祇園 末友

筍と蕗と堀川牛蒡、白子の木の芽ソース

グジの刺身グジの卵まぶし

間人蟹の蟹みそ

Kが学会で京都に行くと言うので、僕も予定を合わせて急遽京都へ。
晩ご飯は、前から気になっていたお店、『祇園 末友』に。
7周年を迎える末友は、ミシュラン一つ星。いくつもの名店が並ぶ八坂通りに面した建仁寺の南門の前にある。大将は、『祇園 丸山』で修行をされたらしい。
このお店を作る時に、井戸を地下40メートル近く掘ったそうだ。蛇口から出る水はすべて井戸水とのこと。店内は、カウンター席と、奥にお座敷が一つある。
先付けは、筍、蕗、堀川牛蒡、白子の木の芽ソース。早い春の香りに満ちている。
八寸は、黒豆、自家製カラスミ、子持ち昆布、からし菜など、正月と春が同居したような品々で、お酒が進む。
お椀は、蕪蒸しに旬のカワハギを肝まで使った熱々。
カマクラのような氷に入ったグジの刺身は、グジの卵にまぶされており、ビンチョウマグロは、山芋の昆布締め、辛味大根といただく。
熱々の粕汁が出た後、いよいよ今日のメインである『間人蟹』へ。
炭火で焼かれた『間人蟹』は、京都の北部で捕れたもの。殻が薄く、身が透き通るようで柔らかい。蟹ミソは、日本酒泥棒な一品。
そこへ、スープか酒を選び、熱々のスープや酒が注がれた一品へ。
最後に猪と芹のしゃぶしゃぶが出され、鮎の稚魚の炊き込み御飯へ。
お料理は、全体的に凝りまくったものではなく、素材を生かしたストレートな料理だ。
僕が今まで行った中で、近い店を敢えてあげるとすると、祇園の阪川だろうか。阪川は、より魚料理で勝負している感じだが…。
一つ残念なことは、きりっとハンサムな大将が、あまり表に出てこないことだろうか。厨房で檄を飛ばしている感じで、時々表に出てきては、お客さんのペースを見計らって中に指示を出す。見送りも、ちょっと表に出てきて挨拶はするものの、あの京都特有の、表に出てお客さんが見えなくなるまで見送るようなことはない。
それでも、この素材を生かした、「美味しい…」と思えるお料理は、わざわざ予約をしてでも食べる価値があると思う。
⭐️祇園 末友
075-496-8799
京都府京都市東山区大和大路四条下ル小松町151-73
http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26009394/

バラの季節を迎えるために。

町を歩いていても、そろそろ桜の花芽が気になりはじめた。
家のベランダのバラの芽も、日ごとに大きくなってきた。
バラは落葉期に、ある程度力をかけても枝が折れずにしなりやすくなる。そこで、沢山の花をつけるためにそれぞれの枝を、地面に対して平行や、『つ』の字を描くように下に引っぱり、それぞれの芽から花がより多くつくように誘引するのが望ましい。
これが、葉っぱが出て来てから慌てて自分の思った方向に曲げようと思っても、バラ自体にエネルギーがみなぎっているからか、枝が折れやすく、棘も獣の牙のように腕や指に刺さってくるのだ。
これから来るバラの季節に、いったいどんな風に花を咲かせてくれるだろうかと想像しながら、一つ一つの枝を丁寧に誘引し続けた。
新しい家で迎える、バラの季節を心待ちにしている。

青いカーディガン。

イタリアの海を思わせる真っ青なカーディガンは、高校生の時に買ったもの。
このカーディガンを着て、今も使っているBRADYのバッグを肩からかけて、当時のPOPEYEという雑誌に載ったこともある。いわゆる、『町で見かけたお洒落な男の子』というような・・・。
寒い日と温かい日を繰り返すようにしながらも、ゆっくりと春の気配を感じはじめたこの季節になると、厚手のセーターはもはや着る気がしなくて、薄手の、しかも色鮮やかなセーターを着たくなる。
会社でこのカーディガンを着ていると、声をかけてくる人がいる。
「綺麗な色ですねー」
「高校の時から着てるんですよ」
「え?本当ですか???」
僕は、若い頃には洋服の道に進もうかと思ったほど洋服が好きで、様々な新しいものにもトライしたのだけど、結局年を重ねてくると、本当に好きなものだけを、ずっと長く着ていくことが好きなのだとわかった。
買う時は、ちょっとためらうほど高く感じたものも、30年着た後に、その価値は十分にあったと思えるのだ。

ペンペン草のひろしさん

ふと、ぺんぺん草のひろしさんに会いたくなって、行こうかな…と思ったのだ。
ひろしさんは、12月第1週の劇団ぺんぺんの芝居の後に旅行に出たのだけど、いくらなんでも、もう帰ってきてるだろうと思いながら、不在の間お店に入っているYに念のためLINEを打ってみた。
Y「そうなの。まだ帰ってきていません…」
僕「え? まだなの??? 」
Y「不思議なんだけど、ひろしさんのあのおバカな話とあの声を聞きたくなるわ。」
(以下:写真)
ひろしさんは、毎年恒例のように、芝居が終わるとバリ島などに長い旅行に出かけている。だいたい次の年の脚本を書くと言いながら、ちょっと悪さをしたりしながら、のんびりとリフレッシュしているのだろう。
それにしてもだ、2ヶ月以上、このままいくと3ヶ月も不在になる勢いではないか。
お客さんは様々な憶測をしているようだけど、僕はその後ぺんぺん草を覗いていないので知らなかったのだ。
普段はお客さんに向かって、「ブス!」だの、「死ね!」だの、「地獄に行け!」だの言っているのにも関わらず、こんなにみんなに会いたいと思われているなんて、なんて幸せな人だろうか。
もし何かの間違いで、ひろしさんが死んでしまったら…
僕との約束で、幽霊になって僕にはっきりとわかる形で出て来てくれると言っていたので、出て来たらここでみなさんにお伝えしますねー。

フライパン。

はじめて買ったフライパンは、テフロン加工だった。
そのフライパンは、焦付かないのでオムレツも簡単に作ることが出来た。
でも、使っていくうちにテフロン加工のフライパンは、高温にしてはいけないとか、空焚きしてはいけないとか、時間が経ったら剥げてきて有害だと知り、おまけに、信頼出来るメーカーは実験の結果、人体に影響があるためテフロン加工の調理器を撤廃していることがわかった。
その後、すぐに鉄のフライパンに変えようと思っていたら、随分昔に料理好きな先輩に勧められたフライパンを思い出し、すぐに買ってみた。かれこれ10年前くらいだろうか?
そのフライパンは、独自の技術によりフライパンの厚みを通常の三分の一くらいにすることに成功、炭の粉が全体に入っているため遠赤外線を生み出し熱の伝導率がよく、ムラなく均一に熱を伝えることができるという三重県の会社のものだった。
使ってみてすぐにいいなあと思ったことは、お肉を焼く時にじっくりと火が入り、美味しく焼けたことだった。そして感動したのは、オムレツを作った時に、全然フライパンに焦付かず、綺麗に出来上がったこと。軽いため、手首の微妙な返しも簡単に出来るのもいい。
それ以来、使うたびにこのフライパンを買って良かったなあと感心しているのだけど、それから5年くらいしたら、テレビで評判になったようで、伊勢丹などでも品切れになってしまった。
先日、小さいフライパンが欲しいと思い調べると、なんと24ヶ月待ち!(しかも、アマゾンで出ているものは仲介業者が入り、販売価格よりも6千円くらい高めに売っているのだった)
フライパンは、鉄製に限る。手入れの仕方さえ間違えなければ、錆び付くことはないし、調理をするたびに、鉄分も補給されるのだ。
⭐︎錦見鋳造株式会http://www.nisikimi.co.jp

夜中にお腹が空いた時に。

晩御飯を食べた後に、さて、寝ようか…と思っても、なんだかお腹が空いて眠れないことはないだろうか?たとえば夜中の1時頃、何を食べたらいいだろう…(しかも、疲れていて面倒な料理はしたくない)
お腹が空いた時は、僕は出来るだけたんぱく質をメインに食べるようにしている。なぜなら、人間の身体は、お腹が空いた時に、脂肪からではなく筋肉から減らしはじめるから。
大抵家にありそうなたんぱく質は…
1.卵
2.納豆
3.豆腐
4.シーチキンなどの缶詰
(肉類も冷凍庫にあるのだけど、一手間かかるのと消化が悪そうなので夜中にはあまり食べない。)
僕の場合、ゆで卵を食べることが多いかもしれない。昔は、卵は1日1個と言われていたのに、今はその定説が変わって、1日3個食べてもなにも問題はないと言われている。
前にもここに書いたけど、ゆで卵は、沢山のお湯を沸かして茹でるよりも、蓋のできる鍋で少ない水で茹でる方が簡単で早く出来上がる。ストウブなどの厚手の鍋でもいいし、ステンレスの多重構造の鍋など保温性があればいい。
〈ゆで卵の作り方〉
鍋に深さ1センチくらいの水を入れたら卵を入れて、蓋をして中火をつける。沸騰したら、火を弱めて5分。火を消して4分蓋をしたまま保温(鍋の大きさと卵の量による)。
※そのまま熱々を剥いて食べると、とても美味しい。(不思議なのだけど、殻を剥きやすくするために水に浸けると、ゆで卵の味が一段落ちると思う)
ネットでゆで卵を作るゆで卵器を調べると、大抵このように蒸す構造のものが多いので、何か理由があるのかもしれない。

OUT IN JAPAN 平戸オランダ商館

今日から2月28日までの会期で、OUT IN JAPAN の展覧会が平戸オランダ商館で始まった。
オープニングのレセプションに行きたかったのだけど、名古屋での撮影と仕事も忙しく行くことが出来ずに残念だったが、実際にオープニングに出席したスタッフから写真が届いた。
総勢567人のセクシュアルマイノリティのポートレートを展示している今回の展覧会は、実際に現場で見ると、きっとなんとも言えない感動があるのだと思う。
出来れば会期中に行って、この一年を振り返り、一人一人の写真をじっくりと眺めながら感慨に浸ってみたいものだ。
⭐︎平戸オランダ商館http://hirado-shoukan.jp/modules/blog/?p=456

ふたりで暮らすこと。

今まで、同棲などしたことのない僕は、本当のことを言うと、Kが東京に来てふたりで暮らすことに、不安がある。
それは随分昔に、占い師に言われた言葉を思い出すからかもしれない。
「あなたは何よりも自由が好きな人だから、誰かとふたりで一緒に暮らすのには向いていません…」
僕の人生においてもはや、何かを失うことを恐れる気持ちは、ほとんどない。
でもKはまだ31歳。安定した大きな病院を辞めて東京に来ることは、Kのキャリアにとってはとても大きなリスクを負うことだ。
そして、もし一緒に暮らし始めて、ふたりがうまくいかなかった時に、Kにはもう帰る家はないのだ。
そんなことを時々考えて、僕たち、こんな思い切ったことをして本当に大丈夫だろうか…と思う。
Kのお母さんが言っていた、「東京で、路頭に迷うんじゃないかと思って…」という言葉も時々気になる。
でも本当のところ、ふたりの先のことなんて誰にもわからないのだ。僕たちが今のまま幸福でいられるのか、5年先だってわからないではないか…。
わからないなりに今は、この不思議な流れに流されてみようと思う。
ただひとつ願うことは、この先どんなことがあっても、Kに憎しみを抱かせないようにということ。
今の幸福な気持ちを、いつまでも憶えていられるように、たいせつに暮らしていきたい。

OUT IN JAPAN 名古屋

OUT IN JAPANは、4月までに1000人のセクシュアルマイノリティの撮影を目指しており、今回は名古屋で撮影会が行われ、1日がかり総勢124名の撮影をすることが出来た。短い時間の中で、これだけ多人数の撮影が実現できたのは、名古屋のボランティアスタッフの方々が25名も休日を返上して手伝ってくださったから。本当にありがたいことだと思う。
毎回グループショットの撮影をするのだけど、今回は、様々な年齢層のMtFの人たちに集まっていただき、撮影することが出来た。
毎回このOUT IN JAPANの撮影会でいいなあと思うことは、今まではまったく想像することさえなかった、自分とは違うセクシュアリティの人たちとの出会いだろう。
今回、特に感心したのは、MtF(Male to Female)とレズビアンというカップルが2組いたということ。そしてそのカップルがとても仲睦まじく、愛し合っているのが伝わってきたことだろうか。
男性の身体を持って生まれてきたけど、性自認は女性であり、そのためにきっと小さな頃から僕たちの想像出来ないような苦労をしてきたであろうMtFの人は、好きになる対象はきっと男性が多いのだろうと勝手に思っていたのだけど、実はそれも様々だったのだ。
※因みに、
身体(男性)心(女性)好きになる対象(男性)→MtFストレート
身体(男性)心(女性)好きになる対象(女性)→MtFレズビアン
と言うそうだ。
そんなMtFビアンとビアンのカップルということなのだけど、そんな僕の混乱を見透かすように彼らは微笑み合い、やさしそうにお互いを気遣いながら、とても幸福そうに見えたのだった。
長崎の平戸にて、OUT IN JAPAN総勢567名の写真の展覧会が、明日からはじまります。
⭐︎OUT IN JAPAN 平戸オランダ商館http://hirado-shoukan.jp/modules/events/?p=515

フィカス・アルテシマ

斑入りのゴムの木(フィカス・アルテシマ)を見つけて、その明るいグリーンと深いグリーンの美しい斑入りの葉を見て思わず衝動買いしたのが数ヶ月前。
その後、家の中でも比較的日当りのいい窓際に置いていたのだけど、しばらくすると斑の明暗がどんどんなくなって来てしまい、この場所が合わないのかと考えた。きっと日照時間が足らないのだろうと、今度は一番日当りのいい窓際に置き、数日の間様子を見ていたのだけど、最後にはほとんど濃い緑一色の普通の葉っぱになってしまった。
そこで、今度は家の中でもほとんど日の当たらない廊下のコーナーに置いてみた。すると、驚いたことに、美しい明るい緑色が出始めたのだった。
もともと斑入りの葉というのは直射日光を好まないのだけど、鮮やかな緑色にするためには、ある程度強い日差しが必要なのだと勝手に思っていたのだ。でも、実際にはその逆だったのだ。
植物を育てるのは、難しい。
一番たいせつなことは単純な知識ではなく、一つ一つの植物の声に耳を傾けることなのだ。これは、多くの人が枯らしてしまう原因となる植物の水やりにも当てはまる。
子どもの頃から、お年玉を植物にすべて注ぎ込んで来たような園芸オタクの僕でさえ、時々それを忘れて、頭の中でわかってるような錯覚を起こしてしまう。
美しく斑入りに変わりはじめた葉を見ながら、何年経っても、園芸とは奥の深いものだと改めて思ったのだ。