恥ずべき存在。

Kとふたり、ゲイカップルとしてマスコミなどの公の場に出るかどうするかという相談事があり、Kも一存では決めかねていて、今回の帰省を機に大分でご両親にその旨を相談することにした。
夜にひとりでご飯を作っていると、KからLINEが入った。
K「お父さんたちは、どちらかというと反対みたい」
僕「じゃあ、出てもいいってこと?」
K「周りが田舎だし、まだ心の準備ができてないみたい。顔出しもあまりやってほしくないみたい」
僕「Kちゃんだけ顔にモザイク入れて、アニメ声で出る?」
K「やだ」
K「お父さんは心配している…というか不利益を被る可能性があるのが心配みたい」
僕「だって、遅かれ早かれ同性婚は認められることになるんだよ。先進国G7では同性婚やそれに基づく制度がないのは日本だけなんだから。親戚が心配なんだよね。きっと」
K「兄弟親戚」
僕「お父さんが、Kちゃんも家族も惨めな思いをすると思ってるんだよね」
K「自分は保守的だからと言ってた」
僕「お父さんたちに、あまりしつこく言わなくていいからね。時間がかかるのだと思う。久しぶりの実家なんだから、ゆっくりしてね」
少し間をおいて、僕はなんともいたたまれなくなって言ったのだ。
僕「ただしくんも、Kちゃんも、
誰にも恥じることはないんだよ。
ふたりでもっと幸せになろうね。」
僕たちは、同性が好きだと気づいた物心ついた時からずっとずっと、自分がゲイであることは、恥ずべきことのように感じて生きて来たような気がする。
田舎に住むご両親とのやりとりを見ていても、ご両親がゲイであることを卑下していることがうかがえる。
ゲイである僕たち自身が、自分のことを恥ずかしいと思っているのだ。周りの人だって同じように考えるだろう。
僕たちは、恥ずべき存在なのだろうか?
そんな気持ちをずっと抱えながら生きて来た人々が、誇れなくてもいいから自らを肯定することが出来たらいいのにと思う。
恥ずべき存在ではなく、祝福されるべき存在なのだと思える世の中になるように、僕たちにはまだまだやれることはあるはずだ。

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