次回裁判での意見陳述。

次回、5月30日が東京での裁判期日になっていて、僕だけ飛行機を予約している。

次回の裁判では原告と弁護士による最後の意見陳述が予定されており、その陳述でそれぞれ何を訴えかけるか?と言う会議が弁護団と原告で行われた。

この日がおそらく結審になるだろうとの予測があり、最後の最後に一体何を言ったらいいのか、それぞれ悩んだ挙句に今考えていることを箇条書きにして共有した。

僕は最初、田舎暮らしをしてからの不都合や、財産を残すことのできない不平等などを訴えようかと思っていたが、細かなことを言うのではなく、全体として裁判長に訴えたいことを話したいと思い考え直した。

何というか、「あの金を鳴らすのはあなた」と言う感じと言えばわかってもらえるだろうか。

どんなに政治に訴えてもここ3年間全く変わらなかったのを見ていると、国会だけで変化を望んでもなかなか難しいのではないかと思っている。今までのほとんどの国がそうであったように、裁判によって平等を勝ち取っていくしか今のところ道はないのかもしれない。

OUT IN JAPAN撮影会

3年ぶりくらいになってしまったが、LGBTQカミングアウト・フォト・プロジェクト「OUT IN JAPAN」の撮影会が行われた。

この日、参加者は36名くらい。久しぶりに会ったスタッフ同士でとても楽しい時間を過ごすことができた。

このプロジェクト、7年くらい経っているのだけど、現在は写真集の編集をしているところで、年内に何とか「OUT IN JAPAN」写真集が形になればと思っている。

その写真集の中には、2000名近くの勇気あるLGBTQの人たちが堂々と名前や顔を出して載っているのだ。

いつか近い将来に、「LGBTQとかって一体なんの略だったの?」「なんでわざわざそんな風に区分けしてたの?おかしいね」

なんて言う時代がくるに違いない。

公正証書遺言。

僕たちゲイカップルは、この国では結婚がまだ認められていないから、たとえば僕が病気や事故で倒れた時に、パートナーであるKを家族と認めるか認めないかは病院の判断によってしまう。また、僕が先に亡くなった時に、Kに遺産を残してあげることは出来ない。

こうした不安をすべて解消してくれるのは、今の法制度の中でやるのは「養子縁組」しかないのだけど、「公正証書遺言」を作っておくと、法的に遺産を残すことが出来る。

でも僕たちがそれを作るには、行政書士に頼んだら、公証役場に行って手続きをするため10万円から20万円近いお金が必要になるのだ。

男女の夫婦であればこんなお金もかからないし心配する必要もないものを、なぜ僕たちだけがこんな理不尽な目に遭わなければならないのか、本当のところ僕は納得がいかない。

でもどんな手を使ってでもKを守らなければならないと思ったら、お金を払ってでも公正証書を作っておいた方が良いかと思い、現在行政書士に相談をしているところ。

裁判での本人尋問においては、僕たちだけが公正証書を作らなければならないなんて平等ではないと言っていたのだけど、結局パートナーを守ることが出来なかったら、死んでも死に切れないではないか。

これからの若い人たちがこんな理不尽な目に遭わないためにも、一日でも早い同性婚の実現が必要なのだと思うのだ。

ウエディングフォト撮影。

お昼を目安に横浜にある「大倉山記念公園」に向かう。

今日は日比谷花壇主催のウエディングフォトをプロのカメラマンに撮影してもらう日。

兄や友人や会社の先輩後輩の結婚式に出ることはあっても、自分の結婚式など今までに想像することもなかったのだけど、僕とKは、いつかこの国で同性婚が認められたら、結婚式や披露宴をやりたいと思っている。

でもその前に、写真だけ撮影しておいてもいいかなと思い友人の紹介で撮影に参加した。

最後には海も一緒に撮影できて、心に残る記念写真になった。

今までは、撮影をする側だったけど、撮影される側はほんとに苦手。恥ずかしかったけど、楽しい経験だったな。

僕たちのウエディングフォト。

いつか同性同士であっても結婚出来る世の中になったら、その時はKとふたり、結婚式を挙げたいと思っている。

家族や友人、会社の先輩や後輩を招いて、みんなから祝福される結婚式や披露宴をおこなうことは、自分の人生では今までに思い描いたことなどなかったこと。

今回、日比谷花壇などお花屋さん主催により、ウエディングフォトを撮影していただくことになった。本当は今日が撮影日だったのだけど、海の怪我があり引越しの前日に執り行われることに。

今日は送られてきたタキシードの試着と、オンラインによる撮影打ち合わせが行われた。


タキシードは、僕がブラックでKがホワイト。白と黒で並ぶことにした。これは、トム・フォードやダスティン・ランス・ブラックやリッキー・マーティンなどゲイカップルの結婚式の写真を検索しながらどれがいいかと模索した結果。

撮影には海も途中参加するので、僕たち家族にとって思い出深い写真が撮れそうだ。

母の家へ。

朝早くから家を出て、Kと海と車に乗って千葉にある母の家に向かった。途中、湯河原のドッグランで海を遊ばせて発散させてから、道は空いていたので2時間半くらいで到着した。

海は前にも実家に来ていたのだけど、それも半年前くらいだったので大きくなった海を見てお父さんは「おっきくなって少し怖いね・・・」と言っていた。

いつものように僕の好きな唐揚げとグラタンが並び、たまごサンドも作ってある。Kは運転するからお酒は飲まず、僕はビールを飲みながら宮古島の家の写真を見せてこれまで起こった様々な問題の話をする。

父も母も沖縄には行ったことがあるけど宮古島には行ったことがないので、「暑いのかねえ・・・海は綺麗なんでしょう?」などと聞いてくる。

Kにはもう何度も会っているので、父も母もどんどんKに話しかける。病院はどうしたの?これから病院にはもう勤めないの?Kは色々な質問に丁寧に答えている。まるで夫の実家に行った妻のように。

帰り際、車を見送る母を見ていたKがポツリと言った。

「お母さん、すごく寂しそうな顔してたよ・・・」

「うん。やっぱり宮古島って遠いし、今までのようにすぐに会える感じがしないからだろうね・・・」

少し切ない気持ちのまま、宮古島引越し前の母との別れを噛み締めた。

いいふうふの日。

「Marriage For All Japan 結婚の自由をすべての人に」が11月22日を「いいふうふの日」と銘打ってキャンペーンを行っていて、今年は僕もお手伝いさせていただいた。

昨年はビデオを制作したようだけど、今年はイラストレーターや作家にお願いして「いいふうふ」に因んだイラストレーションを描いてもらい展示するという企画。

11月22日が男女のカップルだけではなく、すべてのカップルのお祝いになりますように。

原宿の交差点にある東急プラザで展示を12月末まで行っているので、近くにいかれた方はチェックしてみてください。チャリティーTシャツも販売しています!
⭐️いいふうふの日https://www.marriageforall.jp/iifufu2021/

かぼすとみかん。

Kのお母さんから小包が届いた。

中を開けてみると、大分のかぼすとみかん、そしてナスとピーマンが入っていた。

Kのご両親とは僕はまだ会ったことがないのだけど、遠くで僕たちの生活を陰ながら見守り応援してくれているのがわかる。

はじめは僕たちのことを簡単には受け入れられなかったご両親も、最近では親戚に「Kのセクシュアリティのことを話してもいいか?」とまで言うようになったようだ。

保守的な大分県の田舎町で暮らすKの両親へのカミングアウトは、理解を得られるまでは決して簡単なことではなかったけど、今こうして僕たちの生活は続いていて、Kのご両親も少しずつ変わってきているのを感じる。

結局のところ、セクシュアリティによるその子への嫌悪よりも、その子という人間にに対する愛情がまさっているのだと思う。

Kのご両親への報告。

僕が会社を辞めて、Kも病院を辞めて、二人で宮古島に移住する話をKはご両親にはまだ話していなかった。

計画がだんだん進んできたからか、急にKが自宅に電話をすると言うのでどうなることやらと思いながら見守った。

Kが大分の大きな病院を辞めて、東京に出てくることを話したのはおよそ5年前。ご両親は大分で安定した仕事をしている末っ子のKを、いつまでも自分の身近にいるものと思っていたことだろう。

それが、急に仕事を辞めて東京に行く。しかも、自分はゲイで、東京に行って16歳も年上のおじさんと一緒に暮らす・・・なんて、大分のご両親からしたら相当な衝撃だったに違いない。

東京から熱海に引っ越した時はそれほど何も言わなかったご両親は、今回一体どんな反応をするだろうか?

僕「お母さん、何か言ってた?」

K「お母さんは意外にも大丈夫だった・・・」

僕「じゃあ、お父さんは???」

K「お父さんは、仕事辞めてそんな島に行って、無一文になって食べるものも困るような生活をするんじゃないか・・・って心配してた」

僕「そうだよね・・・心配するよね・・・Kちゃんはなんて言ったの?」

K「食べられなくなったら大分に帰るから大丈夫って言っといた」

そんな話をしながら笑ったのだけど、親はいつまでも子どものことを心配するに違いない。東京に行くと言った時も、Kがひもじい思いをするのではないかとお母さんは心配してしていたようだった。

将来のこと、数年後のことだって僕たちにもわからない。

でも、自分たちがワクワクすることを、二人と海で一緒にやろうと思っているのだ。

こんな子どものような僕たちの宮古島生活は、一体どうなるのだろうか?

叔母が真鶴にやってきた。

父の妹である叔母が急に真鶴まで来ると言うのでお昼前に真鶴に行く。
鄙びた真鶴駅で待っていると、年を取って小さくなった叔母がやってきた。

叔母は今年の春に熱海の我が家に遊びに来たけど、今回は前から大好きな真鶴に行きたいとやってきたのだ。
真鶴では「うに清」と言う有名店でお魚が何種類もふんだんに使われた定食をいただく。

叔母と話しているといつも亡くなった父の話になり涙ぐむことになる。
おばが3歳、父が5歳の時に祖父が戦争から帰ってすぐに亡くなり、祖母は女手一つで二人の子どもを育て上げたのだった。

叔母は、僕と兄に幾らかの財産を遺そうと思ってくれているようだ。そのやり取りで銀行と喧嘩をしたことを聞いて笑ってしまう。

81歳になっても未だに気が強く、商売をやっていたから男まさりなのだ。

真鶴半島の突端に上がり海を見下ろす。今日の美しい天気は神様からの贈り物に違いないと叔母がいう。
叔母と二人で写った写真を見ながら、「本当に親子みたいね」と言って叔母が喜ぶ。
叔母は子どもに恵まれなかったため、いつも僕のことを養子に欲しいと父に言っていたのだ。
帰り際に叔母が、「ただしちゃんも早くいい人に会えるといいわね。きっと会えるから大丈夫よ」

僕にはKと言うパートナーがいるのだけど、81歳の叔母には理解し難いかもしれないと思いまだ話していない。

いつかKのことを話せたらいいけど、それも無理にではなく、そんな絶妙なタイミングが来たらでいいかもしれないと思う。

自分が年老いてもいつまでも僕の幸せを気にかけてくれている叔母に感謝した1日だった。