Mr. GAY JAPAN に呼ばれて。

Mr. GAY JAPANのHP

『Mr. GAY JAPAN 2020』のファイナリストが6人決まったそうで、そのファイナリストに『結婚の自由をすべての人に訴訟』のお話をレクチャーして欲しいとの要望をいただき、弁護士とKと3人で、レクチャーとクイズをしてきた。
そもそも『Mr. GAY JAPAN』なるイベントがあることは知っていたのだけど、多くのミスコン同様、そのジャンルで一番を決めること自体、僕は疑問に思っている。
人間の魅力は多様であるため、同じものさしでは測ることはできないと思うからだ。
でも、今回、参加しようと思ったのは、もしかしたら彼らのアクションを通じて、僕たちでは届かなかった人たちにセクシュアルマイノリティに関する正確な知識が広まるかもしれないと思ったからだ。
なぜ同性婚に関する裁判が必要なのか。なぜ僕たちが原告として立ち上がったのか。そんな話をしながら、彼らにも自由に思ったことを話してもらう時間は、思った以上に有意義で、忙しい中、クイズを作って参加して本当によかったと思えたのだ。
このお話がきっかけで、今度は、ミス・グランドインターナショナルでの講義をしてくれというお誘いと、TOKYO FMでお話をしてくれというお誘いをいただいた。
一つの行動が、次の行動に繋がってゆくようだ。

his

久しぶりに、日本のゲイ映画が公開されるというので、何も下調べもせずに新宿武蔵野館に観に行った。
『his』は、『愛がなんだ』の今泉力哉監督。この『愛がなんだ』は、映画好きな友人からはいい映画だと聞いてはいたのだけど、結局僕は見ていない。主演の宮沢氷魚さんは、BOOMの宮沢和史さんの息子さんだそうで、クオーターらしく透き通るような存在感。
都会を離れて、農村で自給自足をしている宮沢の元へ、かつての恋人だった藤原が子どもを連れて訪ねてくる・・・。
現代のゲイの暮らしをなるべくそのままに、生き生きと脚本に落とし込もうとした意図はわかるのだけど、色々な描写が少し無理があるかな・・・と思うところがある。
それと、素人の演技と役者の演技の差が激しくて、やたらと気になってしまう。日本で活躍している子役は、気のせいかいつも同じような演技になってしまうのはなんでなんでしょうかね?『弟の夫』の子役も同じように感じてしまった。
でも、それをすべて考慮したとしても、日本でこんなゲイ映画が一般公開されていることに感動したのだ。それに、言葉で説明しすぎないこの今泉監督の力量も、これからとても楽しみに思える。
何よりも一番僕が楽しかったことは、この主人公の宮沢氷魚さんがとてもタイプで、目が釘付けになってしまったこと。笑
改めて、自分は、色白で薄い顔がタイプなのだと思ったのだ。
⭐️hishttps://www.phantom-film.com/his-movie/

CATS

ホラーと言われるのもわかるジュディ・デンチ

夢に出そうなジェニファー・ハドソン

あまり違和感のないテイラー・スウィフト

僕が、大学一年の時にはじめてニューヨークに行った時に、はじめてブロードウェイで観たミュージカルが『CATS』だった。
そのせいか、今回の映画作品がアメリカで公開されて酷評ばかりが流れてきても、この映画を観ることを何よりも楽しみにしていて、公開と同時に観に行った。
映画通の評価は、『新手のポルノ』などと書かれており、なるほど映画としてよく出来ているものではないけど、僕は意外と楽しむことが出来た。
残念なのは、全体的にのっぺりとしているように感じられるところだろうか。何というか、不思議な環境ビデオを観ているような錯覚に陥る感じとでも言おうか。
僕が楽しめたのは、この猫いったい誰なんだろう?とか、どうやって作ったんだろうこのメイクとか、耳や尻尾動きとか…そんなところを見ていて楽しかった。どこが業界の人たちは嫌いなんだろう?とか考えながら見たのだ。
ジュディ・デンチにテイラー・スウィフト、ジェニファー・ハドソンにイアン・マッケランと、才能の無駄遣いとか言われてるけど、ヴィクトリア役のフランチェスカ・ヘイワードっていう女性のバレエが凄いよかったし、イアン・マッケランがやっぱり好きだったな。年を取ったら、イアン・マッケランみたいになりたい。
グリザベラは、ジェニファー・ハドソンの爆発系じゃない方が良かったかもしれない。あくまでも僕が勝手に最初に観たキャッツの『メモリー』に引きづられているのだろうけど。
あまりにも酷評されているけど、ミュージカル好きにはやはり見て欲しいと思う作品。
⭐️CATShttps://cats-movie.jp/sp/

LGBTヒストリーブック トークイベント

真ん中がジョンとスチュアート

北丸雄二さんが翻訳した『LGBTヒストリーブック』の出版を記念して、トークイベントが二丁目のaktaで行われた。
そこへJohn Lewis & Stuart Gaffneyというサンフランシスコのパレードで毎年マーシャルを務めているゲイカップルが登壇するということで、僕たち東京の原告に声がかかり、いくさんと一緒にほんの少し登壇してお話をした。
このふたりのお話が本当に素晴らしくて、できればもっと沢山の人に聞かせたいと思った。
アメリカでは、カリフォルニア州など州によって同性婚は認められて、市役所に同性愛のカップルが何千人と殺到したり、その後すぐにその条例が覆されたりを何度も繰り返しながら、やっと2015年に全米で同性婚が認められたのだった。
ジョンさんが言うには、はじめて結婚証明書を手にした時に、「これでやっと我々はもう、二流市民ではなく、他の人とやっと平等の権利を得たんだ!」という言葉には出来ない完全な充足感を味わったのだそうだ。
その時の満たされた気持ちがあったから、何度もふたりの結婚が破棄されたとしても、また立ち上がり諦めずに活動を続けることが出来たということだった。
彼らは何度も何度も僕の目を見ながら言っていた。
「never never never give up」

仕事仲間たちが、自分をどう思っているか。

『働き方改革』の一環だと思うが、今年から自分が一緒に仕事をしている周りの8人の人を指名して、自分の能力や仕事ぶり、人間性についてアンケートを記入してもらい、名前は伏せられたまま公開されるようになった。(その評価を見ることが出来るのは、本人及び上長のみ)
僕はこのところの仕事の忙しさもあり、それらの評価を見ることさえ忘れずに過ごしていたところ、上長と面談がありその評価の話になった。
上長「ちょっと驚いたんだけど、君みたいな評価の人はいなかったんだよ」
僕「あの評価、まだ見てないです。なんかあったんですか?」
上長「それが、君だけが唯一、すべての人からもう一度一緒に仕事がしたいと、満点をつけていたんだよ。他には誰もいなかったんだ」
僕「えええ?それはうれしいな。仕事の評価には関係なくても、一番うれしいです」
賞を貰うよりも、大きな扱いを取るよりも、仕事仲間にもう一度仕事をしたいと思ってもらえる方が、いまの僕にはうれしかったのだ。

ねずみを巡る戦い。その3

僕の家のベランダに、夜の間にネズミが出没して鉢の中の土を掘っていることは前にここに書いた。
ネズミは、僕が植えた球根を食べるために土を掘っているのか、単純に穴を掘って遊んでいるのか、はたまた穴の中で眠っているのかわからないのだけど、朝起きると穴が空いているのだ。
毒餌を撒くのも嫌だし、ネットやネズミ取りを仕掛けるのも気味が悪いので、ネズミが嫌うという超音波を使ってしばらくは来なくなっていたのだけど、ネズミはどうやら超音波に慣れるようで、僕が中国に行っていた間に、また荒らされるようになってしまった。
そこで今度はまた凝りもせず、太陽光で充電できて、動くものに反応して光るライトを購入した。超音波も一緒に着いているらしい。
これで効き目があるかわからないけど、せっかく植えた花々をみすみすネズミの餌にするわけにはいかないと、Kとふたり、長期戦でも負けない心構えでいるところ。

ジョジョ・ラビット

第二次世界大戦中のドイツのある村に、10歳のジョジョはお母さんと二人で暮らしていた。
お父さんはイタリアに戦争に行ったまま脱走の疑いがかけられ帰って来ず、ジョジョはヒットラーに忠誠心を誓うことで毎日を過ごしていた。
ある日、ひょんなきっかけで、自分の家にユダヤ人の娘が暮らしていることを知り、自分が信じていたナチスの思想が揺らぎはじめる。
スカヨハが、今作でアカデミー助演女優賞の候補になっているので観に行ったら、こんな新しい戦争映画に出会って驚いた作品。
戦争の悲惨さや残酷さを、明るくコミカルに描くことによって、また別の想像力か働くということを思い知らされた。
⭐️ジョジョ・ラビットhttp://www.foxmovies-jp.com/jojorabbit/sp/

リチャード・ジュエル

1996年アトランタオリンピックで、センテニアル公園でコンサートが開かれていた。人々が熱狂しているさなか、ベンチの下に置かれた爆弾を警備員が見つけて、聴衆を非難させている途中に爆弾が爆発するというテロが起きた。
この映画は、その警備員が、英雄扱いから一転して犯人扱いされていく恐ろしい話。
FBIの巨大な力と、マスメディアによって、素朴な青年が凶悪犯に仕立てられていく様は、見ていて本当に恐ろしくなった。
勇敢に立ち上がり、無実の罪を晴らそうと立ち上がった弁護士役に、サム・ロックウェル。息子思いのお母さんに、キャシー・ベイツ。
久しぶりのクリント・イーストウッド監督の作品は、手に汗握るサスペンスだった。
⭐️リチャード・ジュエルhttp://wwws.warnerbros.co.jp/richard-jewelljp/index.html

3泊4日の出張のあとに。

3泊4日の中国出張が終わって、やっと我が家は帰ってきた。
いつも一緒にいるKと離れて過ごすことに、僕はいつまでも慣れずにいる。
夜、ベッドで久しぶりに眠る時に、Kは僕の手を握り、脚を僕の脚につけてくる。
眠っている間も絶えず僕の足を探して、こちらを向いている時はスネをつけてくるし、向こうを向いている時は、足の裏で僕を探している。
それはまるで、ひとりで過ごしていた時間の寂しさを、少しずつ癒しているよう。
そんなKのことを僕は、人懐こい大型犬のように思うのだ。

中国の新幹線で思うこと。

杭州からは、新幹線で上海まで行き、その後地下鉄で2駅で上海虹橋空港から羽田空港に帰ってきた。
新幹線は、外国人はパスポートの提示が求められる。その後、出発時間の10分前になると、やっと待合広場からホームに上がる通路が通れる合図が下される。
この時点で、たとえ前の方に並んでいたとしても、中国人は横から平気でどんどん入ってくる。だいたい列を作って待つなどというルールがそもそも確立していないのだろう。
なんとかパスポートをスキャンさせて改札を通ると、エスカレーターでホームに向かい、新幹線が入ってくるのを待つ。
健常者ならばこの10分で自分の乗るべき号車までたどり着けるとは思うものの、年寄りや身体の不自由な人だと結構時間がないことがわかる。
新幹線の中では、子供が平気で大きな音でゲームをしている。誰も注意しないし、誰もなんとも思っていないのだと思う。
途中の駅で乗り込んできた客が、新幹線の通路で知人に会ったようで、大きな声で立ち話が続く。立ち話は5分くらい続き、その間、迷惑そうに前から後ろから人々が追い抜かしてゆく。
上海に着いて、出口に向かおうと前の人に続いて並んでいたら、そんなのお構いなしに、次から次へと人が横から割り込んできて前に進んでいく。
日本のように、マナーを守るとか、順番などはなっから関係ないようだ。
おおらかというか。大雑把というか。どちらの国がいいとか悪いではなく、明かにふたつの国は「違う」ということを改めて思い知らされた旅だった。