器が割れた時に思うこと。

先日、お猪口を上の棚にしまおうと、重ねた2つのお猪口を持った時に、ふと手が滑って下に落としてしまった。

すると、お猪口は無事だったのだけど、下にあった浅めのどんぶりが割れてしまった。

家の器やグラスはペアか偶数で揃えているので、一つが割れて使えなくなると中途半端になってしまう。

探してもう一度買い揃えようと思っても、既に販売されていなかったり、お店が遠くて買いに行けなかったりもする。

熱海に引っ越して来てから、クラスを一つ割り、どんぶりを一つ割った。小皿とお猪口を一つずつ欠けさせてしまった。

大切に使っているつもりが、洗ってしまう時などふと他のことを考えていたり、ふたつのことを同時にしようと思っていると不注意になってしまうようだ。

その度に自分では酷く落ち込んでしまうのだけど、「形あるものはいつか壊れる」と、なんとかそう言い聞かせてきた。

僕が大切な器やグラスを割ってしまった時には、Kはいつも穏やかなままでいてくれる。

外出先などで何かをこぼしたり、落とした時も、Kは僕を責めることはなく気遣ってくれるし、僕もそうでありたいと思っている。

大切なものが壊れた時や、不意に事故が起こった時に、その人間のやさしさや本質が感じられるものだ。

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