大分でのごはん。

佐伯市の蒲江の「カワハギ」

大分が誇る地鶏「冠地鶏」

Kとつきあいはじめてから、大分にはもう7回くらい来ている。こんなことがなければ、大分市には来ないまま、一生を過ごしたかもしれないと思うと不思議な縁を感じる。
有名な店には一通り行ったと思う。フグの美味しい店は何軒も行ったし、関アジ、関サバ、城下かれいを食べられる店にも行った。でも正直、博多のように、なかなか手頃な値段で美味しい店に出会うことがなかった。
僕の大分の飲食店の印象は、『食材は海も山も豊富で、伝統的な料理を提供する店はあるけど、新しい料理に挑戦する料理人のいる店がなかなかない』といった感じだろうか。
そんな中で、今日行った『五十六屋』は、店もキレイだし、リーズナブル、大分特有の食材にもこだわりがあり、とても美味しかった。新しい料理ではないけど、これだけの居酒屋は、他の都市でもなかなか無いだろう。
カワハギの活け造りは、肝を和えてカワハギ独特の旨味を味わえる。
冠地鶏の炙り焼きは、身が引き締まり、ブロイラーでは味わえない鳥本来の味がする。
大分名物のとり天も、さっぱりとしていて美味しい。
卓上に、大分県日田市の醸造蔵 原次郎左衛門『あやめ』の醤油とポン酢が置いてある。醤油は、すこし甘みがあるけど、鰹のたたきにピッタリと合っていてとても美味しかった。
福井の日本酒『黒龍』や、青森の『田酒』、山口の『獺祭』など、銘酒が揃っているのも魅力。
★五十六屋http://s.tabelog.com/oita/A4401/A440101/44006294/?lid=header_restaurant_detail_review_list

大分へ。

Kは、シフト制の仕事をしているので、土日に仕事が入ることも多く、夜勤で朝まで働くこともある。
二人の予定を合わせて、九州で会うにしても、日程のやりくりが大変なことが多い。
7月は、今週末しか会えそうな日が無かったので、昼過ぎに昨日から夜勤で働いていたKの元に飛んだ。
空港に着くと、いつもは、大分市内から空港まで、1時間かけて車で迎えに来てくれるKが珍しくいなかった。LINEには、写真のようなメッセージが。
朝から、翌朝までぶっ通しで働いていたため、家で寝過ごしてしまったみたい…
Kは、自分のことを、うさぎのコニーだと思っている。なぜだかLINEでの僕たちのやり取りは、うさぎのコニーがKで、クマのブラウンが僕になっている。
若い人たちとメッセージのやり取りをすると、言葉よりもスタンプのやり取りが多くなる。LINEでは、いちいち言葉にしなくても、スタンプでコミュニケーションを取っている方が簡単で楽しく感じられる時がある。
駅から家にタクシーで乗りつけると、寝ぼけたKが立っていた。

25年目の弦楽四重奏

今年観た映画の中でも、最も好きだった内の一本。クラシックが嫌いではなかったら、きっと楽しめる映画だと思う。
結成して25年経つカルテットが、ベートーヴェンが亡くなる半年前に完成した曲『弦楽四重奏第14番』をコンサートで演奏する話。
ここでは、敢えてストーリーには触れないけど、四人がそれぞれの人生を生きる、その生きざまが、音楽のように重なり、四重奏を奏でている。
老いて我が身に困難がふりかかろうとも、周りを慈しむクリストファー・ウォーケンの抑えられた演技が素晴らしい。
自尊心をかけて激昂する、フィリップ・シーモア・ホフマンの演技は、観終わった後に改めて恐ろしい俳優だということを思い知らせてくれる。
久しぶりに観たキャサリン・キーナーは、憂いを帯びた賢い女を魅力的に演じている。
緻密な脚本と、巧妙な演出、個性溢れる演技と、壮大な音楽の結晶に、深く心動かされた。
★25年目の弦楽四重奏http://25years-gengaku.jp/

本濱。

お造り

鯛の塩釜焼き

こう暑い日が続くと、焼き肉などもいいけど、連日肉ばかりだと少々胃も疲れて来る。そこで今日は、会社近くの魚を扱うお店の中で、最もコストパフォーマンスの高い店だと思っている『本濱』に、会社の連中と行った。
このお店、昔は『濱壱』という名前で、もう少し芝公園よりの場所にあった。その頃、『濱壱』は、隠れ家のような小さな一軒家で、夜は5000円くらいでありながら驚きのコースメニューで、会社の役員などが頻繁に出入りする店だった。
場所を浜松町に移し、お店も綺麗になって、店舗も隣に増やして営業している所を見ると、ネットでの評判もあってなのかすごい成功しているなあと思う。
最近は、趣向をこらした料理も増えているようで、フォアグラと鳥のしんじょうを冬瓜でいただくとか、新しい和食への挑戦も見られるが、ここの自慢は、なんと言っても『お造り』、『鯛の塩釜焼き』、『鯛飯』だろう。
『お造り』は、その日の最上の魚を数種類食べることが出来るし、『鯛の塩釜焼き』は、他店のように、塩からくなりすぎていないので、鯛本来の甘みをじんわりと感じることが出来る。『鯛飯』は、おかわりしたくなるくらいだけど、昼間に行っても食べることが出来る。
ランチはびっくりするくらい量もあるし、鯛飯までついてくるので、必ず満足出来るので、近くへ行く時には、ちょっと時間をずらして行ってみてください。
★本濱http://tabelog.com/tokyo/A1314/A131401/13056806/

トマト。

今年は、猛暑と水不足のため、レタスやトマトなどの野菜が高騰しているらしい。それを知っているのか知らないのか、母が畑で栽培したトマトを送ってくれた。箱に1列で送られて来た完熟のトマトは、実が熟してから収穫しているためやはり美味しい。
僕の母は前に、「あなたはどうせ家にいないから・・・」と言って、会社にトマトを段ボールで送って来たことがある。会社で開けてびっしりと入っているトマトを見て驚いたのだけど、結局重たい思いをしてタクシーで帰って来たことがある。。。
そんなわけで、今は毎日トマトを食べている。朝もトマト、家に帰って来てからも先ずはトマト。カプレーゼにしたり、トマト素麺にしたり、トマトの食べ方にはきりがない。
一番よくやるのが、写真の食べ方。トマトも切り方によって、味や食べごたえが全然違うのをご存知だろうか?
普通にくし形に切るよりも、真横に切った方が美味しいと思う。完熟トマトならば、あまり切り刻まずに、まっ二つが美味しいし、薄くスライスする場合でも、真横にスライスした方が美味しい。
芯をくりぬいて、真横に、まっ二つに切ったトマトに、美味しい塩をふる。少し置いた後に、オリーブオイルをかければ、一段上の味わいになる。

自分らしくあること。自由であること。

10年くらい前になるだろうか。僕がよく行く東京の割烹料理屋さんで、大将がいない時は、いつも、20代半ばの背の高い好青年Mが相手をしてくれていた。
その頃、僕は、年上の人とつきあっていたので、その店には二人で訪れることが多かった。
その青年Mは、精悍な顔立ちで、話の機転もきくため客あしらいもうまく、職人気質の多い店の中でも重宝がられていたと思う。
それがある日、いつものカウンターで食べていると、いきなり大将に相談された。「Mが夜逃げをして行方不明になってしまったんです…携帯だけは、持って出てるんですけど…」
よくよく聞くと、結婚を約束した彼女と同棲していたのだけど、Mはある日、男に出会って、すべてを捨てて夜逃げしたということだった。大将には、恩があるので、電話で泣きながら話したそうだ。
「つまり、あいつは、ゲイだったんです…」
僕は、こんな内輪の話を僕にしてくるには、きっと大将も、僕たちがゲイだと気づいているのだろうと思ったのだけど、僕の彼の手前、それを言い出すことは出来なかった。
僕も職場では、あえて自分のセクシャリティーに関してオープンにしていないように、多くのゲイが多かれ少なかれ、自分のセクシャリティーを隠しながら生きているだろう。一生隠したまま、死んでゆく人も沢山いるに違いない。
地方に働き口が見つかったというMは、今頃どうしているだろうか?
その町で新しい割烹料理屋を訪れるたびに、Mに会えるのではないかとワクワクしているけど、今のところまだ会えていない。
自由になって、Mらしく幸せに暮らしていたらと思う。

『伝説のディヴァイン』東京国際レズビアン&ゲイ映画祭5

結局、今回の映画祭では、8本の映画を観た。今までの映画祭と比べて今年はクオリティが高く、面白い作品が多かったのではないかと思っている。
『伝説のディヴァイン』は、『ピンクフラミンゴ』で有名な、クィアのディヴァインのドキュメンタリー。
ボルティモアで育った、甘いものが大好きで、女の子のような肥満児が、様々な人との出会いの中で、ドラァグクイーンとして名を馳せてゆく話。
ドキュメンタリー作品として、とても良く出来ていた。ディヴァインは、女装になりたかったわけではなく、あくまでも、みんなから注目されたり、尊敬されるようなセレブリティになりたかったようだ。
有名になるためには、犬のウンコを食べることも厭わない姿は、本当に凄いと思う…笑。
お母さんが、彼のことを受け入れることが出来ずに、一度は彼を遠ざけるのだけど、ディヴァインとなった後、和解して、赦し合うところは、とてもよかったと思う。
ドラァグクイーンが、まだ、『怖いけど綺麗。面白くてお洒落』などというスタイルが多かった時代に、『肥満で、気持ち悪いメイクで、辛辣な言葉を吐く稀有な存在』であったディヴァインは、相当時代の先を行っていたのかもしれない。

『幸せの選択』東京国際レズビアン&ゲイ映画祭4

ニューヨークで、アシスタントカメラマンとして働くジャックは、17歳でイギリスからやって来て以来、そのまま暮らしていた。
たった一人の兄を事故で亡くし、義理の姉と娘を支える毎日。
間も無く永住権も取れると思っていたところ、911以後の法の改正で、永住権を取ること自体が難しくなり、偽装結婚をするしか、残る術は無くなる。同性婚をしようと申し出る恋人が現れるが…
アメリカでは、州により同性婚が認められていたのだけど、国の決断の元では、それはまるきり意味をなさないものだった。
法のもとで、本当の意味で平等の権利を持てるようにならなければ、愛し合うふたりでさえ、一緒に暮らし続けることが出来なくなってしまう。
同性婚をテーマにした、アメリカならではのタイムリーな作品。こういう映画が作られて、公開されるアメリカって、本当に進んでいると思う。
日本の多くのゲイにとっては、同性婚のことや、平等の権利などと言われても、自分にはまるで関係ないし、そっとしておいてくれと言う人がほとんどだろう。
でも、同性婚は、それが認められることによって、沢山の愛し合う人たちが、平等の権利を持つことが出来て、法のもとに守られることになるのだ。
それがどんなに素晴らしいことなのか。我々日本人も、もっと想像することが出来たならと思う。

呼吸の話(その1)

ストレスがあったり、不安な時は、人の呼吸は早く浅くなっているという。逆に、心が平安で、幸せな状態の時は、呼吸はゆっくりで、深くなっているという。
ヨガだけでなく、あらゆるスポーツ、様々な宗教で、『呼吸』が重要視されているのは、『呼吸』が人間の身体全体に関わり、もっと言うと、心の奥深くまで関わっているからなのだろう。
先日、『呼吸』に興味を持ち始め、『呼吸』を習い始めた。
人の心は、氷山のようなものであり、顕在化されている意識で物事を捉え、考えているのと、自分では意識出来ていない潜在意識という二つの意識で構成されていると言われている。
大きさで比べると、顕在意識は、正に氷山の一角で、潜在意識がそのほとんどの部分を占めている。
そして、自分の現実を形作るのは、この多くの部分を占めている潜在意識なのだそうだ。
わかりやすく言うと、顕在意識でいかにこうなりたいと自分が思っていても、潜在意識で、そうはなれないとか、違ったものになりたいなどの迷いがあると、その思いは現実化されないということ。
自分の潜在意識を綺麗にして、きちんとしたビジョンを描き、より幸せになるために、呼吸を習うことにした。
その呼吸法は、吸うことよりも、吐くことに重きを置いている。吐けば、自ずと吸うことになるからだ。
胸で浅く吸うのではなく、腹の下の方で、深く吐き出す呼吸。
この年になっても、新しいことを習うのは、なんてドキドキすることだろうか。
少しずつ、何か気づくことがあったら、また、ここに書きますね。
つづく

『will you still love me tomorrow?』東京国際レズビアン&ゲイ映画祭3

Carol King 原作で様々な人がカバーしている曲、『will you still love me tomorrowhttp://www.youtube.com/watch?v=cnPlJxet_ac』このせつない曲が主題歌に使われた台湾映画を観た。
既婚者ゲイが、奥さんと子どももいる毎日の中で、男に出会い、生活が変わってゆくという話。
ゲイの世界を、本質的に描き出した素晴らしい作品。コミカルな演出でありながら、テーマ自体はとても重たいものだ。
ゲイであっても、やがて女性と結婚する人は、未だに世界中でものすごく多いと思う。でももし、こういう映画を観たら、色々なことを、考えさせられるだろうなあと思える。それはすなわち、世界にインパクトを与える作品ということだろう。
主人公も、奥さんも、妹も、義理の弟も、ゲイの友人たちも、とても絶妙なキャスティングで演技も素晴らしい。
こんな映画が公開される台湾は、やっぱりきっと、アジアで最初に同性婚が可決されるだろうなあと思う。
ちなみにこの主題歌、『will you still love me tomorrow』。僕は、このロバータ・フラックのバージョンhttp://www.youtube.com/watch?v=2LqO19AxnF4が好きだ。せつなくて、何度聴いても胸が痛くなる。
『あなたは、明日もまだ、私を、愛してくれるだろうか…』
★will you still love me tomorrow?http://tokyo-lgff.org/2013/?p=893
明後日、11時からもう一回やりますよー