七福神。

土曜日に母の家に行った時に、母が自分の部屋に来るように言うのでついて行ったのだけど、そこで僕に持って帰って欲しいという品物を次々と見せられた。

会社勤め時代のワイシャツ何枚かはクリーニングに出されて畳まれていたり、子どもの頃部屋に飾っていたピエロの人形だとか、ベネチアのガラス細工とか…

その中で、大きな七福神の焼物が出てきた。

これは、母の親であるおじいちゃんとおばあちゃんが銀婚式か何かの時に息子や娘に送った物で、小さな頃家のリビングに飾られていたのを覚えている。

重たくて割れてしまいそうだけど、僕はその七福神を大切にタオルで包んで、トランクに仕舞い込んだのだった。

第10回 口頭弁論期日

「結婚の自由をすべての人に」訴訟が始まってから、早いもので3年3ヶ月が経過した。そして今日は、10回目の裁判の期日で、この場所で法廷に立つのも10回なんだと感慨深く思われた。

今日は、結審の日。今日予定されている意見陳述を行ったら、今後もう何も裁判所には申し入れる機会はないということ。

原告の意見陳述は、大江さん→小野さん→西川さん→ただし
の順番で、1人5分という持ち時間の中で陳述が行われた。

僕は今日、老眼のせいか原稿を2行ほどすっ飛ばして読んでしまい、席に戻ってから気づいて酷く後悔したのだけど、弁護人の意見陳述の後にもう一度前に出て抜け落ちた文章を読むことができた。

僕の陳述の中では肝となる2行だったので、最後に読むことができて本当にホッとした。

判決は、11月30日。泣いても笑ってもこの日に僕たちの大切な裁判の判決が下されることになる。

◯原告や弁護士による意見陳述全文はこちらhttps://www.call4.jp/file/pdf/202205/5ce0f86872850ecab10d98e6fb367667.pdf

〈以下は、僕の意見陳述より抜粋〉

僕は今53歳ですが、いつか自分が死んでしまってどこかで神様に会ったら、神様が僕に「あなたは地球でいったい何をやって来たんだね?」と尋ねることを想像することがあります。

今のところ僕の人生は、パッとしない人生のような気がします。でも自信を持って神様に話すことがあるとしたら、パートナーのかつを心から愛したこと。そして、この裁判の原告になったことです。

性的指向や性自認に関わりなく、誰もが結婚できる世の中は、いつかこの国にやってくるのでしょうか?

答えはYES。100%やって来ます。それは、世界を見れば明らかなことです。

でも、実現するのは近い将来なのか、もう少し先なのかはわかりません。そしてその扉を開くことができるのは、ここにお座りの裁判官のみなさんなのです。

僕は物心ついた頃から、好きになる人も興味の対象もずっと男性でした。その頃からいつも思っていたことは、「自分は人間の出来損ないなのだろうか?」 「自分なんか生まれて来なければよかった」ということでした。

そして、そんな気持ちを抱えたまま30年以上、僕は自分のセクシュアリティを人に言うことなく息を殺しながら生きてきました。

自分の好きな人と結婚することができない。パートナーを社会から家族として認めてもらえないことによって、自己肯定感が持てず、自分の将来が思い描けず、長い間僕は自分のことを他の人よりも劣った存在のように感じてきました。

でも、これからの若い人たちには、僕と同じような思いを誰ひとり味わって欲しくないのです。

今、こうしている間にも、学校でいじめを受けているセクシュアルマイノリティの若者が、生命の危険にさらされているかもしれません。会社で偏見の目に晒され、夜も眠れずにもがき苦しんでいる人がいるかもしれません。

これは、一刻を争う人権問題です。

世界の国々では、セクシュアルマイノリティにおける結婚の道は、ことごとく裁判によって開かれて来ました。

その日がこの国に1日でも早く訪れるように。セクシュアリティに関わりなく、誰もが自分の愛する人と結婚できる権利が与えられるように。

どうか今、この時代の日本で生きる裁判官にしか出来ない決断をお願いします。

そしていつか神様に会うことがあったら、この裁判の話を裁判官の口からしていただきたいと思います。

叔母へのカミングアウト。

僕の父方には叔母が1人いる。叔母には子どもがいなくて、現在82歳、10年近く前に叔父を亡くしていて今は独りで横浜で暮らしている。

叔母夫婦は子どもに恵まれなかったため、父はたったひとりの妹である叔母のことを不憫に思い、僕が産まれてしばらくした後に僕を叔母の養子にしようか?という話があったらしい。

それは正式なお願いではなくて会話の中で出たことだと思うけど、その時に僕の母は絶対に養子には出さないと断ったそうだ。

それがあってなのかわからないけど、叔母はどちらかと言うと僕のことを兄よりも可愛がるようなところがあって、庭に小人の人形を置いては、僕だと思いながら見ているということを話していたことがあった。

僕が原宿の学校に通う高校生の頃、1年生の時に停学になってしまい、その頃なぜか僕を心配した叔母が高校の担任に会いに行っていたという話は後から聞いて驚いたのだった。

叔母は少し激情型な性格で、美容院を経営していたのだけど、全身美容なども手がけて仕事では成功を収めた。

高校生や大学生の僕は、時々叔母の元を訪れては、お手伝いをしてお小遣いをもらったりしていた。

そんな叔母が宮古島に遊びに来たいとずっと言っているので、どこかでKのことを話しておかないとと思い、今回の上京を機にカミングアウトをすることにした。

LGBTQに関する本を2冊買い、僕が裁判で意見陳述した原稿をプリントアウトして、話す順番は現地で臨機応変に対応しようと決めて叔母の家に向かった。

叔母は会うなり現在やっているボランティアの話をし始めて、その後自分の旦那さんやおばあちゃんの話、そして僕の父が亡くなって行った時の話をし続けた。

どれも何度も聞かされている話だけれども、叔母にとってはそれらが世界を形作っているものだと思いながら聞いていた。

すると叔母は、「ただしちゃん、子どもの頃ただしちゃんがおうちで聴いていた曲覚えてるよ。確かCDがあるから聴いてみようか?」

そういうと叔母は棚の中からオフコースのアルバムを探し出してスイッチを押した。

「ただしちゃんが中学生の頃かな?好きで聴いていたのを覚えていて、これを買って聴きながらただしちゃんはいったい何を考えているんだろうって思ってたの…」

僕は全然覚えていなかったのだけど、オフコースを小学生から中学生にかけて聴いていたのを思い出した。

それから僕は大切な話をはじめた。

「ずっと母にも父にも兄にも叔母さんにも言わずにいたことを今日話そうと思って来たんだ…

僕はね、子どもの頃から女の人を好きになることがなくて、自分は病気なんじゃないか?変態なんじゃないか?と思いながら、もしかしたらいつか治るかもしれないと思ってたんだ。

高校生の頃は彼女を作ってなんとか女性を好きになれるんじゃないかと努力したんだけど、結局変わることは出来なかったんだ…その後も大学も会社に入ってから何十年間も周りの人には秘密にして過ごして来たんだ…

自分の性的指向を周りに言ったら、自分はもう父にも母にも叔母さんにも愛されなくなるんじゃないかと思いながら今まで言えずに生きてきたの」

結局僕は、小さな頃からの自分の話を淡々とした。

話しながら涙が出てきて、ふと見ると叔母も泣いていた。

「ただしちゃん、話してくれてありがとう。おばちゃんは絶対にただしちゃんを嫌いになることはないからね。それよりももっと早く話してくれたらよかったのに…」

それから大切なKの写真を見せながらKの話、そして今行われている裁判の話を丁寧にした。

結局、僕が悶々と眠れずに思い描いていた最悪の事態は起こらなかった。

叔母は僕のセクシュアリティを聞いて、叔母なりに受け止めてくれているようだった。

もちろん、僕が帰った後で、叔母のLGBTQに関する疑問や嫌悪や悶々とした気持ちは湧き上がって来るだろう。

でも、僕は叔母に正直に話すことによって長年の罪悪感から解放された。

そして何よりも、大切なパートナーのKをちゃんと紹介出来ると思って安堵したのだった。

母の家へ。

月曜日の裁判に向けて、午後の便で東京に飛んだ。

先ずは母の家に行き、宮古島に送るために買って置いた大きな家具2箱を梱包する。

三辺の合計が2mを超える荷物は宅配便では運んでもらえないので、引越しと同じ大型荷物の手続きが必要になる。今回の荷物の三辺の合計は252cmなので、3万円近くの配送費がかかるそうだ。

離島って送料がほんと馬鹿にならない。

3月に宮古島に遊びに来た母は、今回も元気で安心した。家は外装を塗り直している最中のようで、足場が組まれていた。

食事は要らないと言っておいたのに、僕のために唐揚げや天ぷらを揚げてあるというのでありがたくいただくことにした。

その後、母は部屋に色々あるから見てから帰るようにと言うので部屋に行くと、僕が子どもの頃大切に飾っていた何体かのピエロのちいさな人形や会社に行っていた時のワイシャツや、相当昔のデザイナーズブランドの服なんかが置いてあった。

「みんな持って帰りなさい」

「こんなに沢山トランクに入らないから、少し選別するね」

「私ももうだいぶん整理してるの。この千住博さんの版画はあなたにあげるから」

予定外の荷物をトランクにぎゅうぎゅうに詰めて、母の家を後にしたのだった。

大雨と雷。

宮古島に来てはじめての梅雨、昨日は昼間に激しい雨が降って道の至る所で冠水していたのだけど、このところなぜか夜中に大雨が降ることが多くて驚いている。

集中豪雨のような大雨が降りつつ、地鳴りのように雷が鳴り響く。

それはまるでどこかに爆弾が次々と落とされているかのように聞こえるし、時々近くに大きな雷が落ちる爆音が何度も響いた。これはここ10年で聞いた雷と同じくらいの量を一夜にして聞いたくらい沢山の雷だった。

海は雷がとても苦手で、夜中に僕とKも雷に起こされて海をまたベッドの上に呼び寄せた。

そして3人で朝までぎゅっと身体を寄せ合っていたのだった。

これから東京に向かいます!

海のレインコート。

雨がよく降るので、海にもレインコートを着せようと買った。

でも、サイズ感は合っているようだけど、海は首や手足が長いようで、着せること自体とても難しいのだった。

それでもレインコートを着た海はとてもかわいかったのだ。

ただの親バカ。

シロアリ来たる。

先々週くらいだろうか、夜にお風呂場に入ると、小さな茶色い虫が沢山いて絶叫した。

その虫は幼虫のようにも見えるし、細長い蟻のようにも見える。

同じ虫はトイレにも発生して、そこでも思わず絶叫したのだ。

「この気持ち悪い虫はどこから湧いてきたのだろう?」と思いながら、そのうちに出なくなったので放っておいたのだ。

しかし昨日、また風呂場とトイレにその同じ虫が出て、Kと2人絶叫したのだった。

その後よくよく調べてみたところ、その虫は「シロアリ」ではないかとわかった。

「家の中にシロアリがいるということは、もしかしたら床下とかに巣があるのかもしれない…」

そう思い、眠れずに夜を過ごし、朝になってシロアリ業社に片っ端から電話した。

一つ目の業者さんは見積もりを今から取りに来るということになった。

もう一つの業者さんは、「どんな虫ですか?」と聞いてきて、僕が説明すると、「今の時期シロアリは宮古島中で飛んでいて、8月くらいまで灯りをめがけて飛んでくるので、網戸など開けないで窓を閉めて暗くしておいてください」

「家の中にシロアリいないですかね?」と聞くと、「もしシロアリがいたら、家中に羽が生えたシロアリが飛んでるから、大丈夫ですよ」とのこと。

見積もりを取りに来た業者さんは、今はいないと思うけど、シロアリはあらかじめ防御しておいた方がいいですよ。こちらが見積もりですと言って35万円の見積もりを持ってきた。

確かにシロアリ駆除を調べてみると、ぼったくる業者が横行しているようで、電話で親切に教えてくれた業者さんに合わなかったら、35万円払っていたところだったのだ。

桃色のアラマンダ。

以前ここにも書いたことのある、宮古島中に夏の間長い期間ずっと咲き続けている美しい黄色い花はアラマンダというのだけど、このアラマンダ、黄色い花だけではないようだ。

僕たちの庭に、ものすごく枝が伸びるのが早い植物があって、長くなり過ぎたので切っておいたのだけど、それが濃い桃色の花を咲かせはじめた。

調べてみると、この桃色の花もアラマンダのようで、確かに花の形は黄色のアラマンダに似ている。

彩度は高くないのだけど、ゆったりと咲き誇る大輪の花はなんとも優雅で存在感があり、それでいて周りの花々とうまく共存している。

風が強いと枝が折れてしまうのだけど、それでもすぐに枝が伸びてくるから頼もしい。

やはり南国には、南国の花がよく似合う。

宮古島探索。

宮古島は島なので周囲を海に囲まれている。そして、その海は場所によって性質が全く異なっている。

魚や珊瑚の多いシュノーケリングに適した海もあれば、白浜で美しい海もある。流れが早く人が流される場所もあるし、毎年のように溺れる人が出る海もある。

そんな中でも与那覇湾というのは町に隣接した湾で、遠浅で砂地のせいか、引き潮の時には薄茶色くなって沼地のように澱んで見える。

僕は家を探す時に、この与那覇湾の周りの澱んだ海がどうにもあまり好きになれず、候補に入れずにいたのだけど、川満、下地、上地などの比較的低い住宅地が広がっている。

そんな与那覇湾にサニツ浜ふれあい公園という公園があり、海を連れて散歩に行ってきた。

とても静かで、なぜか巨大な馬の置物がある。海は遠浅のようだけど、湾のためか比較的静かでウインドサーフィンをしている人もいる。

民宿のような宿も多く、夏場は若い人が沢山泊まりに来るのかもしれない。

小さな宮古島の中を知らない場所がないように、少しずつ開拓しているところ。

DOG YARD CAFE YADOYA

宮古島の平良という地名は、宮古島の中でも「町」を意味する地名なのだけど、その平良にワンちゃん連れで入れるカフェ「DOG YARD CAFE YADOYA」があるというので海と一緒に行ってみた。

場所は、西里通りのすぐ近く。お店は小さな芝生のお庭があり、そこではワンちゃんを離すことが出来る。

カフェには元保護犬だったシャナプーがいて、海はとても楽しそうに絡んでいた。(シュナプーは海がしつこいので嫌がっていた)

郊外にはテラス席まで犬を連れて入れるお店がいくつもあるけど、町中にこんなドッグラン付きのカフェがあるなんてありがたい。

また海を連れて遊びに来ようと思う。