『同性婚』と『同性愛に対する差別や偏見』

今回の同性婚に関する訴訟のあとで、偶然なのか、何人かの方から同じようなことを言われた。
「全国一斉同性婚訴訟のニュースが流れた時に、偶然母と見ていたのだけど、母は否定的な意見を言っていた」
「同性婚のニュースが流れた時に、母が、気持ち悪いわね・・・」って言ってた。
こういったことを自分の肉親から聞くと、どんなに悲しい気持ちがするだろうか。
僕は今回の同性婚訴訟に関して、当事者も含めた周りの人々のコメントで、ちょっと気になっていることがあった。それは、『同性婚』と、『同性愛に対する差別や偏見』が、ごちゃ混ぜになって語られていたこと。本来ならば、『同性婚』と『同性愛に対する差別や偏見』は、別の話なのだけど、この二つは密接に繋がっているのも確かなこと。
テレビでたびたび問題になり、ネット上でも炎上するLGBTに関する問題発言のほとんどは、実は単なる『無知』から来ているのだと僕は思っている。『無知であるがゆえの発言』は、時として人を深く傷つけることがある。
僕は今回、どういうわけだか原告という立場になったのだけど、今後『同性婚』とは別に、『LGBTに対する正確な知識』を啓発していくことがたいせつだと思っている。
『LGBTに関する正確な知識』があってはじめて、『同性婚』に関する話し合いは出来るようになると思うのだ。
ディズニー・チャンネルの人気ドラマ『アンディ・マック』で、同チャンネル史上初めて同性愛者であることをカミングアウトしたサイラスを演じるジョシュア・ラッシュに以下のコメントが寄せられた。
「このドラマには、素晴らしいメッセージがたくさん含まれているだけに本当に残念。でも、同性愛の描写は若い視聴者にとって悪影響だと思う。ディズニーは誤った選択をしたね」
このようなコメントに対して、ジョシュア・ラッシュはこんなコメントを残している。
 「君がそのように感じていることを残念に思うよ。では、ここからが本題だ。君がどう思おうと、同性に好意を抱く子供は存在し続ける。だからこそ、僕らはすべての子供たちを平等に愛し、支えていく必要があるんだ。もし誰かが自分は同性愛者であると気づいた時、自分と同じような人がほかにもいると知って欲しい。そうすれば孤独を感じることもない」
https://front-row.jp/_ct/17251973
コメントを寄せたファンは、軽い気持ちだったのかもしれない。でも、その知識不足の軽い気持ちで放った言葉によって、どれだけ多くの若者が傷つくだろうか。
性的指向や性自認に関することで、差別やいじめを受けることは不当なことだ。
それらはその人一人ひとりの個性のひとつであり、自らの力や他者の行為では変えることの出来ない属性であるのだから。

同性婚訴訟のあとに。3

会社の会議が終わって、廊下を歩いていたら60歳を越えてシニアで勤めているかつての上司が僕の名前を大声で呼んだ。
「どうかしましたか?」
「お前、この前テレビに出てたろ?偶然見かけたんだけど・・・あれ何?あのキャンペーン手伝ってるの?あの活動、まだやってたの?」
「あ、あれは・・・キャンペーンをやっているのではなくて、実は同性婚訴訟の裁判の原告なんです。」
「え?原告だったの?もう日本だってそんなの時間の問題だろ?」
「ええ・・・そう思っているのですが、アクションを起こさないと、この国には問題はないことになっていたので・・・」
「そうなんだ・・・へえ・・・がんばってな」
またしばらくしたら、総務課の課長が歩いてきて僕を呼び止めた。
「サンジャポに出てましたよ」
「へ?そうなんですか?見てないや」
「急にただしさんが映ったからびっくりしました」
会社で直接的にこの件で声をかけられたのは、このくらい。他の人は特に何も変わらず一緒に打ち合わせをしたり、普通の話をしている。
僕の場合は社内でも完全にバレているというのもあるからか、みんな僕がその手のことで何かやったとしても、特に何も思わないのだろう。
提訴した翌日は結構ドキドキしながら会社に行ったのだけど、意外とすぐにみんな他の人のことなんて忘れてしまうんだよなあ・・・と思ったのだ。
そんなことよりも、その後の日々で毎日思うことは、今回本当にやってよかったということ。
今までの人生の中で、『勇気』ということをこれほど思ったことはなかったな。

同性婚訴訟のあとに。2

14日の同性婚訴訟の後、僕の家にはテレビがないのでわからないけど、メディアには、かなりの数で出ていたみたいだけど、周囲がどんな反応だったかというと、一言で言うとほとんど何も変わらなかった。
会社にいる間、誰もこの件に関して話しかけてくる人はいなかったし、プロダクションで会議の時も、特に誰も話題にしなかった。
本当にごく親しい友人からのみお祝いのメッセージが寄せられたけど、ほとんどの友人たちからは何もメッセージが来なかった。
そのかわり、地方や海外に住む友人からのメッセージがいくつか来た。
「誇りに思うよ」
「Fantastic!!! Thrilled, and so proud of you! Much love to you!」
「あなたのこと、誇りに思うわ」
「Our lesbian couple Florence and Jud, Jing-san, Cho-san, Charles want to me to send their lives and full support!!! 」
こんな有り難いメッセージに、僕たちふたりはどれほど勇気づけられたことか。
今回の訴訟は、最高裁まで行くことがわかっていて、恐らく5年以上10年とかかかるかもしれないと言われているのだけど、30人くらい一緒に戦ってくださる弁護団は、全て無償で働いてくれている。
10年という長い期間の訴訟には、僕たちの想像のつかないくらいのお金もかかってくるようで、2月14日訴訟の当日にクラウドファンディングか立ち上げられたのだけど、驚くことに、目標の500万円は、3日も経たないうちに突破した。
それだけ周囲の関心とサポートがあるということは、原告や弁護団にとっては何よりも励みになる。
このクラウドファンディングのサイトにコメント欄があって、時間のある時にそれらのコメントを一つ一つ読みながら、そのメッセージに胸が熱くなる。
写真は、そんなコメントの一つなのだけど、こんな状況の人が、この国にはきっと沢山いるのだろうと思って、うるうるとしてしまった。
僕たちは、原告13カップルだけではなくて、こんな風にコメントを寄せてくれる沢山の仲間たちと一緒に、この長い戦いをはじめたのだ。
⭐️日本で同性婚を求める訴訟を応援してください!https://readyfor.jp/projects/MFAJ

同性婚訴訟のあとに。

昨日の同性婚訴訟の後の応援パーティーの時、不意にスマホが鳴ったので、出ると母からだった。
「テレビ見てたら急にあなたが映ったから…いったい何やってるの?」
「前にバレンタインデーに同性婚訴訟を起こすって話したでしょ?」
「聞いてないわよ…あんた、そんなことでテレビに出なくてもいいでしょう?まだこれからも出るの?」
「いや、多分今日と明日くらいしかニュースや記事には出ないと思うよ」
「もっと他のことやってニュースに出ればいいのに…」
母の声には、諦めのような落胆の色が滲み出ていた。
僕は、そんな母のことを考えて、少し泣きたくなった。
きっと自分の息子のことを、人よりも劣っていると卑下しているのだろう。
この世の中に、最愛の家族に卑下されるほど、悲しいことはない。そんな息子を持った自分のことも、きっと悲しいと思っているのだろう。
僕は今日、起きた時からそんな母のことを考えていたのだけど、思い切って電話をかけてみることにした。
「お母さん。昨日は僕みたいな子どもを持って、恥ずかしいと思ってたんでしょう?」
「私はもういいのよ。あなたのことはそうなんだって受け入れてるの。でもね、あんな風にニュースに出なくてもいいと思って…」
「お母さん。よく聞いてね。いつか近い将来に、この国でも同性婚が認められる日が来るんだよ。今はね、僕は、自分のためだけに戦っているんじゃなくて、僕みたいに前に出れないものすごく沢山の人たちやこれからの若者のために戦ってるんだ」
「同性愛の子どもたちは、学校で差別されたりいじめられたりして、自傷行為や自殺する子どもが6倍も多いの。トランスに至ってはもっともっと多いんだよ。この国のこれからの若い人たちのために立ち上がったんだから、お母さんは僕のことを、誇りに思っていいんだからね」
「あら、そうなの…私にはあんまりわからないけど、あんたがそう言うんなら、わかったわ…」
僕は母と話しながら、映画の『トーチソング・トリロジー』で、アーノルドがお母さんと誇りや自尊心をかけて喧嘩をするシーンを思い出していた。
そして、『ミルク』や『against 8』など、数々の映画を思い出して、彼らも僕たちを応援してくれているに違いないと、自分に言い聞かせたのだ。

同性婚訴訟。

朝は4時には1度起きていて、昨日買っておいたパンを食べて、丁寧に髭を剃り、Kの頭を整髪料で整えて、紺のブレザーとKはスーツでタクシーに乗り込んだ。
弁護士会館で弁護士の方々や一緒に提訴する仲間たちに会う。これから始まる人生を賭けた戦いの前に、誰もが皆少し緊張しているのがわかる。
地方裁判所の前に来ると、見たこともない報道陣の人だかりが黒い一群となって見えた。以前、渋谷区パートナーシップに関する条例が可決された時の、更に5倍くらい多いだろうか。
地方裁判所で訴状を提出、一度弁護士会館に戻り、今度は午後から記者会見。ここでは、原告による1人1分間のスピーチが組み込まれていて、あらかじめ原稿を用意しておいた。
記者の数がギッシリ詰まった霞ヶ関の記者クラブでは、それぞれの原告の思いを聴きながら胸に熱いものがこみ上げてきた。途中、涙を流す原告もいて、それぞれさまざまな経験を思い出しているのだなあと思った。(これは後ほど貼り付けておきますね)
僕たちは取材を受けず、一旦家に帰り、Kはジムに行ってしまった。大きな一仕事を終えた僕はなんだかどっと疲れが出たようで、眠りたいと思ったけど、不思議な興奮状態で頭は冴えわたっていて眠れなかった。
夜に予定されていた永田町での応援パーティーにタクシーで向かう。僕たちはお色直しと言って着るものを着替えて新鮮な気持ちでパーティーへ。ここでもまた一言ずつスピーチがあり、最後に話した僕はみんなを笑わせることができた。
今日は、アメリカでは50年以上かかった同性婚の争いが、日本でもようやく土俵に乗った記念すべき日。
50年かかってしまったら、僕はもう生きてその日を見ることは出来ないと思う。どうか5年以内に、なんらかの形でこの国の事態が変わり、同性婚が認められる日が来てくれることを願っている。
この記念すべき日を一緒に分かち合った同士に感謝するとともに、今日という日をKとふたりで迎えられたことを、神様に心から感謝した。
⭐️「天国に行くとき、最後のお別れを最愛の人と手をつないで迎えたい」同性婚が認められたら、できること。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/teiso-kaiken-ehe_jp_5c653863e4b0233af971b658

アメリカにおける同性婚。

アメリカの同性婚までの歴史を調べていたところ・・・
1952年、 アメリカ精神医学会は、ホモセクシュアリティーを精神障害と認定。1953年、アイゼンハワー大統領は、セキュリティー・リスクを理由に連邦政府施設でのゲイ雇用を禁止。
これって、そんなに前のことではない気がする・・・この時代のアメリカに僕が生まれていたら、酷い生活を強いられていたことだろう。
1969年6月28日のストーンウォールの反乱から、AIDSなどさまざまな時代があって・・・
2016年6月26日にアメリカで同性婚が認められるまでには、47年くらいかかっていることになる。
2016年6月の裁判では、アメリカの連邦最高裁判所の9人の判事のうち、5人が認め、4人が反対だった。これにより全米で同性婚が合法化したのだけど、この比率を見る限り、かなり危なかったのだと思う。
以下は、Anthony Kennedy判事による一文。これを読んで、僕は胸が熱くなった。
人と人のさまざまな結びつきの中で、結婚以上に深い結びつきがあろうか。なぜなら結婚とは、最も崇高な愛、忠誠、献身、自分を犠牲にしてでも守りたい気持ちを含んでおり、家族を抱くことだ。婚姻関係を結ぶことで、二人の個人は、いままでの自分をはるかに超えて深みのある人間になる。


今回の訴訟の申立人たちは、たとえ死が二人を分かつとしても、なお途切れない愛情が、結婚にはあると証明している。ゆえに、申立人たちが結婚という営みを軽視しているとするのは、大きな誤解である。彼らの申し立ては、結婚という営みの意味を尊重しているがためであり、だからこそ、自らもそれを成し得んとしているのである。


申立人たちが望むのは、非難され、孤独のうちに生涯を終えることのないこと。また、古い体制や思想のために社会から排除されることなく、生を全うできることである。法の下に、平等なる尊厳を求めているのである。憲法は、彼らにもその権利を付与している。よって当法廷は、第六巡回区控訴裁の判断を破棄する。


上記のとおり命令する。

婚姻届を提出にいく。

今日は会社を休んで、朝から何を着ていこうかと思いめぐらせ、Kと僕の洋服を選んだ。
Kは、成人式で買った一張羅のスーツを着ることにして、僕はKと合わせるために紺のブレザーを選んだ。
靴は僕は茶色オールデンを履き、Kは僕の黒のオールデン。マフラーも僕は水色のにしてKは浅葱色のマフラーにした。
渋谷区役所へ向かうタクシーの中で、Kは手を伸ばしてきて僕の手を握りしめた。婚姻届を出しに行く日なんて、きっと人生の中でも一度くらいしかないだろう。
区役所には早めに着いて、Kが保険証などの所用を先に済ませて、やがて弁護士さんや渋谷区役所の友人たちが集まってきた。
僕たちが婚姻届を出すことは、取材は入らないものの、あらかじめ渋谷区役所側には伝えておいたのだ。
3階の受付に行き、端っこの席に通された。周りの人たちにあまり目立たないようにとの区役所側の判断のようだ。
区役所の人は、婚姻届を細かくチェックして、届け出の日にちなどの足りないところはボールペンで書き足した。
一旦書類を奥へ持っていき、帰ってきた職員さんは僕たちにこう言った。
「男性同士の婚姻は認められていませんので、不受理届けを発行させていただきます」
「わかりました。それでは、よろしくお願いいたします」
僕たちは、不受理届けを郵送にしてもらうことにして、区役所への提出はあっさりと終わった。
渋谷区役所の外で記念撮影を撮りながら、僕は心の中どこかで言いようのない淋しさを感じていた。
一生に一度の婚姻届のつもりで、僕とKはやってきたのだ。不受理だとわかっていても、男女の結婚に対して僕たちの関係が劣ったもののように感じられたであろうことが淋しかった。
僕たち以外にもう誰も、こんな淋しさを味わって欲しくないと思った。

婚姻届。

こんな日が僕たちにやってくるなんて、思いもしなかった。
婚姻届を取り寄せて、書き始めたのだけど、書き間違えた。
婚姻届には、自分の父母を書く欄があるのだけど、僕の父は亡くなっており、母は再婚していてそこに僕が養子になったということもあり、父の欄をどうすべきかわからずに、養父を書いたのだった。続柄を長男として書いた。
よくよく読んでみると、養父はその他の欄に記入するようだった。
それでは、父の欄には亡くなった父を書くことになるのか?母の欄はどうだろう?母は父と結婚した時の名前を書くのか、今現在の再婚した名前を書くのか・・・散々迷った挙句、また書き間違えたようで、結局渋谷区の戸籍課に電話をして聞いてみた。
「お母様の現在の名前を記入してください」
「続柄は、生物学上のお父様お母様との間の続柄を」
3枚目の紙でようやく正確な情報を書けた気がするが、実際にこれで合っているかどうかはわからない。
ちなみに、Kの記入する欄は、あらかじめ『妻』と書いてあって、これを二重線で書き直したいと思ったが、それを理由にもめるのも面倒なので、書式に従うことにした。本来、夫や妻の文字も、要らないのではないだろうか?それにKは、三男であるにも関わらず三女と書かなくてはいけなかった。この違和感・・・。
受理されないとわかっていながらも、人生で一度しかないほど重要な書類なのだ。僕たちふたりは真剣に紙に記入した。僕が2回も書き間違えたから、Kは「もー、ちゃんと紙を読んで!」と言っていた。
ただの紙切れにすぎないものであっても、この紙切れが受理されることによって、法で守られるカップルと、守られないカップルが分かれるのだ。いつかこんな不平等がこの世界からなくなったらいいな。

同性婚の先に目指すもの。

「電通ダイバーシティ・ラボ」が1月10日、全国20〜59歳の約6万人へのアンケート「LGBT調査2018」を発表した。
それによると、セクシュアル・マイノリティ(LGBT)は、全体の8.9%。多くの先進国で認められている同性婚は、78.4%が「賛成」。
2015年の調査では7.6%13人に1人という結果だったのが、3年経ったのちの調査ではおよそ11人に1人がLGBTという結果になった。
この数値が多いのか少ないのかはわからないけど、『世界が100人の村だったら・・・』では、同性愛者は100人の村には10人と書いてあったと思うので、そんなにかけ離れた数字でもないのだろう。
今年に入り、『同性婚訴訟』が日本でもはじまるということでこれから話題になっていくと思うのだけど、ここ数カ月で、僕たちも同性婚について沢山話し合ってきた。
そんな中で今の僕がはっきりと思っていることがある。
それは、『同性婚』を実現することによって、ストレートと同じ平等の権利を手に入れるということ。これによって、病院での緊急時にパートナーが判断できたり、どちらかが先に亡くなった時の相続、保険や控除など、法的に認められることは心強いに違いない。
でも、僕が常日頃本当に欲しいと思っていたことは何かというと、人の目を気にせずに男ふたりで暮らしていける日常なのだとわかったのだ。
ホテルでいちいち「ダブルの部屋でお間違えないでしょうか?」と聞かれたり、レストランで男同士で不思議な目で見られたり、そんな日常が少しずつでも変わっていくことを願っている。
愛する者同士が、日本のどんな場所においても、このコマーシャルのようになれる日が来ること。同性婚が認められるその先に僕たちが目指すものだと思っている。
⭐️ぎゅっと手をつなごう#Holdtighthttps://youtu.be/ov0Imud5AUQ

母へのカミングアウト(第三部)。

トーチソング・トリロジー

「カミングアウトで、僕が一番恐れていたことは何か?」
と今になって突き詰めて考えてみるとそれは、
『同性愛者は、”普通の人”よりも、劣っている』
と思われること、卑下されること、恥ずかしい存在だと思われることだと思う。それも、自分が愛している家族によってそう思われることは何よりもつらいことだろう。
僕の大好きな芝居であり映画の『トーチソングトリロジー』の中で(もしも観ていない人がいたら、絶対に観ることをおすすめする)、主人公でゲイのアーノルドが、お母さんと罵り合う場面がある。
お母さんはずっと変わらずアーノルドを愛してきたのだけど、女装のショーパブでショーをやっているアーノルドのことを、どこか恥ずかしい存在だと思っているのがわかる。誰よりも母親を愛してきたアーノルドは、自分の自尊心や誇りを傷つけられて、お母さんと激しい喧嘩をして家を追い出してしまうとうシーンがある。
思い出しただけで涙が出てくるくらい見事な脚本でありシーンなのだけど、僕たちゲイの胸の奥深くに届くような、何がしかの真実がそこに描かれていると思うのだ。
今回のハッキリとした僕からのゲイ宣言によって、だいたいわかっていたと言う僕の母親でさえも、そこにハッキリとした落胆を感じ取ることができた。
あの後、毎日母から電話が来るのだけど、その中には、「なんだか力が抜けちゃったわ・・・」という言葉や、「あなた、小さい時からなんでも出来たんだから、今になってそんな裁判に出なくてもいいでしょう?」とか、「あなたの会社で不利益を被ることになるのが心配なの・・・」とか、余計な心配をかけてしまったのだな・・・と思う。
でも僕は、アーノルドほど強く誇り高く生きることはできないけれども、母に自分の子どもを卑下したり、かわいそうだと思ったり、恥ずかしい存在だと感じさせることはしたくないと思う。
これは時間がかかることだと思うけど、僕自身の生き方を見せることによって、母もいつか自分の子どもに誇りを感じられるようになって欲しいと思っているのだ。
(長い『カミングアウト三部作』をお読みいただき、誠にありがとうございました)