Xの誕生日。

上カルビと上ロース

僕と同じ年のXが日曜日に誕生日を迎えるので、一緒に焼肉を食べた。
歌舞伎町にある『味楽亭』。
塩でタンやカルビを食べた後、上カルビ上ロースをタレで。
それにしても、実感がわかないのは、47歳になるということ。47歳なんて、なんだかまるで誰か他のおじさんの年としか思えないのだ。
でも、こうして焼肉を食べていても、若い頃とは食べる量が明らかに違ってきていることを、僕たちは知っている。
そして、久しぶりに会う友人の名前がどうしても思い出せなかったり、昔は手帳など見なくても、すべてのスケジュールが頭の中に入っていたのに、今ではそのスケジュールさえうっかりと忘れてしまうこともある。
それに、Xが盛んに言うのは、昔のようにやりたいと言う強烈な欲望が薄くなってしまったということだ。
「台北やソウルにふたりで遊びに行っては、あんなに遊びまくったのにね…」と、昔を懐かしく思い出した。
でも、たとえ物忘れが多くなったとしても、体力が落ちてきたとしても、暗いところや小さな文字が見えにくくなったとしても、年をとって人間としてより美しくなれることもあるような気がする。
それは、自然に対して畏敬の念が増すことだったり、自分が宇宙の小さな一部に過ぎないと思えたり、他者に対する思いやりだったり、年寄りや弱者に対してやさしくなれることだったり、自分は取るに足らないごく普通の人間だということがわかってきたりすることだ。
X、47歳のお誕生日おめでとう!
これからも一緒に、いろんな国々に旅行に行こうね!
★味楽亭03-3200-1919
東京都新宿区歌舞伎町2-23-10 第1本間ビル 1F
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13000019/

渋谷区で、『同性パートナーシップ証明書』発行。

念願の『同性パートナーシップ証明書』が発行され、友人であるK&Hカップルが、晴れて第一号となった。
ハチ公は虹色のタスキをかけ、テレビでもネットでも沢山のニュースに取り上げられたようだ。
夜になり、神宮前二丁目ファミリーがイロドリの2階に、K&Hカップルの証明書を仲間同士で祝うために集まった。
そこには、Hのお父さんとお母さんもお見えになり、みんなと一緒に感動を味わった。
証明書を実際に見てみると、なんとも感慨深いものがある。区が認めた紙切れとはいえ、きちんと書かれたふたりの名前と、そのふたりの関係を認めると書かれた文字を見ていると、日本もここまで来たのだなあと思ったのだ。
こんな紙切れ、なんの法的な効力もない。そういう人もいるのは知っている。
でもどうだろう?
この渋谷区や世田谷区のことが日本中で話題になり、携帯会社や保険会社など民間企業にも次々と変化が見え始めた。
ライフネット生命保険が真っ先に名乗りを挙げて、第一生命、日本生命までもがこの証明書を生かしてくれると言い出したのだ。
どんな国の変化も、最初は小さなところからだったに違いない。この国に同性パートナーの権利が平等に認められていくためには、これからまた、みんながそれぞれ、自分たちに出来ることをコツコツと積み重ねていくしか道はないのだろう。
ふたりの幸せそうな顔を見ながら、それをともに喜び祝える仲間たちと美味しい祝杯を挙げた。

點水楼。

トリュフ入りの小籠包

鶏の紹興酒漬け

豆腐の煮物

台湾に行くと、必ず決まって鼎泰豊に小籠包を食べに行く。
でも今回は、あまりにも慌ただしく、仕事も半分持ち込んでいたため、気がついたら鼎泰豊に行く時間がないことがわかった。
鼎泰豊のために書いておくと、日本の鼎泰豊と台湾の鼎泰豊は、やはりちょっと違うのだ。日本で食べる小籠包も美味しいのだけど、台湾には日本にはないトリュフ入りの小籠包があったり、他の料理の種類も豊富で、どれを頼んだとしてもハズレがないくらい美味しいのだ。
そこで、ホテルの近くでなんとか美味しいものが食べたいと思い、昔入ったことのある『點水楼』をSOGOの中に見つけたので入ってみた。
以前に入った本店は点心が有名で、小籠包以外のものもとても美味しかったので入ったのだけど、ここにもトリュフ入りの小籠包があり、鶏の紹興酒漬けも絶品だった。
昼はなんと、予約をしておけば小籠包の食べ放題があるというし、散々悩んだ挙句頼んだ豆腐の鍋も、あっさりとしていてどこか懐かしく美味しい味わいだった。
「こんな店が東京にあったらいいのにね」と、店員さんに言うと、驚いたことに、新宿にもうすぐ『點水楼』の新宿店が出来ると言うのだ…。
これで、東京の小籠包にも、鼎泰豊以外の選択肢が出来ますね。
★點水楼http://www.dianshuilou.com.tw/jp/

銀杏並木。

台湾から戻ると、東京がぐっと寒くなって来ているのを感じた。
気温は最高が14度最低が10度。少しずつ冬が近づいて来た証だ。
朝、会社に行く前に早めに家を出て、外苑の銀杏並木を見に行った。
こないだKとふたりで見に来た時は、葉はほとんど緑色だったのに、ちょっと見ない隙に随分黄葉が進んでいた。樹々は、15度を切るあたりから、少しずつ紅葉をはじめる。
この銀杏並木は高校の頃、どんなに走ってももう絶対に遅刻だとわかると、学校をサボって逃れて来た場所だった。
しばらくすると、仲間の誰かしらも顔を出して、そのまま原宿に流れて、夜まで青山界隈でうろついて遊んでいたのだ。
友達とよく覗いたのは古着屋さん。その当時、VOICEという古着屋さんがキラー通りにあったのだ。
それから、プロペラというアメカジの店。僕たちにとってはまだ見ぬアメリカに憧れて、男臭いアメカジにはまっていた。
お腹がすくと、原宿か青山通りにあったウエンディーズによく立ち寄った。
アイスティーが石鹸のような香りがして、チリにかけるソースがワキガのように臭いと言って笑った。
あれから30年もたち、随分と原宿や青山の町並みは変わってしまった。
変わらないのは、今でもまだ大人になりきれない僕だけのようだ。
銀杏並木に来ると、今でも自分があの頃のままなのだとはっきりとわかる。
1つ望みを叶えたとすると、この並木道を手を繋いで歩く人がいるということくらいだろうか。
コートを着ながら、銀杏並木を愛する人とふたりで歩くことが、その頃からの僕の夢だったのだ。

我愛台湾。

Goldfishにて、Tommyの撮ったパレードの写真を見ながら…

道を歩いていると、八角が混じったようなアジアな匂いがどこからかしてくる。
大勢での食事は、みんなの顔の見える円卓で行う。急に後から予定外に人が増えたって、詰めれば大丈夫。大丈夫。
待ち合わせをすると、大抵遅れてくるし、こちらが遅れても全然気にしていない様子。
台湾に来ると、台湾人の友人たちからメッセージがたくさん入る。短い滞在であろうとどこかで会いたいと。
台湾人の多くは、日本人と違って感情が剥き出しで、おおらかで、ざっくりと懐深いように思う。
飛行機が台湾に着いて、一歩外に出るとちょっとホッとする。
たとえお財布やカードを忘れて来たとしても、台湾ならばなんとかなると思える。これは、ソウルや北京や上海なんかでは決して感じられないもの。
短い滞在を終えて日本に帰る時にいつも、今度はいつ台湾に来られるんだろう…と思うのだ。
謝謝!
再見!

Goldfish

壁に書かれた林森北路のゲイエリアマップ

お客さんの写真が貼ってあった。

台北には、Goldfishという僕の行きつけの店がある。
TommyというやんちゃなマスターとRayという香港から移住したやさしい二人のカップルがオーナーだ。
店は、二丁目のBridgeの3倍くらいあるだろうか?Tommyが写真家なので彼の作品を飾ってあったり、壁にTommy手書きのイラストや飲み物紹介などがありとても温かい雰囲気のお店なのだ。
台北には、西門町にあるカフェ的なお店(牡丹など)と、
主にクラブ系の店(G-STARなど)やイベント(G5など)、
バーという名前だけど物凄い人気店(abrazoやLaBocaなど)と、
日本人を意識したお店(丸やMATTなど)と、
大きくは4方向のお店がある。
日本人を意識した店は、丸(まるまる)という店が有名で、日本語のカラオケがあったりして、丸に座っているとまるで日本にいるように感じる店だ。
Goldfishは、日本人観光客の飲み屋街として知られる林森北路を少し入った場所にあり、Tommyが柴犬というあだ名を持つように日本好きで、店内のメニューには日本語も書かれている。店内はスタイリッシュで、独自のカクテルが何種類もあり、僕にとってはとても居心地がよい店なのだ。
このお店を5年前くらいだろうか、Tommyが立ち上げた時に作られたポスターは、Tommyが沢山の友人たちのポートレイトを撮影してびっしりとお客さんで埋まったポスターだった。
台北のみんなに愛されているTommyの人柄が出ていてなんて美しいポスターなのだろうと思ったのを覚えている。
昔は僕も、パレードの時は様々なイベントに顔を出したり、クラブに行って朝まで騒いでいたり、派手な遊びをしていたのだけど、今となっては、西門町のカフェでさえ友達との待ち合わせ以外に行かなくなってしまった。
僕が毎夜訪れていたのはこのGoldfishで、カウンターに座ってぼんやりとお酒を飲みながら、TommyやMoなどスタッフたちとおしゃべりしているのが心地よいのだ。
Goldfishで、最後の台北の夜をのんびりと過ごしていると、Tommyが店員さんに指示を出して、何か新しいカクテルを作ってぼくに差し出した。明日帰ってしまう僕に、一杯サービスしてくれたのだった。
また来るね!とTommyとハグをして、台北最後の夜に別れを告げた。

Happy Pride!

今年の台湾パレードは、今まで全体をオーガナイズしていた人たちの間で問題があったようで、途中まで開催する見通しが立っていなかったようだ。その後、2つに分かれるルートが発表された時は少しホッとした。
ここ7年間毎年来ている感想としては、ほんの少し人手が少なかったように思うが、今回のパレード参加者は、アジア最大で8万人という発表があった。
僕たちは、東京レインボープライドのフロートを用意して飾りつけをやり、僕のデザインしたTシャツを着てみんなで一体となって歩いた。
イロドリのスタッフには、Xジェンダーの子が何人かいたり、MTFやFTMもいる。海外でのはじめてのパレード参加にそれぞれが興奮していた。
そして可笑しいのが、ストレートの女の子、シェフのストレートの夫婦や、歌舞伎町のゴールデン街のストレートのマスターも揃って参加したことだ。
ストレートの彼らが、『MAKE RAINBOW TOGETHER!』などと書かれたボードを持って歩く姿を見ながら、こうしてみんなで一緒に歩ける幸福をかみしめた。
Tシャツをうれしそうにもらっていく台湾の人たちを見ていると、やっぱり台湾に来てよかったとつくづく思ったのだ。
Happy Pride!

台湾珍道中。

今年は、台湾のパレードに参加することはないとずっと前から公言していた。でも、実際にパレードの日にちが近づいてくると、みんながいろいろ言いはじめた。
「本当に来ないんですか?」
「僕たちみんなで行くのに、姐さんだけ来ないなんて…」
「I have already booked your hotel」台湾人の友だちまで…
ギリギリまでずっと迷っていたのだけど、台湾行きの前日の朝、航空券を覗いてその場でチケットを買い、行くことを決めた。
すると、あちらこちから喜びのLINEが入った。
実は今回、イロドリのスタッフの研修旅行も兼ねているため、イロドリや神宮前二丁目界隈の仲間たちが揃って台湾に行くことになっていたのだ。
「台湾珍道中」と名づけられたメンバーはなんと17人。
そんなこんなで、神宮前のファミリーたちと一緒に、台湾珍道中に行って来ます!

LOVE IS LOVE

会社の同僚が、お兄さんがたまたまLAから来日していて紹介したいというので、一緒にランチを食べた。
お兄さんはゲイの美容師さん。メキシコ系アメリカ人の彼と一緒にロスで暮らしている。美容院には、トムハンクスやキャメロンディアスなんかが、自分で車を運転してやってくるそうだ。
毎年、アメリカのクリスマスシーズンには、秋頃から少しずつプレゼントをみんなのために用意して、家族そろって温かな食事会をするそうだ。
でも、日本と比べて貧富の差の激しいアメリカでは、貧しい家庭で暮らす子どもたちも沢山いて、クリスマスのプレゼントなどもらうことさえ考えられない状態が続いていた。
そこで、ボランティアの人々が立ち上がり、貧しい子どもたちの住所を郵便局から把握して、彼らにそれぞれプレゼントを用意して配るということをはじめた。
お兄さんはそれに毎年参加して、子どもたちの年齢や背丈を聞いては、みんなで手分けしてプレゼントの包装をして、サンタクロースの格好をして家々を配り歩いたという。
沢山の子どもたちのプレゼントを包装するのに、忙しくて一睡も出来なかったとしても、子どもたちの笑顔を見ながら8年間も続けたという。
お兄さんの恋人はパン屋さんでお料理がとても上手なので、近所の子どもたちの溜まり場となり、四六時中近所の子どもたちが家にやってきては、一緒に料理を教えたりしながら楽しそうに暮らしている。
僕がいいなぁと思うのは、彼らのようなゲイカップルが、その地域に自然に溶け込んでいることだ。
頭から「僕たちはゲイのカップルでね…」なんて説明する必要もなく、周りの人々や子どもたちは自然に彼らを受け入れているのだと思う。
彼らは愛し合うカップルであって、それがたまたま男同士というだけなのだと、周りはきっと思っているのではないだろうか。
LOVE IS LOVE

渋同性パートナーシップ証明書。

いよいよ渋谷区における『同性パートナーシップ証明書の申請がはじまった。発行は11月5日になっている。
証明書を取得するためには、司法書士による公正証書の提出が求められる。
これは、だいたい13000円から18000円くらいかかることになる。(枚数により金額が異なるため)
これを聞いて、男女の結婚ならば、そんなもの要らないし、お金もこれほどかからないのに、不平等ではないか!という意見も聞いている。
そもそもこの証明書、いったい我々にとって必要なものなのか?という声もたびたび耳にして来た。
この証明書があるからといって、遺産の相続も出来ない。不動産を共有することも出来ない。保険も後見人にすることも出来ない。私にとってはまったく不平等なこんな証明書、全然興味ないという思いもあるだろう。
なぜならば区の証明書には、法的な効力はないものだからだ。
でも僕は、この証明書を取得する意義はあると思っている。
アメリカ全州で同性婚が認められたのは、今年の6月。
そこにいきつくまでに、ハーヴェイ・ミルクをはじめ本当に多くの人々の地道な努力があったのだと思う。
デンマークにおいて、『同性カップルのパートナー制度』が認められたのが、1989年。オランダにおいて『同性婚』が認められたのは、2001年。そこにいきつくまでに、それぞれの国で、少しずつ少しずつ社会に変化を起こし、前に進んでは下がりを何度も何度も繰り返してきた結果なのだろう。
僕は、渋谷区の条例をとてもうれしい気持ちで受け止めている。
本当の踏ん張り時は、これからであることもわかっている。
これを機に、みんながそれぞれ何か動き出すこと。
たとえば自分の会社で何か出来ないか声を上げてみる。
たとえば身近な企業(保険、携帯会社、旅行会社など)に相談を持ちかけてみたり、みんなが少しずつ動き出すことで社会でもセクシュアルマイノリティはもっともっと可視化されてゆくに違いない。
いつか、「同性で結婚出来ない時代なんかあったんだねえ・・・」と、言われるような時代が来る日を、僕はずっと夢見ている。