小春日和。

晩秋の、ぽかぽかとした春のような陽気の日を『小春日和』と言う。なんて美しい日本語だろうか。今日はもしかしたら暖かすぎるくらいの天気で、六本木から赤坂まで普段ならタクシーに乗る距離を散歩がてら歩きながら行った。
途中、大阪にお母さんに会うために帰省している友人のMのことを思い出し、ラインでメッセージを送ると、お母さんが公園でひなたぼっこしている写真が送られて来た。お母さんは車椅子に座り、それでも気持ち良さそうに笑っていた。
Mのお母さんは88歳。ついこないだまでとても元気で、年に数回は東京に遊びに来ていた。その時にはいつも一緒に食事をして、お酒も飲んで、楽しい時間を笑いながら過ごしたものだった。お母さんにとってみたら僕は、息子の友達というよりも、東京の友達のような感覚だったのかもしれない。
お母さんは80歳を過ぎてから、家のそばで転倒して背中や腕を骨折して、少しずつ身体が弱り始め、なかなか外出も簡単に出来なくなってしまい、その後、東京に来ることはめっきりなくなってしまった。
食べることや、お酒を飲みながら色々な話をすること、そして、旅行が大好きなお母さんと、今年の春、台湾に一緒に旅行に行こうと計画を進めていたのだけど、それは叶わず、今回の台湾旅行の際に、再びその計画が持ち上がったのだけど、足腰の衰えと下の世話もあり、外出の許可は得られず旅行は結局実現出来なかった。
Mは東京でお店をやっているため、なかなか大阪にお母さんに会いに行くことは出来ないのだけど、今回、大阪に会いに行くことが出来て本当によかったと思う。
親が老いてゆく姿を見るのは、きっといろいろなことを考えさせられるし、人によって様々な試練になるに違いない。Mの前にある問題は、やがてくる僕の母親の問題でもあり、ゆくゆくはM自身や僕自身の老後の問題でもあるのだ。
老後と言われる年になった時に、子どものいない僕たちは、いったいどんな風に老いを受け入れ、毎日を生きてゆくのだろうか。
その時そばに、愛し合う人がいてくれるのだろうか?
自分を支えてくれる人は、いてくれるのだろうか?
そんなことをいろいろと考えながらも、今はこの、美しい小春日和を存分に味わいたいと思った。
どこか旅行に連れて行くことが叶わなかったにせよ、今、Mが、お母さんと一緒に公園で過ごしていることを考えて、胸の中まで温かく感じられた。

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