昆布の話。

左から、醤油昆布、オリーブオイル昆布、昆布水。

実は最近、昆布にはまっている。
先日、昆布屋さんの本『大阪天神橋 昆布問屋の昆布水レシピ』に出会い、昆布の活用の仕方を知り、今は家でしょっちゅう昆布を消費するようになったのだ。
その本で読んで、自分で作ってみて面白いと思ったことは、グルタミン酸という旨み成分を含んだ昆布は、和食に限らず様々な料理に応用できるということ。
おまけに昆布には、ビタミンやミネラルが豊富で、高血圧、動脈硬化、肥満を防ぎ、デトックス効果もあり、おまけに血糖値の上昇を抑える働きもあるというのだから、出汁をとっただけで捨てているなんて、本当に勿体無いことだったということに気づいた。
この本に書いてある昆布水の作り方はとても簡単。(10グラムの昆布を軽く水で濡らして柔らかくした後に、ハサミで細かく切って、1リットルの水に入れて冷蔵庫に入れておくだけ)
たとえば、普通に洋風のカレーやスープを作るところを、昆布水に変えてみるだけで、味に奥行きが出るのがわかるし、もはや何にでも試しに昆布を使ってみたくなるほどその豊かな味わいに虜になってしまった。
昆布水があれば、昆布かつおだしだって昆布水を温めてひとつまみの鰹節を入れるだけで簡単に作れるから、出汁をひかなきゃ…という面倒くささから解放されるし、熱を加えずに水で取った昆布水は、1週間くらい冷蔵庫に入れていてもそのまま腐らずに持つのもうれしい。
そしてもっと面白いのは、昆布水を取ったあとの昆布を醤油に漬けると醤油昆布になり、オリーブオイルに漬けるとオリーブオイル昆布になり、さらに料理のいろいろな場面で使える調味料になること。一見貧乏くさいけど、出汁を引いた後の昆布を捨てていた罪悪感から解放され、こんな食べ方があったのか!と驚いている。
納豆に混ぜたり、チャーハンに混ぜ込んだり、思いつくどんな場面でも昆布をつかってみることで、ちょっと理科の実験をやっているような面白さが味わえるのだ。
昨日も、冷奴にオリーブオイル昆布を細かく刻んだ後、塩を振って食べてみたら、部屋で1人で食べていたのに口に入れた途端思わず声を出してしまった。「美味い!」
まだまだこれからも、昆布の新しい活用の仕方が広がっていきそうで、ますます楽しみなのである。

Kの面接。

東京に行くことを決めたKは、いま働いている大分の病院を辞めた後、仕事先がまだ決まっていない。
僕は、まずは東京での仕事がきちんと決まってから、その後に東京に来た方がいいと思うのだけど、「3月いっぱいで退職して4月から東京」という期限を自ら決めたようで、それに向かって急に求人情報を探し出し、いきなり東京で面接があると言って仕事の後の夜の便で東京にやって来た。
面接を考慮して入社試験の時のスーツで現れたKは、手には黒いカジュアルなトートバッグを握りしめていた。(病院での仕事では、スーツを着る機会もなく、普段着のまま勤めていたのでいわゆる面接用の服など持っていないのだ)
この日のために急遽休みを取った僕は、朝起きて、朝ご飯を作り、洗濯をして、Kを起こし一緒にご飯を食べ、スーツの上から着るコートを出し、ネクタイを選び、鞄を選んで試着させて、グローブトロッターの小さめのハードなカバンを選び、「これをすべて着てから面接に行くように」と言った。
K「これじゃあ、カバンの中に爆弾でも入っているみたいに思われるよ・・・」
グローブトロッターの焦げ茶のカバンが、Kには少しかっちりとし過ぎたようで、僕は笑いながら革のソフトなブリーフケースに変更した。
面接が終わる頃、面接場所近くの駅に行ってKと待ち合わせをした。新宿に向かう途中、面接の手応えを聞く僕に、「ううん・・・どうなんだろう。東京は求人も多いから、難しいかもしれないね・・・」とまるで他人事だ。
K「なんで東京に来るんですか?」って聞かれたよ。
僕「で、なんて答えたの?」
K「パートナーが東京にいるんです。って答えた」
僕「え?ほんとに言ったの?」
K「うん。そしたら、なんか向こうがちょっと慌てて、それ以上そのことは聞いてこなかったよ」
僕たちは、いくつか面接に備えて質疑応答をシミュレーションしていたのだけど、この「どうして東京に来るのですか?」の質問はたぶん聞かれるだろうね・・・と話していたのだった。
普通、無難な道を選ぶ人は、「彼女がいるので・・・」などと適当にごまかすのかもしれない。でもKは、はじめから、「パートナーと一緒に暮らすために東京に来るって言うの」と言っていたのだった。
いつのまにか僕の知らないうちに、Kは僕以上にオープンになりつつまるみたいだ。

愛しき人生のつくりかた

ルシネマで観たフランス映画『愛しき人生のつくりかた』は、決して大作ではないし、ハリウッド映画とはまったく違うほのぼのとしたかわいい作品だった。
85歳くらいのおばあさんと、その息子夫婦、そして孫という三世代の話なのだけど、しっかりとしたおばあさん、定年を迎えたパッとしない息子、やさしそうなその奥さん、そして、思春期真っ只中の孫、誰をとっても特別な人はいなくて、どこにでもいるような人間らしさに溢れている。
長年連れ添った旦那さんを亡くし、自分の老いも進んでゆくある日、おばあさんは突然姿を消してしまう、おばあさんを探す旅は、自分の人生を探す旅でもあった…。
キャストは、息子役に、ミシェル・ブラン。その昔、パトリス・ルコントの『仕立屋の恋』という素晴らしい映画があったのだけど、その仕立屋のおじさんで、相変わらず絶妙な演技力を誇っていた。おばあさん役には、アラン・レネの映画『風にそよぐ草』にも出ていたアニー・コルディ。
映画自体が、フランソワ・トリュフォーへのオマージュになっていて、モンマルトルの墓地や、ノルマンディーの海岸が美しい。久しぶりに無性にフランスに行きたくなってしまった。
★愛しき人生のつくりかたhttp://itoshikijinsei.com/info/?page_id=10

手打蕎麦 松永

実は、我が神二(神宮前二丁目)には、ちょっと誰にも教えたくないような、慎ましやかな蕎麦屋さんがふたつもある。
1つは、勢揃坂にある『ぎん清http://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13123033/
』で、前の家のすぐそばだったので、よく足を運んでいた。そしてもう1つは、この『松永』。
神宮前二丁目の商店街にひっそりとあって、面がまえからしてとてもいい感じなのだ。
お昼時は、近くのファッションブランドの店員さんなんかで混んで、早めに行かないと蕎麦や人気の牡蠣の天ぷらが売り切れてしまうのだけど、運よく残っていたらとてもラッキーだろう。
1つだけ残念なことは、出し巻き卵がメニューには載っていないことだけど、それ以外は、素晴らしい蕎麦屋さんらしさで溢れている。
カウンターとテーブルを含めても20席程度。暖簾があって、木の内装はとても温かく感じられる。そして、近所のおじいさんがひとりで食べに来ていたり、おじいさんとおばあさんが仲良くお蕎麦をすすっていたり、なんだか昔の日本の良さがぎゅっと凝縮しているような店なのだ。
焼いた鶏のももは、特製の柚子胡椒でいただく。車海老の天ぷらや牡蠣の天ぷらを摘みながら、日本酒を飲むと、なんて幸せなんだろう…と思える。
気持ちよくなってきたところで、もりそばをいただく。ここの蕎麦は、量もきちんとあるから、大盛りや替えを頼まなくてもちょうどいい感じだ。
昔は、どちらかというと蕎麦よりもうどんばかり好んで食べていたのだけど、年を重ねたせいか蕎麦の美味しさを改めて発見するように好きになって来るから不思議だ。
本当に美味しいものを食べた幸福感に包まれたまま、お店をあとにすることが出来る素晴らしい店。
★手打蕎麦 松永
03-3402-7738
東京都渋谷区神宮前2-19-12
http://tabelog.com/tokyo/A1306/A130601/13024514/

OUT IN JAPAN のその後。

OUT IN JAPANの第2回目の撮影会の同窓会なるものがirodori で行われ、40人ほどが駆けつけた。
様々なセクシュアルマイノリティの人たちと交わって話していると、昔ではこんな状況は考えられなかったなあと思ってしまう。一昔前までは、『ゲイはゲイ』だったのだ。ビアンの人たちがいたとしても、結局ゲイはゲイにしか興味がないし、自分たちだけでひっそりと生きていたのだ。
それが今や、ゲイだけではなく自分とは全く違う様々なセクシュアリティの人たちとこうして交わり、色々な話をするようになったのだ。
昨夜お話をした人の中に、学校の先生をしているビアンの人がいて、この『OUT IN JAPAN』に出た後、何かありましたか?と聞く僕に、「色々大変だったんですよ…」と話をしてくれた。
彼女「OUT IN JAPANが公開されてから、どこで知ったのか、校長先生から呼び出しがかかって、すぐこの場で削除するようにと言われたんです…」
僕「え?なんで削除しないといけないの?
何も悪いことしてないのに…」
幸いにも、他の先生たちからは全く問題ないという声が聞かれて、削除をせずに済んだそうだけど、話を聞いてわかったことは、結局校長先生も、差別的な発言をした政治家と同じで、セクシュアルマイノリティに関する知識がなかったのだと思う。
教育の現場がこれだと、子どもたちに与える影響は自ずと知れてくるというものだ。
これでは子どもたちがセクシュアルマイノリティであったとしても、それを誰にも言えない状況のままだ。
少しずつ、色々な現場でみんなが動いてくれていて、この国も少しずつ変わっていくことが出来るのだろう。
同性婚の実現、そして、本当の意味で平等な人権が与えられるまで、この動きを止めることはできない。

有次の玉子焼き器。

京都の錦小路に、和食の料理人なら絶対に知っている『有次』はある。
僕はこの店が大好きで、なにも買わずとも毎回京都に行くと立ち寄るのを楽しみにしている。市場に面した店内は狭く、無駄を削ぎ落とした美しい包丁や、型抜き、銅の鍋なんかが整然と並んでいて、和食に興味のある外国人なんかも日本の調理用具を手に入れるために押しかけるようなお店だ。
東京で有次の道具を手に入れようとすると、日本橋の高島屋に行けば手に入るのだけど、やはり京都の錦小路で買うと胸が高鳴るのだ。
写真は、有次の玉子焼き器。銅で出来たもので、熱の伝道が素晴らしい。
僕ははじめ、この玉子焼き器を買い求めてから、なかなか使いこなすことができず、途中焦げたようになってしまい、しばらく鉄の玉子焼き器を使っていたのだけど、ふと思い立ち、有次に焦げた玉子焼き器を持って行き修理をお願いした。(銅で出来た道具は一生もので、高価だけどきちんと修理してくれるのだ)
なんでも、使い始めは卵だけでなんども焼き、その後、少しづつ出汁を足して玉子を焼いていく。更に、油は拭き取るだけでよくて、一生洗剤などで洗わずに使えるというのだ。(僕はこの、洗わずに使うというのがなんとも苦手で、結局毎回洗っていたのだった)
数ヶ月ののち戻ってきた玉子焼き器を、僕はまた焦がしてしまうのではないかと思い、使わずにしまっていたのだけど、先日思い立ってこの銅の玉子焼き器で出汁巻き卵を作ってみた。すると、前に手間取って焦げつかせていたのが嘘のように、綺麗な黄色に出汁巻き卵が出来上がったのだった。
そして、言いつけも聞かずその玉子焼き器をまた洗剤で洗い、また取り出して出汁巻き玉子を作ってみた。それが驚いたことに、一切くっつかずまたしても綺麗に出汁巻き玉子が出来たのだった。
料理人が認める道具には、きっと理由があるのだろう。ここの包丁も、驚くほど高価なのだけど、トマトを置いたまま手を添えずに真横にスライスできる映像を見ると、流石だと唸らずにはいられない。
一度は焦がして、ほったらかしにしていたこの玉子焼き器と、僕はこの先も一生、一緒に暮らしてゆくのだと思う。

お守り。その2

朝起きて、何気なくFacebookを見ると、友人が検査の結果、癌だったということがわかった。
ここ最近は恋人が出来て、とても幸福そうな毎日だった矢先のことで、僕もなんと言っていいのか言葉が見つからなかった。そしてしばらく考えたのちに、やっとの思いでコメントを書いた。
「会って、ハグをしたい」
周りの友人や知人が、何か重病とか、失恋をしたり、誰かたいせつな人を亡くした時には、黙ってそっとしておくことが多いと思う。
自分にはなにもできないし、そんなに傷ついたり大変な思いをしている時に、なにを言ったらいいのかわからないから。僕だって、この年になってもわからない。
親を亡くした人に、なにを言ったらいいのか。
恋人とわかれた人に、なにを言っていいのか。
重病とわかった人に、いったいなにを言えばいいのか。
でも僕は、親を亡くした時、恋人を失った時に、たったひとり世界に取り残されたように感じていた時に、黙っている人ではなく、声をかけてくれた友人たちに温かさをもらい、励まされ、勇気づけられた。
そしてふと、もうひとつのお守りを思い出して、このお守りは、この友人に行くことになっていたのだと思ったのだ。
お守りを胸に押し付けて、友人が笑っている顔を思い浮かべ、そっと小さな封筒を送った。

お守り。その1

伊勢神宮で、お守りをふたつ買ってきた。
一つは安産のお守り。 もう一つは鈴のついたお守り。鈴のついたお守りは、五十鈴川から来ているのだろうか?
いつも僕の髪を切ってくれている美容師さんが、5月から産休に入るというので無事に赤ちゃんが産まれるようにと思い買い求めたのと、もうひとつは、会計を済ませた後の帰り際に、ふとこれを買って誰かにあげないと・・・と思ったのだ。
帰ってきて、何気なく『OUT IN JAPAN』の撮影を手伝ってくれたメイクさんのことを思い出し、彼女も2月頭の出産だったとふとメールをすると、「間も無く予定日なのに、陣痛が来ないんです・・・」という返信がきた。
そこで、「安産のお守りはこのメイクさんに送ろう」と決めた。(美容師さんの5月にはまだ時間があるので)
赤ちゃんが生まれてくることは、ひとつの奇跡だと思う。
僕にできることはなにもないのだけど、お守りを、ぎゅっと胸に押し付けて、彼女の頬っぺたを赤くした幸福な顔を思い浮かべて、小さな封筒に入れて彼女に送った。

おかげ横丁

まるせいのふぐ雑炊

おく乃のステーキ

ふくすけの伊勢うどん

伊勢神宮の参拝の後、立ち寄るのが楽しみなのが『おかげ横丁』だ。
今から23年前、『赤福』の10代目の浜田さんが、140億円をかけて伊勢路の江戸時代の伝統的な町並みを復活することに成功。一時は衰退していた門前町も、この『おかげ横丁』の復活により観光客も増大したという。
一番有名なのは、もちろん『赤福』なのだけど、この『赤福本店』では、手作りの柔らかい赤福を食べることが出来る。そして感心することは、『赤福本店』のみ、朝の5時にオープンするというのだ。
それも、『おかげさま』の精神に基づいて、毎朝内宮の正宮に向かってみんなで感謝のお辞儀をするところからはじまるというからすごい。
この『おかげ横丁』、古い町並みを再現しただけではなく美味しいお店が集まっているのが楽しいところ。
『手こね寿司』の『すし久』などが有名だけど、僕のオススメは、『横丁まるせい』のふぐ。志摩の安乗漁港に拠点を置く丸勢水産が運営するふぐ料理屋さんで、天然のふぐだけを扱った料理を楽しむことができる。
『牛ステーキ おく乃』は、ステーキの焼き加減も程よく、ご飯も美味しい。席数が少ないため、常に混んでいる。
巷ではなぜか、『伊勢うどん』がブームのようなのだけど、おはらい町もおかげ横丁も、この伊勢うどんの文字で溢れかえっていた。
『ふくすけ』で食べた『伊勢うどん』は、噂に違わずコシのないふわふわというかブニョブニョのうどん。うどんにコシを求める人にはあまりオススメしないけど、こんなうどんもあるのかと、一度食べて見られるのも面白いだろう。
★横丁まるせい http://s.tabelog.com/mie/A2403/A240301/24012001/
★牛ステーキ おく乃http://www.okunoya.co.jp/steak/steak.html
★ふくすけhttp://s.tabelog.com/mie/A2403/A240301/24000009/

志摩へ。

伊勢で参拝をした後は、車を借りて志摩へ。伊勢から志摩はとても近く、1時間もしないうちに志摩の青い海が見えてくる。
もしも東京から伊勢に行ってお参りをした後、ついでに志摩まで行こうとすると、東京を早朝に出ない限り、志摩へ到着するのはかなり遅くなってしまうけど、名古屋で一泊できたので夕陽の時間にも十分間に合った。
前回、志摩に来た時は、有名な『志摩観光ホテル』に宿泊して、志摩で有名なアワビや伊勢エビを食べたのだけど、この値段ならこれくらいだよなあ・・・という気分になってしまったので、今回は手頃な値段の宿にして、眺めだけにこだわってみた。
浜島の町の外れにある宿は、部屋から海が臨めて夕陽をゆっくりと眺めることができる。志摩に来て驚くことは、周りに全然民家がないことだろうか。
今まで、様々な海沿いの宿に泊まったことがあるけど、寒い時期の志摩はかなり狙い目だと思う。紀伊半島が実はとても大きな半島なので、志摩まで来ること自体、時間がかかるから人も少ないのかもしれない。
海は青く、どこまでも澄んでいる。
名古屋からも京都からも大阪からも近いのに、こんなに綺麗な海があるなんて、ちょっと驚きだった。
ここ数日、寒波の影響で空気がひんやりとして冷たく、そんな時に入る熱い温泉のなんと贅沢なことだろうか。露天風呂でのんびりとして、風呂上がりのお酒を飲んで、この上ない幸福を感じた。