手を振る人。

以前は、僕が会社に行く姿を、寝室の北側のベランダの窓から、Kが手を振りながらいつも見送ってくれていた。
2月からKの仕事が始まり、8時過ぎには出かけて行くKを、今度は僕が毎朝、寝室の北側のベランダに出て、手を振りながら見送っている。
まずは、玄関でいってらっしゃいとキスをして、今度は大急ぎで寝室の北側のベランダに行きサンダルを履いて外に出る。
一階の階段を降りてくるKの頭が見えて、道路に出て上を見て僕を探すKに手を振るのだ。
そして、コンビニを過ぎて姿が見えなくなるまで、僕はずっとKに向かって手を振っている。いつも僕の母が、僕が出かける時に僕に向かって手を振り続けてくれたように・・・。
今日、一階に出て来たKに手を振っている時に、200メートルくらい遠くにある向かいの白いマンションのベランダに、60代後半の白髪のおじいさんと、40代後半くらいの女性が出ていて、その女性が、ニコニコとした笑顔で僕に手を振っているのが見えた。
何かの間違いかなと周りを見たけど、どうやら僕らしい。
Kに向かって僕は大きく手を振りながら、向かいのマンションを見ると、ふたりは僕たちの一部始終を見ながら、僕に向けて手を振り続けていた。
僕はちょっと恥ずかしくなったけど、なんだかうれしくて、そのふたりに向かって大きく手を振ったのだ。

大根の切れ端。

いつもやっていることなのだけど、大根の、最後の切れ端を水につけておくと、美しい緑色の葉っぱが次から次に生えてくる。
そんな様子を眺めていると、大根の生命力を感じて驚かされる。
そしてしばらくすると、葉っぱは真ん中から茎が伸び出して、蕾が姿を現しはじめる。
根っこもほとんどなくなってしまった大根は、今度は子孫を残すために花を咲かせようとしているのだろうか。
キッチンの片隅で、小さな大根の切れ端が、ダイナミックな宇宙の仕組みを教えてくれている。

一足早い春。

鳩の帽子と合わせたかなようなピンク

ベッドサイド

食卓の上

家に持ち帰ってから、水につけて段ボール箱の中に入れて蓋をして、およそ1ヶ月ベランダで寒さに当てたヒヤシンス。
1月半ばに暖かい家の中に入れたら、部屋の暖かさで春が来たと思いはじめたのか、蕾がいよいよ開きはじめた。
様々な色の球根を、家のあちこちに適当に置きながら、光の状況や部屋の温度によって球根の成長の違いがあるのを毎日眺めながら過ごしてきた。
リビングは、一日中日当たりが良く昼間も暖かで、夜も長い時間暖房が入るので、やはり一番早く蕾が顔を覗かせた。
寝室のベッドサイドに置いた2つのヒヤシンスは、夜の間暖房がないためか、とてもゆっくりとしたペースで葉っぱを伸ばしている段階。
フィンランドの作家の平和を祈念して作られた鳩のオブジェのそばに、何気なく置いておいたヒヤシンスは、まるで示し合わせたかのように、その鳩の被っている帽子と同じようなピンク色の花を咲かせはじめた。
小さなヒヤシンスの球根たちが、一足早い春の到来を、家のあちらこちらで笑いながら知らせてくれている。

僕と世界の方程式

僕の周りには、『自閉症』の人がいなかったため、『自閉症』というものが、いたいどんな病気でどんな症状なのか、僕は字面からしか想像することが今まで出来なかった。
映画『僕と世界の方程式』は、実在の自閉症児のドキュメンタリーフィルム『BEAUTIFUL YOUNG MINDS』のモーガン・マシューズ監督が改めて映画化した作品。
ネイサンは小さな頃から、数字と図形に取り憑かれているような男の子だった。素数を好み、ランチの食材も素数でなければならないような。それでいて、他の子が当たり前にするようなことにはことごとく興味を示さなかった。たとえば、母親が触ることさえも嫌がった。
ネイサンにとって、自分の父親だけがネイサンを理解してくれる唯一の存在であり、たった一つの世界とのつながりだったのだ。
これは、そんな自閉症の男の子が、国際数学オリンピックを目指す話。自閉症のネイサンの周りには、凡庸でやさしい母親がいたり、人生の挫折に苦しむ先生がいたり、一緒に数学オリンピックを目指す子どもたちがいる。そのひとりひとりがとてもユニークな存在だ。
中には、酷く重い自閉症の症状の子どもも出て来て、彼の行動にいちいち驚かされるのだけど、それも僕たちがいったいそう言う人を目の当たりにした時にどのように彼を受け止め、振る舞うことができるのか、試されているような気がしてくる。
人間には、多数と少数はあったとしても、普通とそれ以外などという線引きすることはないのかもしれない。自閉症や、知的障害であれ、みんな一緒にこの地球上に生きているのだ。
リトルダンサーの製作陣が関わったというだけあって、全体の構成がよく感動的だ。カメラワークが素晴らしく、個性的な俳優陣がこの作品に深みを与えている。
★僕と世界の方程式http://bokutosekai.com

『ありがとう作戦』その2。

土曜日は、Kは昼過ぎまで仕事ということもあり、不意に母に会いたいと思い、金曜日の朝に電話を入れた。
母は、二つ返事で行くと言い、いつものようにお父さん(再婚した父)と一緒にと言うのだけど、僕はなんだか久しぶりに母とふたりだけで会いたいと思い、今回はお父さんには内緒で母と会うことにした。(内緒にしたのは、父が傷つくかもしれないから)
父と母は僕が小学校を終えると別居して、高校を出てから離婚した。その間、兄は父と、僕はずっと母と親子ふたりで生きてきたのだ。
母の好きな中華料理をコースでいただきながら、なんとなく昔話になった。
父がどんなにエキセントリックだったかとか、母をとても苦しめたこと、事業に失敗して酷い目に遭ったこと、家族を崩壊させたこと…。
僕が美術大学になかなかは入れずに浪人した時に、支え続けてくれたのは母だったし、高い多摩美術大学の学費を払ってくれたのも母だった。
お嬢さんのように世間知らずで育った母は、離婚した後女手一つで起業して、その当時の僕には言わなかったけど、その苦労は並大抵のものではなかったと今ではわかる。
そんな話をしながら、僕は周りを顧みずにボロボロと泣きはじめていた。涙がとめどなく溢れて、そんな僕を見ながら、母も静かに泣いていた。
そして、父が亡くなった今でも、僕は、本当の意味で父を許すことが未だに出来ずにいると思うということ。いつも父の墓参りに行って、その話をお墓の前ですること。
浪人時代や大学生の時、そして今に至るまで、ずっと母が僕を守り支え続けてくれたことに対して、面と向かって母にきちんと言葉にして伝えることが出来た。
「お母さん、今までこんなこと言わなかったけど、
僕はお母さんに心から感謝しているんだよ。
ありがとう。」
お会計をして、駅まで歩きながら、そのまま昔のことが次から次へと思い出されて、そんな話をしながら僕の目からはまた涙が溢れはじめた。
つられて母も泣いているのがわかった。
母は、照れ臭そうに、「そんなの、親子だからいいんだよ」と何度も言った。
「子どもは、どうやら生まれる前に両親を自分で決めて生まれて来るんだって。僕は、お母さんの子どもに生まれてきて、本当によかったよ。」
こうして書くと、なんだか酷く照れ臭い言葉だけれども、そんなことを、きちんと言葉に出して母に伝えることが出来たのだった。
『ありがとう作戦』は、この先、どこへ向かうのだろうか…。

『ありがとう作戦』その1。

ずいぶん前に、『ありがとう』という言葉を50000回くらい言い続けると、驚くようなことが起こるらしいという話をここに書いた。
たとえ自分が感謝していなくても、『ありがとう』という言葉には奇跡を起こすほどの力があるということを何冊かの本で読んだためだ。
それからしばらくして、癌と闘病中のMさんが、ご自身のブログで、『ありがとう』を毎日1000回唱えているということがニュースになっていた。
『今は、10回唱えたら涙が出て来るんです』というような内容だったと思う。
僕は、ずいぶん前からこれを実践していて、まだまだ50000回には到達出来ていないものの、半信半疑ではじめた『ありがとう作戦』は、僕の中でも変化を起こしはじめて来たようなのだ。
先日、Kとふたりで伊勢神宮と志摩に行った時に、ふとした時に少し前を歩くKを見ながら、僕はいつものように呪文のごとく『ありがとう』『ありがとう』と口で呟き続けていた(怪しいと思われるかもしれないが、ここ数ヶ月ずっと暇さえあればお経のように唱えているのだ)。
すると、急にKの後ろ姿を見ながら、Kの映像が頭の中で次々と浮かんで、Kが僕のそばにいてくれる信じられないようなありがたさを身体全体で一気に感じて、涙が溢れてどうしようもなくなってしまったのだった。
昨年亡くなった友人のお母様が、90歳になるのに、「心から『感謝』をすることが人間は一番難しいと思うんです。私なんか、ありがとうと言っても、まだまだ本当に感謝出来ていないと思うんです」と言っていたのだけど、僕はそんな話を聞きながら、人間は、『感謝すること』と『許すこと』が難しいのではないかと、頭の中で考えていた。
言霊があるということを信じて、『ありがとう』を何万回と言うことによって、普段は意識することのない広大な潜在意識の中の何かが刺激され、ずっと奥にある何かにかすかに届くのかもしれない。と今は考えている。
50000回が楽しみ。

ちびまる子ちゃん。

仕事から家に帰ると、まずは晩ごはんの用意をする。ワインかチューハイか焼酎のお湯割りを飲みながら。
そこでKは、そばで僕を手伝いながら、マツコデラックスが出ている番組なんかをiPadで見ている。僕が時々振り返って、マツコの反応を見て笑ったりしながら。
本当は、僕は音楽を聴きながら料理を作る方が好きなのだけど、この頃はKに感化されて今まで見なかったテレビも見るようになったのだ。
ご飯の時はテレビは消して、今日あったことなんかを話す。果物を食べて、すべての洗い物をしたら、お酒を注いで、今度はふたりで、『ちびまる子ちゃん』を観る。(ちなみに前は『まんが日本昔話し』を見ていたのだけど、ほとんど見てしまったようだ)
改めて、昭和の静岡県清水にある家庭を題材にしたこのマンガを、僕は本当によく出来ていると感心してしまう。
「こういう奴いたよな…」「学校でトイレの大便に行けない感じわかる…」などと、昔を思い出してふたりで大笑いするのだ。
そして見終わる頃には、なんだか仄かに温かい気持ちになっていて、幸福とは、こんなことなんだろうなあと思うのだ。
2017年になって、1月の僕の毎日はほとんどこんな感じで過ぎてしまったのだけど、ふと、今年になって一度も新宿二丁目に足を踏み入れていないことに気づく。
何十年間も習慣化していて、当たり前に思えていた新宿二丁目呑んだくれ生活ではなくて、今までとは全く違う平凡な毎日を、今はとても新鮮に感じている。

小さな神棚。

家のリビングに、小さな神棚がある。
神棚と言ってよいものかどうかわからないくらい小さなものだけど、伊勢神宮の内宮のお札と地元の鳩森神社のお札、そして伊勢神宮の外宮のお札の3枚を重ねて入れてある。
その中の古いお札は、伊勢神宮へ持って行ったのと、鳩森神社に持って行き、新しいお札を買って帰ったので、節分を迎えるにあたり、1日に中のお札を入れ替えた。
もともと実家には神棚があって、1日と15日には、榊を買って飾っていたので、今の家では、毎朝お参りするのと、旅行に行く時また旅行から無事に帰ってきた時にお参りする。
何か、お願いしたり、願をかけることはしなくて、手を合わせて感謝を述べるだけだ。
神様に届いているのかわからないけど、心の拠り所のような気がして落ち着いた清々しい気持ちになれるものだ。
僕がお参りする時にKを呼ぶと、Kも慌ててやって来る。Kは、神棚のことなんて今まであまり考えたこともなかったのだろうけど、素直な性格なので、僕の言うことを聞いて同じように見よう見まねでお参りをする。
神様も、ちょっと笑っているかもしれない。

新しい毎日。

Kの仕事が、今日から始まった。
昨夜は、ロールケーキを買って、晩御飯の後にお祝いした。
Kが9時に病院に行かなくてはいけない日は、家を8時15分頃には出るので、Kは、朝は7時には起きてシャワーを浴びる。
7時半から朝ごはんを食べることが出来るようにと、僕も朝ごはんをなんとか効率よく早く作れるように、夜に済ませられるものはすませておいてベッドに入る。
僕は7時前にキッチンに立ち、およそ30分ですべてを作る。
昨夜のご飯を蒸して、同時に秋刀魚の干物を焼いて、昨夜から煮干しを入れていた鍋を温め絹さやを入れる。茹でてあったほうれん草に、昆布タレを添える。
どうにか30分で出来上がったご飯を、ふたりで「美味しいね」「美味しいね」と言いながら食べる。
その間に洗濯機を回し、Kを送り出して手を振ったら、ベランダで洗濯物を干してから、シャワーを浴びて僕が慌てて出かける。
僕にとっては、働くお母さんの凄まじい大変さを、ほんの少しわかりはじめたような、今まで体験したことのない新しい毎日がはじまったのだ。