門司港へ。

アインシュタイン(中央の奥)も訪れた三井倶楽部

焼きカレー

シーフードカレーピザ

『門司港レトロ』という名前のつく一角があるように、大正時代の建物が点在する九州の玄関口の町『門司港』は、関門海峡を臨むどこか懐かしい味わいのある町だった。
父が、北九州で生まれ山口県出身だったため、この辺りの料理は身体のDNAに刻まれているように感じる。
小さな頃からフグを食べて育ったので、こちらに来るとフグを食べたくなる。『萬年亀』というフグ屋さんは予約したのに休日でお休みだったため、わざわざ店主から連絡があり『三井倶楽部』へ。
6300円のコースは、コスパに優れている。本物の高級フグは、下関か大分が美味しいけど、軽く食べるならこの程度でいいのではないだろうか?
その後、Kが心待ちにしていたB級グルメ、門司港名物『焼きカレー』を食べに『キッチンポレポレ』へ。笑ってしまうくらい門司港の町中、『焼きカレー屋さん』でいっぱいなのです…。笑
ピラフにカレーとチーズを乗せてオーブンで焼いて仕上げるような不思議な料理は、どこかドリアを思わせる。
ついでにシーフードカレーピザも初体験。様々な国の料理を取り入れて、更に工夫を加えて全く別の料理にする。日本の食に対する柔軟性に驚かされる。
2食分食べてお腹いっぱいなのか、Kも大満足でした。
これから、小倉へ。
★三井倶楽部http://www.mitsui-club.com/mitui/mitui1.html
★キッチンポレポレhttp://s.tabelog.com/fukuoka/A4005/A400501/40030979/

神社と寺へ。

銀閣寺

もみじだらけの二尊院

西行の歌

京都には、1600を越える神社や寺があるらしい。
そんなことを知ると、足繁く京都に通ったとしても、今世では行き尽くすことは出来ないと思い知る。
今回訪れた所は、銀閣寺、法然院、車折神社、清涼寺、二尊院、常寂光院…
銀閣寺は、立体的な庭を歩きながら、いつも宇宙のことを考えてしまう。
法然院は、独りで訪れたいような静かな場所だ。
車折神社は、今回はじめて訪れたのだけど、芸能の神様ということで祈願をさせていただいた…笑
嵐山の二尊院と常寂光院は、何度か来ているけれども、もみじだらけなので、紅葉を見にまたいつか必ず訪れたいと思う。
それにしても、無宗教の僕が、なんで神社や寺に行くのだろうか?
僕なりに考えると…
45歳にもなりながら、未だに煩悩に溢れ、なかなか成長出来ず、間違いを冒し、親不孝で、人の役にも立てない人間が、何か自分よりも大きなものの存在を感じたいからなのかもしれない。
宇宙や神様のようなとてつもない力を感じることだけではなく、たとえば、西行のような人が遺したものに触れると、僕と同じ時間しか与えられていないにも関わらず、どんな生き方をしたのだろうか…と、畏れを思い知る。
手を合わせて、目を閉じて、心の中で問いかける。今の僕は、きちんと生きているのだろうかと…
※「右手は、人間にとって都合のいいことを考える心。左手は厳しい現実や、くよくよする心。どちらも人間の中にあるものですが、どちらかに偏ってはいけないのです。このふたつの手を合わせて、自分の都合をすべて仏様の前に出す。良いことも悪いことも両方を含めたみんなが世の中なのだと受け止めること。つまりこれが拝観という行為なのです」蓮華寺 副住職の言葉。

宇宙の真ん中。

くちこ

金沢に行くと、思いがけず面白いものに出会うことがある。
ギャラリー・トネリコでは、フェルトをきれいな色に染色して子どものらくがきのような形に自由にカットしてマフラーにして売っていたhttp://www2.spacelan.ne.jp/~tonellico/index2.html。
また、能登ならではの漆器にも触れ、もう15年以上も能登の漆器を使い続けているけど、日本の工芸品の形の美しさと軽さ、熱いものを入れても口をつけて味わうことが出来る用の美に感心する。http://www.kirimoto.net/
まだ訪れたことはないけど、『めくみhttp://tabelog.com/ishikawa/A1702/A170203/17000700/』という寿司屋さんは、毎朝、七尾という能登の端の町まで2時間くらい車を走らせ、石川県において毎日最上の魚を仕入れるために奮闘している。「毎日往復4時間って、変人だとしか思えない」と他の寿司屋さんは言っていた。
21世紀美術館では企画展をやっていてhttp://www.kanazawa21.jp/data_list.php?d=1621&g=19、島袋道浩という人の展示では、能登穴水の『くちこ』を作る人に注目をしていて、『くちこ』のことを初めて考えた。
『くちこ』は、『このこ』と同じで、なまこの卵巣を集めたもの。へらのように先が細くなっているのはそれを集めて水を切るために乾かした下の方だから。そして驚くことに、この一枚を作るのに、ナマコが100匹くらい使われるということ(だからあんなに高いんですね)。そんな『くちこ』を、日々冬の間手作業で作り続けている人に注目している。
新竪町通りという鄙びたアンティーク屋さんや雑貨屋さんが並ぶ通りがあって、その通りをぶらぶら歩くのが好きだ。能登の工芸品や、どこから集めて来たのかわからないような不思議なスノードームが売っていたりする。
この新竪町通りのお店などの人たちが企画して、『そらあるきhttp://www.soraaruki.com/』という小さな雑誌を広告収入なしで出しているのだけど、その小さな雑誌も、金沢に対する愛情がぎゅっと詰まっていて、毎回読むのが楽しみな雑誌だ。
東京にいると、時々ニューヨークやパリが世界の中心なのかもしれないと思うことがあるけど、金沢を旅していると、金沢のその店が、世界の、いや、宇宙の中心なのではないかとふと思うことがある。
正確に言うと、東京でもニューヨークでもパリでもなく、そんなことは考えもしないで、ここが宇宙の真ん中だと思って、今を慈しみ生きているような人に出会うことがある。
人生は旅であり 又 旅は人生である
21世紀美術館の『柿沢康二』の書に書いてあった松尾芭蕉の言葉。

リンパマッサージ。

台北に行くと必ず行くのが、リンパマッサージ。『活泉』という店は、日本のスポーツ選手もお忍びで訪れる店。
僕はそこのオーナーと奥さんに仲良くしてもらっていて、専属で奥さんにマッサージをやってもらっている。
その奥さんは、マッサージ全般に研究熱心でいてその世界では著名な人、台湾中でマッサージを教えたりしている人。
顔から始まり、首、胸、腕、腹、腰、足…表面1時間、うつ伏せになってまた1時間。とても丁寧にアロマオイルを使ってリンパに刺激を与えてくれる。
はじめはとても痛く感じたのだけど、今は慣れたのか、シコリが減ったのか、所々違和感はあるものの、むしろ気持ちよさを感じる時もある。
リンパマッサージの後は、白湯を飲んで、その後ゆっくりしていると、何度かトイレに行きたくなる。身体の中が刺激を受けて、動いているような気がするから不思議だ。
そんなに簡単に、溜まった老廃物は体外には出ないと思うのだけど、排出物が多いような気がして、身体も軽く感じられる。
フライトまで時間があったので、最後にリンパマッサージをしてもらい、軽い足取りで松山空港に向かった。
★活泉 http://www.lifeenergy.tw/JP/Company.html

台湾日記その5。

火鍋

火鍋

屋台

最後の夜は、火鍋に。『大和殿』は、101近くの火鍋の店。台湾の火鍋は、大抵セルフサービスで食べ放題の店が多く、自分の好きな具材を選び、ソースも作ることが多いのだけど、ここはすべて運んでくれて食べ方まで最初に教えてくれる。
その後、gold fishでしこたま飲んで騒いだ後、人生ではじめての屋台に行った。
真夜中の屋台は、ふらりと人が来ては、好きな食材を選び、サクッと食べていくような人が多いけど、我々は、コンビニでビールを買って、白粥を頼み、様々な食材を乗せながら食事は進み、結局長居をしてしまった。
台湾の屋台の食事は、毎日食べても飽きないような、シンプルな調理の物が並んでいる。そして、いわゆる台湾料理というものは、実はこんな屋台の店で食べる料理だったりする。台湾料理の有名店『欣葉』や『青葉』などは、こんな日常の料理を突き詰めた料理なのだ屋台のおばちゃんたちの温かさも、台湾の魅力の一つに違いない。
今回の旅行は、沢山の日本人の友人たちが来ていたのだけど、その中でも何度も一緒に旅行に行っているBridgeのマスターとパートナーのKazさん、いつもの金閣銀閣S太郎にK太郎、Mさんという旅慣れた友人たちと一緒だった。
彼らと一緒に旅行をすると、いつもベッタリ一緒というのではなくて、お互いに好き勝手に行動をして、夕方に会って、その日の出来事を聞きながら大笑いして酒を飲むような食事になる。
そして、こんな風に大好きな友達と一緒に囲む食事は、人生の中でも、かけがえのない時間だと思える。
楽しい時間をありがとう。
また一緒にこんな風に、楽しい旅行が出来ますように。
★大和殿 http://s.navi.com/taipei/special/5000817

台湾日記その4。

酔鶏

空芯菜

揚げ豆腐

台湾には、ごく親しい台湾人の友達が何人かいて、彼らに会おうと予定を調整するのだけど、みんなと会うことはなかなか出来ない。そしてそれ以外にも、中国の広州の友達やソウルの友達が今回は台北に集まって来ていた。
昼はソウルから来た韓国人の友達Jと、永康街の『高記』でゆっくりと食事をした。
ここは、上海料理を台湾で発展させたような料理で、日本人の口に合うと思う。大好きな『酔鶏』を頼み、焼き小籠包を頬張る。
Jは、ソウルで会った若者。デパートに務めていて、クラブ好き。最近年上の人とつきあい始めたようで安心した。食事の後、マンゴーカキ氷を喜んで食べていた。
その後、広州から来たKとホテルのそばでお茶をした。Kは大の日本好き、日本語を独学で勉強しているお医者さん。会うたびに日本語の語彙が増えている努力家だ。早く東京に遊びに来たいと言っていた。
この頃テレビや新聞のニュースを見ていると、中国も韓国も、なぜそれほどまでに日本を嫌い、憎むのだろうか、と思うことがよくある。
でも、実際にその国の人と話すと、マスコミが騒ぎ立てているほどの反日感情はないことが多い。
もちろん、国同士の問題と、友達同志の問題は別なのだけど、実際に日本に来ている彼らは、日本に対してとても好意を持ってくれているのがわかる。
こうして、たまたま台北という場所で他の国の友人に会えるのも、パレードが他の様々なイベントも巻き込み、成功しているからだろう。
ニュースやパソコンの中ではわからないことが、海外に来てみるとたくさんあるといつも思う。
★高記 http://i.4travel.jp/shisetsu/10003914?dmos=os

台湾日記その2。

友人たちが続々と台北に到着。
昼も夜も、多勢で円卓を囲む食事は、
この上なく幸せな時間だ。
飲んだ後に、自然に手をつなぎながら、
寄り添うように帰る友人を見ながら、
いつの日か、こんなことが普通に
どこででも出来る世の中になりますようにと願った。

台湾日記その1。

『担仔麺』

午前中は仕事をして、昼の便で台北へ。台風のせいか着陸時に酷く揺れた。台北のフライトはいつもなのだけど、今回もうっかりパスポートを忘れそうになり、夜中に思い出してカバンのそばに置いておいた。笑
台湾には、例えば、台北に降りた時に、もし、荷物が何も出て来なくて、財布も何もかもなくなったとしても、台北ならば、なんとかやっていけるだろうと思える、不思議な温かさがある。
それは、ソウルやバンコクや北京など、他の街には感じられない、台湾ならではのおおらかさから来るものだと思う。
タクシーでホテルに帰って、財布からお金を払い、部屋にたどり着き、部屋の鍵を財布から取り出そうと思ったら、財布ごと無いことに気づき、フロントに行き、「鍵を財布ごとタクシーに忘れたので部屋に入れません」と言いに行ったことがある。
フロントは、「どのような財布ですか?」と聞くので、「黒くて皮でこういう形で…」と特徴を述べると、「この財布ですね?」と言って不思議なことに僕の財布を取り出した。
タクシーの運転手さんか、次に乗ったお客さんが、財布に気づいて、わざわざホテルに届けてくれたようだ。中身はそのままそっくり入っていた。
こういうことって、昔の日本では当たり前のことだったけど、今の日本なら、わからないなあと残念ながら思ってしまう。
よく行くマッサージ屋のおばさんも、僕が手土産なんかを持ってよく行くからか、施術もとても丁寧だし、日頃の不摂生な生活を怒られたり、帰り際に色々持たせてくれたりする。
この国に来るたびに、そんな温かい人に出会い、知らぬ間に第二の故郷のようになってしまった。
台北に着いて、友人たちと台湾ビールで乾杯して、しこたま飲んだ後に、台南名物『担仔麺』を食べながら、ゆるゆるとカラダもこころもほどけていった。
これから数日間、台湾日記は続きます。

能古島(のこのしま)。

福岡の港からフェリーで10分の所に能古島という小さな島がある。
1周12キロという小さな島は特に何もないけど、小さいがゆえに人間の開発も少なく、豊かな自然が残る島だ。緑は生い茂り、海の青さも印象的だ。
朝からバスに乗り港に出て、フェリーに乗るとぐんぐん小さな島が近づいてくる。桜島のような雄大さはないものの、こじんまりとした島は不思議な温かさに包まれている。
檀 一雄に愛され、井上陽水の歌にもなったこの島は、行ってみるとその不思議な魅力を感じることが出来る。
人間が壊す前の美しい自然が残るこの島にいると、日本のかつての経済発展を重視してきた闇雲な生き方ではなく、自然との共生を考えた穏やかで賢い生き方が出来ないものかと思わざるをえない。
特産のアサリの出汁のしみたご飯を食べながら、緑や海を見ているだけで心がほどけていった。

夜神楽。天岩戸神社。天の安河原。

夜神楽

天岩戸神社

天の安河原

高千穂神社にて、『夜神楽』をはじめて見た。平安時代にはすでに記録に残っているという『神楽』は、日本神話の様々な話を表現している。本来ならば何時間もかけて演じられるのだけど、観光客のために365日、代表的な神楽を4つ披露してくれる。
高千穂では場所柄、天照大神が天の岩戸にお隠れになり、必死になって探す神様や、天の安河原で、八百万の神がなんとか天照大神を呼び出そうと饗宴を繰り広げる所など様々。
これからも神楽のような伝統芸能が残っていけるかどうかは、今の人たちにかかっているのだろう。
翌朝、念願の『天岩戸神社』へ。ここも高千穂神社と似て、厳かな雰囲気に包まれている。天岩戸神社から、歩いて10分程度の河原に、『天の安河原』がある。ここは、八百万の神が集まり、天照大神をなんとか呼び戻すために相談し、饗宴を繰り広げた場所。
今は、毎日沢山の人々が訪れ、祈りを込めて石を積み上げている。河原のずっと遠くまで積み上げられた石が置かれた美しい景観は、現代美術の作品のように見える。
ずっと昔から、毎日沢山の人々の願いや祈りが、この場所で込められている。
僕をはじめ、人間は、なんと小さく、弱い生き物であろうか。
不思議と、宇宙や神様のことを、畏れ、敬う気持ちになる。
きっと、何千年も前の人たちと同じように。