神宮へ。

五十鈴川

伊勢神宮に来たのは、前の恋人と訪れて以来だから、かれこれ15年ぶりくらいだろうか。
大きくは外宮と内宮に分かれ、125の社からなる伊勢神宮の正式名称は、地名などつかない『神宮』だ。
参拝は、外宮→内宮の順番で行うものであり、伊勢市駅から歩いてすぐの外宮へ入っていくと、すぐにここが他の神社とは一線を画すことがわかる。
一言で言うと、『清々しい』のだ。
外宮からはバスで内宮に向かい、宇治橋を渡りながら透き通った五十鈴川を眺める。深呼吸をすると、「ああ、久しぶりに神宮に来たなあ…」と思う。濃い檜のような、森林の匂いが一帯を覆っているのだ。
時間のない時は、正宮だけ参拝するしかないのだけど、出来れば、周りにある別宮も参拝するといいと思う。荒祭宮、風日祈宮など、1300年以上も前から人々が祈りを捧げてきたのには理由があるのだろう。
僕が神宮の好きなところは、格式が高いとか、荘厳な雰囲気というよりは、とても親しみやすさを感じるからかもしれない。そして、神宮を後にするときは、なんとも言えず気持ちよくなっているからだろう。
できれば来年も節分までにお参りをして、清々しい気持ちで新しい年を迎えたい。

名古屋でB級グルメ。

手羽先

カレーラーメン

マーヨー松

ふと思い立って名古屋に来た。Kは仕事を終えて、大分空港から中部国際空港に9時過ぎに降り立った。
ホテルに着いた時には、既に10時半を回っていたので、取り急ぎ友人に教えてもらった栄のバー『Standard』へ向かう。
お店に入ると『Standard』は、40代50代30代60代の客層で、ガチムチやポッチャリ、ただのおじさんの店だとわかる。(友人は、若い子好きの僕とは趣味が違ったのだった…)
それでも、この店で特筆すべきは、ママがとても人当たりが良く親切で温かいということ。
お腹を空かせていた僕たちに、深夜でも名古屋らしい食事ができる店を一生懸命に探してくれた。
向かったのは、『カツカレーラーメン』で有名な『らー麺や』。名古屋の人たちは飲んだ後に、この『麺や』でカレーラーメンを食べるというのだ。
僕「カレーうどんならわかるけど、カレーラーメンって…」
ママ「でもね、おかしいんだけど、なんだか食べたくなるのよ…」
手羽先や餃子、そして店の定番の豚ぽんというしゃぶしゃぶの豚にポン酢をかけた料理をつまむ。手羽先がカリッと揚がっていてとても美味しい。
そして、カツを抜いた『カレーラーメン』と、なんだか恐いもの食べたさで、マヨネーズのラーメン『マーヨー松』を頼んでみた。(ラーメンにマヨネーズを入れるなんて…)
食べてみると、『カレーラーメン』は、意外と食べやすく、全く違和感がなかった。そして、コテコテギトギトを想像していた『マーヨー松』は、爽やかな酸味が香るマヨネーズ風味で、アッサリとして食べやすかった。
B級グルメが咲き狂う名古屋は、東京の僕からしたら日本一変わった食文化を誇る町だ。また日曜日に、何か不思議な食べ物をいただくことを楽しみにしている。
★Standardhttp://www.gclick.jp/detail.php?NO=0522525139
★らー麺やhttp://s.tabelog.com/aichi/A2301/A230103/23001034/

ゲイが自分の子どもを持つということ。その2

一昨日書いた代理母出産のことは、とても難しい話だと思う。
それは、自然や神様の力ではなく、人間が、子どもを産むことを操作するという、長い歴史の中でタブーとされていたことを遂にやりはじめたことに対する生理的な反応があるからだろう。
エルトン・ジョンのカップルは、体外受精をして2人の子どもを持ち育てているが、先日もドルガバとの壮絶な喧嘩が話題になったばかりだ。
ドルチェ&ガッバーナ
「僕たちはゲイの養子縁組に反対だ。
家族と言えるのは伝統的な家族体型だけだよ。
化学的な受精や借り物の卵巣なんてダメさ。
生とは自然な流れなんだ。
これは変わるべきことじゃないんだ」
エルトン・ジョン
「僕の美しい子どもたちをよくも『人工的』だなんて言ってくれたな。
ストレートであろうとゲイであろうと、子どもを持ちたい多くの愛情ある人たちの夢を実現させてくれる奇跡とさえ言える体外受精に、その批判的な小さな指を突き付けるなんて恥を知れ。
お前たちの大昔の考え方は時代遅れも甚だしい。まさにお前たちのファッションそのものだ。
ドルチェ・アンド・ガッバーナなんて僕は今後一切着るもんか」
僕も、今回のセミナーで様々なことを考えさせられた。
未だにハッキリとわからないのは、生まれてくる子どもが、この日本においてきちんと認知されて、父親になれるのかどうかということ。
それさえ確実にクリアされるのならば、僕は代理母出産をして子どもを持ちたいと思い、実現する人がいてもいいと思う。
だいたい1500万とか言われる額が大き過ぎるとは僕も思う。
でも、よくよく考えてみると、代理母は子どもを産むためにおよそ一年間近く自分の人生を捧げるのだ。代理母のケアだけでもちょっと想像できない額が必要ではないかと僕は思う。
もし愛情溢れるふたりの人間が(ここにセクシュアリティは関係ないと思う)、子どもを産むことが出来なかった場合に、自分たちも子どもを育てたい。家族を持ちたいと思った時に、それを、諦めなくてはいけないのだろうか?
代理母、もしくは体外受精という形で子どもを授かることは、やってはいけないことなのだろうか?
僕はそれは、それぞれのカップルが決めればいいことだという立場だ。そもそも、誰か他者が、人の人生の決断を、批判したり裁くこと自体がおかしいと思うからだ。
僕たちの目の前で、セクシュアルマイノリティを取り巻く環境は、刻一刻と変わってきていることをひしひしと感じている。

Miele

今回、カーペットの家に引っ越しするにあたって、掃除機を買おうと決めていた。
前の家はフローリングだったので、クイックルワイパーなどを使い、あまり大きな掃除機は必要なかったのだけど、カーペットではマメな掃除機がけが必要だからだ。
僕は、迷うことなく『Miele』を選んだ。
派手に広告しているダイソンではなく、他の日本のメーカーでもなく、ほとんど日本ではあまり知られていないドイツが誇るミーレ。
もともと家の冷凍冷蔵庫は、ミーレだ。
それは、日本のほとんどのメーカーの冷凍冷蔵庫のように、冷凍と解凍を繰り返す冷却の仕方ではなく、−18度まで一気に冷凍したら、そのまま冷凍してくれる。そのため、食材の持ちがとてもいいのだ。
その代わり、時々霜取りをしなければいけないのだけど、慣れてしまえば霜取りは、冷凍庫と冷蔵庫の整理のように思えて、かえってスッキリするものだ。
家に届いたミーレの掃除機で、カーペットの上を掃除してみると、グッと吸いつくようにカーペットを捉えて、物凄い勢いで吸い込んでいるのがわかる。
ミーレの掃除機は、年数が経過しても抜群の吸引力を誇り、なんと、20年は壊れずに使えるという代物なのだ。そう思うと、この値段も高いとは感じない。
機能に徹したドイツの知恵が集結されたこの堅牢な掃除機を、時々ほれぼれと眺めている。

ケイが、自分の子どもを持つということ。

もしも、ゲイである僕たちが、子どもを持つことが出来るとわかったら、あなたならどうするだろうか?
僕は、自分がゲイであることを自覚した時に、
「僕は、自分の兄や周りの友達とは違うのだ。奥さんや子どもに囲まれた、絵に描いたような幸福な家庭は築けないんだ…」
と、どこかで受け入れて生きてきた。それに、ゲイである僕にとっては、まずは恋人を作ることが先決だったのだ。
二丁目で繰り返し聞かれる言葉は、「あなた今、幸せなの?」「ところであんた、幸せなんだっけ?」なのだけど、これはゲイにとって、『幸せ=恋人がいる』ということを表していた。
ところが、ニューヨークで暮らす日本人の僕の友人は、パートナーと子どもを育てはじめたし、日本でもパートナーシップを認める区や地域が出てきた。同性婚こそまだ認められてはいないけれども、実は、本人たちの意志さえあれば、この国でセクシュアルマイノリティであっても、子どもを持つことは夢の話ではなくなって来たのだ。
友人たちが主催する『ゲイのための代理出産と卵子提供セミナー』というのがあり、声がかかったので行ってみた。
アメリカからチームが来日して、カリフォルニアで出来る代理出産の詳しい話を聞くことが出来た。チームの構成は、医師、代理母を探す会社、そして、すべての法律的な手続きを進めてくれる弁護士からなっていた。そして、それぞれの立場から、詳しい話が聞かされて、注意深くサポートをしてくれることがわかった。
特に驚いた点をいくつかここに挙げておこうと思う。
◎ゲイのカップルが、それぞれの遺伝子を受け継いだ双子が欲しいと思い、しかも、男の子と女の子が欲しいと願った場合、実現することは可能なのか?
→多めの卵子を摘出して、2つに分けて、それぞれの精子と結合させる。お金を抑えるために一人の代理母にそれを託し、男女がわかって来た時に、それぞれを選ぶことが出来るとのこと。
◎卵子を提供してもらい、代理母を探し、法的な手続きを済ませ、赤ちゃんが生まれるまでに、だいたい1年間だそうだ!
◎卵子提供、代理母探し、弁護士代などの法的な手続きなどのすべてひっくるめた値段は、12万ドルから15万ドルだというのだ。
正直、目の前で話されていることに実感がわかないというか、まるで映画の中に入ってしまったような不思議な時間だった。
もし、ゲイやビアンやトランスで、子どもを持ちたいと思っている方がいたら、その夢は、決して諦める必要はないと言いたい。
セクシュアルマイノリティであっても、周りのストレートの家族と同じく子どもを持つことは可能なのだ。
あとは、実現に向けて、自分がどうやって生きてゆくかなのだろう。
★【ゲイのための代理出産と卵子提供セミナー】https://www.facebook.com/events/192595281085138/

雪の残る東京で。

夜に降りはじめた雨は深夜に雪に変わり、朝起きると雨に変わっていたものの町中が白く積もっていた。
10時にクライアントで打ち合わせがあったので、1.5倍くらい多めに時間の余裕を見て早めに家を出た。乗り換えの時に、なんでこんなに人が多いのだろう・・・などと思いながら、てくてく歩いてクライアントに着いた。
早めに着いたのでコーヒーを飲みながら会社のメールをチェックすると、10時からの打ち合わせが8時過ぎに突然リスケになったことを知らされた。電話も来ていたようだけど、鞄に入っていたため気づかなかったようだ。
がっくりしたけれども、また歩いて駅に戻り、会社へ向かう。
ネットを見ると、こんな雪の日に会社へ遅れないようにと向かう日本のサラリーマンのことを、「どんだけ社畜なんだ?」などと馬鹿にするような記事が載っていたのだけど、そんな記事をみながら、「あ・・・僕のことだ・・・」と思った。
僕は、こんな日であれ、打ち合わせの時間に間に合うようにと仕事へ向かう人たちが好きだ。
そもそも、ただの雪ではないか。
実際に朝には雨に変わっていたし、少々歩きにくかったり、電車が間引き運転をしていたりして駅は混雑していたけど、これくらいの雪で仕事をあきらめる気が知れない。(そもそも、金沢や北海道やモントリオールだったら、こんなの雪のうちに入らないだろう)
東京に雪が降ると、普段では見えない光景が見える。
交通機関に勤めている人たちは、細かな神経を使いながらも本当に一生懸命働いていた。
電車を降りて、改札へ向かう道はものすごい人だったのだけど、みんなが焦る気持ちを抑えながら、幾列もの人々が周りに気を配り静かに譲り合い、列の数を縮小していた。
自分の仕事場へと急ぐ人の群れを見ながら、僕は、「社畜」とは全く違う印象を持つことが出来たのだ。

不思議な鳩森神社。

新居を見に来た母から、家に帰ったあとに電話が入っていたのでかけ直すと、なんだか不思議な話をしはじめた。
母「あなたに言おうと思っていたんだけど、あの神社の前を通った時に、お母さんの頭のところに風が吹いたのよ。それも、2回。
なんていうか、こんなの初めてなんだけど、すーっと扇風機の風が吹いてる感じなの…」
僕「また変なこと言ってる…その風はイヤな感じだったの?」
母「いや、そうじゃなくて、神様が私に合図している感じだったの。だからあなた、あの神社にお参りに行きなさいね。あそこには、何か不思議な力があるみたいなの…」
僕「わかった。わかった。こないだ初詣にも行ったけど、また行ってみるね」(先日Kが来た時に、なんとなくふたりでここにお参りに行っておいた方がよいと思い、ふたりでお参りをしたのだった)
母は、ちょっと天然な感じの人なのだけど、鯉の夢を見ると家族の誰かが怪我をするサインだったり、耳が痒くなると出費があるサインだったり、不思議な力を持っているのだ。人が亡くなると、人魂を見たりもする。(ちなみにこれは、僕の祖母である母の母親も同じような不思議な力を持っていた)
僕の家は、千駄ヶ谷駅と外苑前駅の中間くらいにあって、母は千葉に住んでいるので千駄ヶ谷駅の方が近く、鳩森神社を通って歩いて来たのだった。(前の家にも同じように千駄ヶ谷駅から来ていた)
そんな不思議な話を聞かされて、鳩森神社のことを調べてみると、
★『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。
もちろん、すべてのことは偶然なのかもしれない。鳩森神社で母の頭に扇風機のように風が2回来たことも、ただの年寄りの思い違いかもしれない。
でも僕は、僕たちが目で見ている世界は、恐らくこの世界の1%にも満たなくて、この宇宙には人智を超えた力があるものと思っているのだ。

叔母の誕生日。

毎年、叔母の誕生日にお花や球根を送っている。いつも誕生日の日には、叔母からお礼の電話が入るのだ。
今年で76歳になった叔母は、子どもがいなく、美容の世界で仕事一筋に生きて来た人だ。叔父を10年くらい前に癌で亡くし、祖母を10年くらい介護をして看取った。
叔父と祖母の介護を続けてしていた時に、介護のヘルパーの資格を取った。
祖母を亡くした時は、ちょっとバランスを崩し、オレオレ詐欺にも引っかかり何百万かのお金を手渡しで渡したこともある。
その後、お花の世話なんかをしながらのんびりと暮らしていたのだけど、もともと仕事一筋に生きて来たこともあり、どうにも時間を持て余してしまっていたようで、間も無く視力に問題がある人のボランティアをはじめた。
弱視や目の見えない人に付き添って外出したり、旅行をしたりするのだ。叔母と時々話す電話の声はとても元気で、ボランティアの話ばかり楽しそうにしていた。
それが今年はどうやら、またしても付き添いの資格を取ったようで、ボランティアだけではなく、付き添うことで仕事として働いているというのだ。
叔母「ただしちゃん。叔母さん、この年になって、また働いてるのよ。給料だってもらってるんだから…」
お金には全く困っていない叔母だけど、仕事をしてきちんと認められて、お金をもらえること自体がとてもうれしいようだ。
目に障害のある人は、付き添いのボランティアを希望される人もいるし、ボランティアではなく、きちんとお金を払ってお願いする方を好む人もいるそうだ。
叔母は電話の向こうで、その仕事やボランティアがいかに忙しいか、そして、大変なこともあるけど、言葉で言えない充足感があるということを少し興奮気味に話していた。
そんな叔母の話を聞きながら、自分が76歳になった時に、こんな風に楽しそうに生きていられるだろうかと思ったのだ。
だって、ほとんど30年後ですよ…。自分の身体や頭がしっかりしてるのかもわからないではないですか…。

愛しいもの。CH25。

Yチェアの作者であり、デンマークが世界に誇るデザイナー、ハンス・J・ウェグナーの作品に、CH25がある。
Yチェアはテーブルと一緒に使われることを想定して作られている椅子だけれども、CH25は、イージーチェアと言って、リビングなどで寛いで過ごす椅子であり、ソファの存在により近いものだ。
ある時、この椅子の美しさに惹かれ、寝ても覚めてもこの椅子のことが頭から離れず、まるで恋に落ちたかのようになってしまったことがある。
写真集やカタログを何度も眺め、溜息をつき、お店に行って実際に触ってみたり、座ってみたり。
真横から眺めて、後ろから眺めて、前から眺めて、その完璧な美しさに、もう僕の頭の中は、この椅子のことで頭がいっぱいになってしまったのだ。
そんな日々が続いたあとに、やっとのことでこの椅子を手に入れた。
僕が木の椅子が好きなのは、お風呂から上がった時や、暑い時などに裸で椅子に座ることもあるからだ。座った時に、金属の椅子の脚が自分の足に触れると、冷やっとするのが嫌いなのだ。
箱から出されて、自分の部屋に運ばれたCH25は、お店で眺めていた時の美しい姿そのままで、僕の部屋にそっと馴染み、なんとも言えない安心感と温かさをもたらした。
この椅子が家に来て、もう10年くらいになるだろうか。
疲れて帰ってきて腰掛けても、朝の慌ただしい時に歯を磨きながら眺めても、休日に紅茶でも飲みながらのんびりと座っていても、つくづく素晴らしい椅子だと思うのだ。
そして、こんなに美しい椅子をデザインしたハンス・J・ウェグナーの仕事を、改めて尊敬してしまう。これこそ、真のデザイナーの仕事だと。
この椅子を見るたびに、触れるたびに、座るたびに、人生をともに生きる伴侶のような、何ものにも代えがたいものを手に入れたような幸福感を感じている。

愛しいもの。CH24(Yチェア)。

僕が、新居に引っ越す時の若い人に何かアドバイス出来ることがあるとしたら、
「家具は、慌てて全部揃えない方がいいよ」
ということだろうか。
家具に関しては、自分が心から好きになったものを、ひとつひとつゆっくりと買い足していくことをおすすめする。
なぜならば、家具は、この先の人生をずっと一緒に生きてゆくことになるからだ。
自分の好きなものがなんなのかもわからずに、お金がないため付け焼き刃的に買った家具であろうとも、結局はそのまま長い時間をともに過ごすことになってしまうものだ。
一番最初に選ぶものは、『椅子』がいいだろう。
自分にとって心地よい椅子を探すことは、実はとても難しい。
好きな形を選ぶこと。
好きな材質を選ぶこと。
そして何よりも、自分で座っていて心地よいものであること。
僕が、人生ではじめて買った椅子は、ハンス・J・ウェグナーの『Yチェア』だった。
どこから見ても美しく、食卓で座っていて心地よくて、並んだ姿がまた美しい椅子だ。
最初の家は小さかったので、先ずは二脚だけYチェアを買って、その椅子でふたりで食事をしたり、話し合いをしたり、ケンカをしたのだった。
家が少し大きくなると、客人用にもう二脚椅子を買いたいと思い、迷わず同じYチェアを買った。
そして今も、このYチェアに恋人や友人と座る時に彼らの寛ぐ姿を見ながら、この椅子を買って本当によかったなぁとつくづく思うのだ。
見ても美しく、触っても気持ちよく、座っても心地よく、時間が経っても飽きることがない。
人生でそんな家具に出会えたら、とても幸せなことだと思う。
※Yチェアは、日本で販売されて来たものと、海外のカタログに載っているものとでは、脚の長さが違って見えたので、どうしてなのかと近所の『カール・ハンセン&サン』で伺ったところ、日本で発売されているものが元々ウェグナーがデザインしたものに忠実であって、その後、海外で脚をほんの少し長くしたデザインが作られたそうだ。(今後、これが世界共通規格サイズになっていくとのことだが、この椅子の高さには、テーブルの高さが72センチくらい高くないと合わないだろう)