母へのカミングアウト(第二部)。

カミングアウトは、家族の置かれている状況が皆それぞれ違うため、一概にみんなに勧めることはできないと思っている。自分や家族が幸福で生きてゆくために、敢えてカミングアウトをしないという生き方の選択もたいせつだと思うからだ。
たとえば、僕の母は77歳でまだ元気な方だと思うけど、これが85歳でよぼよぼだったりしたら、無理にカミングアウトはしていなかったと思う。
今回は、同性婚に関する訴訟という問題が目の前に立ち上がったので、急遽この年の瀬に両親を呼び出してカミングアウトをしたわけだけど、ここに至るまでに僕なりに伏線を張ってきてはいたのだ。
そもそも僕の母は、父と連れ立ってアカデミー賞の候補にもなった同性愛映画『君の名前で僕を呼んで』を観に行っていた。これは僕が勧めたわけではなく、自ら映画への好奇心で観に行ったようだ。「同性愛の映画だったわ・・・」という話をいつかしたので、僕の方がびっくりしたくらい。
好奇心の強い母には日頃から映画を勧めていて、母はなんの予備知識もなく映画館に入って映画を見るような人なのだ。そこで、先日ここにもあげた素晴らしい親子のドキュメンタリー映画『いろとりどりの親子』を勧めて、その映画もふたりで観に行っていた。
『いろとりどりの親子』は、ゲイで、長年親へのカミングアウトができず苦しみ、カミングアウトをした後も両親に受け入れられずに鬱病になり、その後、そんな親の期待しなかった子どもと親との関係性に注目して作品を書き上げた原作が元になっている。
月曜日のランチでは、僕がカミングアウトをした時に、ちょっと間を置いてから父が、「あ・・・あの映画だ・・・」と言った。その映画が、『君の名前・・・』なのか、『いろとりどり・・・』なのかはわからないけど、父も母も最近観た映画の知識は持っていたわけだ。
それでも実際に衝撃を受けたのはお義父さんの方で、夜に母から電話があったのだけど、父は帰るなり部屋に閉じこもってしまったようだった。
母「あの人には、いきなりで急には理解できなかったみたい・・・でもあの人は優しい人だから、きっと大丈夫よ」
僕「驚かすつもりはなかったんだけど、いきなり情報量も多すぎたよね・・・あとで本を送るから読んでみて」
母「あんたがその人と結婚するなら、ここの家の戸籍になるんだから、あの人にとっても真剣な問題なのよ・・・」
僕「お義父さんがどうしても受け入れられなかったら、戸籍を元に戻すって、今日会って話した時も言ったよね?」
母「うん。もしあの人が嫌だったら、うちの戸籍からまた元の戸籍に戻るからって、さっき私も言っておいたから」
そんなやりとりがあり、一夜明けて僕は本を実家に送ることにした。
<カミングアウトの助けになる本>
⭐️『先生と親のためのLGBTガイド もしあなたがカミングアウトされたなら』遠藤まめた[著]合同出版
とてもわかりやすく簡潔に書かれている。学校で使われるのが目的かもしれないけど、大人になった親子にもたいへんためになる本。
⭐️『カミングアウト』砂川秀樹 ASAHISHINSHO666
カミングアウトは、伝えたら終わりではなくて、伝える側と伝えられる側の関係性が再構築されることだという主旨に沿って書かれている。カミングアウトのケースが8つ載っており、涙なしには読むことはできない。LGBTに関する基礎知識や、今に至る問題点まで丁寧に書かれている。文章量がある程度あるので、本を読み慣れている人にはおすすめできる。

母へのカミングアウト(第一部)。※長文です

代休を取り、たいせつな話があったので、母と父と食事をしに津田沼まで出かけた。
母は僕の本当の父と、僕が高校を卒業した後に離婚していて、その後僕が就職して一人暮らしをしてから今の父に出会いしばらくして再婚し、昨年僕も子どものいない母と義理の父の家に養子として戸籍を移している。
母の好きな銀座アスターは平日のせいか空いていて、僕たちは一番奥の部屋の眺めの良い窓側に通された。僕たち以外のお客さんは、一人で食事に来ているおばあさんがいるだけだった。それを見て僕は内心ホッとしていた。
食事が進み、メインの炒飯が終わる頃、僕がおもむろに切り出した。
僕「お母さん、お義父さん、今日は大切な話があるんだ。
はじめに話しておくと、お母さんのせいでもないし、父のせいでもないし、僕のせいでも誰のせいでもないことなんだけど・・・それに、お母さんはもしかしたら知っているかもしれないけど・・・
僕は・・・男の人が好きなんだ・・・」
母「あら・・・あんた、私は知っていたけど、この人には話したことはなかったのに・・・なんでこんなところで急に言うのよ・・・」
義父「え???」
僕「少し前に渋谷区で同性パートナーシップに関する条例が可決されて、その後様々な地方に広がっていってるのは知ってる?」
母「知ってるわよ。フランスとかスペインとか外国では同性婚が認められてるじゃない。でも、あんた、高校の時から手編みのセーターなんかをいくつももらったりしてたじゃない?」
僕「でも女の子はどうやっても好きになれなかったんだよ。これは生まれつきなんだと思う。はじめから男の人しか性的指向が向かないんだ」
母「お兄ちゃんもいつかあんたのこと話してたけど、私はそう?って言っておいたの。もしかしたらまた変わるかもしれないと思って・・・」
僕「お義父さんには、すぐには理解出来ないかもしれないし、いきなりこんな話して申し訳ないけど・・・来年からはじまる同性婚訴訟に出るかもしれないという話があって、事前に話をしておきたかったんだ」
僕「世の中ではかなり誤解されている部分があるのだけど、さっきも話した性的指向というのは、趣味嗜好の性的嗜好とは違っていて、変えることのできないものなの。ちなみに心の性も変えられないの。トランスジェンダーって知ってるでしょう?」
母「だってあんた、女の子ともつきあってたじゃない?もうどうしてもだめなの?」
僕「僕も若かった頃なかなか自分の性的指向が受け入れられなくて、なんとか変わるんじゃないかって、いつか女性を愛することができるんじゃないかって悩んだこともあったけど、成長していく中でそれは変えられないものだって身にしみてわかったんだ」
僕「まだ話したことはなかったけど、僕にはパートナーがいるの」
母「あら!何歳なの?」
僕「16歳下の33歳」
母「あら、若いわね・・・その子はどこにいるの?」
僕「九州の子なんだけど、今は一緒に暮らしてるよ」
母「仕事は何をやってるの?」
僕「病院で検査技師をしてる」
母「向こうのご家族は知ってるの?」
僕「知ってるけど、まだ会ってない」
義父「・・・変えられないんじゃしょうがないね・・・」
僕「物心ついた時からずっと悩んでいて、これを言ったらお父さんとお母さんにもう愛されないんじゃないかって思って、ずっと自分の中に隠して生きてきたんだ・・・成長していく中で変えられるかもしれないって自分なりに色々やってみたんだけど・・・どうやっても変えられないんだ・・・」
僕「お義父さんもお母さんも、同性のことを好きになることできる?できないでしょう?それとおんなじことなんだよ・・・」
母「今、そういう人たちがどんどん増えてきてるじゃない・・・」
僕「増えてるんじゃなくて、みんなそうだって言えなかったんだよ。いじめられることとか差別が怖くて言えずに息を潜めて生きているんだよ。最近になって色々ニュースになってきてるだけで、未だに女性と結婚している人も多いんだ」
僕「お母さんもお義父さんも81歳と77歳なのに、急にこんな話を一方的にしてごめんなさい。受け入れていくには時間がかかることだと思うんだけど・・・本とかあとで送ろうか?」
母「本なんかいらないわよ・・・この人がちょっと心配だけど・・・」
僕「お義父さん、もし受け入れられなかったら、僕は戸籍また元の名前に戻すから・・・」
僕「僕がこんなだからって、かわいそうだとか思わないでね。
お母さんやお義父さんも、世の中に対して恥ずかしいことだとか引け目を感じる必要はないからね。
僕ははじめっからこうなんだし、今はこうやって幸せに生きているんだから・・・」
兄の家族は、マスコミに出ている僕のことを知っていると思うので、敢えて直接話はしていないのだけど、77歳の母へのカミングアウトは、実際のところずっと保留にしていたのだ。血のつながっていない81歳のお義父さんのことが僕にとっては問題としては大きかったから。
食事が終わって3人で駅に向かう途中、お義父さんはなんだか放心状態のように見えた。
母が「その子にはいつ会えるの?」と聞いてきた。
そして、僕が母と父のためにお土産で買った肉まんを差し出して、「この肉まんを持って帰って、ふたりで食べなさい」と言った。
僕は「Kは今、九州だからお母さん持って帰って食べて」と言った。
駅で、小さなふたりを見送りながら思ったのだ。僕は、80歳にもなるふたりに、本来ならば知らずに済んだことをわざわざ告げて心配をかけてしまったのだろう・・・と。これからふたりが時間をかけて考えなければならない予期せぬ大きな問題を与えてしまったのだと。
そしてこんなことも思ったのだ。
自分がゲイであることを、本当の意味で心の奥深くでやっと受け入れることができたのだと。

恥ずべき存在。

Kとふたり、ゲイカップルとしてマスコミなどの公の場に出るかどうするかという相談事があり、Kも一存では決めかねていて、今回の帰省を機に大分でご両親にその旨を相談することにした。
夜にひとりでご飯を作っていると、KからLINEが入った。
K「お父さんたちは、どちらかというと反対みたい」
僕「じゃあ、出てもいいってこと?」
K「周りが田舎だし、まだ心の準備ができてないみたい。顔出しもあまりやってほしくないみたい」
僕「Kちゃんだけ顔にモザイク入れて、アニメ声で出る?」
K「やだ」
K「お父さんは心配している…というか不利益を被る可能性があるのが心配みたい」
僕「だって、遅かれ早かれ同性婚は認められることになるんだよ。先進国G7では同性婚やそれに基づく制度がないのは日本だけなんだから。親戚が心配なんだよね。きっと」
K「兄弟親戚」
僕「お父さんが、Kちゃんも家族も惨めな思いをすると思ってるんだよね」
K「自分は保守的だからと言ってた」
僕「お父さんたちに、あまりしつこく言わなくていいからね。時間がかかるのだと思う。久しぶりの実家なんだから、ゆっくりしてね」
少し間をおいて、僕はなんともいたたまれなくなって言ったのだ。
僕「ただしくんも、Kちゃんも、
誰にも恥じることはないんだよ。
ふたりでもっと幸せになろうね。」
僕たちは、同性が好きだと気づいた物心ついた時からずっとずっと、自分がゲイであることは、恥ずべきことのように感じて生きて来たような気がする。
田舎に住むご両親とのやりとりを見ていても、ご両親がゲイであることを卑下していることがうかがえる。
ゲイである僕たち自身が、自分のことを恥ずかしいと思っているのだ。周りの人だって同じように考えるだろう。
僕たちは、恥ずべき存在なのだろうか?
そんな気持ちをずっと抱えながら生きて来た人々が、誇れなくてもいいから自らを肯定することが出来たらいいのにと思う。
恥ずべき存在ではなく、祝福されるべき存在なのだと思える世の中になるように、僕たちにはまだまだやれることはあるはずだ。

日本における同性婚について。

親しい友人と食事をしながら、日本における同性婚について語り合った。
主要7カ国(G7)の中で、同性婚を認めていないのは、日本とイタリアだけだ。キリスト教の強いイタリアでも、16年に同性カップルに対して婚姻に準じた権利を認める法律が成立した。
保守的な日本は、これから世論が少しずつ変化していき、海外からの圧力などにより遅かれ早かれ同性婚を認めざるを得ない状況になるのだと思う。
一方、当事者である周りのゲイの友人たちに、「同性婚のことをどう思っているか?」と聞くと、大抵の人は「特に僕には必要ないかな・・・」などという返事が返ってくることが多い。
僕たちが新宿2丁目に飲みに行っている感じだと、「男同士だし、経済的にもそんなに困ってないし、僕たちは特に変化は望まない。むしろこのままでいいよ・・・」という意見や、「もう養子縁組しちゃったから、今更同性婚と言われても僕たちは当事者にはなれないし関係なくなっちゃったんだよね・・・」という声も聞こえてくる。
ある親しい友人は、「日本(の特にゲイ)は、同性婚したくないという人の方が圧倒的に多いかもしれない。同性婚よりも、結婚制度とそれにまつわる法的なことを、最初から考えるっていう方が理想的だと思ってるのだけど・・・」という考えだった。(これはイタリアに近いのかもしれない)
僕が今思うのは、僕たちはもう、結婚も、家族や友人に囲まれる結婚式も、子どもを育てることも、あらかじめ諦めている中から人生を捉え、生きているということ。ストレートの人たちが思い描くようなある種の幸福は、初めから僕たちには選択肢にはない中で、これ以後の生活設計をしていると思うのだ。
でも、もしも、これから先の若い人たちにとって、『同性婚』という選択肢がはじめからあったならどうだろう?
今の僕には必要のない同性婚も、もしも選択肢としてあらかじめあるのならば、それを望む人たちにとっては、結婚式をする。家を買う。子どもを育てる・・・そこからはじまる人生の可能性が大きく拡がる気がするのだ。