久しぶりのドッグラン。

1月7日にトリミングサロンで事故に遭ってから、海は運動をせずに散歩だけしてきたけれど、抜糸も終えて無事に運動できるようになり、久しぶりに湯河原のドッグランに行った。

ドッグランに着くなり海は興奮状態で、早く行かせろとせがむ。

ドッグランに入りリードから放すと、海は勢いよく走り出した。

それはまるで、ずっと鎖に繋がれていた状態から開放された動物のようで、鹿が飛び跳ねるようにジャンプしながら走っていく。

あの事故に遭ってからこの日を待ち侘びていたけど、自由に走り回る海を見ていたら心底ホッとしたのだ。

これでまた、平和な3人の暮らしが戻ってきた。

本問題。CD問題。

引越しで一番手こずるのが、僕の場合本やCDをどうするのかという問題。

一昨年の冬に渋谷区から熱海市に引っ越して来た時には、僕の仕事が忙しく、Kがすべての本をダンボールに詰め込んで送ったのだった。

ダンボールに20箱以上うず高く積まれた本は、結局この家で出すこともなくまた次の引越しが近づいている。

思い切って本を処分しようと思い、ここ数日選別をしていたのだけど、結局思ったように断捨離も出来ず、もうそれでもいいと思い16箱のダンボールに納めた。

4箱はなんとか処分出来るので、駿河屋にでも送って精算してもらうつもり。

同じくCDもプレイヤーも出さず、CDも全く聞かずに次の引越しになったのだから、本来ならばそのまま丸ごとなくなってしまっても人生にはなんの影響もないもののように思える。

でも、一枚一枚表に出してジャケットを見ていると、結局捨てられずダンボール二箱分のCDを持っていくことにした。

ほんと、断捨離とは程遠い僕の引越しになってしまった。

僕たちのウエディングフォト。

いつか同性同士であっても結婚出来る世の中になったら、その時はKとふたり、結婚式を挙げたいと思っている。

家族や友人、会社の先輩や後輩を招いて、みんなから祝福される結婚式や披露宴をおこなうことは、自分の人生では今までに思い描いたことなどなかったこと。

今回、日比谷花壇などお花屋さん主催により、ウエディングフォトを撮影していただくことになった。本当は今日が撮影日だったのだけど、海の怪我があり引越しの前日に執り行われることに。

今日は送られてきたタキシードの試着と、オンラインによる撮影打ち合わせが行われた。


タキシードは、僕がブラックでKがホワイト。白と黒で並ぶことにした。これは、トム・フォードやダスティン・ランス・ブラックやリッキー・マーティンなどゲイカップルの結婚式の写真を検索しながらどれがいいかと模索した結果。

撮影には海も途中参加するので、僕たち家族にとって思い出深い写真が撮れそうだ。

ソファカバー完成。

もうかれこれ25年前くらいに買ったソファのカバーを張り替えようと、昨年から寸法を測りに来ていた職人さんがやってきた。

ソファカバーの張り替えは、カバー自体を送って採寸してもらい出来上がったものを届けてもらうのが一般的なようだけど、僕がお願いした業者さんは、それではきちんとフィットしたカバーが出来ないと言う。

「ソファは単純なボックス型ではなくて、座面も傾斜がついていたり、左右で微妙にサイズも違っていたり、またクリーニングで縮んでいたりするんです」

業者さんは初めて家に来た時には細かく採寸をして、薄い布をまち針で留めてソファのパターンみたいなものを作っていた。

2回目に家に来た時はそのソファの薄い試着カバーを持ってきていて、それを実際にソファに被せてみて、たるみはどうか、クリーニングした時の縮みはどうするか、細かくチェックして了解を得てから試着カバーを持ち帰った。

その後、1ヶ月くらいで完成品が縫い上がり今日は出来上がりのソファカバーをすっぽりとソファに被せたのだ。

「おおお!新品のソファみたい!」

見違えるようになったソファを見ていると、なんだか使うのが勿体ないような気がして、結局新品は一旦剥がしてから、宮古島の引越しが終わった後に付け替えることにした。

職人技って本当にすごいと思える体験だった。

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叔母に、ありがとうを。

今日は母のすぐ上の姉である叔母に会うために、千葉県松戸市を訪れた。

駅前で母と待ち合わせのつもりが電話がかかってきて、すでに叔母の家にいて駅前に向かっているので昼食を食べるお店に行きましょうとのこと。

叔母は84歳で若干痴呆が進んでいる。思い出せないというよりも、たった今覚えていたことを片っ端からすぐに忘れてしまうような感じだ。

今は毎日ヘルパーさんが家に来てくれていて、掃除をしたり薬を飲ませたり、身の回りの世話をしてくれている。僕の従兄弟も泊まり込みでいるようだけど、昼間は働いているので見ていることは出来ないからだ。

僕は宮古島への移住にあたり、お世話になった叔母に会っておきたいと思っていたのだ。僕が小さな時から従兄弟とは兄弟のように育ったので、毎年夏休みには熱海や伊東の温泉がある保養所に出かけていたのもこの叔母の家族と一緒だった。

お店に入る途中、叔母が立っていたので声をかけると驚いていた。「ただしくん、まだこんな小さかったのに…」と、手を自分の胸くらいにあげて笑った。叔母の心の中では僕はまだ小学生のようだった。

食事をしながら小さな頃の思い出話をする。叔母はちゃんと覚えていて懐かしそうに笑っている。でも、少し経つと話した内容は忘れてしまうようで、また同じ話を繰り返している。

店を出て、叔母が僕の腕を掴みながら少し歩いた時に、叔母に昔の話をし続けた。

「叔母さんが母にやさしくしてくれたから、僕たちちゃんと大学までいけたんだよ。ありがとうね」

「私はやさしい旦那がいたから幸せだったの…でもね…お母さんは苦労したのよ…」

「おばさん、ありがとうね。本当にありがとう」

叔母は僕の腕を握りしめながら笑っていた。

叔母は妹の母を苦しい時にいつもそばで支えてくれた人だ。自分の着る物には頓着せず、会うたびに母や僕たちにいつもお金を渡してくれた。

「ただしくん、お母さんにやさしくしてあげてね」

叔母は呆けていってしまうとしても、叔母のやさしさはいつまでも僕の心に残り、僕や母を今でも守り勇気づけてくれている。

帰り際、叔母に手を振ると、「ただしくんまた会えるわね?」とニコニコしながら僕を見送ってくれた。

別れを告げる時のお菓子。

宮古島から帰った翌日は日曜日だけど海をかかりつけの病院に連れて行った。

海の後ろ足は抜糸も済み包帯も取れたのだけど、前脚はまだ糸が残り、内分泌液が出て海が舐めてしまうので肌に赤みが残っているようなのだ。

毎日包帯を取り替えて清潔にしておくことが、傷口の回復にも必要とのこと。

Kとふたりで海が子どもの頃からお世話になっていた動物病院を訪れる。Kが用意していたお菓子を差し出しながら、先生や看護師さんに僕たちが宮古島に移住することを告げると、「思い切った決断ですなね…すごくいいと思います。会えなくなると淋しくなりますね…」と言ってくれた。

Kは、勤め先辞める時などに美味しそうなお菓子を買って配るのが好きだ。まるでそれが自分にできる精一杯の勤め先への勤めというか恩返しのように思っているのかもしれない。

12月に東京に行った際に、伊勢丹で30分くらいかけてお菓子を選んでいて、僕はその間ずっと暇を持て余しながら待っていた。

今日もお世話になった動物病院へのお菓子を渡して、Kはとても満足そうだった。

Kのそんな丁寧なところは、女の子のようでもありお母さんに似たのかなと思う。でも僕とは違うそういうKの丁寧さが僕は大好きだ。

助っ人があらわれた。

家をリフォームするにあたり、11月の頭に宮古島に行った時に2社AとBに見積りをお願いしていた。

でも、途中でAがあまりにも高いことを言うのでそこは諦めたが、もう一社からは一向に見積りが上がってこなかった。

心配になり、その後11月末に宮古島に行った時に更に2社CとDに見積りをお願いした。

はじめは乗り気で数時間おきに電話が来るくらいだったCは、その後東京に帰ってからはなぜか連絡がパッタリと途絶え、メールをしても返信さえ寄越さなくなった。

Dはとてもいい感じの営業だったけど、大手のせいか出てきた見積もりが思ってた以上に高く、迷った挙句やめた。

その頃忘れていたBから見積もりが来て、なかなかかわいい見積もりだったのでBにしようと思っていたのだ。

でも、はじめての打ち合わせから2ヶ月以上経過していて、僕がその間様々な資料を送り工期2期の見積もりをお願いしてきたのに全く作業は進んでおらず、今回会った時にまた最初から説明しなくてはいけない不安を感じた。

悪い人ではないけど、僕たちの家に愛情も何も感じられないのが淋しかった。

そこで、荷川取牧場の主人から聞いていたアメリカ帰りの大工さんMさんを紹介してもらった。

熱海に帰る日の11時に会うことになったMさんは、白髪で65歳くらいだろうか。アメリカに43年くらい住んだ後にヨーロッパにも数年暮らしていたそうだ。

とても穏やかな人で僕の話を静かに聞いてくれる。

「網戸が壊れているから直せますかね?」
「引越し前に直しておきますね。雨戸も直しましょうか」
「この倉庫から浄化槽まで排水は流せますか?」
「距離があるから車庫から流した方がいいと思います」

僕が思いつくままにする質問にもその都度考え、的確に答えてくれる。

「今までのリフォーム業者さんはなんだったのだろう?」

そんなことまで思うような、僕にとっては力強い助っ人が現れたのだった。

◯写真は倉庫の中

僕たちの家が手に入りました。

今日は、決済の日。

家の残額を支払って、その後家の登記に入る手続きをする。

11時に、まずは不動産屋で司法書士を入れて売主と買主である僕と不動産屋で確認をする。

住民票とマイナンバーカードのコピーを司法書士に渡し、売主は印鑑証明なども用意していた。

その後の家の決済は、僕の場合は売主も口座を持っていたゆうちょ銀行を使うことにした。

僕は宮古島の銀行に口座を持っていなかったため(宮古島の住民票がないため)今回は僕のメインバンクであるみずほ銀行からゆうちょ銀行へとお金を移し替えておき、決済当日に売主と一緒にゆうちょ銀行に行って口座から口座へと振り込みを済ませ、その場で確認してもらう。

その後もう一度不動産屋へ戻り、もうすぐ終わるかな…と思っていると不動産屋が言うのだ。

不動産屋「じゃあ、お昼ご飯を取ってから2時に会いましょうか?」

僕「え?僕は少しでも早く終わらせたいんですけど…」

不動産屋「でも、お昼ご飯が…」

そんなやりとりがあり、僕が折れて昼休みの後にまたはじまることになった。(これは極めて宮古島っぽい気がする)

鍵を受け取り、司法書士事務所に行き登記に必要なお金を渡し、終了となった。

僕はそのまま車で家に向かい、改めて僕たちの家になった実感を噛み締めた。

家には磯ヒヨドリが住み着いていて、いつも僕が来るとなぜかどこからか出てくる。その磯ヒヨドリを見ながら家に上がり、リビングの窓を開けると、海が遠くに見えた。

この家で、Kと海と3人で、新しい生活がはじまる。

何が待っているかわからないけど、今はワクワクでいっぱいだ。

宮古島で深呼吸。

家を買う最後の決済と登記に移るために宮古島にやってきた。

海は当初、ドッグトレーナーに預かり訓練に出すつもりが、先日事故にあったため預けるのをやめて、Kが大分から早めに戻って来てくれたのだ。

僕が海と行っていた病院もKが行ってくれて、海の傷の経過は先生にも直接電話をかけて聞いてみる。

宮古島では決済や登記の他に引越しに関する打ち合わせが盛りだくさんにあり、それらを一つ一つきちんと判断してこなしていく。

宮古島に来ても、やっぱりいつもいつも海のことが気になり、宮古馬を見にいくことにした。

宮古馬のいる牧場の主人は先日友人から紹介していただいていたのだけど、その人が僕の引越しはいつなのか、家のリフォームはどうしたのかと、宮古島在住の知人にわざわざ聞きに来てくれていたとのこと。

あいにく今日は主人には会えなかったのだけど、のびのびと暮らしている美しい宮古馬を見ていたら気持ちがやわらいだ。

動物は理由などなく力強く美しい生命そのものだ。宮古馬を見ながら、早く海をこの牧場に連れてきてあげたいと思っていた。

怒りと憎しみと悲しみの先へ。

2年以上帰っていなかった実家のある大分に帰省していたKが、海の怪我により予定を3日早めて12日に熱海に帰ってきた。

熱海駅に海と迎えに行き、改札を出てこちらに向かってくるKを見ていたら目が潤んだ。

海は大好きなKだと気づき、怪我をしているにも関わらずジャンプして歓待している。

海が事故に巻き込まれてからここ数日、僕と海であまりにも辛い毎日だった。

病院に通い、怪我を庇いながら散歩をし、夜中も海が包帯を舐めないように灯りを1つつけたまま見守り続けた。

包帯を巻いた海は痛々しく、怒りや憎しみよりも、言いようのない悲しみが津波のように押し寄せてくる。

海が傷つき、海にこんな思いをさせてしまった僕もKも心身ともに深く傷ついていた。

でも、Kが帰ってきてくれたことで、怒りや憎しみや悲しみをふたりでそっと分け合うかのように、やわらいでいくように感じられた。

時々海が見せる無邪気な表情や、おやつのチーズを持って僕たちに取られまいと駆け回る姿に癒され、海によって僕たちが元気づけられていくのがわかる。

海の回復力は想像を超えて早く、自然の逞しい力そのものだ。

海の傷と一緒に、僕とKのずたずたの心も少しずつ回復していくように感じられる。