゆっくりとおでんに…。
牛すじはスッキリとして柔らかく、イワシのつみれは小さくコクがある。出汁のしみた湯葉を食べながら、「ああ、おでんって最高…」と、ひとり幸福な気持ちで酒を傾けた。
こんな、なんでもない日常の料理が、大阪は本当に美味しいと思う。
★かさね
06-6456-4155
大阪府大阪市北区堂島1-2-14 小川第三ビル B1F
http://tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27060166/

娘の恋人。

台湾人の娘KEからLINEが入り、会いたいと言って来た。(KEは本当の娘ではなくて、僕が娘のように可愛がっている年下ゲイ)
久しぶりに親子水入らずで台湾料理店を予約すると、KEからまたLINEが入り、「お母さんに会わせたい人がいるんです…」とのこと。
お店に現れたKEは、僕に恋人を紹介をする。
KE「僕と同じ年のKUちゃんです」「KUちゃん、こちらがお母さん…」
あれやこれや美味しそうな小皿料理を頼み、「美味しい!」などとはしゃいでいると、KUちゃんが怖る怖る聞いてきた。
KU「あのー、なんてお呼びすればいいですか…?」
僕「あ・・・ただしです。(お母さんではなく…)」
KEは、前の恋人と1年以上交際したあとに、半年くらい前に別れてしまった。僕から見たら、前の恋人もとても可愛かったし、お似合いのカップルだったのに、なかなかつきあってゆくということは難しいものだなあ・・・と思っていた矢先、また新しい恋人か出来たのだ。
今年30歳になるというカップルは、じゃれ合う二匹の子犬のようで、見ているだけで微笑ましい。
僕が30歳のころは、Mとハネムーンのように幸福の絶頂だった。
そしてもし、もう一度30歳に戻れるなら、どんな恋愛をするだろうか?と考えてみる。
僕がもう一度30歳になったら・・・これ以上ないくらい思いっきり遊びまくるだろうな・・・。
★台南担仔麺 屋台料理 来来
03-3289-1988
東京都中央区銀座7-7-7
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13011564/

やさしいことば。

映画『アリスのままで』は、若年性アルツハイマーを扱った素晴らしい映画だった。
アルツハイマーは、誰か遠くの人のかかる難病だとは思えなくて、時々人の名前が出てこなかったり、昔の出来事をすっかり忘れてしまっている僕にとっては、いつか自分がなるかもしれないというちょっとした不安さえ感じさせる病気だ。
年を重ねてゆくとき、そして明らかに身体の機能が老いてゆくとき、どのように生きてゆくか、身近に誰かがいてくれるかどうかというのは、僕たちゲイにとっての大きな課題でもある。
そんなある日、冗談半分で、Kに聞いてみた。
僕「僕がアリスみたいになったら、どうする?」
ちょっと間があったのち、Kから返信が来た。
K「Kちゃんの赤ちゃんになる」「ただしくん」
それは、笑ってしまうくらい子どもみたいな返事だったのだけど、ほんわりと温かい気持ちになった。
本当の老後は、そんなに簡単には行かないのかもしれない。僕とKがいつまで一緒にいられるかもわからない。でも、こんな風に誰かがそばで言ってくれたら、気持ちもふっと軽くなるものだ。

おもと。

二丁目の『ぺんぺん草』で飲んでいて、今年69歳になるマスターのひろしさんと、『年をとって、仕事をやめたあとにやりたいことってなんだろう?』という話になった。
ちょっと考えを巡らせたあとに、ひろしさんは、
「おもとが好きなの…」とポツリと呟いた。
僕「おもとって…あの、万年青?よく日本の庭先の日陰にある陰気な葉っぱの万年青?」
ひろしさん「そうよ。わたし、おもとを育てていたいの…」
僕「昔から、デパートの屋上の園芸売り場で、なんで万年青なんか育てる人がいるんだろう…?って思ってた。花も咲かないし、せいぜい赤い実がなるくらい?」
ひろしさん「葉っぱが好きなの…白い根っこに水を当てて、きれいにしてあげるの…その下には苔がびっしりと生えていて…」
年をとると、
花が好きになり→盆栽が好きになり→山野草が好きになり→苔が好きになり→最後に石が好きになる
と言うけど、そんなものだろうか?
酔っているからか、ひろしさんは、万年青の話をしながら、万年青の深い緑を思い浮かべているのか、気味が悪いくらいずっとうっとりとしていた・・・。
万年青でも、苔でも、なんでもいいからたくさん育てて、100歳になっても『ぺんぺん草』をやっていてほしいものだ。