母へのカミングアウト(第一部)。※長文です

代休を取り、たいせつな話があったので、母と父と食事をしに津田沼まで出かけた。
母は僕の本当の父と、僕が高校を卒業した後に離婚していて、その後僕が就職して一人暮らしをしてから今の父に出会いしばらくして再婚し、昨年僕も子どものいない母と義理の父の家に養子として戸籍を移している。
母の好きな銀座アスターは平日のせいか空いていて、僕たちは一番奥の部屋の眺めの良い窓側に通された。僕たち以外のお客さんは、一人で食事に来ているおばあさんがいるだけだった。それを見て僕は内心ホッとしていた。
食事が進み、メインの炒飯が終わる頃、僕がおもむろに切り出した。
僕「お母さん、お義父さん、今日は大切な話があるんだ。
はじめに話しておくと、お母さんのせいでもないし、父のせいでもないし、僕のせいでも誰のせいでもないことなんだけど・・・それに、お母さんはもしかしたら知っているかもしれないけど・・・
僕は・・・男の人が好きなんだ・・・」
母「あら・・・あんた、私は知っていたけど、この人には話したことはなかったのに・・・なんでこんなところで急に言うのよ・・・」
義父「え???」
僕「少し前に渋谷区で同性パートナーシップに関する条例が可決されて、その後様々な地方に広がっていってるのは知ってる?」
母「知ってるわよ。フランスとかスペインとか外国では同性婚が認められてるじゃない。でも、あんた、高校の時から手編みのセーターなんかをいくつももらったりしてたじゃない?」
僕「でも女の子はどうやっても好きになれなかったんだよ。これは生まれつきなんだと思う。はじめから男の人しか性的指向が向かないんだ」
母「お兄ちゃんもいつかあんたのこと話してたけど、私はそう?って言っておいたの。もしかしたらまた変わるかもしれないと思って・・・」
僕「お義父さんには、すぐには理解出来ないかもしれないし、いきなりこんな話して申し訳ないけど・・・来年からはじまる同性婚訴訟に出るかもしれないという話があって、事前に話をしておきたかったんだ」
僕「世の中ではかなり誤解されている部分があるのだけど、さっきも話した性的指向というのは、趣味嗜好の性的嗜好とは違っていて、変えることのできないものなの。ちなみに心の性も変えられないの。トランスジェンダーって知ってるでしょう?」
母「だってあんた、女の子ともつきあってたじゃない?もうどうしてもだめなの?」
僕「僕も若かった頃なかなか自分の性的指向が受け入れられなくて、なんとか変わるんじゃないかって、いつか女性を愛することができるんじゃないかって悩んだこともあったけど、成長していく中でそれは変えられないものだって身にしみてわかったんだ」
僕「まだ話したことはなかったけど、僕にはパートナーがいるの」
母「あら!何歳なの?」
僕「16歳下の33歳」
母「あら、若いわね・・・その子はどこにいるの?」
僕「九州の子なんだけど、今は一緒に暮らしてるよ」
母「仕事は何をやってるの?」
僕「病院で検査技師をしてる」
母「向こうのご家族は知ってるの?」
僕「知ってるけど、まだ会ってない」
義父「・・・変えられないんじゃしょうがないね・・・」
僕「物心ついた時からずっと悩んでいて、これを言ったらお父さんとお母さんにもう愛されないんじゃないかって思って、ずっと自分の中に隠して生きてきたんだ・・・成長していく中で変えられるかもしれないって自分なりに色々やってみたんだけど・・・どうやっても変えられないんだ・・・」
僕「お義父さんもお母さんも、同性のことを好きになることできる?できないでしょう?それとおんなじことなんだよ・・・」
母「今、そういう人たちがどんどん増えてきてるじゃない・・・」
僕「増えてるんじゃなくて、みんなそうだって言えなかったんだよ。いじめられることとか差別が怖くて言えずに息を潜めて生きているんだよ。最近になって色々ニュースになってきてるだけで、未だに女性と結婚している人も多いんだ」
僕「お母さんもお義父さんも81歳と77歳なのに、急にこんな話を一方的にしてごめんなさい。受け入れていくには時間がかかることだと思うんだけど・・・本とかあとで送ろうか?」
母「本なんかいらないわよ・・・この人がちょっと心配だけど・・・」
僕「お義父さん、もし受け入れられなかったら、僕は戸籍また元の名前に戻すから・・・」
僕「僕がこんなだからって、かわいそうだとか思わないでね。
お母さんやお義父さんも、世の中に対して恥ずかしいことだとか引け目を感じる必要はないからね。
僕ははじめっからこうなんだし、今はこうやって幸せに生きているんだから・・・」
兄の家族は、マスコミに出ている僕のことを知っていると思うので、敢えて直接話はしていないのだけど、77歳の母へのカミングアウトは、実際のところずっと保留にしていたのだ。血のつながっていない81歳のお義父さんのことが僕にとっては問題としては大きかったから。
食事が終わって3人で駅に向かう途中、お義父さんはなんだか放心状態のように見えた。
母が「その子にはいつ会えるの?」と聞いてきた。
そして、僕が母と父のためにお土産で買った肉まんを差し出して、「この肉まんを持って帰って、ふたりで食べなさい」と言った。
僕は「Kは今、九州だからお母さん持って帰って食べて」と言った。
駅で、小さなふたりを見送りながら思ったのだ。僕は、80歳にもなるふたりに、本来ならば知らずに済んだことをわざわざ告げて心配をかけてしまったのだろう・・・と。これからふたりが時間をかけて考えなければならない予期せぬ大きな問題を与えてしまったのだと。
そしてこんなことも思ったのだ。
自分がゲイであることを、本当の意味で心の奥深くでやっと受け入れることができたのだと。

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