神社と寺へ。

銀閣寺

もみじだらけの二尊院

西行の歌

京都には、1600を越える神社や寺があるらしい。
そんなことを知ると、足繁く京都に通ったとしても、今世では行き尽くすことは出来ないと思い知る。
今回訪れた所は、銀閣寺、法然院、車折神社、清涼寺、二尊院、常寂光院…
銀閣寺は、立体的な庭を歩きながら、いつも宇宙のことを考えてしまう。
法然院は、独りで訪れたいような静かな場所だ。
車折神社は、今回はじめて訪れたのだけど、芸能の神様ということで祈願をさせていただいた…笑
嵐山の二尊院と常寂光院は、何度か来ているけれども、もみじだらけなので、紅葉を見にまたいつか必ず訪れたいと思う。
それにしても、無宗教の僕が、なんで神社や寺に行くのだろうか?
僕なりに考えると…
45歳にもなりながら、未だに煩悩に溢れ、なかなか成長出来ず、間違いを冒し、親不孝で、人の役にも立てない人間が、何か自分よりも大きなものの存在を感じたいからなのかもしれない。
宇宙や神様のようなとてつもない力を感じることだけではなく、たとえば、西行のような人が遺したものに触れると、僕と同じ時間しか与えられていないにも関わらず、どんな生き方をしたのだろうか…と、畏れを思い知る。
手を合わせて、目を閉じて、心の中で問いかける。今の僕は、きちんと生きているのだろうかと…
※「右手は、人間にとって都合のいいことを考える心。左手は厳しい現実や、くよくよする心。どちらも人間の中にあるものですが、どちらかに偏ってはいけないのです。このふたつの手を合わせて、自分の都合をすべて仏様の前に出す。良いことも悪いことも両方を含めたみんなが世の中なのだと受け止めること。つまりこれが拝観という行為なのです」蓮華寺 副住職の言葉。
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