海は燃えている

メリル・ストリープが絶賛したというイタリアの小さな島のドキュメンタリー映画『海は燃えている』は、今の世界問題を描いた静かで強い映画だった。
島の人口およそ5500人というランペドゥーサ島には、今では年間5万人を超える難民や移民がアフリカや中東から地中海を渡り押し寄せ続けている。
この映画は、世界の縮図のようなランペドゥーサ島で起こっている現実を、監督が島に住み着くことによってつぶさに描いた作品だ。
映画を見ていると、島で暮らす人々は、難民や移民のことをほとんど気にもとめていない穏やかな暮らしをしている。
でも、難民や移民は、命がけで遠い海を渡ってくる。彼らの言葉の意味などわからないまま、まっすぐに画面に映し出される表情を見ていると、何を言っていようが、僕たちはこの状態をなんとかしないといけない・・ ・と思うのだ。
難民も移民も、僕たちと何も変わらない等しい命だ。そんなあたりまえのことを、もう一度気づかせて考えさせてくれる作品。ドナルド・トランプに、ぜひこの作品を見て欲しいものだ。
※2016年度のベルリン国際映画祭で金熊賞〈最グランプリ高賞〉を獲得。ロージ監督は、二作連続で世界三大映画祭の最高賞を受賞しただけでなく、ベルリン、ヴェネチアと、ドキュメンタリー映画で初の最高賞を受賞するという快挙を成し遂げ、今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている。
⭐️海は燃えているhttp://www.bitters.co.jp/umi/

おひたし。

ほうれん草や小松菜、菜の花なんかを食べる時に、胡麻和え、白和え、辛子和えも美味しいけど、家では煮浸し、もしくはもっと簡単におひたしにすることが多い。
おひたしは、きちんと作ると作っただけの美味しさがある。
茹でたほうれん草に、小さじ1の醤油を垂らし、全体を絞り、出汁の効いた浸し汁につけて、味を含ませる。
でも、普段の慌ただしい生活で作るおひたしは、僕の家では今は亡き料理研究家の小林カツ代さん発案の浸し汁を若干僕なりにアレンジしたものを作って、かけることが多い。
〈おひたしのかけ汁〉
お水 100ml
お酢 小さじ1
みりん 小さじ1
薄口醤油 大さじ2
梅干し 1(潰して細かくする)
細かく刻んだ昆布 軽くふたつまみ
※全てを和えて冷蔵庫で保存する。
さっぱりとした梅の風味で、鮮やかに茹で上がった青菜を気持ちよく食べることができる。

花と鳥との暮らし。

冬の間中咲き続けているビオラとプリムラ

ヒヨドリに食べられてしまうプリムラ

ベランダでは、Kとふたりで植えた大きな鉢のビオラやプリムラたちが、今を盛りと咲きまくっている。
ビオラやプリムラは休むことなく、次から次へと花を咲かせ続けていて、凍えるような朝もその健気な姿にほっとさせられるものだ。
最近は、ヒヨドリがうちの花々に気づいたようで、せっかく咲いたかわいいプリムラの花を食べに来る姿を発見した。
花をむしり取られた姿を見ると、かわいそうに…と思うのだけど、鳥たちも冬の食べるものが少ない季節を乗り切るために必死なのだろう。
時々お米を精米して、米ぬかを鉢に肥料がわりに置いていたのだけど、それも、スズメたちが競って食べに来ている。
僕とKの暮らしと、周りで生きる鳥たちの暮らしが、自然とベランダで交り合っている。

ボッチャ。

機会があって、『ボッチャ』をやった。
『ボッチャ』とは、ヨーロッパで生まれた重度脳性麻痺者もしくは同程度の四肢重度機能障がい者のために考案されたスポーツであり、パラリンピックの正式種目。
表は皮で出来ていて、中にプラスチックの玉が詰まったお手玉のような玉を持ち、赤と青二手に分かれて、玉を投げたり転がしたりしながら、お互いが白い玉にどれだけ近づけることが出来るかを競う競技。
障がいの重さによってクラス分けはあるようだけど、基本的には老若男女に関わらず参加できるという競技。
白い玉に一番近づけた方が勝ちというルールなのだけど、その過程では、相手の玉にぶつけて遠くへやったり、白い玉自体にぶつけて自分の玉の方に近づけたり、頭脳と戦略が必要になる競技だ。
それでいて、お手玉のような玉を投げることは、子どもでも老人でも出来るので、筋力や体力だけで勝敗が決まらない面白さがある。
今までぼくは、パラリンピックというと、なんか、自分が試されているような気がして、あめり積極的な見ようとも知ろうともしなかった。
それが最近は、仕事でも関わることが増えて来て、今までは触らぬようにしていた障がい者やパラリンピックのことを知る機会が増えて来たのだ。
自分が知ろうとしなかった世界や、新しいことを知ることは、とても楽しいことなのだと、今までの勝手な固定観念が崩れていく気持ち良さを味わっている。

レインボー国会

3月9日(木)に、第2回レインボー国会が開催される。
そのためのチラシのデザインをお手伝いさせていただいた。
先生や子どもたちなどの教育の現場や、民間企業、社会の様々な場所において、セクシュアルマイノリティがいじめや差別を受けることなく、平等に暮らしていける世の中になってゆくためには、国の法律や制度から変わらなければ、社会の隅々までには届かないのだと思う。
参加申し込みは、こちらです。
★http://kokucheese.com/s/event/index/453106/

ほうれん草の茹で方。

冬から春にかけてほとんど3日に一度くらいのペースで、ほうれん草を食べている。
寒い時期のほうれん草は氷点下になると、凍らないために糖分を自ら作り出すそうだ。(だからあんなに甘い)
野菜を茹でるのは、実はそれぞれ難しい。野菜によって切り方や茹で方、冷まし方が違うから。
ほうれん草は、どうやって茹でますか?
これも、本やネットで見ると様々な茹で方があるようだけど、僕のやる茹で方を今日はここに書いておきますね。
〈ほうれん草の茹で方〉
1.ほうれん草は、根元の赤い部分をほんの少し切り花のように切り落とし(根元はバッサリと切ってはいけない。茎が繋がる根元が一番甘い)、十字に深く切り込みを入れて、大きなボウルに水をたっぷりと入れてしばらくつけてぴんとしておく。
2.鍋にたっぷりのお湯を沸かし、塩を少々入れる。
3.ほうれん草を根元から入れて10秒数えて、それから葉っぱまで全てお湯の中に沈め、そのまま更に20秒(全部で30秒)数えたら、ザルに上げる。(大抵1分茹でると書いてあることが多いけど、30秒で余熱で十分火が通ると思う)
4.僕はザルにあげたまま冷ます(教科書的には色鮮やかにするのと、灰汁を抜くために冷水に浸す)。(僕はどんな野菜も茹でた後に冷水に浸しません)
★ほうれん草の茎が所々切れていたら、食べやすい大きさに切って水に浸けて、そのまま茹でるといい。短く切って水に浸けても、栄養素は全く変わらないとのこと。

たかが世界の終わり

映画界の若き天才と言われている『グザヴィエ・ドラン』の映画、『たかが境野終わり』は、フランスを代表する錚々たる俳優たちが渾身の演技でのぞんだ作品だった。
家を出て、まったく帰ることのなかったゲイの次男が、12年ぶりに家族の元へ帰ってくる。
ある日曜日の昼下がりのほんの数時間のお話なのだけど、ほとんど全編が家の中と周りだけで起こっていて、家族ひとりひとりの心理模様が繊細に映し出される。
巧妙な会話だけで成り立ってしまっている画面を観ていると、まるで、演劇を見ているような気分になる。美しい映像と、素晴らしい音楽が映画に想像する深みを与えている。家族であることは、目には見えない鎖のようなもので繋がれた存在なのだと、この映画を観ながら改めて思った。
確かに、28歳とは思えない、天才演出家。
★たかが世界の終わりhttp://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/

エリザのために

映画というものは、その時の国のありようを、もしかしたらニュース以上にリアリティを持って伝える力があるものだと思う。
『エリザのために』は、現代のルーマニアの重苦しく息も出来ないような空気感を見事なまでに画面に定着させた傑作だった。
医師のロメオは、娘をなんとかイギリスの大学へ留学させるために、あらゆる力を使ってなんとかしようと試みる。それは、正義と悪の間を揺れ動き、人間の倫理観を試されながら、父親としての彼の選択を固唾を飲みながら見つめ続けることになる。
どこにでもありそうな、ごく普通の家庭を描きながら、これほどまで恐ろしい表現ができるなんて、本当に驚きだった。映画好きにはぜひ見て欲しい秀作。
★エリザのためにhttp://www.finefilms.co.jp/eliza/

ふたりで眠ること。

仲のよい夫婦でも、寝る時は別々に寝るという夫婦は結構多いものだ。
いびきがうるさいからとか、歯ぎしりがうるさいからとか、夫がトイレに立つからとか、理由は様々なのだろうけど、結局のところ、ひとりの方が気ままでよく眠れるということなのだと思う。
そして、僕もずっとそう思ってきた。
「眠る時は、ひとりの方が気がねなくていい」
でも、Kと一緒に眠るようになって、朝、眠りから覚めた時に、隣に恋人がいるということは、たとえようのない安心感だということを知った。
そして、1日の中でも僕が最も幸福を感じる時間は、朝起きて、ふたりでぬくぬくと布団の中で過ごしている時間だと気づいた。
起きなくてはいけないリミットの時間はお互い知っているのだけど、寒いベッドの外へ出るのが嫌で、ふたりでいつまでもできる限り布団の中に潜っている時間。
頭は半分寝ぼけたまま、Kがぴったりと僕の隣にいて、時には手を握り合ったまま布団の中に隠れている。
「ふたりで眠りふたりで朝を迎えるってことは、とてつもなく幸せなことだったのだ」

LGBT研修。

丸井の本社にお邪魔して、丸井社員のためのLGBT研修にゲストとして参加をさせてもらった。
1時間くらいのLGBTに関する講義の後、グループに分かれてロールプレイングをしたのだ。
2人組になって、一人がゲイで恋人にプレゼントを買いに来た設定で、もう一人は店員さんとなって接客するというもの。
それが終わると次は、片方がトランスジェンダーになり、洋服を試着し、片方が店員さんとなり接客するというもの。
どちらも難しかったのだけど、ゲイのお客さんが一体どんなところに気を遣って買い物をするかとか、トランスの人たちは一体どんな気持ちで洋服を買いに来るのかとか、想像力を使うことの大切さを感じることが出来たかもしれない。
社員さんからの質問では、「今まで会社等で何気ない言葉に傷ついたことがあったら教えてください」などと聞かれ、僕なりに思いつくことをお話しさせていただいた。
LGBTのことを真剣に捉え、社内研修で基礎的な知識を社員に学ばせ、社外のサービスへと繋いでいこうとする企業がこのところ少しずつ増えて来た気がする。
すべての企業において、LGBTのに関する基礎的な知識が広まり、学校にも同じように伝わっていくことを願っている。